幕間1 タイカ01
その日、私は、大切なものを無くした。
私の、兄。
私の、腕。
私の―――
それは突然だった。
私達の乗った恒星間宇宙船が、『敵』に襲われ、それまで『敵』の存在など全く知らなかった私達の船は、抵抗する間もなく、あっという間に撃沈された。
私は、その歴史的ともいえる事故の、唯一の生き残りとなってしまった。
私は、忌み子として生まれた。
生まれた私には、もともと両足が無かった。
私には兄が居たが、父様と母様は両足無く生まれた私を愛してくれることは無く、専ら兄を溺愛した。
寂しくて。
辛くて。
愛して欲しくて。
子供にとって、親って特別なもの。
近くに居て、当たり前のように子供に愛を注いでくれる。
それは、私がどこかに見る当然の光景で、でも決して私が得られるものではない。
何故なんだろう。私に両足が無いのがいけないんだ。
でもどうしたらいいんだろう。私はどうしたらいいんだろう?
そんな答えは、どこにもない。誰も、教えてもくれない。
兄は私に優しかった。
それはもしかすると、哀れな私を同情するそれだったのかも知れない。
でも何もない私は、それに縋るしか無かった。それが、私のたった一つだったから。
両親はそれが気に入らないようだった。
優秀で大切な兄に纏わり付く、持つべきものを持たざる、忌むべき私。
両親にとって、悪いのは誰なのか、それは明白だった。
だけど、私には兄が居る。
きっと何時かは両親だって。
そうした夢を見なければ、縋らなければ、現実に堪えられない。
誰かを見るのが、辛い。
その誰かには、両足がある。
その誰かには、愛してくれる両親が居る。
私には、当然あるべきそれらが無い。
多分、もし兄が居なければ、私は世の中のなにもかもを呪っただろう。
それでも月日は巡る。
私が生まれて10年目の日。兄は私を連れ出して、旅行へ行こうと誘ってくれた。
車椅子なのは仕方ない。私はお気に入りの服を着て、自分の意思では一歩も出ることが出来なかった部屋から、家から、連れ出された。
車椅子を押されながら、着いた先は宇宙港。そして当然のように宇宙船に乗る。
どこにいくんだろう?わからないけれど、初めて見る宙の様に、或いは隣に座り微笑む兄に、それが嬉しくて、はしゃぐ私は、何も疑問に思わなかった。
そんな私に兄は優しく私の名前を呼んだ。
『タイカ』
たった一言。それが。
兄の。
最後の。
言葉だった。
生き残った私は、そして、さらに失った。
それは、夢だった。
兄を失ったと知った私は、もちろん悲しかった。
だけど、心のどこかで、こう、思った。
兄が、居なければ、両親は私を愛してくれるのかな?
それは、ずっとずっと、心の片隅にあったもの。
嫉妬。
私が貰えない全てを持った、兄への嫉妬だった。
それは、優しいとかそうでないとか関係なくて、近くに居て何時だって羨む、決して私が得られない全てを持った者を見続けた私に宿る、くらやみだった。
いっそ、兄が優しくなければ良かったのにと、何度思ったかはわからない。
もしそうなら、世の中の全てを呪うことが出来るのに、と。
そんな兄は、死んだ。居なくなった。
私はその感情に戸惑いながら、でも、どこかで期待した。もしかしたら、と。
でも、その罰は、すぐに私に下された。
両親は、私に言った。
『お前が死ねば良かったんだ』
夢は、夢でしか無かった。縋ったそれは、あまりにも儚くて。
兄を失い。
今、両親を失い。
夢を失い。
腕を失い。
私は、全てを失ってしまった。
それでも私は生きることが出来た。
何もかも失ったはずだけど、社会が、その唯一の生き残りの、私を生かした。
私はその時、全部失ったと考えていたけれど、様々な、僅かな繋がりが、私を生かしてくれていた。彼、彼女らは私を思い、色んな事をしてくれた。
だけど、私はそれに感謝することも出来なかった。
なぜなら、そんな繋がりを、私はまた無くしてしまうのが怖かったから。
生き残ったものの、私は自分がこれからどうしたらいいのか、わからなかった。
あるのはただ、失ったものへの大きすぎる喪失感。
そして―――未だにその存在が謎な『敵』に対する憎しみだけ。そう思わなければ、そうやって自分を誤魔化さなければ、私は壊れてしまいそうだったから。
だけど、その憎しみを、どうしたらいいのかわからない。
何もかも失ったと思っていた私は、その手段を考える事も出来なかった。
―――何時、そう思うようになったのかは、わからない。
それはきっと、あの箱を受け取った日からなのだろう。
その箱は、不思議なものだった。大きさは片手に乗る程度。装飾も無くて、くすんだ地金の、でも何の金属で出来ているのかぜんぜんわからない箱。
それは、ソウル・リレーション・システムだと、その人は語った。
ソウル・リレーション・システム。
それは、人格を―――意識を形成する装置。ある種の、AI。
それを使って、戦いなさいとその人は言った。
それを元に、戦う手段を組み上げ、そして『敵』と戦え、と。
その人が、一体何の目的で、私にそう言ったかはわからない。
だけれど、それは生きる意味すらもわからなくなった私にとって、それは新しい目的として、与えられた。
そう―――戦うんだ。
復讐、するんだ。
私からなにもかもを奪ったあの『敵』に。
その日から、私はその手段を組み上げる事に躍起になった。
科学、工学、色んなものを学習しながら、少しずつそのS・R・Sを中心に、身体を、四肢を、組み上げていく。
同時に、にわかに始まった『敵』の攻勢に対抗し、戦闘を繰り返す軍の情報も集めていく。
―――永い年月の果て、私は漸く、S・R・Sと擬体を組み上げた。
その頃には、私はそうした方面で少し知られる存在になっていたけど、そんなことは私にはどうでも良かった。
結局のところ、このS・R・Sが一体何なのか、どうして意思を宿すのか、それは全くわからなかった。
だけど、私は信じた。
全てを作り、そして待った。
そして遂に、私は、彼に、出会った。
彼は、自分を『シュリ』と名乗った。
私は、その宿った『シュリ』が、このS・R・Sの謎を教えてくれるんだと思っていた。
だけど、それは逆だった。むしろ『シュリ』が何も知らなかった。
それどころか、ココが何処かすらもわかっていないようだった。
その頃、『シュリ』の覚醒を待ちながら、『敵』との最前線だった要塞に移っていた私は、その事実に戸惑った。
宿った意思に、戦う意思は、無かった。それは酷く混乱し、私から見ると、わけがわからないことを口走る、謎の存在だった。
でも、私はそれを使って、戦わなければならない。
その為に、永いながい年月を、たった一人で生きてきたのだから。
私は根気よく、『シュリ』に、ここのことを、そして戦わなければならないことを、教えていった。
幸いにも、『シュリ』は、それに対して混乱こそしていたものの、割と順調に仕上がっていった。
戦闘意思『シュリ』そして、空間戦闘機『ストレガ』。
私の戦う手段は、私の復讐の力は、漸く整った。
そんな経緯だったから、私は、『シュリ』を道具として考えた。
逆に、だからこそ、その存在に耐えられたんだと思う。
『シュリ』はロボットで、私はその主人。だから、それは私の物で、私のために戦うのが当然。
確かに、意思らしきものはあるし、私の言葉にも反応してくれる。
でも、機械。私の従属。私の道具。
私のために存在し、私のために戦って、私のために、多分壊れる。
そんな存在。
だった。
だけど。
何時しか、いつ頃からか、私の知らない間に、『シュリ』は、そうじゃなくなった。
それは考えないようにしていたのかもしれない。
そう、思いたくなかったのかも。
優しくて、従順で、何時も側に居て、私のために戦う『シュリ』は、時には厳しくて……私の為に、何時も何かを考えてくれている。
そんな『シュリ』は。
道具なんかじゃ無かった。
従属なんかじゃ無かった。
それを強く思い起こさせたのは、『敵』に要塞近くまで敵に攻め込まれた時だった。
その時、シュリは、ストレガは、私が設置したトゲの爆発に巻き込まれて―――
半壊したストレガが、それでもハクロオドに戻ってきたときの、私の気持ちをどう表したらいいだろう?
戻ってきてくれた。
助けてくれた。
壊れそうだった。
死にそうだった。
失ってしまいそうだった。
そう、何よりもそこで感じたのは、再び失う恐怖に他ならなかった。
道具だって思ってたから、従属だって思ってたから、私はその存在に堪えることが出来た。
でも、違う。『シュリ』は、道具でも、従属でも無い。
シュリだ。
あの日、兄を失ってから、ずっと無くしていたもの。
誰にも渡したくない、失いたくない、私の全て。
私の、私だけの、ずっとずっと、心から欲しかった、たった一つ。
もう、たった一つだけでいい。後は何もかもいらないと、願い続けて手に入れた、私だけのもの。
私は、その夜、怖くて怖くて震えて眠った。
それでも手を握ってくれる、シュリの冷たくて、暖かい手を感じながら。
そして、目を覚まして、私は考える。
深く深く、考える。
二度と失うわけにはいかないシュリを、どうするべきなのか。
どう考えるべきなのか。
どうして、いくべきなのか。
道具でも、従属でもないシュリは、でも戦闘機乗りだった。
止めさせる、べきなのか。
それでいいんだろうか。果たしてそれでいいんだろうか。
そうじゃない気がする。
それは私達の始まりを、それは否定してしまう。
いまここにある繋がりを、否定してしまう。
―――私はシュリが好きだ。
一緒に居たい。何時だって。
例えそれが、機械の身体でも、シュリはシュリだ。
だから、私は一緒にいよう。
彼が戦うように、私も戦おう。
そして並び立って、何時も歩けるように、私は変わろう。
私の為に、シュリのために。
生きて―――死のう。
そう思った翌日、私はシュリにお使いを頼み、一人ハクロオドに残った。
広い、広いハクロオド。シュリが居ないここは、こんなにも広かったのか。
思いながらも、私は私のしなければならないことをする。
S・R・Sには、もう一つの隠された機能がある。
それは、文字通り『繋がる』能力。
S・R・Sのシュリが、例えどんなに―――何万光年離れようと、タイムラグ無く繋がれる機能。
それは、あらゆる法則から外れた戦慄の機能。
でも、それが何故なのかなんて、どうでもいい。そうしたことが出来る、という事実が大切だった。
それを使って私は、このハクロオドと、ストレガ、正確にはシュリを繋いでいる。
そして、今、私を繋げる。
左の義手。
その中に、私は神経毒を仕込んだ。そして、それをシュリに繋げる。
もし、この繋がりが切れたとき、それが私の身体に巡るように機能をセットする。それは直ぐさまに、私の魂を、消してくれるだろう。
もう二度と、失ってしまわないように。
それを、理解する前に。私を。
―――思えば、私は幸せだった。
シュリが生まれて、この1年。
シュリはずっと、私に、幸せをくれた。
それは、多分、私がずっと求めていたものだった。
無くしてしまう恐怖から、ずっと目を逸らしていたものだったんだろう。
幸せ。
多分きっと、ずっとそう。
シュリがいつかある日、ここから居なくなったとき、私も―――消えるんだろう。
幸せ。
ほんとうに、きっと、いつか、私が消えるまで、ずっと幸せ。