77.衝突後・肆
衝突後・肆
エクトル警部の拘束から逃れて、オルムンド城内に潜伏しながらサンチェスと三駒は周りの様子を覗っていた。
近くに警官はいない。
「しかし、彼女は誰なんです?」
先程の女性警官がサンチェスが計画に組み込んでいた存在なのだろうと予測して、三駒はサンチェスに問う。
「いや、知らない」
「いやいや、今更白を切る理由ないでしょう」
「いや……ほんとに、あの人誰?」
サンチェスもまた、聞きたかった。
三駒はえぇ……と本当に知らない様子のサンチェスに困惑の眼差しを向ける。
「つまり、彼女は我々の計画を把握したうえで助力してきた謎の存在、ということでいいんですか?」
「まあ、そういうことにしかならないよね……」
サンチェスの言葉にも自信が込められていない。
エクトル警部が自分たちの変装を看破したところから、サンチェスにとっても想定外が続いている。
特に、国家警察に助力する存在の登場ならば理解できたというのに、明らかに悪人であろう自分たちに力を貸そうという存在には見当もつかない。
「誰なのか、は分からないし、どういう立場なのかもわからない。それでも、どうにか彼女の正体を知ることは重要だ」
今後の方向性を定めながら、サンチェスは呟く。
三駒も、サンチェスの言葉に頷いた。
「ですが、たぶん彼女は既にオルムンド城外ですよ」
三駒は岩礁に全員の視界が吸い寄せられている中、海面からポチャリと何かの落ちる音、そしてその場から離れて行くように鳴ったモーターの駆動音を聞いている。
彼女が海に飛び込んで何らかの方法で逃亡したのは明らかだ。
「いや、あれもまた、視線誘導だよ」
サンチェスの言葉に、三駒はなっ、と声を漏らす。
エクトル警部や三駒は、岩礁に視線を誘導されはしたものの、それが視線誘導だと気づくことが出来た。だからこそ、連続して視線誘導が行われているなど、全く思わなかった。
彼女もまた、想像もできない方法で周りの人間を欺いているのだ。
種を明かしてしまえば、簡単な話だというのに――――――。
「彼女は、まだこのオルムンド城内に潜んでいる。何が目的なのか、それは本人に聞けばいいさ」
サンチェスと三駒の計画に、もう一つの目的が追加された。
しかし、サンチェスの様子に変化はない。
明らかに状況が悪くなり、目的の遂行は難しい状況にあるというのに、全く動じない。
先ほど、油断の危険を知った。
サンチェスは順応性と成長性が高い。
既に、油断も隙も無い。
今のサンチェスは、全盛期に近かった。
サンチェスと国家警察の全面戦争には相応しい状況だ。
「さあ、オルムンド城内の混戦の始まりだ――――――」
* * *
女性警官はサンチェスの予想通り、オルムンド城内に潜伏を続けていた。
その目的は、依然として不明のままだ。
サンチェスでさえそれを現在開示されている情報だけで解き明かすのは難しいと判断している。
そんな、明らかな異質的存在―――それが彼女だった。
彼女は、先ほどサンチェスや国家警察側に顔見せ―――実際に顔を見せたわけではないが―――を終え、サンチェス側について行動している、ということを印象付けることに成功していた。
既に目標のほとんどを終えたと言っても過言ではない。
あとはオルムンド城外部に逃亡できれば良かったのだが、国家警察が城外捜索を行えば発見されるのは時間の問題だっただろう。
だからこそ、国家警察の虚を突き、オルムンド城内に潜伏する必要があった。
ただ、あとは国家警察の警備網をかいくぐり、サンチェスの騒動に乗じてオルムンド城外への脱出を果たせば、終わりだった。
だからこそ、なのか。
彼女は少しだけ、油断してしまった。
「―――成程、ここでしたか」
ふと投げかけられた言葉に、彼女の肩が震える。
本来ならば、ここに自分以外の人物がいる時点で緊急事態だ。
それなのに、声を掛けてくるまで気配を気取らせず、接近しているのだ。
しかも、二人も……!!
「私は女性経験がありませんので、女性がどこに行かれるかについて考えるのは得意ではないのですが――――――、」
突然現れた男、サンチェスはそこで言葉を切る。
「追われる身の存在が、どのように行動するかについてはよく理解しています。私自身がそうですし」
ここに、静謐の世界が形作られる。
本来ならここに居ないはずのサンチェスの存在をどのように計画から排除するか、女性警官は考え始める。
しかし、先程不意打ちが成功した時とは違う。
彼女はサンチェスほどの順応性を持っているわけではないのだ。
女性警官にとっての十秒が最善の行動を叩きだすための思考時間であるとするならば、サンチェスにとっての十秒は思考し、精査して、行動に移し、その結果を得るに十分なだけの時間だった。
しかし、女性警官もまた、馬鹿ではない。
それどころか、一時はサンチェスや国家警察相手に不意打ちを成功させ、彼らを出し抜いたほどの頭脳を持つ。
だからこそ、理解してしまった。
この場に、女性警官の逃げ場など無い、と――――――。
「さて、話を聞かせてもらってもよろしいですか?」
サンチェスはこの場の裁定権を行使するかのようにして、言葉を紡ぐ。
女性警官もまた、サンチェスの言葉が、自分の選択肢をすべて拒絶しているのだと気づいた。
この状況で、選択肢を与え、奪っているのはサンチェスに他ならない。
「――――――ええ、そうするしかないようだし」
サンチェスは、その言葉に満足したように小さく頷き、警戒態勢を解く。
女性警官は自らの肩に張り詰めていた緊張感が剥がれていくような感覚を感じる。
目の前の柔和そうな人物に対して、自分が無意識の間に警戒態勢を普段の数倍は引き上げていたのだと、その瞬間になって初めて覚った。
「お尋ねしたいことは色々あるのですが……何からがいいでしょうかね」
逡巡するようにして顎に手を当て、考え始めるサンチェスが、ふとそうだ、と声を上げる。
「そう言えばまだお名前を伺っていなかった。改めて、私はサンチェス、そしてこちらは三駒。貴女のお名前をお聞きしても?」
常に、サンチェスは下手に出ている、ということを隠そうとしない。
いや、というよりは強調している。
それが、圧を与える要因の一つになっているとは気づかず、サンチェスは敬語を外そうとはしない。
言葉は一歩引いた控えめな態度で紡がれるというのに、サンチェスはいつ相手が自分に対して攻撃態勢をとったとしても対応できるよう、姿勢を整えていた。
明らかに、この状況では勝てない。
しかし、この状況で何もしなければ、勝てる勝負も勝てない。
「随分と、紳士ね。何にも先んじて名前を聞くなんてッ!!」
そう言い放つと同時、女性警官が鋭くサンチェスに蹴りを撃ちこんだ。
「私の憧れは昔も今も〝怪盗紳士〟ですから」
軽々と蹴りを止めつつ、三駒が応戦しようとするのを、サンチェスは片手で制した。
サンチェスはすっと目を細める。
サンチェスは、格闘術についての知識が豊富なわけではない。
しかし、体の扱い方に関して、サンチェスほどの実力者がほとんどいないというのも事実だった。
「いい心がけだと思うわ。女性にもてるなら、そう言う細やかな心遣いは欠かせないから」
蹴りを止められるのは想定内、と言わんばかりに女性警官は即座に足を引くと、そのまま低い姿勢で拳を腹に突こうとする。
しかし、サンチェスの動きに対して、あまりに遅い。
打ち据えられようとする拳が、サンチェスの掌で止められる。
「私は女性に、というよりは正義の徒として人々皆から好かれたいですね」
サンチェスは、防御はするが、相手に対して攻撃を仕掛けようとはしない。
サンチェスが本当に力を入れれば、壊れてしまいそうな華奢な体だったからだ。
「浮気性なのは良くないわね。そして、こういう場で手を抜いてしまうのも」
彼女は、サンチェスが自分との格闘で明らかに手を抜いていることを見抜いていた。
そして、その状況に、歯噛みする。
「男だから、女だから、と口にするのは気が引けますが、生物学的な差は生まれてしまうものです。体のつくりが、そもそも違うのです。私が力を入れすぎれば、話どころか、名前すら聞けない可能性がある」
はっ、と嘲笑を返しながら、女性警官は心の中で恐怖に震える。
サンチェスは今、自分を戦闘不能にするどころか、話せないような状況になるかもしれないと予測して話したのだ。
圧倒的な相手だとはわかっていたが、ここまでとは思っていなかった、と心の中でサンチェスについての認識を改める。
これは、勝てないんじゃない。
勝つ方策さえ全く想像が出来ない。少しでも、状況を曖昧に出来ないかとしたのが間違いだった!
そもそも、ここでのサンチェスとの戦闘は全くの無意味だ。
女性警官側としても、サンチェスに協力するためにここに来たと言っても過言ではないのに、サンチェスを打倒するのでは本末転倒だ。
ただ、明らかに格上の相手を見て、反射的に攻撃という手段をとってしまった。
これまでそのような方法でしか自分を主張できなかった彼女だからこそ、この場で自ら敗北を認める、というのは不可能だった。
しかし、この辺りが潮時だろう。
どうやっても、サンチェスに勝てないのは実感した。
そして、サンチェスの実力を、改めて確認することもできた。
ここ辺りで引き上げなければならない。
「はい、お終い。私ではあなたに勝てないわ」
女性警官は、突然連続した攻勢を解いて、すっと直立する。
サンチェスも防御の態勢を解いた。
これが、罠かもしれない、と考えなかったわけではない。しかし、言ってしまえばここで罠にかかったとしても、負けるつもりがなかった。
「では、改めてお名前を聞かせていただきましょうか」
「ええ、私の名前は、フィリアル―――ピエダッド・バレンシア・フィリアルよ」
明らかにスペイン人でない彼女は、スペイン人の名を騙った。
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