獣使い
「旧東京都上空に突如としてドラゴンが現れた事件から今日で五十年。十一時五十二分に全国で黙祷が捧げられました」
つけっぱなしの古びたテレビから女子アナの音声が響く。
「この事件を切っ掛けに、我々の生活は一変。世界各地にはダンジョンが出現し、今なお解明は進んでいません」
穴の空いた靴下を履き、よれよれのスーツに袖を通す。
「財布は……あった」
新聞紙を床に放り投げてボロボロの財布を懐にしまう。
「鍵も持ったし、忘れ物もなし」
剣も持った。
「ウール、行くぞ」
「ワン!」
返事がして部屋の奥からウールがやってくる。
爪をかちかちと鳴らし、舌を出して尻尾を振る仕草はいつ見ても犬そのもの。
でも、その毛並みや体格、牙の鋭さは間違いなく狼のそれだ。
そして。
「ヴァンッ」
くしゃみと同時に出る火炎の息吹はどうしようもなく魔物だった。
「今日も仕事だ」
「ワン!」
テーブルの上からリモコンを拾い上げる。
「我々の生活は今や、冒険者がダンジョンから運び出す資源に頼り切っています。果たしてこのままでよいのでしょうか? 今日はダンジョン研究の第一人者で――」
テレビを切り、散らかり放題の家を後にした。
§
見上げた空の向こうにうっすらと岩肌の天井が見える。
ここはダンジョンの第一階層、草原と擬似的な空が広がる世界だ。
「行くぞ、ウール」
「ワン!」
燦然と輝くのは太陽ではなく、天井から生えた鉱石の群れ。
石の光の下で剣を抜き、迫り来る魔物と相対する。
ウールと同じ狼に似た魔物だ。
剣を構え、深く息を吐き、気合いを入れる。
「よし――って」
言葉を発して気を引き締めた途端、ウールが神速で駆けた。
俺が一歩を刻むより速く肉薄し、視界にいるすべての魔物が鋭く尖った牙の餌食となる。
「よしってそう言う意味じゃないんだけどな」
「ワン!」
「まぁいいか。よしよし、いい子だ」
撫でてやると気持ちよさそうに目を細める。
ウールの毛並みは綿菓子のように柔らかく、絹のように手触りがいい。
わしわしと撫でていると、また新手の魔物が現れる。
「よし、ウールもう一仕事だ」
「ワン!」
結局、そのあとも俺の出番はなかったけれど。
ウールの準備運動と腹ごしらえが済んだ。
「この後は十一階層まで潜るからな。頼んだぜ、相棒」
「ワン!」
そう一鳴きしてウールは仕留めた獲物に口を付けた。
§
一人につき一つ発現する超常的な能力、スキル。
俺が発現したのは獣使い。
俺が獣だと認識した生物と契約を交わして使役するスキルだ。
双方の合意がなければ成立しないこのスキルは、とにかく使い勝手が悪い。
強制的に従わせられる訳でもなく、契約に持っていくまで時間が掛かる上に苦労もする。
やっとのことで使役できたのは、飼い慣らされて訓練された魔物だった。
ただこの魔物も特別強いわけではなく、あくまで対人間用の番犬程度の能力しかない。
ダンジョンに連れて行こうものなら、あっという間にほかの魔物の餌になってしまう。
だが、両親もなく金もない俺が底辺から這い上がるには、このスキルに賭けるしかない。
もっと強い魔物を買うために金が必要だった。
ダンジョンの中でも比較的案z年な浅い階層で資源を集めて売り、金になるなら少々道を外れたこともした。
褒められた人生じゃないが、着々と金を貯めていた、そんなある日のことだ。
「あぁ、くそっ。嘘だろ」
浅い階層にも関わらず、そこそこ強い魔物が現れた。
逃げたが追い付かれ、けしかけた魔物は簡単に食われる始末。
なんとか逃げ切りはしたものの、危険なダンジョンで丸腰になってしまった。
「万事休すって奴か……これ、生きて帰れるのか?」
絶望的な状況の中、魔物に出くわさないことを祈りつつ脱出を計る。
その過程でのことだ、腹を空かせたウールを見付けたのは。
まだ子犬程度の大きさしかなかったウールに餌をやると簡単に懐いた。
「俺と契約するか? 今なら誰でも大歓迎だぞ。一人よりマシだしな」
とにかく仲間が欲しかった。
俺がスキルを使うと、ウールはそれを受け入れた。
それからだ、俺の逆転劇が始まったのは。
「よーし、よし。いい子だ」
ウールは瞬く間に成長し、すぐに大型犬ほどのサイズになった。
毛並みは美しく、綿毛のように柔らかで、絹のように手触りがいい。
爪牙は鋭く、走る速度は人間とは比べものにならないほど。
そしてどんな魔物でも一瞬で仕留めてしまうほど強かった。
サラマンダーも、ロックドレイクも、カドプレパスも、ドラゴンも。
ウールに掛かれば赤子も同然の扱いで蹂躙される。
「ウール。お前とならどこにだって行けるぞ」
「ワン!」
破竹の勢いでダンジョンを攻略し、常人では到達不可能とされる第五階層を突破する。
そこで取れる資源を売りさばき、底辺から一変して一端の冒険者へと一足飛ばしに出世できた。
生活もよくなり、ウールの餌もランクアップ。
期待の新人と噂されていたそこそこ有名なパーティーにも誘われ、人生はまさに絶頂。
このままどこまでもウールと行けると、そう信じて疑わなかった。
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