海追い人
この国の女はみんな髪を伸ばすことを義務付けられている。
海追い人が海に逝く前に必ず髪を切るからだ。本当はこんな制度殆ど意味なんてないけど、髪が長い女を見ると世間は安心するらしい。
いつの頃だか女は海へと帰りたがるようになった。それは太古、海から生物が生まれたからなのか、xxこの遺伝子に何か意味があるのかはわからない。
ただ海に帰った女は二度と戻ってこないことと、海に入る前に髪を切り捨てていくことはわかっている。死体さえ上がってこない海追い人は一体どこへ行ったのだろうか…
わたしの母は一体どこへ行ってしまったのか。
母が海に帰る前の晩、父と何か口論していたのは知っていた。どうやら父の浮気がばれたらしい。
父はわたしの小さい頃から浮気をしていて、母が仕事の日に相手の女性がご飯を作ってくれたこともある。母は天然だったのか、鈍かったのか、何年も父の浮気に気がつかなかった。
私は家に帰るとただいま〜と声をかける。
「あら、ゆっこちゃん早かったわね。もうすぐご飯出来るから待ってて」
父の再婚相手である女性が声をかけてきた。
「ありがとう、叔母さん。私も手伝うよ。」
「いいのよ。そこに座って待ってて。それより、もう叔母さんなんて呼ばないで、お母さんって言ってもいいのよ。
姉さんの事は不幸な事だったと思うけど、あれからもう何年もたったんだし。
私はあなたの本当の母親になりたいと思っているの。」
叔母は真剣な顔をして私を見つめる。
叔母は昨年父と再婚した。母が死んでから5年が過ぎた頃だった。死んだ妻の実の妹と、すぐに再婚するのは流石に憚れたらしい。
白々しいなと思いながら私は返した。
「うん。そうしたいとは思うんだけど、やっぱりお母さんはお母さんだから…。」
すると叔母は目尻をきゅっと上げて、瞳を潤わせた。憎しみと悲しみが混ざったような複雑な表情をしていた。そのまま夕飯の時間となり、2人で黙々と食べ続けた。
学校の宿題も片付け、そろそろ寝るかとベッドに入る。
すると階段を上ってくる足音が聞こえた。女性にしては重い音に直ぐに父だとわかった。嫌な予感がする。早く通り過ぎてくれないだろうか…。
「柚子いるんだろう?入ってもいいか?」
扉の向こうから話しかけてくる。
私は咄嗟に、入らないで!と叫んだ。
父は暫く黙り込んでいたが、また話しかけてきた。
「柚子、明子のことお母さんと読んでくれないか?
お前の母親が死んだ時に明子が支えてくれたのは覚えているだろう?」
私は何も返さなかった。頭の中が真っ赤で何も口から出てこなかったからだ。
何を言っているのだろうこの人は!お前の母親?あんたの妻だろうが!
お母さんが…お母さんが死んだのは誰のせいだと思ってるのだろう。あんた達が殺したんじゃないか!あんた達が私からお母さんを奪ったくせに!
布団の中で怒りと涙をこらえているうちに父は何処かへ行ったらしい。
母が海に帰った日の朝、母は髪を耳の下で切り揃えスッキリした顔をしていた。
そのままいつものように、いってくるね。と言ったので、私はいってらっしゃいと返したのだ。
その時私は事の重大さをわかっていなかった。短くなった髪の毛もアメリカの女の人みたいだと思っただけだった。唯一不思議だと思ったのは、母が鞄を持って行かなかったことだった。
でも、あの日の母は今までで一番晴れやかな顔して幸せそうだった。私も髪を切ったら母のように吹っ切れるのだろうか。
そうしたら私も海に…
私は少し怖くなって眠ろうと目を閉じた。
どこからかさざ波の音がした気がした。
終
最後まで読んでくださりありがとうございました。
少しだけ補足をさせていただきます。
柚子が母親が髪を切った姿を見てアメリカの女の人みたいだと思ったのは、
日本は島国で海追い人が多発しているが、アメリカの内陸部だとそれほど多くはなく、髪を伸ばさせるなど規制がないという設定だからです。




