03話 帰還
程なくして、それは拡大望遠をしなくとも、はっきりと見えるようになってきた。
虚空に浮かぶ巨大な建造物。少なくとも、その全長100km以上。
それを俯瞰して見るならば、先が二つに分かたれた一隻の船のように見えるだろう。
船。それは確かに船だった。宙を駆ける―――超大型宇宙船。
重機動要塞バーガベイド。
それが俺の、今の、住処だった。
その近付くほどに、押しつぶされてしまいそうな重厚な威容。圧倒的な量感。
初めてそれを外から見たとき、俺は笑ってしまった。あまりにも、それは、現実離れしすぎていて。
そして―――ここが元居た俺の現実ではないと、教えられた気がして。
これほどの巨大な構造物でありながら、要塞と言いつつも同時に宇宙船と呼んだように、自力航行も可能だった。
その背後に回れば、並の宇宙戦艦ならばすっぽりと収まるほどに大きな、四基のエンジンが上下二基ずつ配置されているのがわかるだろう。
とはいえ、少なくとも俺がここに来て1年。
その間、俺の知る限り、この要塞はこの位置から動いたことはない。
恒星X33を主星とするダリアナガン恒星系。その最外縁部をゆっくりと軌道にそって流れているのみだった。
ダリアナガン恒星系は、居住可能なダリアナガン第二惑星を持つ、かつてこの付近を領有するとされた、巨大な版図を有する星間国家ヴァガー帝国の最辺境恒星系だった。
そんなダリアナガンを含む恒星系全体が、『敵』の攻撃を受け、その全域を奪われたのがかれこれ100年ぐらい前。
その後、帝国はこのバーガベイドを含む三隻の宇宙要塞を派遣し、それ以来延々と『敵』と戦い続けている、という状況だった。
つまりこのバーガベイドは少なくとも100年は戦い続けている老兵だった。とはいえ、地球の常識の通じない宇宙空間のこと。それが長いのか短いのか、俺にはよくわからない。
機体は自動航法の指示に従い、ドッキングに向け減速しつつ、バーガベイドの上面に出て、そのまま後方へと進む。
暫く進むと、バーガベイドのドックが見えてくる。
そこは、戦闘艦艇を含む、無数の宇宙船の係留場所だった。もちろん、ドックと言うぐらいだから同時二十隻ほどを完全収納し、補修可能な工廠も持つ。
と言っても、そこに居る少なく見積もっても五十隻を超える艦艇群は、別に常時補修が必要というわけではない。壊れているわけでもないのにドックに入渠させる必要も無いので、そうした船は、外に係留されているという状況だった。
その様は、SF映画でよく見る宇宙港という有様だった。つまり、言ってみればバーガベイド港ということになる。
その港に、機体は滑るように進入する。
そして大小様々無数にある艦船群の一つ、全体からすれば小振りなくすんだクリーム色の船へと近付いていく。
船の名前はハクロオド。わからないなりに見ても古いと直感させられる外観を持った、旧式工作船だった。
スラスターを小刻みに噴かしながら、機体はハクロオドの横にぴたりと停止した。
程なくして、船体の一部が大きく口を開けるように開き、中からドッキングアームが迫り出す。それは俺から見ると丁度真上、機体上部に接続し、そのままアームごとハクロオドの船体へと引き込まれた。
この間、全て自動だった。
実際、このドッキングは恐ろしく精度の高い操作を必要とされるため、不可能とまでは言わないものの、実際手動でやるともの凄く疲れる。
一度だけ、手動を試したことがあるが、機体をハクロオドにぶつけそうになるわ、ドッキングアームが上手く接続しないわで散々だった。それ以来、変な意地を張らずに、全部自動航法任せにしている。
機体が収納され、船体が閉じると辺りは真っ暗になり、それから間を置いて船体内照明が灯った。
同時に電子音が、自動航法の全てが完了したのを告げる。
それを待って俺は機体との神経接続を切断した。
「ふ、う」
それまで機体そのものだった俺の意識は、一気に体へと呼び戻される。その目眩のような感覚は、いつまで経っても慣れない。
同時に、完全に密封されたキャノピータイプのハッチが跳ね上がり、そのコックピットに殆ど埋まるように俺を拘束していた接続機器類が外れた。
俺は機体からズルリと体を引き出し、床に降り立つ。
「シュリ、お帰り」
途端、正面から声を掛けられた。誰かは、無論確認するまでもない。タイカだ。
「おう、ただいま。タイカ」
俺はそう言って、目の前の、車椅子に座った少女に目を向けた。
その車椅子は、俺の知るそれとはかなり見た目が違うものの、椅子に車輪が付いているという点では、車椅子と呼んでも差し支えない代物だった。何よりも、そこに座る少女が確かにそうした椅子に座るに相応しいとなれば尚更だった。
少女に両足はない。
確かにそこにあるべきだったのだろう両膝の下には、極めて簡単な義足が取り付けられているだけだった。
少女に片腕はない。
左手に当たる場所には、肘の上ほどから同じようにすぐに作り物とわかる簡素な義手が生えている。
だが、それらを加味してなお、少女には十分過ぎる魅力があった。
燃ゆるような赤く大きな双眸には、挑戦的に吊り上がりながらも弛まぬ知性の光があり、黄金色と呼んで差し支えない豪奢な髪は、彼女の美しさを、或いは可憐さを際立たせる。
その髪に隠れながらも見える彼女の顔立ちは、幼いながらも同時に美しいと感じさせる整ったものだ。
―――たとえその、彼女をして最も目を引く黄金の髪から、二本、漆黒の角が生えていたとしても、だ。
彼女の名前はタイカ。紛う方無き宇宙人にして、現在の俺の主人でもある。
「遅かったじゃないか。私を待たせないで欲しいよ、シュリ。レーザーはちゃんと持って帰ってきたのだろうね?」
ニヤリと笑った口が開いたと思ったら、開口一番にそんなことを言われた。そこは普通まずは労いの言葉だろうなどという常識は、この少女には通用しない。
それがわかっている俺は、特に気にせず背後にある機体を指さした。
「当然。ついでにお土産付きだ」
「うん?なんだ―――新型についてたトゲじゃないか」
今、駐機する機体の下、床に、再取り付け出来なかったレーザーと、例の真っ赤なトゲが転がされている。
タイカはそれを俺の横から覗き込み、にへらと笑った。
件の新型をクローで粉砕した後、俺はその破片から、砕けていないトゲを探し出し、作業用のマニピュレータで回収していた。勿論、その後パージし、宇宙空間を漂っていたレーザーも回収したが。
「ふんふん。なるほどなるほど……シュリ、面白いものを拾ってきたんだね」
タイカは拘っていたレーザーなど目もくれず、その赤色のトゲをしげしげと眺める。
彼女は科学者で、そしてエンジニアだった。科学者はともかく、こんな態でエンジニアというのも不似合いなのだが、車椅子に装着された数本のマニピュレータを器用に操作し、大抵のものは作ってみせる。
その腕前は、かなりのモノだ。初めはそれが、ここの普通などと俺は思っていたが、この一年で、そうではなくバーガベイドの無数に居るエンジニアの中でも、上から数えた方が早い位置に彼女が居ることを思い知った。
そして科学者としても、実力は確かなものだった。
科学者にして、エンジニア。大抵のモノは作れると彼女は豪語するが、それは嘘でも冗談でもないことは、俺は良く知っている。そもそもこの機体ストレガを作ったのも、彼女なのだ。
「ああ、かなりの高出力の粒子ビームを放ってたもんだから。それに新型だしさ……なんか持って帰ったらタイカ、喜ぶかと思って」
実際こうしたものが好きだろうと、何となく思い、持って帰ったものだった。勿論、言葉通り、タイカだったらひょっとするとストレガで使える武器に転用してくれるかもしれないという心算もあったが。
「な……なんだい。全く、シュリは私をのせるのが本当に上手なんだからな……どうせ、これをストレガで使えるようにしてくれって言うんだろう?……ホントに全く、主人を主人と思わない奴だな、シュリはっ」
それを聞いたタイカは、台詞は不機嫌を装いながらも、まんざらでも無さそうに車椅子を動かし、俺に近寄ってくる。
「……ま、でも仕方ないなー。確かにあれは私も興味がある。載せる努力を、一応、してみることにするよ。でも、まあ」
俺を見上げる程に近付いたタイカが、上目遣いに俺を見てにやりと笑った。
「シュリの支援と、待ってた時間で、私は疲れた。今日はもう休もうじゃないか」
だったら待って無くとも、良かったのに。
なんて、野暮なことは言わない。
「うん、待っててくれたんだよな。ありがとう。タイカ」
代わりに、俺はタイカのその矛盾した行動に、素直に礼を言った。
すると、さっきまでの余裕ある笑みを消して、俺をその大きな目を見開いて見つめながら口を真一文字に結ぶ。
「……シュリ」
「うん」
「その、なんだか、車椅子と義足の調子が悪いんだ。だから」
「ああ、うん」
その何時もの彼女の台詞に、俺は吹き出しそうになるのを堪えながら、そうするのが当然と言わんばかりに、彼女を車椅子から横抱きに抱え上げる。
重さはほぼ感じない。
彼女自身が軽いこと、それと今の俺ならば、彼女一人を抱える事など造作も無いことが、その理由だった。
「わ、わ。びっくりするじゃないか。何か言ってから……頼むよ」
抗議の声を上げながら、でも隠しようがないほどに嬉しそうなタイカ。
それは以前、本当に車椅子と義足が故障した時、床に這い唾って泣いていた彼女をそうしたのが切っ掛け。
それ以来、多分彼女のお気に入りだった。
彼女は角が生えた宇宙人で、両足と片腕がなくて、だけど俺の主人にして第一級の科学者でエンジニア。
そして、意地っ張りで、素直でなくて、寂しがり屋で、気が弱い……ただの女の子だった。
俺は喜色を隠そうともしないどころか、俺の固い胸に頬を擦り付けてにやにやとだらしなく笑う彼女を抱えたまま、格納庫を後にした。
このバーガベイド港にある艦船の中でも比較的小さい方と言えど、二人で住むには、ハクロオド船内は十分過ぎるほど広い。
航行を含む殆どの装置が自動化しているとはいえ、そんなこの世界の常識に従って尚、こんな少人数で船を動かすなど、殆ど有り得ない話に近い。
それどころか、このハクロオドは俺がここに来る前からタイカが所有していた船だったらしいが、俺が来る前は、タイカたった一人で住んでいたのだという。
その理由は、未だに俺に教えてはくれない。
聞くと、何時もはぐらかすからだ。
ただ、そうであればこそ、俺はどうしても、そのタイカの体と、そして性格とを考えて、色々想像してしまう。或いは、彼女の周囲を取り巻く状況と。
ともすれば、それは彼女にとって、凄く繊細な部分なのかも知れない。だから、今はもう触れないようにしている。
そんな感じで、そこに何の理由があったのかわからないけれど、多分、寂しくはあったのだろう。
そんな彼女は、今日も少し哀しそうな顔で眠る。
運んだ先の、彼女の部屋。大きなハクロオドの船内、小さな彼女の部屋。意外にも小綺麗なそこの、ベッドの上。
端正な眉をひそませて眠る彼女の頭を、俺はそっと撫でた。そうすると、彼女の悲しそうな顔が少しだけ緩む。
俺と、タイカが出会う前、タイカは一体何年をここで一人、過ごしたのだろう。
そう思えば、俺がそうするのは、如何にも何でも無い当たり前のように思えた。
「ん……う」
寝返りを打つ彼女が、俺の手を取り、そしてその胸に引き寄せる。ぎゅっと掴んだ手が、小さく震えるのがわかった。
起きているわけじゃない……と思う。多分。
ただ、これで俺は寝れなくなってしまった。
もともと寝る必要は無いのだが、でも今日はタイカに付き合って、ここに居るのも悪くないのかも知れない。偶にはこうした時間も必要だ。彼女にとっても、俺にとっても。
自由な片手を目の前にもってくる。
その手は、元の俺の手ではない。それはきちんとした人間の手であるように見えながら、驚くほど滑らかで、そして同時に無機質な感じでもある。その感じは、石膏の彫像に見るそれに似ていた。
軽く拳を握ってみるが、自分の意思でそうしながらも、どことなく違和感がある。
手を裏返してみると、染み一つ無いその甲に、四角く線が入っている。
俺は険しい顔でそれを見ながら、ぼそっと言葉を発した。
「メンテナンス。左、マニピュ」
すると、線が入っているだけだったそこが、外に向かってぱっくりと開く。
その中には、肉も、血管も、骨もなかった。
あるのは、無数の配線。それからシリンダーの類い。
平たく言えば、そこにあったのは機械の類いだった。
「ふう」
ため息を着く。わかっているが、見る度に、それは悪夢のように思えた。
当然、手だけではない。俺の体は、奥の奥までぎっしりとこんな機械が詰まっている。
つまり、俺はロボットだ。
こうして見える手だけではない。肘や肩、腰、足。そのあたりは、わざわざ開いて中を覗かなくとも、外から一目見て、俺が機械だということがわかる。
肌ではない、硬質で、そして明らかに生態のそれではない艶のある漆黒の金属。それが体の所々に埋め込まれ、或いは、覆っている。
如何に人間に似せてても、中身にあるのは機械の塊。
きっと脳みそまで機械なのだろうが―――でも少なくとも今は、それを気にしたりはしていない。
機械であっても、俺はここに居る。
思う心さえあれば、この中にあるのだろうタマシイだけは、間違いなく俺だと言う事は、わかっているから。