実習と、その後のプレゼント
ウィレミナの開いた異次元の先は砂利が広がる庭園だった。
観賞魚の水槽の底のように玉砂利を敷き、水槽に植える水草のように転々と大木を生やした空間だ。ところどころにある小高い山にはトンネルが掘られている。あれはアクアリウムでいうところの、魚が隠れるための横倒しの鉢植えやアーチ状に組んだ岩のようなものだろう。
空は夜空のように真っ黒だが不思議と昼のように明るい。広さは地平線が見えるくらいある。端はどうなっているのだろうか。質問をぶつけた生徒に、半球の空間ですよとウィレミナが返した。
ウィレミナはここで空魚を飼育しているのだ。どうですかと自慢気に胸を張ったウィレミナが白い壁を背にして生徒たちを振り返る。
「ではアネちゃんに挨拶してください」
「……いなくないです?」
どう見てもいない。空魚は琉金のような姿かたちをしているというからまぁ巨大な金魚だと思えばいいだろう。なら岩場に隠れているのでは。ちょうど少し離れたところに岩場はあるが。
なのにウィレミナの口ぶりはまるでここにいるといった感じだ。思わず疑問がカンナの口をついて出た。
「いますよぉ、ほら!」
うしろ、とウィレミナが背後の壁を指す。白い壁が動いた。
否、それは壁ではない。壁に見えていたのは腹だ。では何の。決まっている。
「これがアネちゃんです。ほらご挨拶しましょう!」
「でっか…………」
でかい。とんでもなくでかい。信じられないくらいでかい。
ぽかんと口を開けて呆然としてしまうほどの威容。寝そべるように地面に腹をつけて休んでいた空魚が身を震わせて腹についた砂利を落として浮遊する。
「なにこのサイズ……」
ウィレミナが提示した絵では琉金のような姿をしていた。だからサイズもそれくらいだと漠然と考えていた。ちょっと大ぶりの琉金が空を飛ぶようになっただけ、と。
この空間に入る前の匂いの検査で使った空魚の稚魚は手のひらくらいだったということもある。なのですっかりそう思い込んでしまっていた。
これが空魚。鯨よりも大きい。一般家庭の平均的な一軒家に匹敵する巨大さだ。あんな手のひらサイズの稚魚がここまで大きくなるなんて信じられない。
確かにこれが暴れ始めたらとんでもない事態になる。それはもう危険だろう。
単純に図体の大きさからなる質量と、その図体で動き回るための筋肉のしなやかさ。薄くひらひらとした尾でも鋭く薙ぎ払われれば無事では済まない。
だからあんな念入りに匂いのチェックをしたのか。
「…………アルヴィナ先輩からのプレゼント、預けといてよかった」
心の底からそう思った。
***
実習から帰ったら部屋のドアノブに小さな紙袋が提げてあった。手書きのメッセージカードには『ヴィトより』と書いてある。袋の中身はもちろん渡した香水瓶だ。
それを回収して部屋に入る。今日は実習だけしかないのであとは自由時間だ。だが肉体的に精神的に疲れたので遊びに行く気がしない。このまま夕飯の時間までゆっくりしていよう。
腰のベルトに提げたベルダーコーデックスのホルダーを外して放り、ベッドにごろりと転がった。投げるなという抗議は無視。
「ったく人の扱いが雑すぎねぇか……」
まぁ緊張の反動で色々と気を回す余裕がないのだろう。そういうことにしておく。まったく。はぁと溜息を吐いて気を取り直し、枕に顔を埋めて突っ伏しているカンナを振り返る。顔も何もないので雰囲気だけだが。
「ま、死なずに済んでよかったじゃねぇの。…………なんだよその顔は」
カンナがきょとんと不思議そうな顔をしている。何だこの野郎とベルダーコーデックスが表紙をぱたぱたと開閉させて文句をつける。いやだって、とカンナから反駁がきた。
「ベルダーが心配してると思って……」
性根も性格も口も悪い人嫌いが『怪我をしなくてよかった』と言うなんて。
うっかり潰されて死んでしまえとか、そこまでいかなくても何かしらの揶揄をするかと思ったのに。怪我をしたら笑ってやったのにとか。
珍しく優しい。もしかしたら偽物なんじゃないかと思うくらい。それか何かの魂胆があるか。
驚きと疑いの目を向けるカンナへ、おうおう、とベルダーコーデックスが笑う。
「テメェが死んだらオレは封印だからな」
入学の際に説明されたことだ。何らかの理由で持ち主を失った武具や、まだ適合者に出会えていない武具を固く封じて保管しておく場所がある。
場所によって呼び名が微妙に違うのだが、ヴァイス高等魔法院ではそこを護庫というらしい。
もしカンナが死ねばベルダーコーデックスは護庫に封印、保管されることになる。また適合者が現れるまで永遠に。ベルダーコーデックスの自我や意識は当然封印される。
そんなものは御免だ。だからカンナの無事は最低限気にかける。空魚にうっかり潰されて死んでしまったらそこでお終いなのだから。
自身の現実改変能力でカンナの死をなかったことにしようにも、術者であるカンナがいなければ発動もできない。だからだ。
「心配はしてないってことね。ふんだ」
「当然だろ」
そういうことか。まったく可愛げのない。ちょっとは性根を入れ替えたと思ったのに。
むぅと頬を膨らませるカンナをベルダーコーデックスが笑う。くつくつと笑い声が響いた。
「今のテメェは大っ嫌いだからな」
「なによ! …………ん?」
ベルダーコーデックスに食ってかかろうとしたその時。窓に何か固いものが当たる音がした。
こつんとノックのように鳴った音に反応して窓を見る。そこには行儀よく花をくわえた鳩がいた。
「え? ……あ!」
まさかこの前の花の送り主からの使いでは。慌てて起き上がって窓に駆け寄る。その間に鳩は花を置いて飛び立ってしまった。
あとには葬儀のように黒い花だけが残された。
「ちょっと、これって…………。
この世の『よくないもの』をすべて煮詰めて鍋の底に残った焦げた塊のような。コールタールのように粘った黒色をした不吉の象徴の花。
その花言葉は調べずとも知っている。
――『お前を殺す』だ。




