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大怪盗サンチェスの冒険記  作者: 村右衛門
サンチェスと決別の刻
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86.来たるは破滅の使者か


 サンチェスの死と、相次ぐ黒幕の存在の露見。国家警察がこれまでにないほど忙しくなっているのは当然のことだった。

 しかし、どうしても不可解な点が多い事件だ。元々窃盗犯担当のエクトル警部には得られる情報が少なく、情報が足りない、という点でも不可解さは増すばかりだが、何よりもサンチェスが死んだ、という事実がエクトル警部に疑念を抱かせていた。

 何となく、その黒幕の正体には気づいているエクトル警部だが、その男がサンチェスを簡単に殺せるだろうか、という疑問があるのだ。


―――サンチェスは、不死身だ


 そんなことを、年甲斐もなく信じていたのか。

 サンチェスは、確かにナイフで刺そうと、地獄の業火の中に入れようと最終的には飄々とした笑みを浮かべて這い上がってきそうな男ではある。しかし、彼も最終的には人間なのであって、殺されるときは、簡単に死ぬのだろう。

 何とも、自分の不甲斐なさが嫌になる。 

 サンチェスは必ず自分の手で逮捕する、などと考えていたのは誰だったのか。自分ではないのか。間違いなく、スペイン国家警察窃盗犯担当部署警部エクトルが、それを望んでいたはずだ。

 それなのに、これは何という体たらくだろうか。


 サンチェスを逮捕するかどうかの話ではなかった。

 サンチェスは、これほどまでに早く、死んでしまったのだ。


「どんな顔を―――すれば良いのだろうな」


 犯罪者が死んだのだ。

 一人の国民が死んだのだ。

 宿敵が死んだのだ。

 名前と顔しか知らない、他人が死んだのだ。


 どう考えれば、サンチェスが死んだという事実に対する自分の在り方を、正しく見据えられるだろうか。自分が、どんな表情をすればよいのかも、今どんな表情をしているかも、分からなくなる。

 サンチェスの存在は、自分にとって何だったのか。

 友達、親友―――、そんな近しい間柄ではない。それだけは絶対にありえない。国家のため、国民の安全のために精を全うする覚悟を決めたエクトル警部にとって、その国民の安全を脅かす可能性のあるサンチェスを良い人扱いすることだけは絶対に出来なかった。

 しかし、それならば、サンチェスが死んだ、ということを知ってからのこの不可解な喪失感は、何なのか。


 自分の事だというのに、それが何もわからなくなる。

 自分が、何を思っているのかさえも。



 サンチェスの死が、周りに与えた影響はあまりに大きかった。

 どうしても、それは拭い切れない。

 本来なら、サンチェスの死は国家警察の重要機密などにはならなかった。何より、犯罪者の死なのだから、大きなことにもならなかったはずだ。

 しかしサンチェスの死が秘匿扱いになり、重要機密となったのは、ヴェンガンザの存在が大きな理由としてある。サンチェスが死んだ。ヴェンガンザに殺された。そんな事実が表沙汰になってしまえば、国民の安寧は損なわれる。

 ヴェンガンザという凶悪な犯罪者の存在が、国民の安寧を脅かすというのならば、可能な限り秘匿し、秘匿できている間に排除しなければならない。

 それが、国家警察の仕事である。責務なのだ。



     ◇



「よくやった、エネミーゴ」


 ヴェンガンザとエネミーゴが臨時で拠点として利用しているアパートの一室。

 そこでヴェンガンザとエネミーゴは夕食を囲みながら第一段階の成功を祝っていた。

 窃盗犯と言えども、一人の人間を殺したというのに、その事実に対する罪悪感など、二人には存在しない。ただ単に自分たちの作戦の第一段階が成功した、という達成感だけをかみしめていた。


「では、第二段階だ。残る標的は二人だからな」


 ヴェンガンザはふと、壁に貼られ、ナイフで切り刻まれて傷だらけになった二つの写真を一瞥した。その写真に写っているのは間違いなく、レオパルドとセフェリノ警部だ。

 そして、その二つの写真の横には一枚の写真が貼られていた跡が日焼けの跡として残っていた。少し前までは、そこにサンチェスの写真もあったのだろう。計画が成功したことによって死という屑箱に捨てられてしまっただけで。


「予想では、そろそろです。彼らも精神的疲労をため込んでいるころでしょうから」


 エネミーゴがそう言って食事を口に運べば、ヴェンガンザも満足そうに酒を入れたグラスを傾けた。ヴェンガンザは酒の芳醇な味に魅入られ、頬を紅潮させて満足そうな表情だが、エネミーゴは食事を口に運んでも、酒を喉に注いでも、全く味を感じなかった。

 そろそろ、味覚さえも失ってきたか、とエネミーゴは一人思う。


「第二段階はこちらも直接、手を汚さねばなりません」


「構わん。この手は既に赤黒くなった」


 これまで、ヴェンガンザはアレキサンドラとしてどれだけの人間の命を奪ってきたのか。どれだけの人間の平和と安心を奪ってきたのか。どれだけの期待を背負って、どれだけの期待をどぶに捨ててきたのか。最早、数えるのも忘れてしまった。


「では、報せを少しばかりお待ちください」


 丁度、料理の最後の一口を口に運び終わり、咀嚼して嚥下して。エネミーゴは立ち上がり、食器を軽く洗ってから自らに割り当てられた部屋へと帰っていく。

 その様子をヴェンガンザはただ、見ていた。



     ◇



 サンチェスの死が報告されてから、一週間ほど経って―――。

 

 レオパルドとセフェリノ警部は、ほぼ同時期に倒れた。


「少しばかり、根を詰めすぎましたか」


「仕事ばかりでは健康に良くないですね」


 二人が同じ病室に二人だけで入院することになったのは、国家警察の計らいだ。

 元々二人ともヴェンガンザとの関係性があり、今後狙われる可能性があることも示唆されていた。ならばどのタイミングで護衛をつけるべきか、と国家警察も思案していた時だった。不謹慎ながら、丁度良いタイミングだったのだ。

 レオパルドとセフェリノ警部が倒れた、という報せを聞き、国家警察上層部は二人を特別な病室に二人きりで入院させ、同時に国家警察の警護をつけたのである。


「やはり、来ますかね」


「来るなら、都合がいいんですけどもね」


 お互いに表情を向かい合わせることなく、二人は会話を交わす。

 未だお互い、気持ちの整理などついていない。二人の表情は、それはそれは混沌として恐ろしほど杜撰なものになっていることだろう。


 はぁ、とどちらからともなく溜息を漏らし、少しでも心を落ち着ける。

 今は、被害者を弔っている場合じゃない。そうしたい、という気持ちが確かに大きいのは事実だが、今は―――今だけは、ヴェンガンザの捕縛に、尽力せねばならない。

 レオパルドにとっても、セフェリノ警部にとっても、それは悲願ですらある。


 ―――それが、サンチェスを弔うことにも繋がるはずだ


 今は、二人にもサンチェスが何を思って死んでいったのか、全く分からない。

 何か思うことがあって、何かを残して居なくなったのか、はたまた何を残すでもなくあっさりとこの世を離れてしまったのか。それすらも分からない。


 何も分からない、というこの状況と、その事実が、何よりも二人の心を針で刺し続けた。

 どうやったら、サンチェスの思いを継げるのか、などと考えだせば、思考の迷獄に落とし込まれるのは当然のこと。しかし、それをやめることが出来ない。



「「――――――」」


 沈黙が、二人の間を支配する。

 これまで、二人がそろって何も話さない、こんな沈黙があっただろうか。


 そんなことを思った瞬間のことだった。

 病室の扉が開いたのである。



 

最後まで読んでいただきありがとうございます。


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