憧れの先輩
会場の喧騒から離れるように歩くハルヴァートのあとについていく。誰かのあとについていくのは今日で2回目だ。そういえばあの彼女の名前を聞いていないし礼を言うより先に別れてしまった。次会う時には名前とお礼を、としっかり記憶のメモに残しておく。
歩くうちにあたりの風景が森へ移り変わっていく。四方を木々で囲まれた小道を離れ、数分。拓けた場所をハルヴァートが指した。
「ここ、俺のお気に入りなんだ。人もめったに来ないしね」
考え事をする時や気分転換に訪れるんだと微笑み、ハルヴァートが草原に尻を付けて座る。おいでと手招きされてその横にカンナも遠慮しつつも座る。
ぷち、とハルヴァートが足元の果実を毟る。赤くつやつやした小さなベリーをそのまま口に入れた。
「こうしておやつもあるしね」
「食べていいんですかこれ」
「いいよ?」
食べても学校に咎められたことはないので、きっといいのだろう。そう言って2つ目を。今度はカンナへ差し出した。
「入学おめでとう。……ちゃんとした入学祝いはまた今度に」
「は、はい! ありがとうございます!」
野苺を摘んで差し出すその手も顔も様になる。顔がいい。所作に照れつつ受け取って口に入れる。甘酸っぱい果実の味を楽しむ余裕もない。隣の男の顔が良すぎる。かっこいいです先輩、と口の中のベリーを噛み締めるように胸の中で噛み締めた。
「しかしカンナちゃんも高等魔法院に入学できたなんてね。そんなに成績良かったっけ」
「う…………確かに魔法院の成績はよくなかったですけど……」
神に最も近いと言われるこのヴァイス高等魔法院は、他の2校よりもずっと入学条件が厳しい。学力だけではなく、魔法の習熟度も問われる。
このままではハルヴァートと同じヴァイス高等魔法院に入学できないとわかったので、それはもう努力したのだ。そのおかげで高等魔法院に入学できた。
高等魔法院そのものはこのヴァイス高等魔法院の他に2校あるが、他ではだめなのだ。"先輩がいる"。その要素のみで故郷から遠く離れたここを志望した。恋する乙女の行動力を舐めてはいけない。
「よく頑張ったよ。さ、そんな新人にきちんと案内しないと」
「はい、よろしくお願いします!」
「じゃぁ簡単に校内を説明しようか」
校舎をはじめとした建物の配置について。前置きし、足元の草を摘んで撚って細い紐を作る。花輪のように丸くしてから地面に置いた。これが敷地全体の輪郭だ。ヴァイス高等魔法院は円形の敷地を持つ。
草の輪の結び目を正門として、西側が学び舎で、東側が寮となる。寮は男女で4つずつ、合計8つの建物に別れている。
「カンナちゃんの学生番号は?」
「えっと…………」
確か、入学案内の書類に書かれていたはず。記憶を漁って答える。U-01-8525だった気がする。もしかしたら8526だったかもしれない。
正確に思い出せない様子のカンナへ、最初のアルファベットだけはっきり思い出してくれればいいよ、と助け舟が入る。
「うん、Uの女子なら南側のこのあたりだ。橙色の紫陽花を探すといい」
寮ごとにモチーフがあるらしい。男は寒色系と動物の組み合わせで、女は暖色系と花の組み合わせだ。
カンナが所属する寮は橙色の紫陽花をモチーフとしている。寮の入り口に掲げてあるからそれを目印にね、とハルヴァートが付け足した。
ちなみにハルヴァートはというと、青の狼をモチーフとした寮に所属しているそうだ。
「校舎の中はおいおいね。今言っても覚えられないだろうから」
今回はこの高等魔法院の敷地の全体像を掴むまで。そう言って、向かい合うように建つ校舎と寮の間、正門に見立てた草の輪の結び目の対角線を指す。
「ここが光の塔と呼ばれる場所。立入禁止だけどね」
ちょうどこの塔がこの敷地の中心だ。いや、ヴァイス高等魔法院の敷地だけでない。この高等魔法院のある大陸の中心でもある。この中央点を中心にしてヴァイス高等魔法院が拓かれた。
それだけ大事な塔なのだ。それも当然。この塔は往古、人間が神々に祈りを捧げていた場所であるという。故にこの塔を擁するヴァイス高等魔法院は神に最も近い高等魔法院として知られている。
そして、光があれば当然、闇もある。闇の塔と呼ばれるそれは校舎の背後に広がる鬱蒼とした森の奥にある。かつては魔女を封印していた塔だ。だが長い時間で封印が緩んでしまい、魔女は堂々外を闊歩している。まだ封印の効力は一部有効なのか、魔女の行動範囲はヴァイス高等魔法院の敷地内におさまっているようだが。
「封印?」
「殺せなかったから仕方なく……らしいよ。1000年も前の話だ」
それが緩んで今、このヴァイス高等魔法院の敷地を闊歩するくらいに自由になれているというわけだ。
魔女。教科書でしか知らない存在だ。小さい頃、イタズラばっかりすると魔女がやってきて攫ってしまうよとか親が脅しに使ってきたなぁとぼんやりと思い出す。それくらい遠い存在だ。このヴァイス高等魔法院に居ると言われてもまったくピンとこない。居るという噂はここが神に最も近い場所という謳い文句に付与された尾ひれだと思っていたくらいだ。
きっとものすごく恐ろしい存在なのだろう。しわくちゃの老婆で、黒くて長いボロボロのローブを着て、骸骨を持って薄気味悪く笑っているような。そんな不気味な人物像を思い描いた。
「そのあたりは新入生向けの説明会とかで教えられると思うよ」
「で、ですね」
ここでハルヴァートに聞かなくても、きっと教師陣が新入生向けのガイダンスを用意してくれているはず。魔女のことはその時に。
今するべきは誰でもできる話ではなく、自分たちにしかできない話だろう。そう判じてハルヴァートが話を変える。それにしても、と話題転換の一言を切り出した。
「懐かしいなぁ」
魔法院以来だ。その時はあまり交流はなかったので、親密だった時という視点で見れば故郷ぶりだろうか。
「村のみんなは? やっぱり死んだ?」
「…………はい」