29話 廃墟の街 (1)
冷や汗が一筋、頬を伝う。
徐々に焦りが増していき、緊張は最高潮へと達しようとしていた。
「はぁっ……! はぁっ……!」
僕は今、自宅を目指し、帰路へと着いたはずだった。
にも関わらず、どれだけ歩こうと、いっこうに到着しないのだ。
本当は少し前からこの異変に気づいていた。
それでも信じたくなかった。
「なんで、どうして――」
暗闇の中、僕は一人こぼした。
もはや涙目だった。再び降り掛かった、この絶望的状況に。
頼みの携帯もやはり電源が入らない。周囲を見渡すも人の気配は感じられず。人が住んでいる気配すらもない。
僕は手探りで何かを探すように、暗闇の中を進んでいくが、どこまでいってもそこは寂れたスラム街でしかなかった。
「はぁっ……はぁ……」
気がつけば公園からだいぶ離れた場所まで来ていたようだ。
息を切らしバテバテになった僕は、ひとまず近くのブロック塀へと寄りかかる。
徐々に呼吸も整い、冷静を取り戻した僕は、改めてこの状況を整理し始める。
……ここはおそらく、遊木が言っていた都市伝説の中に出てくる――もう一つの世界だ。
いや、今はそんな事はどうでもいい。問題はどうやったら元の世界に戻れるかだ――。
思い返せ――。僕は数十分前、どうやって元の世界に戻ってきた――?
「……公園」
脳裏をよぎる、見慣れたあの近所の公園。
僕ははやる気持ちを抑えきれず、急いで来た道を引き返していく。
幸い、道は一本道。それに街灯だってある。よほどの方向音痴でも迷うことはほぼないだろう。
そうして僕が引き返し間もなくして、無事先程の公園へと到着する。
「さすがに……いないか」
当然というべきか、そこに遊木の姿はなかった。
でも今はそれよりも――。
「ゴクリ……」
生唾を飲み込む。
僕はゆっくり、そして大きく一歩、公園へと足を踏み入れた。
そして鼓動が高鳴る中――ゆっくり振り返るとそこには――いつもの日常が――。
「あ、れ……」
――1ミリたりとも存在していなかった。
ようするに僕は今も変わらず、非日常の渦中に立っていた。
でもどうして。さっきは公園に足を踏み入れた瞬間、元の世界へ帰ってこれたのに。
「はぁ……」
とうとうどうしていいか分からなくなり、僕はふらついた足取りで入り口近くのベンチに腰掛けた。
「……」
もはや思考は停止していた。心なしか、夜風がよりいっそう寒々しく感じる。
結局何の進展もないまま、かれこれ5分ほど経った頃だろうか。
僕が依然頭を悩まし続けていた――その時だった。
「誰かっ――!」
聞こえてきたそれは、女性の悲鳴にも近い声だった。
距離もそう遠くない。というか、こっちに向かってきているようだ。
……どこかに隠れないと。そう思った僕は、とっさに目に入った草陰へと身を投じる。
そうして僕が身を潜めて、すぐのことだった。
「誰か……助けてよぉ……」
涙目で公園内に駆け込んできたのは、僕と同い年ぐらいの女性だった。
女性はやがて走ることをやめると、うなだれるようにしてベンチへと腰掛けた。
すると続けざまに、
「なんだよ~逃げなくたっていいだろ~」
女性を追うようにして現れたのは、いかにもガラの悪い金髪の男だった。
華奢な女性と比較すると、そのガタイの良さが更に際立っていた。
「なぁ~頼むからおとなしく捕まってくんねぇかな」
男がおびえる女性の元へと歩み寄っていく。
「や……こないで!」
女性は明らかな拒否反応を示す。
だがそれでも男は女性の手を無理やりに取り、
「いいからこいよ、な? あいつみたいに痛い目合いたくないだろ?」
その一言に女性はビクッとすると、うなだれるようにして無言でうつむいてしまった。
さっきまであれだけ抵抗していた女性は、今や完全に無抵抗状態だった。
「ほらほら、自分で歩いてくれよ」
まさに男の言われるがまま。その光景はまるで親に手を引かれる子供のようだった。
そんな光景を草陰から眺めていた僕は無力感と、少しの罪悪感にさいなまれていた。
……でも、これはどうしようもないことだ。
誰だって自分の身が一番大事だ。第一、僕がここで出ていって何ができるというのか。
「ふぅ……」
女性と男がいなくなった事を確認した僕は、ゆっくりと緊張をほどいていく。
これからどうしようか、なんて悠長な事考えてたけど、そうも言ってられないみたいだ。
ヘマをすればあの時の不良二人組や、今の女性みたいな目に合ってしまう。
奴らがなぜ、僕らを狙うのかは分からない。だが奴らとエンカウントしたらアウトだという事は嫌というほど理解できた。
「それにしても……」
結局のところ、これからどうしていいのか分からない。
僕は今更ながらに小さく後悔をしていた。
あの女性をもし助けていれば――と。
はたして、僕の選択は正解だったのだろうか。もっとやりようがあったのではないか。
……だがどれだけ心の中で問いかけようと、答えが返ってくることは無かった。
「……そんな事、誰にも分かるはずもないか」
過ぎ去った後悔をかなぐり捨て、僕は足早に公園を後にした。