18話 立入禁止区域 - ガウント - (1)
今、僕の目の前には、どこまでも荒廃した灰色の世界が広がっていた。
一言でその景色を表すならば、瓦礫の荒野とでも言うべきか。
「さて、と。じゃあ手っ取り早く済ますか」
寒々しい空の下、彼女は地図をポケットへとしまう。
「あの……自分は何をすれば?」
「……お前は余計な事をせずに、ただついてくるだけでいい」
……じゃあなんで僕を連れてきたのさ。
どこか腑に落ちないまま、僕らはこの荒廃した灰色の世界を歩き進んでいく。
――――――
かつて、ここには町があったのだろうか。
人こそ見当たらないが、瓦礫の中には、ところどころ生活していたであろう形跡が見られた。
それでも、もはや見る影もないが。
そんな荒廃しきった地をかれこれ10分は歩き続けただろうか。
いい加減、このどんよりとした空気が、息苦しくなってきた頃だった。
「――帰りたいか?」
ポツリ――と何かが聞こえたような気がした。
「え?」
思わず声に出して聞き返す。
すると、前を歩いていた彼女が、いきなり僕の方へと振り向き、
「お前は元の世界へ帰りたいか? と聞いているんだ」
そう問いかけてくる彼女の表情は、どこか神妙な面持ちだった。
なぜそんな事を今聞いてくるのかは分からないが、
「そりゃあ、帰れるなら帰りたいさ」
だけど僕は、ここで気づいてしまう。
「……なぜ帰りたいのだ?」
そうだ。どうして僕は――元の世界へ帰りたいんだ?
「どう……して?」
考えれば考えるほどに分からなくなる。なぜ僕は、元の世界へ帰りたがっていたのか。
だってそうだろ。もはやあの世界には、未練など残っていないのだから。
「……大丈夫か?」
彼女が心配そうに、顔を覗き込んでくる。
「君は――」
僕が言葉を紡ごうすると、
「……メディン=ジオラス……それが私の名だ。メディンでいい」
僕はそこで初めて、彼女の名前を知る。
そして再び問いかける。
「メディン……僕はどうしたらいいと思う?」
分かっていた。そんな事、他人が分かるはずもないと。
だがそんな問いにメディンは、
「……別に今すぐに決めなくてもいいんじゃないか?」
それは今まで聞いたことのないような、優しい物言いだった。
「そうか……。そうだよね……」
そんな、メディンの何気ない一言に、僕はなんだか救われたような気がした。
「とにかく今は、依頼を終わらせるのが先決だ。考えるのはそれからでも遅くはないだろう?」
そう言ってメディンは再び歩み出す。
僕はそんなメディンの後ろ姿を、慌てて追いかけていく。
――――――
――――
――
―
この灰色の世界を歩き始めて、かれこれ20分ほどが経った頃だろうか。
そろそろ僕の疲労がピークに達しようかと思われた時だった。
「そこの建物が怪しいな」
そうやってメディンが指差した建造物は、この瓦礫の荒野では珍しく、綺麗に建物としての形が残されていた。
「……見てみるか」
建物の中へ足を踏み入れていくメディン。
僕は慌てて、その後をついていく。
「見つけた……!」
瓦礫の山から、メディンが何やら石のようなものを拾い上げた。
それはどっからどう見ても、ただの銅色の鉱石にしか見えなかった。
「それは?」
興味は無いが、一応聞いてみる。
「オールドメタル、ここでしか取れないとされる鉱石だ」
「へぇ……」
石の希少価値なんて僕には分からないけど、まぁ貴重な物なんだろう。
なんにせよ、これでようやくこの場所とおさらばできる――と、僕がそう思った時だった。
「おや? おやおやおやぁ? メディンさんじゃないですか~?」
背後からふいに、少女の声が飛び込んでくる。
「っ!?」
振り返るとそこには、いつの間にか、僕らより一回りも二回りも幼い、着物を着た少女が立っていた。
緑色の着物をまとった彼女は、この灰色の世界では不自然なほどに浮いていた。
そんなミステリアスな少女を追うようにして、
「なになに、どうしたのルーリー?」
続けざまに現れたそれは、またしても着物を着た少女だった。
唯一違う点は、着物の色が青色。ただそれだけだった。
彼女らは双子だろうか。着物の色が違わなければ、見分けがつかないほどに瓜二つだ。
「あぁフィリア。みてみて、そこにメディンがいたんだ~」
「うわうわ本当だ~」
一見すれば、それは無邪気な光景だった。
だがなにやら、さっきからメディンの様子がおかしい。
「……ルーリー、フィリア。……なんの用だ」
メディンの声色が穏やかじゃない。
「なにってそりゃあもちろん、オールドメタルを探しによ。ねぇフィリア?」
「そうそう。じゃなきゃ、こんな辺境の地に来ないっての。ねぇルーリー?」
なるほど。なら僕らに害をなす存在ってわけでもなさそうだ。
だが安堵したのも束の間、目の前の少女達は、とんでもない事を言い出す。
「でも、もう探すの疲れちゃったー。でも偶然! 見てフィリア! メディンがオールドメタルを持ってるよ!」
「わぁほんとうだねルーリー! きっと私達のために、わざわざ見つけてくれたんだね!」
な――!?
「何を言って……! これは、こちらが先に見つけた物だ!」
僕の心の声を代弁するようにメディンが言う。
すると少女達は、人を小馬鹿にしたような口調で、
「あれあれ? D級のメディンがC級の私達に逆らってるよ、どうするフィリア?」
「そうねえ。じゃあ無理やり奪っちゃおっかルーリー!」
そしてそれは、少女の声を合図に始まった。
突如、周辺から地鳴りが起こり、足元が大きく揺れ始めた。
だが揺れは数秒ほどで収まり、僕は肩を撫で下ろそうとした――その時だった。
「いっけぇ~!」
少女の声と共に、突如地面から、数十メートルはあろう、大きなツタが姿を現した。
僕が驚き戸惑っていたのも束の間、それは薙ぎ払うようにして、メディンへと襲いかかった。
「ぐあっ!」
「メディン!!」
とっさに反応できず、そのまま壁に叩きつけられるメディン。
「やったー! 捕まえられたよ、フィリア!」
「やったね! これでオールドメタルゲットね、ルーリー!」
飛び跳ねて喜ぶ二人の少女。
「……っ」
どうしよう、なんとかしなきゃ、そんな激しい焦燥感が僕を襲う。
しかしここでは『何もしない』という選択こそが、正解ルートだ。
なぜなら、僕がここで出しゃばった所で、なんら状況は変わらないからだ。
……あぁ分かってる。ここで立ち向かう事が、どんなに愚かって事ぐらいも。
でも、それでも僕は――。
「じゃあさっそく、オールドメタルを奪っ――」
「ま、まてぃ!」
情けない裏声が響き渡る。
僕はそこで、もう後には引けない事を悟る。
「……ん? あれあれ、見てフィリア! よく見たらそこにゴミがいるよ!」
「わぁ本当だねルーリー! ゴミだから気づかなかったよ!」
少女達は一斉に罵声を浴びせてくる。
だが、僕もここで引くわけにはいかない。
「えーと……ここは穏便に話し合いで解決を……」
格好悪いのは分かっている。
でも、勝ち目がゼロである以上、こうするほかないのだ。
「ば、ばか、やめろ! オールドメタルはやる! だから――」
背後でメディンが叫ぶ。
だが二人の少女は、そんなメディンを見ようとすらしない。
「魔力ゼロのゴミがなんか言ってるよ、フィリア?」
「そうね。面倒だから壊しちゃえ、ルーリー!」
再び、周囲で地鳴りが鳴り響く。
足元が横に大きく揺れ、僕は体勢を保つ事で精一杯の中、
「ちょっとまっ――」
突如、僕の足元から巨大なツタが出現し、それは僕の体を拾い上げるようにして、持ち上げてしまった。
「はな、せ――!」
僕は必死にツタから抜け出そうとする。
だがどんなに暴れようと、巨大なツタは僕の体にまとわりつき、がっちりと固定されていた。
「いつまでもつかな~?」
まとわりつくツタが、僕の体を徐々に締め上げていく。
「ぐ、あ、あ……」
体のあちこちから、嫌な音が聞こえてくる。
苦しい。骨が砕けそうだ。というかもう砕けてるかもしれない。そう思うほどの激痛。
「や、やめろルーリー!!」
メディンが叫ぶ。だが少女達はすでに興味を失ったのか、見向きもしない。
「見てみてフィリア! ゴミが苦しそうにしてるよ!」
「本当ねルーリー! ゴミも苦しそうにするんだね!」
「く……はっ……」
締め上げられ、思うように空気が吸い込めない。意識も朦朧としてきた。
もう限界だ。
「ねぇねぇフィリア。こいつもう動かなくなっちゃったし、壊してもいい?」
「そうねぇルーリー。このオモチャはもうダメみたいだし、壊しちゃおっか」
そして無慈悲な宣告が告げられる。
「じゃあ、さようなら――!」
「やめろォ――!」
メディンの声がこだまする中――巨大なツタは容赦なく僕の体を一気に握りつぶした――。
「……っ!!」
――はずだった。
そう、僕はこのままツタに握りつぶされ、死ぬはずだった。
しかし、そんな最悪な結末は、まさに直前のタイミングで、回避される事となった。
誰も予想し得なかったある物の妨害によって
「な、なに、この音は!?」
突如、この場に鳴り響く、軽快な電子音。
その音の出処は、なんと僕自身――ポケットの中からだった。
そして、その音を僕はよく知っていた。
なぜなら、その音の正体は――肌身離さずに持ち歩いていた、スマートフォンからなるものだったからだ。