26.サンチェスと普通の事件 2
サンチェスと普通の事件 2
エクトル警部はアダン氏の邸宅内を回りながら警官らの配置を確認し、彼らがしっかりと作戦を覚えているかの確認もしていた。
そうしながらゆっくりと邸宅内を回り続け、エクトル警部がそろそろ一周する、という時。
エクトル警部は裏路地のように暗くなっている廊下に何かを見出した。
そこはもともとあまり使われておらず、近頃では老朽化が進んできたため、立ち入り禁止にしているのだった。
しかも、サンチェスが狙う王冠の展示室とは真逆の方向にその部屋はある。
そんなところをサンチェスも使うはずがない、とエクトル警部は決めつけていた。
それで、そこだけはエクトル警部も警官を配置していないのだ。
そんなところに何かが落ちているということは、どういうことだろう。
普通は何も入り込まないはずなのだが。
そう思ってエクトル警部は立ち入り禁止のコーンを軽くまたぎ、中に入った。
周りにいた警官らはエクトル警部が急に立ち入り禁止区域に入ろうとしているので、止めたらいいのか、それともそのままにしておいたらいいのかわからなかった。
エクトル警部は何も気にせず中に入ると、落ちていたものを手袋をはめた手で取り、一旦立ち入り禁止区域から出た。
そして、改めて落ちていたものを見ると、それは封筒だった。
エクトル警部はアダン氏に確認しに行こうか、と思って歩き出した。
「エクトル警部!ちょっと待ってください。」
警官の声でエクトル警部は止められた。
エクトル警部を止めたのはエクトル警部の進行方向にいた警官だった。
エクトル警部が足を止め、何事かと聞くと、警官はエクトル警部の持つ封筒を指さしながら言った。
「そこにサンチェス、って書いてありません?」
エクトル警部は「何?!」と一瞬叫んだかと思うと、封筒を裏返してみた。
すると、封筒の端に小さめにサンチェス、と書かれていた。
エクトル警部は明らかに今回の事件にも関わりのあるその手紙に驚きつつも今後のことを話しあうためにもアダン氏と、一応はアマド刑事も呼んで作戦会議を始めた。
「まずはサンチェスからのものであろうこの手紙を読んでみましょう。」
エクトル警部はそう言うと封筒を開けて皆の見えるようにした。
サンチェスの手紙の内容
私はすでにこの邸宅内にお邪魔させていただいております。
そろそろ参ります。
出来る事であれば、皆さんを集めて王冠の展示室に来てください。
待っております。
エクトル警部らはこの手紙を読んですぐにでも皆を集めて王冠の展示室に向かおうとした。
と言っても、すでに今回の事件の主要人物はここに集まっているし、様々なところにいる警官らはサンチェスがもし逃げ出した時のために残しておかないといけない。
そのため、今ここにいる三人で宝石の展示室に向かうことにした。
「では、入りますよ?」
エクトル警部が後ろにいるアマド刑事とアダン氏に言った。
中にはすでにサンチェスがいるかもしれない。
まあ、中にいる警官らが騒いでいないため、いまだにサンチェスは来ていないだろう。
エクトル警部はそう思いながらも一応警戒して部屋の扉を開けた。
中にはエクトル警部の予想通りサンチェスはいなかった。
中では警官らが急にエクトル警部とアダン氏、アマド刑事が来たことによって驚いているだけだった。
エクトル警部は軽くそこの警官にサンチェスからの手紙が届いたことを話した。
そして、話し終えるのが速いか否か、
ボンッ
と。軽い破裂音が鳴り響き、その部屋の中には煙が充満した。
エクトル警部は煙が目に入らないようにしながらもどうにかサンチェスを視界にいれようと煙幕の中で目を凝らした。
しかし、煙が引けるまで誰かの人影を見つけることは出来なかった。
そして、煙が引けたときには部屋の中心にサンチェスがいた。
サンチェスは煙が完全に引け、自分の姿も見えるようになってから優雅に礼をした。
エクトル警部はいつサンチェスが動き出してもいいように常に警戒態勢をとっていた。
「お久しぶりです、エクトル警部。この前はありがとうございました。」
サンチェスは言った。この前、というのはサンチェスが入院していた時のことだろう。
エクトル警部はすぐにそのことが分かったが、怪盗からお礼されるのもどうかと思ったのであまり反応しなかった。
サンチェスもそのことはわかっているらしく、エクトル警部から何も反応がないことこそ唯一の反応なのだと考えて気にしなかった。
その場には数秒間ほど沈黙が流れた。
しかし、サンチェスはあまり沈黙が好きではない。
それで、早めにすべてを終わらせてしまおうとしたのだ。
サンチェスは素早く足元に煙玉を投げた。
そして、煙の中で地面を強くけり、王冠のところまで行った。
サンチェスは煙の中でも動けるようにしっかりと部屋の配置を覚えていたのだ。
警官らも煙の中で安易には動けない。
つまり、警官は煙が充満する前の位置に居続けるということだ。
サンチェスにとって追ってこない追手から逃れるのなど簡単そのものだった。
サンチェスは煙が引く前に、と急いでその部屋を後にした。
サンチェスが使っている煙玉は小麦粉爆弾の進化系なので、そこまで威力の強いものではない。
サンチェスが煙玉を人を傷つけない程度のものにしようとしたため、威力が弱まってしまったのだろう。
よって、煙が引くのもかなり速い。
登場の時にはちょうどよく焦らすことが出来るからいいと思うのだが、逃亡の時には役立たない。
もう少し煙の引きにくいものにしよう。
サンチェスはエクトル警部らが追いかけ始めたあたりでそう考えているのだった。
サンチェスはエクトル警部相手で走りでは勝つ自信があった。
それに、今回の逃走方法は国家警察の思いもよらぬものだろうし、誰も追ってくることは出来ないだろう。
サンチェスはそう思っていた。
サンチェスは走りながら頭の中で邸宅の図面を広げた。
そして、現在地を考えて、目的地に急いだ。
サンチェスの目的地は立ち入り禁止とされている部屋だった。
先ほども記したように、そこは老朽化が進んだために立ち入り禁止とされたのだった。
しかし、なぜ他の場所はあまり老朽化していないのにそこだけは老朽化しているのだろうか。
それは、そこだけ一切建て替えが行われていないからだ。
話はずれるが、アダン氏の邸宅はかなり前、スペイン革命時代からあるものだった。
アダン氏の邸宅だけではない。アダン氏の家系がそれよりも前からあるものなのだ。
それほど前から貴族として生活していたアダン家はスペイン革命時代になって何かあった時の逃げ道として、邸宅内に抜け道を作った。
そして、その抜け道は一回も使われることなく今まで置いておかれているのだ。
アダン氏もその抜け道だけは歴史のあるものだし、そのままにしておこうとあまり手を付けていない。
そう。アダン氏の邸宅にある立ち入り禁止の部屋、そここそがアダン氏の先祖が逃げ道として作った地下通路の入口がある部屋なのだ。
サンチェスはそのことを事前に調べ、逃走経路に用いようと考えていた。
地下通路はかなり入り組んでおり、しっかりと道を把握しているもの以外は入らないほうがいい。
サンチェスはもちろん、地下通路を完全に把握していた。
サンチェスにとってそのことを暗記することなど簡単なことなのだ。
「よし、ここからだ。」
サンチェスは目的地に着いた。
警官は追って来ているが、立ち入り禁止のところに入っていくサンチェスに少し足を止めるものもいる。
今がチャンスだ。
サンチェスは部屋の中に入った。