恋の呪い
お土産のこのケーキ、とっても美味しいわ。
濃厚で、クリーミーで……まあ、リチャーズ=ロスのものでしたのね。
どおりで懐かしい味だと思いました。亡くなったお祖母様が好きで、よく一緒に食べていたのです。
私、しばらく甘いものを絶っていましたから、久しぶりに食べました。
ええ、かなり痩せましたけれど……でも、婚約式も近いし、着るドレスも決まっているから、太れませんもの。
いえいえ、大丈夫です。このケーキは、美味しくいただきますわ。
お夕飯で調整するから、お気になさらないでくださいな。
……あら、ごめんなさい。
私、話があちらこちらに飛んでしまう癖があって……言い訳になりますが、私の頭の中では繋がっているので、つい。
お気を悪くされないでくださいね。
それで何の話だったかしら?
ああ、そうでした。彼の話ですわね。
なぜ、私があんなに愛していた──いえ、執着していた彼から身を引いたかという理由をお聞きしたいとのことでしたね。
嫌ですわ、棄てただなんて。
もう、人聞きの悪いことを言わないでくださいな。いくら彼がゴミみたいに価値のない人間だからって、言い過ぎですわ。
え? そこまで言ってないですって?
あら、そうでしたのね。
私ったら、勘違いをしてしまいましたわ。
──ルイシャルト様は、婚約者の私……いえ、元婚約者の私ではなく、別の女性を選びました。
そして、私も、彼ではない方と結婚をします。
それだけの話です。
ルイシャルト様が言っていた話と違いますか?
……構いませんよ。
どうせルイシャルト様が今更、何を言おうが、どのように振る舞おうが、世間の評価は変わりませんしね。
私ですか?
私は見ての通り元気です。
ただ、お父様がまだ少しだけ……。
だって、あんな男を可愛い娘に当てがってしまったのですもの。
でもね、私はお父様を恨んではいないのですよ。お父様はただ、私の幸せを願っただけなのですから。
ヨリを戻す気、ですか?
もう、そのように気持ちの悪いことを──いえ、あり得ないことを仰らないでください。
ないに決まってます。
私には、婚約者がおりますし。
それに、ルイシャルト様と添い遂げたいなどとは、微塵も思っておりません。
本当の本当に、神に誓って、ルイシャルト様に恋慕の情はありませんわ。
これっぽちも、ね。
え? ああ、あの方ですか……。
さあ、今はどうされているのかしらね。
私も知りませんわ。
ルイシャルト様は、ある日、お身体の弱い令嬢──シモーネ様を、私に紹介しました。
それが、件の迷惑令嬢様もとい、『あの方』でございます。
シモーネ様は、ルイシャルト様のハトコに当たる方で、彼の家で居候をしていると紹介を受けました。なんでも、お医者様にかかる為だとか。
確かルイシャルト様は、彼女は身体が弱い為に、友達が少なくて……とか何とか言っておりました。
そして、私にシモーネ様とお友達になれ、と強要したのです。
それから、ルイシャルト様は私との週に二回の面会日に、シモーネ様を連れてくるようになりました。
ええ、驚くでしょう?
私もね、今の貴女みたいな顔をして驚きました。
シモーネ様は、そうね……なんと言えばいいのかしら?
良く言えば無邪気な方ですわ。
そして、悪く言えばマナーや言葉遣いやその他諸々が目に余るご令嬢ですね。
私も、世間知らずで箱入りと呼ばれる部類ですけれど、シモーネ様は私の更に上を行く世間知らずでございました。
いえ、恥知らずと言うのが正解でしょうか。
私が声を掛けても、涙目で震えるだけで会話が成り立ったことなど、一度もありませんでした。
いつもルイシャルト様の腕にご自身の腕を絡めて、困惑する私を怖がっておりました。
ルイシャルト様は、シモーネ様の味方でした。
私が、シモーネ様にマナーを教えようものなら、彼女は泣き出します。
そして、泣き腫らした目の彼女の肩に手を置いたルイシャルト様は、私を親の仇のように睨むのです。
何が悪かったのでしょう──そんな風に一生懸命に考えました。
一時期は、伏せったりもしました。
あの頃は……起き上がるのも億劫で、とても辛かったですわ。
妹のロッティに、私の言い方がキツイのではないかと相談もしました。
誰にでも公平なロッティに、私の反省すべきところを教えてもらおうと思ったのです。
ロッティは、私の言い方は優し過ぎる程だと、シモーネ様に注意しました。
ですが、そうすれば事態はますます悪化しました。
ロッティと私に意地悪をされたと、シモーネ様が大声で泣き喚いたのです。
ルイシャルト様の背に隠れて、童話に出てくる悪い魔女のように笑うシモーネ様は、声だけ聞けば可哀想な女の子でした。
ロッティは私よりも素直な性格の分、シモーネ様のやり様に酷くショックを受けてしまいましたわ。
可哀想なロッティ。
あの子は私に泣きながら謝りました。
当然、私は可愛い妹を許しました。
それに、ロッティはちっとも悪くないのですから、元より謝罪など不要なのです。
──淑女がするべきではないことを、幼児に言うように諭した私に向けて、意地悪だと指を差すシモーネ様に、ロッティが怒ることの何が悪いのでしょう。
そんなことがあればお父様も、私とルイシャルト様の婚約を白紙にすることを、真剣に考えて私にそれを勧めてきました。
お母様も、ロッティも、家の者達も皆、落ち込んでいる私の心配をしておりました。
口と態度の悪い幼馴染のエドモンドも、あの時ばかりは優しかったですね。いえ、あの時から優しくなったと言うのが正しいのかしら?
おじ様──ルイシャルト様のお父様も、私に頭を下げましたわ。
そして、私の思うようにしてくれていい、と仰ってくださいました。
それでも、私はルイシャルト様との婚約を続けたいと、お父様とおじ様に懇願しました。
──あの時の私は、ルイシャルト様を心から愛していたのです。
今となっては、どうかしていたとしか思えません。
私が、あんな男を愛していたなど、吐き気がします。
悍ましいことです。
ルイシャルト様は日に日に、私への態度が酷くなっていきました。無視は当たり前で、口にはしたくない酷いこともたくさん言われました。
シモーネ様は小柄で可愛らしいお顔立ちで、女性らしい体付きをしておりますからね。私は随分、彼女と比べられました。
私は、ほら……背が高くて、つり目で、意地悪そうな顔をしているでしょう?
しかも、性格もキツくて……え、そんなことはない、ですか?
ありがとうございます。貴女は、お優しいのですね。
──シモーネ様と比べられた私は、努力をしました。
お化粧やドレスを変えてみたり、少しでも小柄に見えるように過度な食事制限をしたり……他にも色々。
でも、そんなことをしても、彼の心は離れていくばかりで、目すら合わせてもらえなくなりました。
そうして遂に、王女様の誕生祭の日、ルイシャルト様は私のエスコートをすっぽかしました。
会場にはどうにか入ることが出来ましたが、華やかな会場の隅でルイシャルト様とシモーネ様が微笑み合っている光景に耐えることが出来ずに、お庭に逃げました。
私は、噴水の横のベンチに座って、声を殺して泣きました。
会場から聞こえてくる、陽気な音楽と人々の笑い声が、私をよりいっそう惨めにしました。
どれくらい泣いたでしょうか。
一頻り泣いてすっきりした私は、瞼を冷やすために噴水の水でハンカチを濡らしました。
そこでふと、昔ロッティと一緒に読んだ本の『お呪い』を思い出したのです。
うろ覚えでしたけれど、急にそれを試してみたくなりました。
(──春の満月の夜、凪いだ水面に映る月に願いを口にすると、その願いが叶う)
私は、三つの願いを口にしました。
あら、三つもだなんて、私を欲張りさんだって仰りたいのですね?
いいじゃありませんか。
だって、ちょっとした可愛らしい恋のお呪いですもの。
昔、ロッティとした時も何も起こらなかったし……本当に叶うなんて思わないでしょう?
──『お願い』の内容ですか?
それは言えません、内緒ですわ。
その後は、私を探しに来てくれたエドモンドが家まで送ってくれました。
ふふ、あの日のエドモンドったら、私が泣いているのを見て、すごい慌てようでしたのよ?
──はあ、騒々しくてごめんなさいね。
ルイシャルト様ったら、ああして家にやってきては、あのようなことを大声で叫ぶものですから困っているのです。
近々、僻地へ行くことが決まっていると聞いていますが、あの有様でやっていけるのでしょうか。
昨日は、エドモンドが追い返してくれたのですけれど……まったく、家の者達には迷惑をかけます。
ふふ、そうですわ。
察しが良いのですね、さすがです。
王女様の誕生祭の翌月から、ルイシャルト様は私に求愛してくるようになったのです。
でも、私は誕生祭から帰宅してすぐお父様にお願いして、婚約を白紙に戻した後でして……。
あら、お呪いのおかげだって言いたいのですか?
貴女ってロマンチストですのね。そんなことある訳ないではありませんか。それが本当なら、皆の願いが叶っていますよ。
私はただ、悪い夢から目が覚めただけです。
そして、私を一番に想ってくれるエドモンドの存在に気付いただけですわ。
後の祭り?
へえ、『手遅れでどうしようもない』という意味なのですか。
東の国の諺ですの? 貴女は、博識ですね。
聞こえました?
ルイシャルト様ったら、あんなに散々な態度を取っていたくせに、「やっと気付いたんだ」ですって。
あんな大声で、みっともないですわ……気でも触れたのかしら。
本当に、気持ち悪いです。
そういえば、シモーネ様は一体どうしたのかとエドモンドが問えば、「もういない」とだけ言われたそうですよ。
あんなにべったりとくっ付いていたのに……。
ですが、私にはどうでもいいことです。
二人がどうなろうが、もう関係ありませんね。
私は、不思議なことに、あの日の帰りの馬車の中で、ルイシャルト様に対して嫌悪感が生まれてしまって、ほんの少しでも近くにいたくないと思うようになってしまったのです。
ロッティ風に言うなら『生理的に無理』とでも言いましょうか。
ルイシャルト様が気持ち悪くて、汚らしくて堪らなくて、不快そのものに感じてしまうのです。
我が国には、『女心は偉人でも分からない』という諺が、ありますけれど……私は、自分でも私の女心が分かりません。
一夜にして、ルイシャルト様への気持ちが逆転してしまったのです。
ルイシャルト様は、私の大嫌いな足の多い虫よりも嫌悪する存在になってしまいました。
今は……エドモンドただ一人を愛していますわ。
ええ、エドモンドも私と同じ気持ちだと言ってくれましたの。
幼馴染だから、手近だって言いたい気持ちも分かりますけれどね。もうエドモンド以外に考えられないのです。
エドモンドは、昔から私にだけ態度が悪かったから、嫌われていると思っていたのですけれど……私のことを、ずっと思っていてくれたのです。
え、知っていましたの?
どうしてです? ……見れば分かる、ですって?
そうなんですの? だって、エドモンドは意地悪ばかりで……。
まあ、その話は後で詳しく聞かせてくださいな──とにかく、私も不器用ながらに一途なエドモンドに絆されてしまったと言いますか……だって、仕方がないではありませんか。
あんな風に真っ直ぐに見つめられてしまえば、好きになってしまいます。
嫌ですわ、エドモンドの言葉は私だけのものなのですから、いくら貴女でも教えられませんわ。
……本当に誰にも言わないとお約束できますの?
内緒にしてくださいよ?
エドモンドは、「頑張り屋で、強がりなところが可愛い」と言ってくださいました。
ええ、それに私の背が高いのも、気にしてないと。
まあ、エドモンドの方が背が高いからでしょうね、あれでも昔は私よりも小さかったのですよ。
エドモンドは、頼りになって、私を甘やかしてくれる大切な人です。
私の短所もまるごと愛してくれる奇特な方でもありますね。
私も、エドモンドを幸せにしてみせますわ。
……あら、話過ぎたみたいですね。ごめんなさい。
今度は貴女の話を聞かせてくださいな。
ええ、ありがとうございます。
私、とても幸せですわ……。
【完】