プロローグ
やっと、この日が来た。ヴァイス高等魔法院の門を万感の思いで見上げた。
高等魔法院。魔法院の上位に属する学校だ。魔法院とは、魔法の研究と修練をするための施設であり、高等魔法院ではより高度で専門的な魔法を扱う。
学ぶことは魔法を与えてくれた神々へ恩を返すこと。その一歩が魔法院であり、二歩目が高等魔法院にあたる。
そこに今、彼女は立っている。高等魔法院の入学式の朝、今まさに式典が行われる1時間前に。
「…………迷った……」
広い。ふざけるな。どうしてこんなに広いんだ。全寮制の学校だからだ。学舎以外に寮もある。そりゃ広い。
心の中でこぼした愚痴に自ら回答しつつ、カンナは手元の案内状と周囲の風景を見回した。
誰かいるのなら道を尋ねられるものだが生憎誰もいない。誰もいないということは入学式の会場とは大きく離れているのだろうというのはわかる。わかるがここがどこかわからない。
一緒にこの高等魔法院に入学する友人のレコともはぐれてしまった。頼れるのは入学式の案内状だけだ。
その案内状も握り締めすぎてくしゃくしゃになっている。もうだめだ。私はここで行き倒れるのかもしれない。そんな絶望さえ湧いてくる。
せっかく、先輩を追いかけて入学したのに。
同郷の先輩であるハルヴァートの背中を思い浮かべる。今ここに都合よく現れて助けてくれないだろうか。数年前、魔法院の入学の時に迷子になったカンナを見つけて案内してくれたように。
「おや? 迷子さんカナ?」
「ふぁ」
変な声が出た。そうじゃない。声がした方を振り返る。
まず目に入ったのは白に近い銀髪だった。腰くらいまでの長さのそれを背中に流している女性がそこに立っていた。子供のような輝きのある目が興味津々にカンナを見つめている。
どちらさま。いやそうじゃない。人を見つけた。これでやっと迷子から解放される。
やっと救いを見つけた気持ちで体ごと彼女に向き直り、正直に迷子ですと告げた。彼女の青と緑のオッドアイが細められ、うんうんとしたり顔で頷く。
「ココ、広いからネェ……毎年迷子が出るんダヨネ。イイよ、案内してあげる」
「本当ですか!?」
「任せて! ココはボクの庭みたいなモンだからネ!」
それなら早速出発しよう、と彼女が歩き出す。置いていかれないようにカンナも小走りで追いついてついていく。
5歩ほど歩いたところで、無言も何だからと彼女が口を開く。
「キミはどうして高等魔法院なんかに?」
「えっと……憧れの先輩がいて、それで」
「イイネェ! 甘酸っぱい恋ってヤツだ。大事にしな、青春は短いぞ!」
そんな他愛ない会話をしながら砂利が敷き詰められた道を歩く。歩いているうちにやがて人の気配がし始め、人の姿が見えてくる。喧騒が徐々に近付いてくる。
「カンナ! よかったぁ! 何処行ってたのよ!」
「レコ!」
友人のレコが駆け寄ってくる。見知った姿に心底ほっとした。
道案内してくれた彼女の元を離れ、レコの元まで走っていく。
「ごめんごめん、ちょっと迷子になっちゃって……」
「もう! でも合流できてよかった、早く行こ!」
「あ、ちょっと待って」
ここまで道案内してくれた彼女にお礼を言わなければ。
背後を振り返り、あれ、と呟く。
「………………いない……?」
***
「――ヴァイス高等魔法院への入学、おめでとうございます。大いに学びなさい。あなたの成長こそが神への恩返しです」
この世界は一度神に見放された。人間のせいで神はこの世界を去ったという。
その不義を詫び、再信の機会を得たのがはるか昔。人間側の誠意ある謝罪により神は再びこの世界に戻ってきた。
不信の時代に奪われた魔法というものが再信を経て再び人間に与えられた。よって人間はその慈悲に感謝し、神々に恩義を返さねばならない。恩義を返すためにも魔法を学び、習熟すること。神々が与えてくれたものをよりよく活用することが神々への恩返しにつながる。
その習熟のための施設が魔法院であり、魔法院の上級院が高等魔法院にあたる。より専門的に魔法を学ぶことで、より正確に魔法を理解するのが目的だ。魔法の理解が進めば活用の道も拓かれる。
この世界の常識を言葉でもって説く校長の話を背筋を伸ばして聞く。今更聞かされる必要のない常識の内容だが、だからといって聞き流していい話ではない。神々の話を蔑ろにすることは不信の第一歩。どんな当たり前の退屈な聞き飽きた内容でも、神々の名がそこにある以上、敬虔な気持ちで聞かねばならない。
それに、やっと入学できた高等魔法院の最初の1日だ。眠気など入り込む余地はない。見ること、聞くこと、感じることすべてが新鮮だ。五感が受け取るすべてが学びの材料になる。
「……では、諸君らの入学を記念し、"灰色の魔女"より祝電を読み上げます」
ざわりと周囲がどよめいた。灰色の魔女だって、と入学者の誰かが呟いた。噂は本当だったんだ。ここには魔女がいる。ざわざわと動揺と衝撃が入学者席から湧き上がる。
湧き上がったざわめきを鎮めることなく、校長は粛々と書状を開いて文面を読み上げていく。
まずは入学を言祝ぐ内容を。今自分が壇上で説いたような形式張った内容を淡々と読み上げ、そして、一呼吸だけ言葉を区切った。
「"学び、育ち、そして――私を殺せ"。…………祝電は以上です」
やってみろ、殺せはしない。