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Q. とある村のバスでは乗っている人の半分しかお金を払ってくれません。それはなんで?
A. 乗客が一人しかいないから
2017/3/21
「えー、みんな今日は解散ライブに来てくれてありがとう。解散を決めたのが、去年の年末で、三ヶ月前のことかな。結局メジャーデビューもできなかったし、まだまだ満足のいける音楽を作れたとは言えないけどさ、泣いても笑ってもこのバンドで演奏するのは次で最後だ」
暗くて狭いライブハウスの中には大勢の観客が押し込まれていた。ユウキはボーカルの金崎の右隣で、ぐるりと観客を見渡してみる。腕を組んで悠然と構えているもの。ボケーッと突っ立ってるもの。ハンケチで目頭を押さえているもの。職種も性別も年齢も違う、色んな人間がここに集まっていた。そして、大勢の観客の中に、ユウキは美香の姿を見つけた。
「狭いコミュニティの中だろうと、天才だ天才だと崇められてたら少なくとも自尊心とかそういうものは満足できるかもしれない。でも、ふと気がつくんだ。俺が住んでる安アパートの向かいのアパートにもそれぞれの部屋に人が住んでいるし、このライブハウスに歩いてくる途中ですれ違った車の中にも誰かが乗っている。その一人一人が人生というか、生まれてきて学校に行って、恋愛したり挫折したり、色んな積み重なったものを持っていて、だけど、その中の1%にも俺という人間は存在しない。俺が死んだら、ファンとか身内は悲しんでくれるかもしれないけれど、新聞なんかには当然取り上げられることはなくて、記事になったとしてもそこらへんにいるフリーターが死んだということにしかされない。別に俺が有名人じゃないからとか、メジャーデビューしてないからという問題じゃないんだ。結局は程度の問題で、仮に俺が有名人だったとしても、それは瞬間的に俺の死を悲しんでくれる人が増えてくれるだけで、いつかはみんな俺のことは忘れるし、そういうふうに人間はできてる。世界にはあまりにも人が多いし、それに誰かが死んだところでも、自分は生きていかなくちゃいけない。誰かが死んでしまったら終わってしまうほどこの世界は糞システムじゃないし、それは俺も俺たちもお前たちもそうなんだ。クソみたいなこの世界の中でさえも、俺達はクソにすらなれなくて、あってもなくてもいてもいなくても結局は変わんないような存在でしかない」
美香は泣くわけでもなく、にらみつけるわけでもなく、ただじっと金崎を見つめていた。そこには浮気をされたことに対する怨恨もなければ、バンドのファンになったときのような憧憬もなかった。ただただ、金崎という男を、じっと自分の瞳に焼き付けようとしている。そんな感じがした。金崎と美香がどうやって別れたのかをユウキは知らなかった。いつ、何がきっかけで、どちらから別れを切り出したのか。美香は金崎が今まで付き合ってきた女性とは何が違っていたのか。それすらもよくわからない。金崎の音楽の才能に惹かれて付き合い始めた女性はたくさんいたが、結局は三ヶ月も経たないうちに別れてしまう。そんな中で美香だけは辛抱強く金崎と付き合い続けていた。彼女は金崎と交際した三年間の中であいつの何を見てきたのだろうか。
「俺よりもずっと人当たりがよくて、作曲のセンスもあって、人との出会いとか運とかに恵まれているやつは大勢いるし、お前らは独創性だとか世界観とかって言葉を使って持ち上げてくれるけど、俺なんかよりもずっとずっとぶっ飛んだ音楽を作れるやつはそこらじゅうにいる。人の趣味とか好みだって、時間とともに移り変わっていくもんだし、今この瞬間にも俺以外の誰かがとんでもない名曲を作っていて、一年後、いや、一ヶ月後とか一週間後にはそいつの曲に夢中になって、俺の曲なんて、そういえばそういう曲あったなとしか思い出されなくなるかもしれない。一年前位に一生このバンドのファンでいますって、熱烈なラブレターを送ってくれた女の子は、今では他のバンドのベースとできて、子供を産んで、結婚して、今ではもう俺たちのライブに来てくれることはなくなったけど、でも、今がどうだったとしても、少なくともその手紙を書いてくれたその瞬間は確かに、俺達の音楽に感動してくれていて、自分でもうまく言葉にできない感情をなんとか言葉にして、俺達に伝えてきてくれたんだ。お前たちもこの狭くてジメジメとした場所にいるこの瞬間だけは、他のバンドの音楽とか、もう死んじまったミュージシャンの音楽とか、今月の生活費のことなんて忘れて、俺の音楽を聞いてくれている。それだけで俺はギンギンに勃起しちまうくらいに興奮してしまうし、お前ら一人ひとりを思いっきり抱きしめてやりたいくらいなんだ。俺はお前たちのことが大好きだよ。別に皮肉を言ってるんじゃないぜ。心の底から、心の底から愛してる。結婚しよう」
困惑げな観客を置いてけぼりにしたまま、金崎が俺たちの方へと振り返る。そして、一人ひとりに視線を送った後、ドラムの高岡に目配せをする。全員が同じタイミングで深く息を吸い、薄暗い照明の下で、空気がピンと張り詰める。そして、静けさを突き破る高岡のドラム音を合図に、俺達の最後の演奏が始まった。