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世界に花を、私にナイフを  作者: ササキノボル
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ゆずるのイノシシ突進

  

  第二章


  「ゆずるのイノシシ突進」 

  

  とても長い夢から、相原ゆずるは目覚めた。

  深い森林も抜け、今は高いところに立って、リールムートンホテルを見下ろしている。贅の限りを尽くしたその建物は佇まい、ホテルと呼ぶにしてはあまりにも壮観すぎていた。巨大な敷地面積をとっても、黄金色に輝く外部装飾をとっても宮殿に連想させるけれど、旅人たちの宿屋には連想させない。建物はコの字を成し、オリンポスの神々をモチーフにした噴水彫刻群が中心に囲む。しなやかな曲線で美を映し、己のうちにあるものにだけ忠実な神々、気高く遠くを見据える。その足元から吹き出る泉水、まるで大地に命を吹き込んでいる如く、周囲は鮮やかな植物が我よ我よとばかりに咲き誇っていた。

  なんとも美しい光景。

  見下ろす相原ゆずるは思った。

  リールムートンホテル、まるで水彩で描かれたひとページ。それは不意に花びらの隙間から蜜を集める精霊を見つけてもなんら奇怪に思わせないほど。ふっと曲がった先で、懐中時計に目を落としながら駆け抜けるタキシード姿の白ウサギを、名も知らぬ娘さんと一緒に追いかけてしまうほど魅力的だ。

  ところで。

  これほど美しい光景を前に、相原ゆずるの酷さといったら見るに堪えないものだった。自由気ままなヘヤスタイルはここ何ヶ月も洗髪していないだけで、上半身を包むボロ布、原型をすら留めてないズボン、裾は切り刻まれたかのように破かれ、汚いシミだらけ。そして、右足はスニーカー、左足はビーチサンダル。これはファッションだ、業界で注目を一身に集めた最新トレンドだ!っとでも証言する人がいれば話しは別だが、そうでない限り、これはダンボール中で暮らすホームレス、卑しい物乞いにしか思わせない。だから、相原ゆずるは髪を指ですき、服についた泥汚れもはたき落し、身だしなみに気を配ってから、リールムートンホテルの敷地内へ足を踏み入れた。

 


  ーーーーーーーーーー

 


  リールムートンホテルの一階。

  大理石作りの受付フロント、白いタキシード姿の初老な男が一人、革張りのふわふわ椅子に座っていた。大きなサングラスをかけ、白髪でオールバック、淡い口ひげ、精悍な顔立ち、洗練された品位と男性特有な屈強さをほどよく演出している。この人こそが、リールムートンホテルの総支配人、カンジアゴ松本。今日も穏やかな午後に背伸びし、クラシック音楽と暖かい飲み物を満喫していた。

  リールムートンホテル。

  それは名前ばかりな存在、俗で言う 一般営業は行われない。このホテルのサービスを利用できる人間はほんの一握り。それも厳選に厳選を重ねた末、ホテル側によって招待するのみ。それ以外はどこのどいつだろうと関係なし、一切の申し込みを受け付けない。そして、その徹底っぷりに逸話もまつわるほど。

  それは、とある石油大富豪の話し。

   リールムートンホテルからの招待状が欲しさに、石油大富豪本人が直々と出向き、黄金の山を積み上げたという。しかし、それでも断られてしまった。面子を潰され、ひどく腹を立てた富豪は声を荒げ、戦争を仕掛けてやる!っとまで壮語した。だが結局、なにもなかった。その後のことについていろんなエンディングがある。大物の斡旋が入って怒りを沈めたとか、ホテル側が負けを認めて融通を利かせたとか、双方が殺し屋を雇って殺しあったとか。いずれにせよ、例の石油大富豪は二度と表舞台へ現れなかったのもまた一つの事実。

  かつで、ホテルの総支配人、カンジアゴ松本が取材に応じた時に語った言葉。金で買える物に値打ちなどなく、偽りだらけな渦中に唯一な真がリールムートンホテル。どんな深意が含まれているかはさておき、素晴らしい宣伝に間違いはなかった。リールムートンホテルへのゴールデンチケットがたちまち、上層社会の貴族、大物実業家、政治家らの社会的ステータスの表現方法の一種となり、どんなに新鋭なプライベートジェットよりも、高級クルーザーよりも、ビーチ付きの別荘よりも価値を持つ。

  この日、リールムートンホテルの一階ロビー、大理石造りのフロント、カンジアゴ松本の前に珍客が一人、訪ねてきた。

  「おいぃ!起きろ!」

  相原ゆずるは大声で怒鳴り、びっくりしたカンジアゴは革張りの椅子から跳ね上がった。

  「ああっ!お客様ぁ、ご機嫌うるわしゅぅぅ!リールムートンホテルへようこそぉ〜!」

  歌劇に出演できるほどの美声で、カンジアゴはお行儀よく返事した。けれど、すぐさま吐き出した息をもう一度吸い戻す羽目になった。今、目の前に立っている汚物人間がもしや、幻覚ではなかろうかや?っといま一度見つめ直した。

  「んん!……なぁんたることぉ……」

  しかし、ご心配には及ばずとも、カンジアゴ松本は世界最高級なホテルの総支配人。どんなに汚れていようと、いらっしゃればお客様、つまり神様。長年に渡って累積した経験を生かし、咳を軽く払うと漂う悪臭で強張るほおを笑顔に変えた。それから優雅な口調で尋ねた。

  「失礼しますがぁ〜、お前はどこの馬の骨にございましょうぉか?!残飯がお望みならぁば、生憎ぅわたくしどもぉ、慈悲心を食いもんにする堕落しきったぁ、しかも不潔な物乞いには同情せん主義なの!あと、臭いのも大嫌いなんでして!」

  カンジアゴは最高の笑みを浮かべて、最低なことを口にした。一方、あからさまな言葉の暴力を受けても、ゆずるは気にしない素振り。

  「おれがわざわざ来てやったんだ、何か褒美くれよな?」

  「はぁ〜?なんでぇすっとぉ?」

  「おれが来ることもどうせわかってたんだろ?安っぽい芝居なんかやめて、腹を割って話そう」

  「あぁ、もしかしてぇ!お客様、頭が思いっきりぃ、ドアに挟まれたのではないかや?アホなことを抜かすんでないぞぉ〜若造か」

  「なんでだ?なんでおれだ、わけを言え」

  「頭のネジがぶっ飛んだぁ〜?もうぉさっきから何のことやらぁ、あ、ちんぷんかんぷんですわぃ!早く消えなぁよ!もうぉ、クサイのぉ〜」

  噛み合わない会話は続く。

  「遠いところから会いに来てやったのに、こんなにも冷たくされるのって心外だよ」

  「まったくもって知りましぇん!だれだよ、てめぇは〜」

  「ふざけんな!おれを騙してここに連れてきたのはお前だろうが!カンジアゴ!」

  眉間にきつくしわを寄せるカンジアゴ、侮辱された時に湧き出る屈辱感を垣間見る。こんなにも薄汚れている泥ネズミを招待するなんてもってのほか!言語道断!だから、カンジアゴは口をへの字に曲げ、きっぱりと断った。

  「そぉんなはずないですぅ!」

  「うそだ!」

  「うそじゃないん!」

  「とぼげやがって見苦しいぞ!」

  「とぼげてないん!」

  大理石造りのフロントを挟んで対峙する二人、互いを睨みつけたまま固まり、しばらくの間は沈黙が流れた。知らないことは知らない態度を決め込むカンジアゴ、絶対先に目をそらそうとしない相原ゆずる。

  「ふざけた喋り方しやがって!まったく話にならん!おれ一人でも証拠を見つけてやる!」

  大理石造りのフロントから離れ、ゆずるは勝手にホテルの中に入り込んでいく。

  「ええいぃぃ!さっきぃから調子に乗りやがってぇぇぬぁまいきなやつめ!ここがどこなのかわかってんのかぁ!?わたくしはいま、怒りでぶっちぎれてしまいそうですわいぃぃ!泥ねずみがぁとっととぉ成敗してくれるわぃいいい!」

  いきなり暴れ出したカンジアゴはフロントを飛び越え、ゆずるの襟を捕まえると引き寄せて罵った。

   「このムシケラがぁ!もうぉぉ我慢の限界じゃボケぇえええ!ここはなぁ、貴様ぁのような!汚物まみれなクズが来てもいいところとはぁ、断じて違うんだよぉお!わかったらぁとっととぉ消え失せらんがぃぃぃ!貴様ぁをずっと見ているとぉ、嘔吐物の方が美しく見えるわいぃぃ!!」

  腕で押し、足元を払い、一本背負いを決めた。投げ飛ばされたゆずるは受身も取れないまま、タイル張りの床に頭をぶつけてしまった。乱暴に働いたせいで乱れた服を整い、手についた泥汚れも落としてから、カンジアゴは上目遣いに言った。

  「まことに残念ながらぁ〜、悪あがきはもうよしんしゃいなぁ、何もかもがもうぉ、終わったんだよ!自分のことがどんなに可愛くても、荒れ狂う海原に沈む一粒な砂でしかないんにゃい!あきらめんなしゃい!」

  カンジアゴはフロントの電話を手に取り、かけた。

  「もしもし〜、警備員をよこしてくれぇ、不審者だ」

  その間にも、ゆずるはタイル張りの床に横たわったまま。これで条件は揃った、世にも不思議なことが始まる、カンジアゴ松本め!後悔するがいい!今度こそ、貴様がおれにしてくれたことを倍にして返す!

 


  ーーーーーーーーーー

   


  不吉なものがやってくる。

  鐘の音が鳴り響いてやまない。

  鐘楼はどこにもないのに。

  電撃されたように身体は痙攣し、よだれ溢れ、コントロール不能なまでに駆け出す脳内が地獄絵図。ゆずるは残された僅かな理性を振り絞って、さらに拍車をかけていた。あと少しの辛抱だ!っと自分に言いかける頃、体は不思議なほどに軽くなっていた、それなのに少しも浮き上がらず、むしろタイル張りの床を突き抜けて沈み、深淵へ一直線。今回ばかりは誰のせいでもなく、相原ゆずる、彼自ら進んで招き入れた結末、正しいと信じて疑わない解答。

  「カンジアゴ、夢の続きだ!」

   これは、ゆずるから生まれ落ちたのか、それとも甘い匂いに誘き寄せられたのかわからない、しかし、どっちにしろ、世にも不思議な事、鐘の音と共にやってくる。いつもなら自制心を働かせて抑えるが、今は確かな意思を持ってゆずるは中に飛び込んだ。言うまでもないが、あのふざけた喋り方しかできないカンジアゴも道連れ。これは、他人の人生をめちゃくちゃにした当然な報いだ!っとゆずるは考えている。持てる全てをぶつけ、共倒れも辞さない覚悟。しかし、次に起きた出来事がゆずるを唖然とさせてしまった。

  鐘の音は消えた。

  不吉なものは勝手に去った。

  広がる一面の闇も、痛みも、何もかもが痕跡一つ残らず消失した。

  なぜだ?!

  何もかもが元通り、だから、ゆずるは自問せずにはいられなかった。地獄に片足を突っ込んだはずなのに、タイル張りの床へ戻されてしまった。うずくまったまま首を動かすと、近くにカンジアゴが立っていて、ちょうど自分を見下ろしていた。

  「残念さぁ〜、ゆずるぅさん、夢はやめましょう、わたくしはもうぉ疲れました」

  いつの間にやってきた二人の警備員に、ゆずるは担ぎ上げられると、カンジアゴは左右非対称な笑顔を向けてきた。人を小馬鹿にした笑い方、見下した笑い方だった。それを目にしたゆずるの顔は屈辱に歪み、体は怒りに震えた。

  「つまみぃ出せぇ!」

  カンジアゴが命令すると、二人の警備員はこの薄汚い不審者をがんじがらめにして、建物の外へ連れて行った。押さえつけてくる腕を振りほどこうと、ゆずるは必死にもがいた。

  「カンジアゴ!この外道がぁ!」

   今すぐカンジアゴに飛びかかってそのふざけた顔を殴りたい、腹を蹴り上げやる!殺してやる!おれが殺してやる!ちぎってやる!肉も骨も全部食ってやる! ホテルの外へ連れ出されたゆずる、二人の警備員に脇下を担がされまま石階段を降りていく。この不安定な足場を利用し、思いっきり体を沈ませると、一人の腕を払いのけた。自由になれた腕をすかさずにポケットへ突っ込ませる。

  「まだ終わってないんだ!カンジアゴ!死んで償えぇ!」

  ゆずるは九ミリ口径の自動拳銃を掴んだ。安全面を考慮したセーフティも解除済み、いつだって撃てる状態にしてある。事がこじれた時のためにとっておいた切り札。とある作家はこう言った、物語の中に拳銃が出て来たらどこかで発射されなくてはならない、だから、ゆずるは躊躇う事なく引き金を絞った。凄まじい発砲音、足を打たれ、一人の警備員は痛ましい泣き声をあげて倒れた。残った警備員はびっくりして後ずさるが、ゆずるはそれでも銃口を向け、声を荒げた。

  「おれは本当に撃つぞ!試してみる?!」

  「たのむ、撃たないでくれ!時給しかもらってないんだ、お願い」

  「下がれぇ!」

  「わかったわかった、早まるな」

  「……救急車を呼んであげろ!」

  それだけ言い残すと、ゆずるは走って引き返し、カンジアゴがいるフロントに向かって一直線向。話しはまだ終わっていないからだった。そして、拳銃を握りしめたゆずるが戻ってきた時、フロントはなぜか空っぽで、カンジアゴの姿はどこにもいなかった。

  銃声を聞いて逃げたのか?

   それにしては速すぎる、まだ近くにいるはずだ、すぐさま周囲を見渡し、大人が一人隠れそうな場所はなかった、たった一カ所だけを除いて。フロントの裏側、そこへ回ると見つけた。狭い物入れの中に隠れようとしたところ、お尻の部分が引き戸に挟まって入るに入れず、出るにも出れない状態。呆れ顔なゆずる、気まずそうに手を振るカンジアゴ。

  「ええぇ、どうもぉ、これは誤解なんでさぁ〜」

  「何が誤解だ?」

  カンジアゴは窮屈な体勢のまま答える。

  「わたくしにはぁ悪気はないんですぅ!あの警備員どもぉが勝手にぃ手荒なマネしたんですぅ!もうぉ〜クビしてやるんだからぁ!」

  「出てこいよ、苦しいだろ?」

  「あ、そうでぇすね。その、手を貸してもらえませんがねぇ、ちょっと、つっかかってますぅ〜、お願いでちゅ〜」

  「ほら」

   快く手を差し伸べ、カンジアゴを狭い物入れから引き上げた途端、ゆずるの拳はやつの腹部に強く抉り込んだ。あまりの衝撃に腹を抱えて膝つきそうになったが、呻き声を上げる暇さえ与えないゆずる、自分がついさっきにされたようにカンジアゴの襟首を乱暴にひっ捕らえ、引き寄せて吠えた。

  「おれは貴様に何度も、何度も、何度も、何度も殺されたんだ!これぐらいは我慢できるよな?」

  唾を飛ばすゆずる、怯えて頷くカンジアゴ。

  「案内しろ!」

  「どちらまで?」

  「あの部屋に決まってんだろ!」

  「はあぁ〜」

   銃を突きつけられ、先頭を行くカンジアゴ。二人はフロントを後にし、ホテルの中へ入っていた。華やかなエレベーターの前まで来ると、ゆずるに睨まれなが らもカンアジゴはゆっくりとボタンに指をかけた。微かな機械音が響き、大きな鉄の塊がゆっくりと降下してくる。待っている間、拳銃をカンジアゴの背中を突 き付けたまま、ゆずるは言った。

  「なぁ、カンジアゴ、このおれが正気に見えるか?」

  カンジアゴは何も答えない。

  「貴様に散々弄ばれたせいでとっくに無くしちまったんだ!だから頼むぞ、いい子にしてあの部屋に連れて行ってくれよ、そうすれば命は助けてやる」

  エレベーターは降下し続ける。

  「じゃなきゃ大変なことになるぞ、生まれてこなければよかった!って思わせてやるからなぁ。ちょっとした冗談に聞こえるかもしれないが、大丈夫だ、安心しろ、誓ってもいいがこれは安っぽいアメリカンジョークなんかじゃないぞ!」

  強く噛み合わせた歯間から、声は這い出る。

   「まずは貴様を椅子に縛り付けて、ニッパーで歯を一本ずつ引っこ抜いてやる!それからはナイフだ、寸刻みに肉を削ぎ落とす、いいか、よく聞けよ!言葉通り、寸刻みだ!あまりの痛みに気絶してもなんの心配もいらないからな、貴様が目覚めるまでの間は傷口の手当をしてやる」

  ポケットからライターを取り出し、カンジアゴに見せた。

  「見ろ、こいつの名は止血剤っていうんだ、小さくてかわいいだろ?こいつで応急処置をすれば、とりあえず血は止まるからな!そのうち、お前は死にたい、殺してくれよっとこねってくるだろう、その時は削ぎ落とした肉を全部おれが食ってやるからな!楽しみに待っとけ!」

  エレベーターの扉は左右へ開き、二人を迎え入れた。カンジアゴは微かな笑みを浮かべ、小さいな声でそっと呟いた。もちろん言うまでもないことだが、横に立つ相原ゆずるに聞かれないよう見られないようにっと、カンジアゴは細心の注意を払っている。

  「ぁぁ、我が主様よ、退屈しのぎの舞踏会は間もなくにございます、今しばらくお待ちを」

     


  ーーーーーーーーーー

 


  心地よいローズの香りが漂う廊下。

  そこを歩く二つの人影。左右へ立ち並ぶたくさんの部屋、次々と通り過ぎていく。ゆずるが見る限りではどのドアにも番号や目印のようなものはなかった。これほどの量の部屋をどう見分けているのかが不思議だった。長い廊下を歩きつめてやっと、カンジアゴは立ち止まり、一つのドアと向き合った。

  「ここだな?」

  「えぇ、でもぉ、カギがないもんでさぁ〜」

  「カギ?」

  「うーんとねぇ、一階の引き出しぃにあってさぁ〜、取りぃに行ってもいいんでさぁ?」

  カンジアゴを押し退けると、ゆずるはその木造のドアと向かい合った。かなり年季の入った骨董品のような雰囲気を醸し、高貴なダークブラウン色の塗装のほとんどが剥がれかけている。二歩ほど後退すると、勢いつけて飛びかかっては全力な前蹴りを叩き込んだ。

  ガン!

  「な、なぁにぃをするんでさぁ!!やめてぇー!!壊れるよぉ〜!」

   木造のドアは最初の蹴りを耐えた。止めに入るカンジアゴを押し退けると、なりふり構わずに飛びかかり、打撃を重ねていた。そして、三回目の衝撃にドアノ ブの部分が木屑になって弾き飛び、扉は勢いよく突き破かれてしまった。たちまち蘇った記憶、ワックスきれいに磨かれた床、天井一面を覆うほど大きいな鏡、 まるで異世界への入り口だった。何もかもが記憶と一致し、ゆずるはカンジアゴを中へ押し込んだ。

  「この部屋に間違いない!お前に連れて来られ た時、真上にある鏡からもう一人のおれが落ちてきた!それから全てがメチャクチャになった!カンジアゴ、教えてくれ、どうしておれなんだ?どうしてこんな目に遭わなければならなかった?!おれにいったい何の恨みがあるってんだ?!」

  「はぁ〜?」

  「おれはそれを知るために来た」

  「残念ながらぁ、ゆずるぅ様よぉ、今の処遇には同情しますが、わたくしにだってどうにもならない、この卑しいわたくしめをぉ撃ち殺せば全てが元通り、ならばどうぞぉそうしてくだされぇばよい、喜んでこの肉身を捧げましょうぞ〜」

  銃を突きつけられても、カンジアゴは至って冷静だった。

  「だがしかぁし、これだけは言っておきましょう、卑しいわたくしめなど下っ端ぁのまた下っ端ぁ、代わりはいくらでもいるん、誰かが跡を継いでくれるぅさぁ。それもちょうど、幾多を失われようと巡りめく乾坤のようぅにぃな!」

  ゆずるは血相を変えた。

  「ナゾナゾのつもりか?」

  銃口をカンジアゴの脳天から滑らすと、引き金を限界までしぼった。瞬時、撃針は弾丸の底部を突き、燃焼薬を引火し、鉛の塊を押し出す。さらに螺旋状のバレルを通過して回転が加えられては迸り、カンジアゴの左肩の肉と骨を抉りだした。

  「ぐあぁっ!!」

  痛ましい悲鳴をあげ、血を流して倒れるカンジアゴ。追い打つゆずるはその上に跨り、整髪剤できれいに整った髪の毛を鷲掴みにして引き上げ、叫んだ。

  「そんな気分じゃないんだ!」

  激痛に歯を食いしばるカンジアゴ、それでも口角は吊り上げて笑った。

  「愉快じゃ〜!まことに愉快じゃ〜ハハァァハハァ〜」

  「そんなに楽しいか?」

  ゆずるは血を垂れ流すその肩に指を突っ込んで掻き回した。

  「これも笑えよ!」

  「ぐわぁああ!!ああああああああああああああ!!ああぁハ、ハハァッハァッッハァ、ハハアァァハハッハ!愉快じゃぁ!!あああああ!!」

  カンジアゴは痛みを感じないわけでは決してない、しかし、だとしても笑い声は止まず、かえって鮮明なものになって、狂ったように暴力を振るうゆずるへ向けられていく。いいや、この痛みを満喫し、面白おかしそうに笑うカンジアゴの方だって正気の沙汰とは言えない。

  「何がおかしいんだよ?!」

  挑発され、燃え滾るほどの怒りを覚えたゆずる、横たわるその不気味な笑みに足を上げた。サングラスは吹き飛び、鼻の骨も折った。あまりの痛みに悶絶する寸前、床を這いずるカンジアゴ、舌を噛み切ったせいで血を吐き出した。

  「アハァハハハハ・・・これがぁ、今を愛してやまないわけだよ!美しき主人さまよぉ〜!喜びが始まるとぉ〜悲しみが終わる!」

   力を振り絞って語りつつも、痛みから逃れるために床を這いずる。狂ったゆずるは後を追いかけ、やつの髪の毛を鷲掴みにして引き上げ、殴りかかろうと拳を 振り上げた。一瞬、カンジアゴとゆずるの目が重なった、次の刹那、振り上げた拳は宙に凍り、ゆずるも固まってしまった。おかげで、カンジアゴは最後まで言 うことができた。

  「悲しみが始まると、喜びが終わるんだ!」

  カンジアゴは初めて裸眼を曝けた。そして、たったこれしきのことで凶 暴極まりないゆずるを唖然とさせ、動きを封じた。あまりにも恐ろしい、眼球と呼べなくなるほど、正体不明な漆黒は目玉を食い尽くし、気体となって溢れんば かり、目の当たりにする人を震え上げらせ、連想させるものが悪魔、怪物、人の姿に成り済ました化け物。

  もはや考える必要もない、全ての謎が解けたも当然だ、だから、ゆずるは殴るのをやめて立ち上がった。

  「もういい、カンジアゴ、死ね」

   猛毒を世にばら撒く魔物め、カンジアゴ松本の命は今日で終わる、悪夢は潰える。恐ろしい一対の漆黒、そのど真ん中に銃口を突きつけ、引き金を強張らせる ゆずる、躊躇いなど一切見えない。だがしかし、これだけじゃ足りない、抜きん出る勇気と覚悟だけじゃ運命に抗えない、悪魔にも抗えない、それ故に気づけな かった、背後から忍び寄る人影を。

  「だめだ!」

  男の声が響いた。ゆずるが気づいて振り向いた時、横から飛んできた重い衝撃によって飛ばされ、床に叩き付けられてしまっていた。突如の衝撃は生身の人間による捨て身なタックルだった、それを知ったと同時に二人は一つしかない拳銃を激しく奪い合った。

  「やめてください!カンジアゴを殺さないでくれ!お願いだ!」

  男は懇願するように言った。

  「くそっ!放せぇ!」

  ゆずるはこの声を知っていた。

  「カンジアゴを見逃してくれ!お願いだ!ゆずる!」

   ゆずるは手で男の髪を鷲掴みにし、思いっきり逆方向へ引っ張ってやつの動きを止めた。だがしかし次の一瞬、男は髪の毛がちぎられる痛みをものともせず、 一気に突進して拳銃を握る右腕に噛み付いた。激痛が走り、拳銃を取りこぼしたゆずる、慌てて体を翻すと男に飛びかかって奪い返そうとしたが、それよりも先 に蹴りが飛んできた。顔面で受けてしまったせいで、脳みそを震わせて目眩と吐き気に襲われて悶絶した。そして、ゆずるが再び立てられた時、乱入した男も 奪った九ミリ口径の自動拳銃をしっかりと構えていた。

 


  ーーーーーーーーーー


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