93.遂に現るは死者の亡霊
―――起爆スイッチ・ON
―――されど、爆音は鳴らず
「―――な、は……?」
真っ先に素っ頓狂な声を上げたのは、ヴェンガンザその人であった。
トランキーロを始め、多くの警官たちもヴェンガンザがその手に持つ起爆スイッチを押したのを目視し、爆発に備えるためにその場に蹲っている。しかし、数秒を数えてなお爆発の音も、地響きも、爆風も、何も感じない。
そして、ふと視線を上げた時に見たのは不思議そうに起爆スイッチを連打するヴェンガンザの姿だった。
素っ頓狂な声も出したくなる。
本当に、意味のわからない状況だ。
ヴェンガンザの腹に巻かれた爆弾は、警官たちを脅すための飾りだったのか?―――であれば、今目の前でヴェンガンザが不思議そうな表情をしている故が分からなくなる。
ではまさか、本物を用意したはずだというのに、うまく起爆しなかったのか?
―――そんな、馬鹿な話があるか
そう思いたくもなる。
それでも、そうとしか思いようがないのだ。
数秒間、最早数時間にも思えるような時間が過ぎるまで、誰も言葉を発さなかった。
眼の前の状況の不可解さを、それを理解し切るのに必要な時間が、それだけだったのだろう。
「策略……ではない、か……?」
時間稼ぎのためにせよ、警官たちを道連れにするためにせよ、何らかの策略である可能性はあった。
しかし、ヴェンガンザを観察している限りではそんな知的な出来事ではなかったのだろうと思えた。
「と……突撃、しますか、長官?」
「む……いや、まだだ」
目の前の状況は、流石に想定外だ。
最近は想定外ばかりが続いている。本当に……あの手紙が来たときからだ。
まさか、ここまでのことになるとは、皆目想像もできなかった。
◇
「手紙、ですか」
ヴェンガンザのもとに、一通。
エクトル警部のもとに、一通。
しかし、それらの手紙よりもさらに早く、トランキーロ長官のもとには手紙が送られてきていた。
エクトル警部に送られたものとは違い、はっきりと差出人の名が書かれて。
「ああ、死者からだそうだ」
「死者、ですか……? いたずらですかね」
否、これは悪戯ではない。
もしも悪戯だとして、わざわざ自らの血判を押すだろうか。
この血判は、間違いなく差出人が本人であることを指し示すもの。その証拠に、トランキーロ長官が血判をこすってみれば、乾ききっていない血液が掠れた跡を残すのだ。
―――また、面倒なことになった
「この血液を鑑定に回せ。―――警察病院の採集データと照合、結果は私のみに通達するように」
「はっ」
まさか、こんなことになっているとは。
自分の洞察力も、衰えてきたのだろうか、とトランキーロは自嘲する。
まさか、国家警察の最高権力者たる自分が、彼に協力するようなことになるとは。
◇
「あいつは、まだ来ないのか」
「長官?」
「いや、何でもない」
トランキーロ長官の求む人、いや求めなければならぬ人は、まだ来ない。
出て来れない状況にあるのか、もしくは一番それらしく登場できるタイミングを模索しているのやもしれない。いや、後者の可能性が高いだろうか。
「―――ええ、遅れてしまいましたよ」
本当に、どこから出てきたんだ。
トランキーロ長官は自らに掛けられた声を聞いて、その声の主へと向き直る。
スラリとした長身の男。まさか、爆発に巻き込まれて一度は灰になった男とは思えない。それ程にきれいな佇まいで、彼はそこにいた。
「どこまで、想定通りだ? 怪盗殿」
◆
「いつ出てくる……あやつは……!!」
ヴェンガンザは残していた一番の手札を潰され、その存在を確信した。
いや、確信せざるを得なくなったという表現が正しいだろうか。こんなことを出来るのは、ヴェンガンザの知っている中では一人だけだ。
本当に、すべてが彼の想定通りなのかと思えば恐ろしくもなる。
「さっさと出てこい!!」
突然のヴェンガンザの怒声に、警官隊の肩が一度震えた。
まだ手札があるのか、それともやけくそになったか。どちらにせよ、警戒心を引き上げるには十分だった。
ヴェンガンザとしては警官隊の存在も、全く持って想定していなかったというわけではない。
死者からの手紙を受け取り、その文面を確認した時に、死者がその亡霊の身一つで待ち伏せしているのではない、という可能性も考えた。だが、これだけの数は全く想像できていなかった。
警官隊を―――これだけの数を動かせたのか。
その驚きは当然のように湧いた。
あってもう少し少ない数、そう予想していたヴェンガンザにとって、この数は流石に想定外。逃げるだけの隙もあるかと思っていたのだが、と内心歯噛みする。
これほどのことをしておいて、この舞台の主催は未だに登壇しない。
それがヴェンガンザの苛立ちをただひたすらに加速させる。
「出てこい亡霊が!!」
だから、ただひたすらに叫ぶ。
老いた喉には酷なほどの声量で、空気を震わす。そうすれば、その亡霊も地獄から這い出てくるだろうとの予想だ。
「居るだろうが!!! 姿を見せろ―――」
大きく息を吸う。
「―――チャールズ・サンチェス・ロペス!!!」
その怒声に、警官隊が一挙に静まり返り、一瞬だけ、世界は無音になった。
この場で聞こえてきている事自体がおかしい、その名。
ヴェンガンザが殺したはずの男の名だ。
「何を、言い出す……お前が殺した男の名だ、それは……っ!!」
「とぼけるな!! 全て、儂を貶めるための罠!! お前らだって何もかも……!!」
お互いの認識がうまく噛み合わず、お互いがお互いを睨み合って―――、そして、ふと声が響いた。
「はぁあ、勝手に殺さないでほしいもんだね、レオパルド。まさか、僕の崇敬する『大怪盗』が、おいそれと命を落とすとでも?」
君こそ、崖には気をつけたら良い、などと言いながら、亡霊が姿を表した。
この場に―――否、この世界に存在するはずのない男、チャールズ・サンチェス・ロペスが、ここにいた。
「サン、チェス……? どういう……」
「珍しいね、レオパルド。君のそんな間抜けヅラは初めて見た」
「冗談はよせ!! あぁ、何がなんだか……!! 地獄から這い出てきたのかい!?」
「なんだい、みんな寄って集って……今はいいじゃないか、また話そう」
困惑の渦の渦中に叩き落されたかのようだ。そんな中で、レオパルドは確かに希望を見ていることを実感していた。
目の前にいる幼馴染が、これほどまでに力強く見えたのは、初めてだ。
「ふむ、確かに感動の再会なのだろうが、今は控えてもらおう。ここは、ヴェンガンザの捕縛が最優先だ。勿論、次は君だがね」
トランキーロ長官がサンチェスの隣に立って言う。その言葉に、レオパルドやその隣に立つセフェリノ警部、エクトル警部も困惑を加速させた。
「ええ、それが条件でしたからね」
「トランキーロ長官、ご存知だったのですか!?」
「ああ、少し前からだがね」
「であれば、何故……!?」
「まあまあ、後ですべて話すさ。今はこっちに集中、そうだろ?」
「っ………」
ここで、ようやく役者が揃った。
主催であり主演でもある男の登壇で、ようやくの開幕である。
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