35.サンチェスの消失
サンチェスの消失
「サンチェスが、いない………?」
エクトル警部は宝石の保管室に飛び込んで、周りを見回したのち、呟いた。
エクトル警部の呟きは静まり返ったその空間に響き渡った。
その瞬間、その場所の時間の流れが止まった。
「いない、とはどういうことですか……?」
長い十秒間ほどが過ぎて、レオパルドから絞り出されたのは疑問だった。
レオパルドは今回の事件で何度も推理をしてきた。
そして、その推理はほとんどが的確なものだった。
しかし、今回はレオパルドも推理をすることが出来ていない。
というか、どういう状況なのかさえ分かっていないのだ。
サンチェスは先ほどまで宝石保管室にいた。
これは事実だ。ここにいる中でも部屋の扉の近くにいたものはサンチェスを少なからず見ているはずだ。
それに、エクトル警部は実際にサンチェスと戦った。
サンチェスは先ほどまで宝石保管室にいた、なのに今は消えている。
サンチェスは部屋から出てきていない。
つまり……サンチェスは今どこにいるのだろうか。
そこにいたレオパルドとエクトル警部はうーん、と唸りながら考えている。
サンチェスがどこに行ったのか、それが分からないことにはここから動くこともできない。
どこかに逃げているとわかったらその方向に捜査網を敷けばいいわけだが、どこに逃げたのかはもちろんのこと、そもそも逃げたのかさえ分からない。
このままでは国家警察が動けない間にいつの間にかサンチェスが逃げている、なんてことになりそうだ。
そんなことになるのだけは流石に避けないといけない。
そのためにも、エクトル警部は今までの事件で鍛えてきた頭脳をフル回転させて考えていた。
レオパルドも同様に、これまでサンチェスを逮捕するためだけに鍛えてきた推理力を使ってサンチェスの居場所を特定しようとしていた。
「あ!そういえば!」
突然、アーロン氏が叫んだのはエクトル警部らが考え始めてから二十秒経つか経たないかのころだった。
エクトル警部やレオパルド、警官らの視線がアーロン氏に集まる。
アーロン氏は一歩後退ってから話し出した。
「この部屋には屋根裏につながる穴が天井に空いてるんです。」
アーロン氏はそう言った。
エクトル警部とレオパルドは一瞬固まった。
「そういうことは最初に言っておいてください!」
エクトル警部とレオパルドは同時に叫ぶと、我先にと部屋に入って行って天井裏に入って行った。
「あまり使わない部屋だったので忘れていました……」
アーロン氏が何か言ったような気もした二人だが、そんなことはどうでもいい。
今はサンチェスを追いかけないといけない。
サンチェスが消えたときから一分もたっていないだろう。
しかも、サンチェスの入ったであろう屋根裏は様々な配線があって通りにくいことこの上なかった。
流石に大金持ちのアーロン氏でも人が見ることの少ない屋根裏などにまで配慮する余裕はなかったのだろうか。
エクトル警部とレオパルドは少しでもサンチェスに近づくために走っていった。
エクトル警部は下にいるであろう警官らに無線で指示を飛ばそう…としてはっとした。
今回はサンチェスに無線を傍受される可能性をなくすために伝令役を置いたのだった。
これでは下にいる警官には指示を与えることが出来ない。
警官らの行動力に任せるしかないのだ。
エクトル警部は一応、サンチェスの事件を担当する警官らは万一の際に限って自由行動を許可している。
後々にエクトル警部にそんな行動をした理由を聞かれてしっかりと正当な理由を答えられるならいいのだ。
サンチェスの事件はかなり臨機応変な対応を必要とする。
行動方針が決まっているとしても、それに縛られっぱなしではサンチェスを逮捕することなんてできない。
サンチェスが臨機応変な行動をしてくるなら、こちら側もそれ以上に臨機応変でないといけないのだ。
それで、警官らは自由行動が出来るわけだが……
実際に動いてくれるものか。
エクトル警部は走りながら少し顔を歪める。
やはり、サンチェスのような泥棒を相手にすることなど普通に国家警察の警官として働いていればそうあることではない。
それで、サンチェスの事件は全員が困惑し、いつも通りには行動できない。
サンチェス相手にどのような行動が最善かわからないからである。
普通の泥棒なら自分たちで作戦を立てて追い詰めるなんてことは少ない。
国家警察と言う、スペインの警察機関の中心で働いている彼らであっても、そこまで巧妙な犯人なんて少ない。
そんな泥棒がいたとしても、他の誰かが担当することがほとんどだ。
サンチェスを担当する警官ら全員が一度はそのような巧妙な犯人にあたったことがあるわけではないのだ。
サンチェスが異常であるがために、今の国家警察の体制は揺らぎ始めている。
このままの国家警察ではサンチェスを逮捕することは出来ない。
サンチェスがいなくなったとしても、今後サンチェスのような泥棒が現れたとき、国家警察は対応することもできずに逃してしまうだろう。
今のうちに改革を起こさないといけないのだ。
といっても、国家警察の一構成員であるエクトル警部にはそこまでの力もないのだが。
「足音が聞こえませんか?」
レオパルドがそう呟いたのはエクトル警部とレオパルドが走り出してから少ししたころだった。
屋根裏はこの邸宅の大きさのそのままの広さだ。
つまりは、とんでもなく広いということだ。
しかも、先ほどサンチェスがいた宝石保管室は何度か言った気もするが、邸宅の端っこにある。
屋根裏に上ったからと言ってすぐに邸宅外に逃亡できるわけではない。
まずは正面玄関辺りまで屋根裏を通って移動して、正面玄関辺りで下に降りる必要がある。
そうしないと邸宅外に逃亡することなどできないのだ。
サンチェスはもちろんそうするだろう。というか、そうする以外にサンチェスの持つ選択肢はない。
そうなれば、サンチェスはかなりの距離を移動することになる。
ところどころは配線が壁のようになっていて通ることが出来ないようなところもあるから、暗闇の中を彷徨うことになるだろう。
その間に逮捕してしまえばいいのだ。
エクトル警部がそう考えながら走っていると、突然足元に衝撃を感じた。
屋根裏には骨組みとなる木は見えていない。
つまり、足元は平らなのである。
配線などが地面にまで伸びていることならあるが、段差があることはない。
では、今の少し硬い感触は何だったのであろうか。
足に当たった感覚からして配線のコードなどではないだろう。
エクトル警部はサンチェスを追わないといけないのだが、足元のものも気になって、最終的に置いてあったものを拾い上げていた。
レオパルドはエクトル警部が急に立ち止まったことには驚いたが、あまり気にすることなく先へと進んだ。
エクトル警部は置いてあったものを拾い上げ、抱えながら走り出した。
幸いにも置かれていたものはさほど大きいものではなく、軽く持つことが出来た。
置いてあったのは一つの箱だった。
中からは何かが少しの隙間を擦れて壁に当たるような音が聞こえてくる。
音からして中のものは紙だろうか。
まあ、なんにせよ、これは後で調べればいいだろう。
サンチェスとは違って箱が自分から動くことなど無い。
エクトル警部が抱えている限りは逃げることはないのだから。
タンタンタン
エクトル警部は突然聞こえてきた足音に希望の光を見出す。
レオパルドの足音とはまた違った足音だ。
サンチェスのものと考えていいだろう。
エクトル警部らはまだ、サンチェスを取り逃がしたわけではないのだ。
最後まで読んでいただいてありがとうございました。
そろそろ二学期の期末テストも近づいてきましたので、テストが終わるまでは投稿をお休みさせていただきます。
もしかしたらテスト期間の合間を縫って作るかもしれませんが、基本的には作ることはないと思います。
ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。