現実改変の偽書
「ほう。小石をガラス玉に書き換えたのか」
「はい。…………あっ」
あ、と呟いてももう遅い。ぱりん、とガラス玉は割れて、元の石ころに戻ってしまった。
そう。ベルダーコーデックスは万能ではない。書き換えた内容が看破されれば事象は元に戻ってしまう。
病人と友人の例で言うなら、仮に友人を薬を飲ませるために嘘をついてまで強引に物事を押し進める人間だと判じて改変したとしよう。だがそこに、友人は気弱な人間で強引に物事を押し進める度胸なんてないと反論がぶつかれば、書き換えた内容は破れて本来の本質があらわれる。
改変は望む結果のために嘘を吐いて事実を捻じ曲げ、別のものに見せかけることなのだ。嘘はつきとおせば真実になるが、論破されれば無力だ。
「……だが、中身を隠しきれば何でも変えられる、と。まるで神のような能力だな」
論破さえされなければ。それが偽りだとわからなければ。見せかけだとばれなければ。
そうすれば、何でも変えられるだろう。現実さえそこに従う。もしかすればこの世界すらカンナの手のひらの中ということだ。
悪用しようと思えば発想次第でどこまでも悪用できる能力だ。小石を金塊に変えて大富豪になるなんて可愛い改変でも、そもそも親が大富豪だったと過去を遡及して改変することも。
だが悪用の心配はないだろう、とスヴェンは思う。
能力の把握のために開示しろとは言ったが、だからといって全部話すような馬鹿正直者に悪事は無理だろう。能力を開示しろと言われればある程度は見せつつ切り札は隠すものだ。スヴェンもそれを想定して面談を行っている。なのにカンナときたら見せろと言われて正直に全部話している。この性格で悪事は働けないだろう。
それとも馬鹿正直者のふりをして、実は何かを隠しているか。そこまで疑って、いやないな、と思い直す。そんな嘘を吐いているような素振りはない。
「そうか。うむ。これで面談は終了だ。他に質問は?」
「ないです。ありがとうございました」
「オレはあるぜ。オレを見ておいてテメェは何も出さねぇとかフェアじゃねぇだろ」
こちらは能力を開示した。馬鹿正直なカンナのせいで底まで見せてしまった。
それなのにスヴェンは何も見せていない。武具は持っているだろう。出せ。
「そこに教官と生徒の差はねぇだろ。なぁ?」
「ちょ、ベルダー!」
教師相手になんてことを言うんだ。慌てるカンナに、いや、とスヴェンが首を振る。
「確かにその通りだな」
公平じゃないと言われれば仕方ない。隠すほどのものでもないし、正直に出そう。
そう言い、スヴェンは右手をひらめかせる。手首の銀のブレスレットが一瞬で大斧に変わる。大柄なスヴェンの身の丈ほどもある全長も刃幅も大きな斧だ。大木さえひと振りで両断できそうだ。
それを軽々と肩に担ぎ、これが俺の相棒だ、とスヴェンは言った。
「はん、ただの斧だな」
「ベルダー! 失礼でしょ!」
「いや、いいんだ。その通りだからな」
見たままの大斧だ。何か特殊な能力があるわけではない。術者であるスヴェンのみその重量を感じず、軽々と振り回せ、切れ味が鈍らないというだけ。たったそれだけだ。
シンプルだからこそ強いと言い張れるほどのものではない。若い頃はこの斧で魔女の首を両断することを夢見たものだが、歳を重ねて自身の限界を知った今はその夢がかなわないことも知っている。
だからこそ後進を育てる。自分が届かない刃を、育てた生徒の誰かが届くと信じて。
「つまりテメェの夢を他人に背負わせるってワケかい」
後進に夢を託す。聞こえはいいが、要するにそれは自分の夢を他人に押し付けて叶えさせているだけではないか。
綺麗事を言うものだ。素直に、自分じゃ勝てないから誰かにお願いしますと言えばいいものを。
ふん、と笑う。気に入らねぇ野郎だ、と追い打ちをかけた。
「ベルダー、いい加減にして! あぁもう、すみません教官」
「いや。口惜しいが事実だ」
言い方は悪いが図星だ。自分ではできないことを他人に背負わせている。
本が語る言葉に何も思わないわけではないが、だが言い返せないので黙ろう。カンナが言わせていることではないのでカンナを責めるのは筋違いだ。
ふるりと首を振り、不問に付すことをカンナに示す。この程度の侮蔑と罵倒なら甘んじて受け入れよう。受け入れはするがその鼻を明かさないとは言っていない。あの本にはそのうち評価を改めさせるとしよう。
「では改めて、面談はこれにて終わりとする」
「はい。ありがとうございました。それと、ベルダーがすみませんでした」
「気にするな。では解散」
***
解散と促され、そのままの足で森の中の遊歩道を進む。
休憩場所として置かれているベンチに腰を下ろし、それから膝にベルダーコーデックスを載せた。
さぁ、このバカをお説教だ。
「もう、ベルダー! あんな失礼なこと言わないでよ」
「あぁ!? 事実を指摘して何が悪い」
「悪いことしかないでしょ!」
どうしてこう、あんなことを言うのか。顔や言葉にこそ出してはいなかったが、きっと教官は不快に思ったろう。きっと、ではない、絶対に。
ちゃんと言葉遣いを躾けておけと叱責されかねなかった。まったく、とんでもない目にあった。
「うるせぇな、事実だろ」
あんな斧では魔女は殺せないのは事実だし、後進に夢を託すという綺麗事で他人に背負わせているのも事実。
それはベルダーコーデックスが真実の書だからわかるのではない。見てわかるし聞いてわかることを見て聞いたままに指摘しただけだ。あちらも反論しなかったので図星だと確信した。その確信をもって腰抜けだと追撃しなかっただけ褒めてほしいくらいだ。一応、教官という目上の立場の人間への礼は尽くした。
「あぁもう……!」
悪びれもせず言うベルダーコーデックスの言い方に目眩がしてくる。どうしてこう性根も性格も口も悪いのか。人間不信だから仕方ないとは受け入れられない。
「なんでそんなに人間不信なのよ……」
「あぁ? 言うわけねぇだろが」
つまびらかに自分のことを話して理解してくださいだなんて。言うような人格だったら人間不信じゃない。自分の胸の内など開示してやるものか。
敵意さえはらんだ口調で言い放つベルダーコーデックスにこめかみを押さえたくなる。本当に、この野郎は。もう少し素直ならこちらも歩み寄ってやらないこともないのに。口を開けば出てくるのは嘲笑か罵倒か侮辱だ。
「いいか、オレがテメェに使われてやってるのはそうじゃなきゃ埒が明かねぇからだ」
カンナが魔力に目覚めたことで、カンナは魔法院に入れられた。武具を使う者としての道が強制的に決まってしまった。武具を破棄し、ただの一般人として暮らす生活は認められない。そんな道を選べば神に恩を返す義務を放棄した愚か者として石を投げられる。だから魔力を発現させた者は、武具を使い魔法に習熟する道を進まなければならない。
だから力を貸してやったのだ。カンナが石を投げられることに同情したのではない。術者という道しかない以上、それしかなかったから仕方なくだ。自分がいなければ話にならないので、必要最低限を保証する意味で。
だから、少なくとも魔法院を卒業できる程度には自身の使い方を示した。そこが必要最低限のラインだったからだ。
しかしそこから先は話が別だ。必要最低限のラインであるベルダーコーデックス起動の呼びかけには応じるが、日常生活まで息を合わせて仲良く手を握ってとはならない。想像するだけで反吐が出る。
「はいはい、わかってるよ」
それが必要最低限で、仕方なくであることなんて知っている。
武具を破棄するとなったら、魔法院がそれを回収する。回収された武具は魔法院の専用の場所に封印、保管されることになる。封印されて保管されるなんて御免だから自由であるために必要な義務を果たす。
そんな理由で『使われてやっている』ということはこれまで口酸っぱく言われている。
「だいたいオレは今のテメェが嫌いなんだ、仲良くなんかできるかよ」
「私だってあんたのこと……今の?」
今の、とは。言葉に引っかかりを覚えて、はたとカンナは言い止まる。
今のとはなんだろう。カンナそのものが嫌いなら、その言葉は余計だろうに。
「あん? 言葉の綾だ、気にすんな」
「そ、そうなの?」
「昔も今もテメェが嫌いだっつってんだよ」
「なによぉ!」
私だって、お前なんか好きになってやるもんか!




