92.終を飾るは包囲の爆轟
アレキサンドラ社、跡地――――。
「警官、配置完了しました」
「ご苦労―――作戦を、決行する」
トランキーロ長官が直々に現場に臨場し、指揮を執るという異例の事態。
加えて、動員されているのは二つの部署の刑事たち総員である。
「正直言って……これで捕縛できない、という未来が見えません」
「そうだな、エクトル。しかし、であれば差出人不明の手紙にて総動員を要求された所以が分からずじまいだ。憂いは無い方がいい」
トランキーロ長官の瞳は、遠くに見えるヴェンガンザとエネミーゴに向かっているようには見えない。
全く別の先、ある意味、未来―――だろうか。
✻
「―――遂に、始まる……待ち侘びた、偶像の舞台が……!!」
どれだけ待ったのだろうか、いや、最早待ってすらいなかったのかもしれない。
心のなかでそんな日がくれば、とただ願ってはいたが、実際にそんな日が来るなどとは、想像もできなかった。
自らの目の前で、その舞台が幕を上げ、そして―――、下ろす。そんな日が来るなどと。
「準備しておいて、私達も脇役ながら……演者なのだから」
「ええ―――、承知しています、ボス」
ボス、と呼ばれた女性は小さく苦情を漏らす。それは、懐古の苦笑だった。
「ボスだなんて呼ばれるの、久しぶりね―――私達の組織は解散したのだから、名前だけで良いのに」
「いえ、貴女は紛う事なく、ボスです。それは、限りなくいつまでも」
目の前に形式通りに跪く男に、女性は「そう」とだけ返す。何とも、こそばゆい気分だ、と思いながら、幼気に頬を緩めた。
「そして、準備も終わっています―――と言っても……あの動員数じゃ我々のいる必要もないのでは?」
「いいえ、それは違う。あの人が総動員するように、と言ったのだから、それはつまり、そういうことよ」
女性の表情が、一気に鋭くなる。
『あの人』に対する信頼感は、彼女の中にあってほぼ最大限の行動指針であった。
少し前からそうだった。そして、周りの男達もそれを認めていた。
「これは……失礼しました―――では、各々配置につきます」
「ええ、お願い」
もうすぐ始まる。
映画の始まる直前に映し出される広告を見ているようだ。焦れったいような気持ちにもなる。けれど同時に、これから放映される映画が、楽しみで仕方なくなるのだ。
✻
「総員、逮捕だ―――!!!」
警官たちの鬨の声が響く。
最近耳の遠くなってきたヴェンガンザにも、易易と届くほどの声。空気を大きく震わせながら届いたそれは、破滅を知らせる鐘の音だった。
「罠―――いや、これは……!!?」
「まさか……国家警察が動いたのか……!!」
逃げられるはずもないような壁となって、警官たちは迫りくる。
その警官たちを率いながら、鬼気迫る表情で向かい来るはエクトル警部、セフェリノ警部、レオパルドの三人だった。全員、サンチェスと何らかの関わりがあり、ヴェンガンザを目の敵にする者たち。
ヴェンガンザを捕縛することに、果てしない執着を持つ者たち。
―――だからこそ、一度に足が止まった
「儂を、逮捕することは誰にも出来ん」
その言葉は、本来ならばこの場所で全くの信憑性を持たないはずの言葉。
だというのに、エクトル警部を始め、ここに集まった全員がその言葉に納得してしまった。本当に、このままではヴェンガンザを逮捕することはできないのだ。
「儂の腹には……爆弾が巻き付けられている……!!!」
「っ………!!」
ヴェンガンザの叫び。それに呼応するように、レオパルドらの表情は愕然としたものへと変わる。
目の前で、仇敵が死んだとして、それがサンチェスに対する弔いになるのだろうか―――答えははっきり否だ。
レオパルドらの望むは仇敵の贖い。
そこに気持ちがこもっているべきだなどとは言わない。どうせ、形式にしかならない。それでも、その身を以て償う―――その状況だけでも、創る事ができれば……サンチェスへの弔いにも、僅かながらになるだろう。
だからこそ―――!!
ヴェンガンザはここで死なすわけにいかない!!
『お前たちは包囲されている―――気づいているはずだ、もう逃げ場などない!!』
「分かっているとも……勿論承知の上!! 否、であるからこそ!!」
拡声器を通してのトランキーロ長官の言葉。されど、ヴェンガンザの心は変わらず。
その身に爆弾が巻き付けられていることを知った瞬間には狼狽を見せていたエネミーゴもまた、強い意志を持って眼の前の壁を睨みつけている。
「どうします、トランキーロ長官。あの量が本当に爆弾であれば……この跡地内にいる人間は悉く死にます……!!」
「む……一旦は退避だ……! 様子を確認しつつ、慎重に後退するよう各隊に告げよ」
「はっ!」
状況は膠着状態へと持ち込まれる。
ヴェンガンザだけが死ぬというのならば―――もしくはヴェンガンザとその仲間らしき男だけが死ぬというのならば、トランキーロ長官は非情な決断も厭わなかった。
しかし、この状況では爆弾の被害を受けるのがヴェンガンザらだけでは済まされないのだ。警官隊の多くが死傷する。そんなことを、国家警察の最高権力者として許容できるわけもなかった。
「なるほどな……確かに、これだけの人数がいなくては、包囲すら難しかった……!」
今更ながらに、手紙が正しかったのだという実感がトランキーロを襲う。
あの時、もしもの可能性を考えていなければ、こんな事はありえなかった。少なくとも、この短時間でヴェンガンザらの足取りを掴むのは不可能だっただろう。もともと手一杯で、時間も人手もないのだ。
「本当に……どこまで考えていたのか」
―――恐ろしい。
そんな言葉は、長官という立場に就いたその日から、捨てた。
士官が気合は、軍全体の士気を左右する。国家警察においても、同じことだ。トランキーロの気持ちが後ろへ向けば、国家警察全体も後ろへ向く。
気持ちと行動が同時に後ろへ向くならば、それは戦略上の撤退などではない。純粋な、敗走なのだ。
だから、敗けないためにトランキーロは「恐ろしい」などという言葉を捨てたのだ。
今は恐怖するべき刻ではない。
それは誰よりも、トランキーロ長官が身を以て知っている。
―――今は、決別の刻だ……!!!
「総員に告ぐ!!! 銃を構えろ!! 発砲、及び対象の射殺を許可する……!!!」
「してみろ……!! 射程圏内に立ち入った瞬間―――この爆弾を起爆する!!」
「………っ!! 構わん!! 爆弾の範囲は目測で拳銃の射程圏以下!! 構わず撃て!!!」
トランキーロ長官の檄を受け、右往左往していた警官たちの視線が一つに揃った。
砂利の音が至るところから聞こえてくる。包囲の範囲が徐々に狭まる音。銃を構えた警官たちが、四方八方から迫っていた。
「………っっ!!」
実際、トランキーロ長官の目測は正しい。
ヴェンガンザが爆弾を起爆しても、警官たちを道連れに出来るわけではない。
このままでは、ただ射殺されて終わり―――
「儂はッ、お前らの手になど落ちん!!!」
文字通り、決死の覚悟。
ヴェンガンザは、警官らの道連れすらも諦め、その手に握られた起爆スイッチを、押した―――。
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