9話 囮 (2)
どうする、どうすればいい。
頭の中で、目まぐるしく思考が交差していく。
「出てこないのなら、こちらからゆくぞ」
黒装束の声が、更に焦りを加速させる。
僕は時間が残されていないことを悟る。そして覚悟を決める。
「……絶対に出てこないでください」
「っ!」
彼女へと最後の言葉を告げ、僕は一人草陰から飛び出していく。
「貴様、一人か?」
フードの隙間から鋭い視線が向けられる。
「……そうだ」
もちろん嘘だ。
後ろの草陰には女性が隠れている。
「一つ聞きたい事がある。ビズをやったという奴は貴様か?」
「ビズ……?」
脈絡もなく出てきたその単語は、聞き慣れないものだった。
「金髪の男だ。この辺りは奴の管轄だったのだが……どういうわけか、そのビズが、誰かにやられたみたいでな」
……金髪の男。間違いなく昨晩の男の事だった。
そして、その男をやったというのも自分だ。
だがここで、『はいそうです』なんて言うほど、僕も馬鹿じゃない。
「……何のことやら」
当然しらを切る。
「まぁいい。帰ったらじっくりと聞けばいいだけの話だ」
そう言うと黒装束は突然、準備運動のように両手首をプラプラとさせ、
「さっきの男同様にな――」
次の瞬間、ものすごいスピードで、こちらへと突っ込んできた。
「な!?」
まさに一瞬、数十メートルあったはずの距離を一気に詰められる。
「遅い」
ひるがえすようにして、放たれる裏拳。
「がっ!?」
さらに間髪入れずに飛んでくる回し蹴り。
「ぐあ!」
まさに為す術なく。
僕は体勢を崩し、地面を転がっていく。
「ふむ、やはり魔力の反応を微塵も感じられない。こいつもさっきの男と同じ、向こうの人間か」
なにやら小道具のようなものを手のひらの上に乗せ、一人呟く黒装束。
それは小さなコンパスのようなものだった。
「さて……」
やがて黒装束は、それをポケットにしまうと、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「最近お前らが、ここで何をしているかは知らぬ」
黒装束は僕の胸ぐらをつかみ、そのまま持ち上げる。
いくら僕の体重が軽いといっても、片手で人を持ち上げるなど、もはや常人の域ではなかった。
「だが運が悪かったな。お前はここで終わりというわけだ」
「う、ぐ……」
まさに絶体絶命。手も足も出ない状態。
でもどうせ、ここでやられるぐらいだったら――。
「う……」
「何か言ったか?」
「う……うおおおおおおおお!」
僕は叫びながら、まるで駄々をこねるように、手と足を乱雑に振り回し暴れる。
「なっ!?」
驚いた黒装束がとっさに手を離す。
チャンス到来、この際相手が女性だからなんて言ってる場合じゃない。
間髪入れず、僕は黒装束に向かって、右ストレートを打ち込んだ――。
「っ!?」
――はずだった。
けれど、その右ストレートが対象を捉える事は無かった。
いないのだ。さっきまで目の前にいたはずの相手が。
「調子にのるな」
その声はふいに、後ろからやってきた。
「なっ……!?」
振り向いた時にはもう遅かった。
「少し――眠っていろ」
「がはっ!?」
みぞおちに激痛が走る。
黒装束の拳が、容赦なく腹へとめり込んでいく。
「かはっ……!」
呼吸が一瞬止まった。
僕は耐えきれず、そのまま地面へと崩れ落ちていく。
「う、ぐ……」
急激に意識が遠のいていく。
まるで深いぬかるみに沈んでいくような、抗いようのない感覚が僕を襲う。
「ああ――そうだ」
薄れゆく意識の中、黒装束の声が子守唄のように頭の中に響く。
「――今から連れて行く。ああ、あの牢獄だ」
とうとう僕の意識は途絶え、強制的に世界との接点が絶たれた。