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大怪盗サンチェスの冒険記  作者: 村右衛門
サンチェスと決別の刻
92/104

89.破滅伝えるは死者からの手紙


 病院で起こった襲撃事件。

 病院内を改めて調査したところ、散布された睡眠薬で眠らされた常駐の医師や看護師が見つかり、命に別状がないことも確認された。

 よって、死傷者0名。


 しかし―――、この事件はそれだけで済ませられるような単純なものではなかった。

 脱獄したヴェンガンザの味方であると予測されるエネミーゴという名の青年の存在とオルムンド城で確認されたものと同様の謎の女性警官。

 未確認のまま放置されている二つの不可解が、この事件によって表面化したのだ。


 既に、国家警察は混迷を極め、これ以上ないほどに疲弊していた。

 図らずして、ヴェンガンザにとっては都合の良いように状況が動いているのだ。しかし、混迷は伝播する。国家警察だけではない。すぐにでも、ヴェンガンザのもとにも―――。



  ✻



「手紙……ですか」


 紅茶の香りが高く立ち上る。

 エネミーゴの入れてきた紅茶が、コト、と机の上に置かれる。同時に、ヴェンガンザのかけている老眼鏡のレンズが少しだけ曇った。

 普段ならば、一度老眼鏡を外して曇った部分をふき取ったかもしれない。しかし、今のヴェンガンザにそのような余裕はなかった。今だけは、何をするにも余裕が生まれそうにない。


「差出人は―――っ!?」


 様子のおかしいヴェンガンザを訝しげに見て、手紙に何かおかしな点でもあるのか、とエネミーゴは机の上にあった封の切られた封筒を手に取る。そして、裏返してみれば差出人の名前があった。



〝チャールズ・サンチェス・ロペス――死んだ者よりお手紙を〟



 それは、絶対にありえない差出人。

 今頃爆ぜた灰の欠片となって誰かしらの肺にでも吸い込まれているであろうその人。


「殺したのであったな?」


 ヴェンガンザの瞳がぎょろりとエネミーゴに向く。それは計画を失敗したかもしれないエネミーゴに対する糾弾の瞳であり、同時に葬り去れなかったサンチェスに対する怯えを孕んだ瞳でもあった。

 老いて、既に自らの身体を自由に、思うがままに操るなど最早短い夜に見る夢のようになってしまった。今の自分にとって、サンチェスは十二分に脅威となりうるのだ。

 

「盗聴器からの音声は常に確認していました。―――間違いなく、爆発範囲に二人がいました」


 エネミーゴは記憶を探りながら答える。

 あのときは、確かに徹夜を重ね、疲れ切った体であったのかもしれない。しかし、サンチェスとその仲間の声が盗聴器から聞こえて来た頃からは意識がはっきりとしている。

 最期の時間だった。その時の声音も、全て覚えているし、何度もサンプルを確認したサンチェスの声と聞き違うことなど、あろうはずがなかった。

 だから、確信を持って言える。爆弾の起爆スイッチにかけた指に圧をかけた時、聞こえてきていた声は確かにサンチェスのものであり、つまりはサンチェスが爆発圏内にいたのだと。


「では―――、この手紙をなんと説明する」


「それは……」


 エネミーゴの作戦に抜かりはなかった。

 少なくとも、実行犯である自分が何かしらの間違いを犯したとは思えない。しかし、それでは説明のつかない存在が、今自分の手の中にあるのだ。


「この手紙は、本当に死者からのものか……」


「サンチェスは確かに葬りました。十中八九、何者かの謀略かと」


 エネミーゴは間違えたことが無い。

 今まで、どれだけの仕事を繰り返しても、成功こそすれど失敗など経験したことが無かった。だからこそ、ヴェンガンザに対してもそれだけの経験を根拠にした強い自信をもって自分の計画成功を宣言できる。これまで、そうしてきた。


―――自分に、不始末などあるはずがない


「これが、謀略だと……? これほど開けっ広げな謀略があるものか。―――これは、挑発だ」


 読んでいた手紙を放り投げ、ヴェンガンザは苛立ちを隠さぬままに自室へと戻っていく。

 その足取りはドスドスと荒々しげに見えながらも、その足は恐ろしさで微かに震えていた。


 エネミーゴが、ヴェンガンザの放り捨てた手紙を拾い上げる。

 『謀略ではなく挑発』。その言葉の意味を確かめるため、一通りの内容に目を通してみて、エネミーゴは苦笑を漏らした。確かに、これでは謀略とは呼べない。それこそ、挑発という言葉が似あうだろう。これほど、自らの思惑を前面に出した謀略など、あってたまるものか。



〝死に損ないを殺すもの―――巨悪の跡へと来たれ〟



「まさか……本当に生きているのか……?!!」


 エネミーゴの狼狽は加速する。

 本来ならばあり得るはずのない自分の失態。それが自明のものとなりそうで、それがただひたすらに恐ろしい。自分が、命令に従いきれなかった、という一つの事実が、エネミーゴを暗く、深い奈落へと突き落とさんとしている。

 まさか、自分に限って―――などとは陳腐な考えである。しかし、そう思わざるを得ない。全てはこれまでの経験が語ること。これまでの経験が、エネミーゴを失敗なき存在にしてきたはずだ。その、『過去』を裏切ることに―――!!


「もしそうなら……『過去』を裏切り、『命令』に従えなかったとあれば私は……!!」


「―――エネミーゴ、支度をしろ。この拠点は放棄する」


 加速しつつある動揺に吞み込まれそうになっていたエネミーゴを、ヴェンガンザの鋭い声が現実へと引き戻す。ヴェンガンザは既に身支度を終え、今にも外へと出られる様子であった。


「どう、されたのです。何故この拠点を―――」


「爆弾だ。今、見つけた。これではっきりした……サンチェスは、生きている―――!!」


「―――っ!! 分かりました」


 思いもよらぬ仕方で自分の失態を裏付けされ、エネミーゴは言葉を失う。

 まさか、この拠点が既に特定されているなどと、想像できるだろうか。自分たちは、紛うことなき『狩る側』だと思い込んでいたせいで、自分たちが狙われるなどとは、皆目想像もしていなかった。

 そして、自分たちを狙っているのはほぼ確定でサンチェスである。今、この状況がどれだけ窮地であるかなど、エネミーゴの聡明な頭脳を以てせずとも理解できる。


 火急の事態だ。

 エネミーゴは大急ぎで荷物をまとめ、ヴェンガンザの後を追って拠点を後にした。

 拠点を出た瞬間を待ち伏せされている可能性もあったが、サンチェスはそこまでの謀略家ではないらしく、拠点周りに伏兵はいないようだった。


「これから―――、もう一度拠点を探しますか?」


「いや、必要ない。死にかけ二人と死に損ない一人だ。拠点などなくとも殺せる」


「……それは、まさか―――!?」


「サンチェスの挑発に乗る。儂が直接出向こう」


 ヴェンガンザは、誰に対してでもなく宣言した。

 エネミーゴがその言葉にまさか、信じられないと言わんばかりの困惑の表情を返す。今となっては刑務所での苦刑が祟り、エネミーゴという手駒なくして何も成せぬような老人となったヴェンガンザだ。その彼が自ら出向くという判断を下したのだ。

 

―――危険すぎる


 エネミーゴは咄嗟にそう思う。

 ヴェンガンザがサンチェスの面前に行って、最盛期の若者相手に優勢に立てると思えない。殺すなどもってのほか、最悪の場合捕縛されて刑務所へ逆戻りである。ヴェンガンザには最早脱獄するだけの力は残っていない。エネミーゴの協力があっても難しいほどだ。執念だけで動いていた少し前とは違う。もう一度刑務所に戻れば、その執念は諦念へと変わってしまうだろう。


「それでは―――っ」


 どうにかして、ヴェンガンザを止めねばならない。

 説得して、自分だけがサンチェスの面前に赴けばいい。

 何よりも、ヴェンガンザの考えを変えねば―――。そう思って、エネミーゴは口を開いた。しかし、ヴェンガンザの表情を前に閉口を余儀なくされる。その表情は―――。


「挑発の手紙を送り付け、拠点に爆弾を設置する。何が何でも儂を動かそうとしているのが見え見えだ」


「そこまで分かっているのなら―――!!」


「だからこそ、だ。熟達した人形師を前にして、人形があらがう術はない」


 ヴェンガンザの言葉に、エネミーゴは今度こそ口を閉ざした。

 最早、説得の余地などないのだ。それが嫌でも分かってしまう。


「分かりました、ご命運が幸を導かんことを」



  *



「手紙……ですか」


最後まで読んでいただきありがとうございます。


知り合いなどに勧めていただけると、広報苦手な作者が泣いて喜びます。


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