96.サンチェスと追いかけっこ
サンチェスとエネミーゴが正面から対峙したことは、今までなかった。
そもそも、国家警察やサンチェス側から見たエネミーゴというのはいつの間にやらヴェンガンザの仲間となった人物、でしかなく、その正体も詳しい事情も何も知られていないのだ。
その状況でサンチェスが対策を立てにくいのは事実。しかし、アレキサンドラ社壊滅から練りに練り続けてきた計画を阻害するほどではないという判断を、サンチェスは下した。
「ここから、逆転する手立てがあるのかな?」
「―――ええ、勿論」
そう言って無理やり不敵な笑みを浮かべるエネミーゴだが、実際には全く持って手立てなど持ち合わせてはいない。できたとして、自分が囮となり、存在するかもわからない爆弾を脅しにヴェンガンザだけを逃がす位の事。それ以上は不可能だし、ヴェンガンザがこの場を脱却できたとしてもそこから安全な場所に逃げ切れるとは思えない。
というより、ヴェンガンザとエネミーゴにとっての安全な場所など、もう存在しないのだ。
「この場所は、既に国家警察が包囲している。逃げ場は少なくとも存在しないと思うけどね」
「……っ!! ええ、ですから……作るんですよ!!」
エネミーゴが懐からスイッチを取り出す。
同時に、警官隊に緊張が走った。もしも、爆弾が残っていて、まさかそれが警官隊の足元にあったとすれば。最悪の想像が全員の脳裏を駆け抜ける。
「残った爆弾は数も少ない。限りなく効率的に、合理的に、嗜虐的に―――用いねば」
エネミーゴは知っている。
ここで、多くの警官を殺傷することが重要なのではない、と。
サンチェスを含め、警官隊を殺傷するだけでは隙など生まれない。残っている爆弾の数では、大きな隙を作るだけの威力を発揮できないだろう。
そして、何より、サンチェスたちが危惧しているような位置には爆弾を設置していない。実際に設置しているのは警官隊の包囲網よりも少し内側の位置だ。この位置では起爆した時の爆風で少し怯ませられるくらい。
だからこそ―――、準備していてよかった。
「逃げて、下さいよ―――」
エネミーゴが起爆スイッチにかけた指に圧をかける。
カチリとあまりに軽い音が聞こえて、爆弾に、信号が送られる。
警官隊の少し内側。爆炎が上がる。
同時に、煙幕が、上がった――――――。
「っっ!! 総員、退避―――!!!! 命を最優先に考えろ!!」
―――まさか、こんな状況を予想出来ていたとは
自分のことながらにエネミーゴは自賛する。
少しだけ思い至った可能性だった。
もしかしたら、サンチェスとの決着の場はアレキサンドラ社の跡地になるかもしれない。そして、その時に自分たちが窮地に落されるかもしれない。
そんな、微かな予感だった。すべて「かもしれない」としか言えない。そんな可能性でしかないもの。しかし、それに蓋をせずに最低限の準備だけはしておいた自分を褒めたい。
しかも、まさかその時のふとした思い付きがこうして功を奏すとは、全く想像もしていなかった。
ヴェンガンザは完全なる攻撃によってサンチェスを沈めんとしていたこともあり、エネミーゴとしては少しは逃亡するときの撹乱用に爆弾を用いておいた方がよいかと思っていたのだ。そして、サンチェスの常套手段から着想を得て、煙幕を伴う爆弾を軽く自作した。
その時は、少しばかりの撹乱に使えればいいか、としか思っていたのだが、まさかここまで上手くいくとは。
―――警官隊は、爆弾に怯えていた
―――実際に爆弾は存在した
―――煙幕によって爆風の規模を勘違いした
小さな要素が重なった結果だ、これは。
警官隊は煙幕を前にして爆発の威力が想像以上であることを覚った。そして、トランキーロ長官が咄嗟に退避命令を出した。
人間は、命を奪われるかもしれない、という恐怖に対しては無防備である。それこそ、命のやり取りを常とするような暗殺者だったりしなければ、当然のことだ。
警官隊だって、自分の命が脅かされているその時に平気でいられるほど、人間の心を失ったわけじゃない。だから、爆発に対して過剰な反応を示した。
警官隊がそれぞれに自分の命を守るため、退避していく。
それぞれが整列し、包囲を保ったままに退避していれば、ヴェンガンザの逃げる道などなかった。しかし、命を天秤にかけられた警官隊は動揺している。流石に、こんな時まで包囲網の維持を考えていられるほどの人間はいなかった。それこそ、サンチェスやレオパルド、エクトル警部やセフェリノ警部、そう言った少しばかり頭のねじが良くも悪くもずれているような人間だけ。
そんな少数で、何かできるわけもなく―――。
今日は風が少なめだ。
だからか、煙幕も簡単には晴れない。
煙幕の中からヴェンガンザのものであろう足音が聞こえてきた。
そして、それに追随するようにサンチェスらのものであろう音も聞こえてくる。
「私も、行くか」
エネミーゴは周囲に警官隊がいないことを改めて確認してから煙幕の中を走りだす。
完全に、周りの物音だよりだ。しかし、事前に周りの地形は完全に把握している。ヴェンガンザの向かっている方向は、住宅街の特に奥まったところ。裏路地も裏路地で、逃げるには最適な場所。
「ちょっ、サンチェス!! どこへ!!?」
「ヴェンガンザが逃げるんだよ!! 大丈夫、また戻ってくるさ」
「―――分かった、ここは任せるよ」
サンチェスとレオパルドの会話がどこからともなく聞こえてくる。
煙幕が無ければこちらの位置も気取られていたかもしれない。いや、今でも気取られてはいるのかもしれない。彼らの最優先事項が自分ではなく、ヴェンガンザの捕縛であるから見逃されているだけで。
それでもかまわない。今は、ヴェンガンザを―――少なくともこの状況から脱却させねば。
◇
―――また、追いかけっこか
サンチェスは、煙幕の中、ヴェンガンザの足音を追いながら思う。
これまでも、サンチェスと国家警察はいわゆる「追いかけっこ」を何度もしてきた。
怪盗を名乗りながらも子供じみた逃げ方だな、と自嘲したこともあった。もう少し、面白いトリックなど使って逃げられたりしないのか、と思ったことだって何度だってある。しかし、それでいいんだ、と思う自分がいることにもサンチェスは気づいていた。
『サンチェス、今日は何やる?』
『うぅーん……追いかけっこ?』
『いつもだね』
『ほかに出来ること、少ないからね』
それは、まだ平和だったころの記憶。
アレキサンドラの介入もなく、ただ貧乏ながらに静かに暮らしていたころの記憶だ。
その頃は本当に何もすることが無くて、毎日毎日、暑い日だって寒い日だって外に出て追いかけっこをしていた。雨の日ならほとんど使っていなかった倉庫で追いかけっこをした。
毎日毎日そればかりをしていて、飽きることもなかった。
その記憶は、全くもって普通のもので、何も特別なものではない。
しかし、その記憶があったから、ずっと追いかけっこばかりしているのだと思う。大人になった今でも、国家警察と窃盗犯という関係になっても、追いかけっこばかりしている。
しかし、それも今日が最後。
―――最後の、追いかけっこが幕を上げる。
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