SS #001 『特務部隊の問題意識』
異常事態である。少なくともマルコはそう感じた。
「隊長、このまま放置することは倫理的に問題があります。是非ともご再考いただきたく存じます」
マルコの言い分はもっともなのだが、ベイカーの反応は薄い。
「ああ、そうだな。倫理的には問題だ。しかし、対処を急ぐ必要もなかろう。現状のままでもどうにかなる。予算も無いことだし……」
ベイカーは手元の書類に目を落とし、「この話は仕舞いにしよう」と態度で示す。こうなってしまったら、もうベイカーは話を聞いてくれない。マルコはあきらめて隊長室を辞した。
オフィスに戻り、自分のデスクで現場の写真を再確認する。
特務部隊の誰もがこの事態に気付いている。この写真は全員が回覧しているし、問題が発生しているという認識もある。だが、そこから先が問題なのだ。マルコと彼らとでは騎士団入団までの経歴が異なる。マルコは王立大学を卒業後、半年間の研修期間を経て幹部待遇で入団した。それに対しベイカー以下一同、マルコ以外の全員が王立高校騎士団員養成科の出身なのだ。彼らはこのような事態に慣れているようで、写真を見せても「これは大変だな」と頷くばかり。具体的な対策に乗り出す者はいない。
「……私が、何とかしなくては……」
思いつめたように呟くマルコ。その足元で、玄武は心配そうな目を向けている。
(ねえサラ、どうしよう? ボクたちも何かしてあげたほうがいいのかな? マルコ、すごく悩んでるみたいだけど……)
心の声で窓辺の水槽に話しかける玄武。水槽の中でサラは体を傾ける。これは首を動かせない魚の、全身を使った『首をかしげるポーズ』である。
(マルコは宿舎のほうしか使わないから、大丈夫だと思うよ……?)
(だいたいゴヤッチだもんね)
(うん。ゴヤッチ以外、ほとんど使ってないと思う。でも……)
(両方いっぺんに、っていうのは……)
(ちょっと想定外だよね……?)
マルコを守護する神獣たちも、彼が何を懸念しているか、この事態がどのような不都合を生じさせるか、それは重々理解している。理解してはいるのだが、マルコ以外誰もこのことを問題視していないのだ。これでは問題を解決するどころか、マルコ一人が『空気の読めない人』として浮いてしまうだけなのではないか。
玄武とサラはマルコの立場を心配して、心の声での話し合いを続ける。その間もマルコは頭を抱え、ブツブツと独り言をこぼしていた。
「修繕費が計上できないのなら、いっそ使用禁止に……いや、しかし、それで間に合わなかった場合は……?」
それは大変な悲劇だ。
二匹の神獣は顔を見合わせ、同時に首を横に振る。
「……あのさ、マルコ? ベイカー隊長も、次の予算会議まで待とうって言ったんだよね? だったら素直にそうするしか……」
(うん、私もそう思う。ずっとあのままにしておくわけじゃないんだし、ちょっとの間、見ないふりをしておけば……)
「見て見ぬふりなどできませんよ。問題と解決策が分かっているのですから、どうにかして臨時予算の計上を……あっ! そうです! なにも今すぐ完全な修繕を行う必要はありませんね! 応急処置ということで、ひとまずは仮設の……」
と、マルコが話している最中である。廊下のほうから、仲間たちの怒鳴り合う声が聞こえてきた。
「ゴヤァァァーッ! お前なんで便所のドア全開でウンコしてんだっつーの!」
「しょうがないじゃないッスか壊れてんスから~!」
「知らねっつーの! せめて外扉のほうは閉めろって!」
「閉まんないんスよ! よくわかんないけど壊れてて!」
「はあっ!? んなワケ……ウッソだろおい! マジかよ! これいつから!?」
「だからわかんないんですって! つーか先輩いつまで俺のウンチングタイム見てんスか! マジ羞恥プレイッスよ!」
「今更すぎんだろバーカ。高校の旧校舎なんかだいたい全部ぶっ壊れてたじゃねえか」
「ソレはソレ、コレはコレ的なあれッス! あ! そういえば先輩!」
「なんだよ」
「地方任務お疲れ様でしたっ!」
「えっ!? ここで言う!?」
「おい、お前ら何を騒いで……ゴヤアアアァァァーッ! だからお前、今朝のミーティングで外扉も壊れたと言っただろうに! なんで下の階でしてこないんだ!」
「下の階の個室全部使用中だったんスよぉっ!」
「全部……? ああ、そういえば、昨日事務のほうで食中毒が出たという話があったな……? ゴヤ、お前、もしかして下痢か?」
「いえ! めっちゃ元気な一本糞ッス!」
「そうか、それならよし」
「あざっす!」
「じゃあな」
「ちゃんと手ぇ洗えよ~」
「ウィーッス!」
そして廊下は静かになり、オフィスには軽快な足音が近づいてくる。
「オーッス! たっだいまーっ! ……って、あれ? マルコ? どうした?」
明るく元気に入室した同僚に、気の利いた挨拶を返す気力はない。マルコはデスクに突っ伏して、蚊の鳴くような声でこう言った。
「せめてカーテンのようなものをと思いましたのに……ああ、もう……ゴヤッチぃ~……」
玄武とサラは視線を交錯させ、同時にため息を吐く。
人類には、まだまだ進化の余地がある。