悪しき魔女の膝
「びっくりした…………」
「だねぇ……本当だったんだ……」
魔法院の存在意義。それは魔法を学び、習熟すること。魔法を活用することで神々へ恩返しをするためだ。
しかし神々への恩返しの方法は魔法の理解と習熟、活用にとどまらない。この世界に仇をなした"灰色の魔女"の殺害もまた、神々への恩返しになる。
何故か。当然だ。かの魔女こそ、この世界から神々が去った原因なのだから。
あの魔女が神々に不義をなしたせいで神々は怒り、この世界を見捨てた。たった一人の不義のせいで、この世界の何億人という人間が何千年も苦しんでいる。不信の時代、再信の時代、そしてこの信仰の時代まで。
あの魔女を殺せば神々はより深くこの世界を愛してくれる。原初の時代のように、神々と人間が手を取り合って信頼する素晴らしい時代が再び来るのだ。
そのためにもあの魔女は殺さねばならない。しかし魔女はただでは殺されない。原初の時代より生きる魔女はあらゆる魔法に通じている。世界最強の魔法使いでもあるのだ。
そんな世界最強の魔女を殺す技術を磨く。そういう側面も魔導院が掲げる"魔法の習熟"という言葉に含まれている。
悪く言ってしまえば、高等魔法院は魔女を殺すことができる者が入学できる場所なのだ。もちろん、純粋に魔法を研究したくて入学する者もいるが。
「驚いた……本当にいるんだね」
「もうそれ何回目?」
「いやだって本当に驚いたんだもん」
何回も衝撃を反芻してしまうのは仕方ない。
この世界に魔女がいる。魔女はこんな悪いことをしたから殺さねばならない。幼少の頃からそう聞かされてはいたが、本当に存在していて、しかも実物がヴァイス高等魔法院にいるだなんて。
いや、ヴァイス高等魔法院に実在していることすらも噂に聞いていたのだが。だからといって、そうなんだと一言で受け入れられる話ではない。だってまさか、遠い空想のおとぎ話のように思っていた極悪人の大罪人がこんなに近い場所にいるだなんて。
「いやそんなことより…………いた!」
在学生席にその姿をちらりと見た。式典後の喧騒の中、目的の人物を見つけて駆け寄る。
「ハル先輩!」
新入生はこちらと案内をする流れをかき分けて走り寄る。写真で見慣れた金髪、青い目は変わらない。
声に反応して振り返る彼に手を振る。3歩で彼の前まで駆けつけた。走ったせいで上がった息を深呼吸で整えて、しっかりと顔を上げて憧れの先輩を見る。
「ハル先輩! お久しぶりです!」
「……誰だっけ?」
「カンナです! アロギ村の!」
「あ…………あぁ!」
一瞬変な顔をして、それから思い出したようだ。あぁ、と声を上げる。
「ごめんごめん、思い出したよ。カンナちゃんだね」
「はい! お久しぶりです!」
あちらは忘れてしまったようだが、こちらは忘れはしない。彼こそがカンナがひっそりと胸に抱く恋の相手なのだから。
カンナがハル先輩と慕うハルヴァートは彼女との同郷である。小さい頃からアロギ村という田舎で一緒に育ってきた。ハルヴァートは面倒見がよく、3歳年下のカンナを疎むことなく一緒に遊びに混ぜてくれた。
誰にも別け隔てなく優しく、そして顔がいい。顔に惚れたわけではないが、カンナが彼を好きな理由でもある。好きな理由を述べれば2番目に挙げるくらいには。
旅行先で魔力に目覚め、そのまま遠く離れた魔法院に入学したハルヴァートを追いかけてカンナも3年遅れでミーニンガルド魔法院へ。そこで再会を果たしたのだが、卒業間近だったハルヴァートはさっさと卒業してしまってヴァイス高等魔法院へと進学してしまった。
それを追いかけて、カンナもまたこの学校へと進学した。恋する乙女の行動力を舐めてはいけない。
「立ち話もあれだし……ちょっと出ようか? この後は?」
「校内案内だそうです」
「じゃぁ俺が案内してあげるよ。案内するのは何も先生方じゃなくていいだろう?」
「いいんですか!?」
本来、そんな役目なんてないはずだ。在校生として入学式に参列するだけで、その式典が終わった今、もう帰ったっていいだろうに。その予定を曲げて案内を買って出てくれるなんて。
なんて優しいんだろうと噛みしめる。やっぱり好きです、と心の中で何万回目の告白をする。実際に口に出したことはない。まだその勇気はない。それを口にするのは、自分がハルヴァートと並んでも胸を張れるくらいになってからと決めている。
「コーサル先生、彼女だけ俺が引き受けていいですか。同郷の後輩なんです」
「はいはい。こちらとしても面倒見る雛鳥がひとり減って楽さね」
癖のある金髪をバレッタでまとめた教師がハルヴァートの申し出を許可する。
青春だねぇ、しっかりやるんだよ。そういうのじゃないですよ。投げられた軽口を躱してからカンナを振り返った。
「じゃぁ、行こうか」
「はい! ……あ、レコ、あとよろしく!」
「えぇ!?」