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Q. ハチはどれくらいの距離を飛んだらへとへとになっちゃう?
A. 8マイル(ハチまいる)
2019/12/06
二年ぶりのバンド仲間の飲み会。そこに一番遅れてやってきたのはドラムの高岡だった。
「何年も見ないうちに頭が薄くなったんじゃないか?」
コートを脱ぎながら高岡が新井崎をからかい、三人で笑いあう。バンドの解散が決まってから三年。解散ライブから二年と九ヶ月。金崎が交通事故で死んでしまってから二年。このメンバーで集まるのはそれ以来のことだった。
「おい、信じられるか。新井崎さ、できちゃった結婚して、一歳の子供がいるんだぜ」
「嘘だろ。俺たちの中で一番モテなかったお前が結婚一番乗りかよ」
高岡は大げさにリアクションしてみせた後で、おめでとうと朗らかに笑いながら祝福する。ああ、いつもの高岡だ。高岡のその表情を見て、ユウキは胸が締め付けられた。バンド解散直前のようなギスギスした表情ではない、人の良さそうな温厚な雰囲気。バンドを始めたばかりの頃を思い出させるような、そんな懐かしい表情だった。みんなでこうしてくだらないことで笑い合って、音楽について真剣に語り合って……。知名度もなければ、演奏技術も半端だったけれど、熱い気持ちと自分たちの才能への絶対的な自信を持っていたあのとき。ユウキは無邪気にじゃれあう新井崎と高岡を見ながら感慨にふける。しかし、数年前と違ってこの場所に、金崎という人間は、いない。
「正直、今でもまだあいつが死んだってことは信じられないよ。バンド解散した後にさ、また別のバンドでも組んでひょっこりメジャーデビューでもすんじゃないかって思ってたくらいだしな」
新井崎がぽつりとつぶやく。
「あいつにはさんざん振り回されたよ。俺たちも、あとは従姉妹の美香もさ」
「そういえば、美香ちゃんは今何してるんだ? 葬式でギャンギャン泣いているのを見てからそれ以降全然知らないんだけど」
「来年の3月辺りに結婚するんだよ。俺も一度だけ結婚相手とあったけどさ、真面目そうな人間でびっくりしたよ。金崎とは正反対の人間だったらから」
「そっか。女は強いな。新井崎も相当嫁さんに尻に敷かれているらしいしな」
ユウキがちらりと視線を向けると、突然話題に挙げられた新井崎はゴホッとわざとらしく咳き込む。それを見て、ユウキと高岡が笑う。その笑い声に覆いかぶさるように、新井崎の笑い声が加わっていく。
それから俺たちはバンド時代の思い出話に花を咲かせた。過去を振り返ることなんてオヤジのやることだ、なんて言っていた昔のことをユウキは思い出す。昔の自分が今の俺達を見たらなんて言うだろう。だけど、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。それだけ俺たちもおとなになったということなのかもしれない。良くも、悪くも。
「俺さ、結婚してからあいつの言葉の意味がようやく分かってきた気がする」
話が一段落した頃に新井崎がそう話を切り出した。誰かが出入りする度に冷たい風が居酒屋に吹き込み、反射的に身体が縮こまる。
「どの言葉だよ。ありすぎてわかんねぇ」
「ほら、あいついつも言ってただろ。別に、幸せになりたいだけだったら別に音楽なんてやってる意味なんてないし、むしろ時間の無駄だってさ」
「そんなの言ってたか?」
高岡がユウキに尋ねる。ユウキは腕を組み、まあ、延々と自分語りをするようなようなやつだったし、そんなことも言ってたのかもなと適当に返す。
「子供がまだ一歳なんだけどさ、やっぱり自分の父親はきちんと理解出来んだよ。俺があやすとにかーって笑うし、他の人に抱っこさせると、パパがいいってダダをこねる。正直社会や仕事では別に俺の代わりなんていくらでもいるけどさ、今のこいつにとって俺の代わりはいないんだなって気がついたとき、何だかふっと胸の奥の取っ掛かりみたいなものが消えてなくなったんだ。なんだろうな、金崎と音楽をやってたときはさ、すごい必死だったんだ。金崎がすごい音楽を作って、俺たちがそれを強烈に演奏して見せて、社会に対して、いや、そんなでかい存在じゃなくてもさ、ライブハウスの観客とか、スタッフとか、他のバンドグループとかに、どうだ、俺達の音楽はすごいだろって見せてやりたくてさ。でも、どんだけ満足できる演奏をしても、やっぱりそんなうまくはいかなくてさ、満たされない気持ちを糧にもっともっと練習に励んで、それでもやっぱりうまくいかなくて。そんな繰り返しをやってでも欲しかったものがさ、あっけなく手に入ったって感じなんだよ。別にあのときのことが無駄だったとは思わない。でもさ、ああ、俺が欲しかったのは結局はこんなもんだったんだなって、拍子抜けしなかったとは言えないけどさ、何と言うかな、こうストンと腑に落ちたんだよ」
新井崎が携帯を取り出し、待ち受け画面を見せてくれる。可愛らしい赤ん坊がすやすやと眠っていて、両脇には新井崎とその奥さんがその小さな手を握りしめ、優しい表情でほほえみ合っていた。
「多分金崎はさ、俺たちとは別のものを見てたんじゃないかな。俺が求めていたものではない別のもの。それがなんだったかはわからないけどさ、金崎を突き動かしてたものってやつは、承認欲求とか幸せでは埋められないもんだったんじゃないかなって。そう考えたらさ、出会ったころよりもずっと金崎を尊敬できるようになったし、それに……こういったらすげぇ怒られそうだけど、可哀想なやつだなって思う」
「あいつはそんな立派な人間じゃねえよ。お前が思ってるよりもな」
高岡がグラスの側面を親指でこすりながらそっけなく応える。ユウキは何も言えずにタバコに火を付けた。死んでしまった金崎が本当は何を考えていたかなんてわかるはずもないし、死んだ人間のことを悪く言う人間の方が少ない。今になって思えば、ということはあるかもしれないが、バンド解散前後はお互いにお互いをいがみ合っていたし、そのころに抱いていた嫌悪の感情も今となればけろりと忘れてしまっているのかもしれない。ユウキは金崎のことを思い出す。初めてあったときのこと、初めて金崎が作った音楽を聴いたときのこと、そして、バンドの解散ライブのこと。
「あいつが解散ライブで言った最後の一言って覚えてるか」
ユウキがおもむろに尋ねると、新井崎と高岡が顔を合わせ少しだけ笑いながら覚えてるよと答えた。ユウキが自分の溶けた氷の水しか残っていないグラスを持ち上げると、二人も息を合わせたようにグラスを持ち上げる。
「『心の底から、心の底から愛してるぜ』」
三人がグラスを近づける。
「『結婚しよう』」
グラス同士がぶつかり、ベルを鳴らしたような軽快な音が狭い居酒屋に響き渡った。