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大怪盗サンチェスの冒険記  作者: 村右衛門
サンチェスと海外観光

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62/104

61.サンチェスと駒 伍

サンチェスと駒


サンチェスは、男が消えたところを呆然と立ち尽くしつつ、見つめていた。

本当に、先程まで狸に化けられていたかのようだ。

急なことで、サンチェスの頭も状況処理に手間取っている。


あの男の目的は何なのか―――






男が指定したのは今日の夜、22時だ。

勿論、約束を放棄する、という手段もある。

しかし、パスポートを掏り、それを見せつけてくるようなあの行動、男はサンチェスを明らかに挑発していた。

「これに乗らないのはなぁ……」

大怪盗なんだし、と呟き、サンチェスは時計盤の上を駆ける秒針を眺める。

サンチェスは男との約束通り、夜に密会することを決断した――が、男の意図も、それがサンチェスにとって利か、害か、それすらも分からない。

そんな曖昧極まりないような状況に加え、静岡県警の捜査網が意外にも広く、強固だった。

そこに未知の長谷川警部やレオパルドも加わってくる。そのようなことを考慮し、サンチェスは男との約束の時間だけでも自由に行動できるよう、駒を動かした。


「そろそろ出掛けるか……」

時針と分針が9のところで重なり合おうとする頃、サンチェスは準備を終えて玄関口で靴を履いていた。

密会場所に指定された裏路地は自動車を利用すれば三十分もなく到着できる距離にある。

しかし、様々なリスクを冒してまで手に入れた警察の死角だ。タクシーなどを利用して、その履歴などから足取りを追われないようにしたい。


ピシリ、と。サンチェスは昨日と違うジャケットの裾を引き、皺を伸ばす。

気を引き締めなおし、サンチェスは玄関に手をかけた。ホテルの周辺に捜索隊が残っている可能性も危惧していたが、サンチェスの部屋に来た警官隊は既に帰還したのを確認している。

今頃、静岡県警で結果を報告し、混乱を生じさせている頃だろう。ホテル周辺の人の出入りを監視していたはずなのに、滞在していたサンチェスが何時の間にか消えていた、という報告を。

まあ、県警に予告状を渡しに行ったことにも気付けていないのに、出入りをしていたとして、気付くことは出来ていなかっただろう、とサンチェスは笑いを溢す。


「お出掛けですか?」

「ええ、良い観光地があると聞いたもので」

サンチェスはホテルマンの質問にさらりと嘘で答えながら、カーペットに足音を染み込ませる。

警官隊にはサンチェスのいるはずの部屋に違う人物がいる、という状況を演出して見せる必要があったが、ホテルマン相手には実際にチェックインした人物がいる、ということを印象付ける必要がある。その方が双方に矛盾が生じ、更なる混乱を生むことが出来るからだ。

現時点では全てを自らの掌中で操れていることに満足し、サンチェスはにこやかな笑みを浮かべてホテルの玄関を通り過ぎる。




さて、こちらは警察捜索隊Cグループ――交渉担当、別動隊として位置づけられた部隊である。

AグループやBグループがサンチェスの滞在している部屋に突入するために動いていたのに対し、Cグループは捜索隊とホテル関係者との橋渡しを担当していた。

サンチェスがいたはずの部屋に目撃情報ともサンチェスとも違う人物がいた、という報告を受け、ホテルの責任者と情報交渉を行ったのもこの部隊である。

ホテルの宿泊履歴をもとに、捜査を行おうとしたのだ。

しかし、令状がない状況でこれ以上の情報提供をすることは個人情報保護の観点から少し難しい、と断られ、捜査は停滞した。

そして、現在はホテルの周辺での張り込み中だ。


『サンチェスは変装を巧みに利用します。令状がない以上、現時点では確かめようがありませんが、捜索隊の突入の際に居た人物がサンチェスである可能性もあります。一旦、サンチェスに存在を認知されているA・Bグループは撤退、Cグループはサンチェスが動く時まで待機していただきましょう。機関の様子を見せれば油断して次こそは――』

という、レオパルドの入れ知恵であった。

サンチェスのことを資料でのみ知っている長谷川警部や佐々木警部を含む県警の中では、唯一サンチェスの性格等、具体的なところも知っている人物として、レオパルドは重宝されている。


「定期連絡、九時半になりましたが、動きはありません」

定期連絡を終え、別動隊に密かに加わっていた菱田警部補はホテルにもう一度視線を飛ばし、見据える。

彼ら捜索隊は、未だにサンチェスが県警に潜入していたことを知らされていない。しかし、レオパルドが『帰還の様子を見せれば油断して()()()()――』と言っていたことから、何となく察してはいた。

だからこそ、彼らは次こそはサンチェスを見逃さないように、と気を引き締めなおしている。



「菱田警部補、あの男、防犯カメラの映像の男と似てません?」

片手に防犯カメラの映像をスクショした写真を持ちつつ、ホテルの玄関付近を見据える刑事が、菱田警部補に声を掛ける。

菱田警部補を含め、そこにいた刑事たち数人が一度、大きく肩を震わせた。緊張を取り払うようにして軽く息を吐き、刑事の指し示す方向を見る。

色白の肌、大人しい黒髪、何とも普通な日本人男性。

事前に与えられていた防犯カメラの画像と見比べてみても、サンチェスの変装として疑われていた人物だった。


「あの男を重要参考人として何としてでも連行する! 相模、堀田、吉良は包囲班、丹波と戸田は捕獲班。位置につけ」

菱田警部補が指示を飛ばし、刑事たちが動き始める。

サンチェスは、現時点では捜索隊が帰還していて自分が監視されているとは思っていない。油断しているはずだ。

大丈夫……大丈夫だ。

菱田警部補は、サンチェスの資料だと渡された、スペインでの捜査記録を一部抜粋したものを思い出す。

数十に上る国家警察の警官隊を相手取り、いとも簡単に逃げおおせた。そのような事件が、何度も起こっている。その逃亡手段は念入りな準備に基づいたもので、手掛かりが残っていたことは少ない。また、脱獄というパフォーマンスのために故意に逮捕されたことも有るという。


――正直言って、次元が違う。想像できないんだ、()()……

菱田警部補は、自分が佐々木警部や長谷川警部、また「あの刑事」と違ってそれだけの立場にいないことは分かっていた。

頭脳の点でも、作戦指揮能力でも、身体能力でも、彼らに遠く及ばない。

それでも、近くでその様子を見ていたい。その想いでサンチェスの捜索隊に志願したのだ。



「気を引き締めろ、相手はスペインの大怪盗、サンチェスだ……」



菱田警部補は、刑事たちに言っているようにしながら自分に言い聞かせる。

憧れの刑事たちには遠く及ばないかもしれない。それでも、犯罪者相手に遠く及ばないなどとは考えない。そう、決意する。


菱田警部補はサンチェスの方へと歩みを進める。駆けだしそうになる足をどうにか抑えつつ。

「少々、お尋ねしたいことがあるのですが、お時間よろしいですか?」

菱田警部補と丹波刑事、戸田刑事の三人は警察手帳を掲げつつ、サンチェスに声を掛ける。

サンチェスは、突然の警察登場に肩を跳ねさせ、一瞬のうちに周りの様子を覗おうと視線を飛ばす。

その場で、周辺を包囲している刑事たちにも気づいた。


――この距離感なら、この状況なら……


サンチェスは懐に腕を突っ込んだ。

武器を取り出すつもりかと、刑事たちが身構え、菱田警部補が引き抜かれたその腕の先に黒鉄を目視する。

「拳銃……ッ?!」

菱田警部補を含め、刑事たちは一歩引き、同じく拳銃を構えだす。

しかし、サンチェスは刑事たちに標準を合わせるそぶりを見せぬまま、無造作に引き金を引いた。


パンッ、ボフン


拳銃の発砲音よりいくらか軽い音がして、拳銃から発射された弾丸は破裂する。

中からは白い煙が出てくる。刑事たちは、思わずと言った様子で瞼を閉じ、サンチェスが視界から消えた。



「拳銃見ると怯えるのは人の性なわけだ」


菱田警部補は、視界のはっきりしない状況で、背後から囁きを聞いた。

咄嗟に拳銃を向けたが、刑事たちがどこにいるかもわからない今、発砲するにはリスクが高すぎる。駆ける音を聞いて、自らもそちらに走り出すくらいしか、その場では出来なかった。

サンチェスは発砲前に確かめておいたルートを記憶を頼りに辿り、刑事たちの包囲網を突破、闇夜へと姿を消した。

サンチェスは逃亡のために駆けながらも何発か発砲したらしく、菱田警部補らの視界がはっきりとしたのは30メートル以上走った後だった。

そして、その時にはサンチェスの姿は勿論、足音も聞こえなくなっていた。

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