命は平等だってさ
コンクリートの林、コンクリートの地面。どこにも緑はなく、人間の手によって改造された建物がある。その中で、多くの人間は生活をしている。この国の首都、小林悠希がいる。
「一体誰なんだ……」
朝からずっとだ。ずっと、僕を見ている。でも、誰も僕を見ていない。視線はあるのに僕を見ている人は誰もいない。気にしなければいいが、どうも不愉快で仕方ない。さすがに家に帰ってまで監視はされまい。
程なくして、僕の家が見えた。十階建てのマンション。近未来都市を舞台にした漫画のような外観。西欧の貴族が住んでいるかのような内装。最新の設備を揃え、セキュリティ万全という言葉が、このマンションに人を呼び寄せていた。僕たち家族もその一つだ。
マンションの入口で暗証キーを入力し入った時、
「消えた?」
今まで感じていた視線が、唐突に消えていた。予想通りだが意外だった。視線の主は一体誰なんだ。なんの目的で……。
真正面に一つだけある扉。視線に対する疑問を抱きながら、カードキーでロックを解除し中に入る。
「ただいま」
遅れて、ガチャと玄関の閉まる音だけが鳴った。
「何をしているんだろう……。誰もいないのに」
自分の行動に怒りと笑いがこみ上げる。天然石貼りの床に憎しみを込めて、足で踏んづける。視線への感情、僕の現状が僕を刺激する。
気分転換でもしよう。
リビングを抜けて自室に行き、過去の写真を見る。枯木、枯葉、緑の木、色がある木、様々な花。空、星、月、ここにはない過去のもの。それを見ていると、さざなみが消えていた。
十歳の頃、過去の僕は田舎にいた。小さい村で遠くにある街まで、両親は毎日仕事に明け暮れ、朝早くに家を出て夜遅くに家に帰ってくる。帰ってきた時、いつも両親は、
「ごめんなさいね。もうすぐ、仕事が終わるから。そしたら……」
「……うん」
何度も聞いた言葉。何度も裏切った両親。その時聞いた言葉は、僕にとって嘘の代名詞だった。やることも、やれることも少なかった僕は、村の北にある神社。御饌津神社の裏手にある山で虫を殺して暇を潰していた。他にも、木の棒を刀にして、架空の敵と戦ったりもした。それらは案外面白いもので、自分より劣っている生物を思うままにできる快感はこうやって振り返ると、無意識に感じていたのかもしれないし、自分の世界、都合の良い世界に目を向けることで、欠けたピースを埋めていたのかもしれない。
そして、僕は出会った。タマ、そう呼んだ彼女に。それは僕が時間を持て余し、樹の下で神社の落ち葉を眺めていた時、二人の親子が神社を訪れた。母親は地面まで髪が伸びていた。その髪は地面に触れているのに、金色の綺麗な髪だった。和服を何重にも着ていて、まるで虹を纏っているようだった。子供も母親ほどではないが、腰下まで髪があり、服も数枚の和服を重ねている。閉鎖的なこの村で見たことのない人だったので、変わった人達だと思った。僕は二人から視線を外し、落ち葉に目を向けた。赤色、黄色、橙色と葉は様々な顔をしていた。
「え」
親子の影が僕を後ろから見ていた。僕は親子に体を向け、
「ここは何もありませんよ。皆自分のことで忙しいんです。お米やお野菜を必死に作っている人もいれば、研究に必死になっている人もいます」
親子は瓜二つで、全ての特徴が一緒だった。白い顔、目の端は釣り上がり、顎は細く狐を思わせるような顔。
「いいえ、観光などではありません。時間を持て余しているのなら、私の娘と遊んではくれませんか?」
母親はそう言い、娘の背を押した。娘は不安そうに母親の顔を何度も何度も見て、体を守るように、背を丸め手が胸の前で拳を作っていた。
「見ず知らずの僕にですか?」
「人を見る目には自信があってよ。さあ、お行き」
促され、娘が僕の眼の前に来る。
「お……ねがい、します」
緊張を帯びた声で娘はそう言った。
「あなたは?」
「子供は子供としか遊べないのです。私は娘が戻ってきた時に、出迎えてあげないといけません。娘の名前はタマです。よしなに」
その言葉とともに、タマの母はどこかへ去っていった。
「僕は悠希」
「ユ、ウ、キ……」
「君はタマだよね」
「うん」
「いいのかい?」
「ママが、人と話しなさいって」
「今までどこに?」
「山の中。ママと二人だけだった」
「へえ、ここも田舎だけど辺境というやつは、どこにでもあるもんだね」
「ん?」
「まあ、いいよ。何がしたい? ここは何もないけど、その分自由さ」
「私は、ユウキの見る世界を見たい」
「そんなのあっという間だよ」
そう言い、僕は彼女の手を取った。
「あ」
驚きの声を上げるが、気にしない。僕は嬉しかった。友人に初めて出会えたことが。
タマは元気だろう……。引っ越してから、一度も会っていない。……会いたい。
通帳を見る。それは母が小遣いだと言って渡したもの。数字は百万と書いている。
いい機会だ。
そう思い、旅行用のリュックサックに数日分の着替えを詰め、ネットで電車の時間を調べる。
「朝七時か。着くのは昼すぎだから……駅で弁当を買っていこう」
予定は決まった。後はその時を待つだけだ。
「何か作ろう。お腹が減って仕方ない」
リビングに戻り、キッチンを見る。ここに引っ越して七年。キッチンは目立った汚れもなく、新品と言っても過言ではないほどだ。冷蔵庫から国産の肉と有機野菜を取り出し、フライパンで適当に焼く。慣れた手つきで焼いている自分に、
「慣れてしまった……」
棚から大きめの皿、高級そうな皿もあったが一番地味な皿を、あえて選びそれに移す。そして朝に炊いた米をよそう。一人で使うには大きすぎるテーブルに、自分で作った夜ご飯を置き、三つある椅子の一つに座る。テレビを見ながら、会話のない夕飯を済ました。
僕はこの時、あの視線のことを忘れていた。予定のことで頭がいっぱいだったからだ。
翌朝、目を覚まし朝の挨拶をする相手もおらず、朝食を食べマンションを出た。その時、僕は思い出した。視線を。どこからか僕を見ている。誰だ、誰なんだ。見渡しても誰もいない。マンションの敷地には隠れるような場所もない。あるのは花壇と地下駐車場だけだ。なのに、なのにだ。僕が感じる視線の主を見つけることができない。どうにもできない不愉快な気分にさせられる。
「まったく、なんだってんだ」
不愉快な気持ちが抱えたまま、僕は学校へ向かった。
「どう思うよ? こんな不思議体験は初めてなんだ」
「神経質なんだよ。見る気もないのに、自然と視界に入ることだってあるだろ。悠希はそれを過剰に意識しているだけ」
友人の前島隼人はそう言うが、納得出来ないでいた。
「だがな、どうも感じたことのある視線なんだ。それに今だって」
「それこそ自意識過剰さ。あそこに六年も住んでいるんだろ。そしてここには五年以上通っている。毎日すれ違う人間がいるんだろうさ。それに、この学校はこの国のボンボンが来るところだぜ。警備だって万全だ」
「しかし」
「考え過ぎだと言っている」
「視線を感じている僕が言ってるんだぞ? 少しは信用しろよ」
「お前こそ、友人の僕が言ってるんだ。少しは納得したらどうだ」
「なにを!」
「やるのか!」
お互いの額を押し付け、近距離で睨み合う。そこに、
「やめなさいな。男の人ってどうして大人になれないの」
良家の娘という言葉が似合う女。品行方正、長い黒髪は、人を吸い込みそうなほど美しい。
「男の間に女が入るんじゃないよ!!」
僕と隼人は同時に藤原雅美に怒鳴った。だが、藤原雅美は引かなかった。それは男より女が、精神的に勝っていると悟っているからだ。
「何よ。今更男だ女だと、言うような御方はいないわ」
「ふん。力仕事をする時は、男なのだからと女は強制するじゃないか」
「それは悠希さんの知っている女性だけよ。私は違うわ」
「それは認めるとも。だが、男と女には違いがある」
そして隼人が続く。
「そうとも、女にはないものを持っている」
「それは?」
二人で、呼吸を合わせ、
「熱いハートだ!!」
「そうね。ええ、確かに。女性にはないでしょうね」
雅美は呆れ顔で、そう言い自分の席に戻っていった。遠目で見ていた女学生が「お気の毒に」「お気になさらないで」「止めることないわ」「そうよ」「彼らは甘えているのよ」と雅美に声をかけている。
「悠希、頭を冷やせ。そしてもう一度俺に話せ」
隼人は僕の肩に手を乗せ、そう言った。友人の気遣いとは嬉しいものだ。
「数日前に、九尾の狐の特集をやってたんだ。都市伝説でね、玉藻前の再来だって」
「都市伝説か。友人として願うよ」
「ありがとう。良い友人を持ったよ」
「お互い様さ」
隼人との会話後、僕はなるべく視線を気にしないようにしていた。意識を常に目に映るものに定めた。まったくとは言えないが、今朝のように意識はしなくなっていた。
時間は過ぎ、今日の学校が終わりを告げた。今からは部活動の時間だ。隼人はバスケットボール部へ、僕は動物研究部に。
学校裏にうさぎ小屋がある。更にその横には動物研究部の部室がある。部室に鞄を置き、うさぎ小屋へ入った。うさぎ小屋には縦横七メートルの柵、更にその中にうさぎの檻がある。いつも檻の中にうさぎを閉じ込めている。だから、少しでも広い所で遊ばせてやりたいから、放課後は僕が檻から開放している。
茶色のうさぎ、白黒のうさぎ、黒いうさぎ、白いウサギ、ねずみ色のうさぎ。全部で五匹のうさぎがいる。
「さあ、出ておいで。ここは窮屈だろ」
檻を開けると、五匹のうさぎは跳ねるように外に飛び出した。檻の周りを走り回ったり、土から生えた草を食べたり、日光浴を楽しんでいたりする。僕はうさぎが外で遊んでいる間に、檻の中を掃除、乾燥草や飲水を補充する。それらが終わった頃、うさぎたちはお腹がと擦り寄ってくる。
「もうお腹が空いたんだね。そんなに食べてると、学食のおばさんに狙われるぞ」
そう言い、部室にあるうさぎ用の餌袋からいつも与える量を持ってくる。
「あ」
うさぎ小屋に戻ると、雅美がいた。雅美はうさぎを撫でながら、
「お疲れ様です。この子たち、人を疑わないのね」
「愚かだと思うかい?」
雅美はうさぎから目を離し、こちらに体を向ける。黒く、長い髪がその動きに合わせて揺れる。平均より高い身長がそれを際立たせている。
「貴方が優秀だからよ。だから愚かにも……」
「人間だって同じだよ。子供は人を疑わないし、恋をした人間だって」
「ふふ。お気に召す方でも?」
「経験談さ。とっくの昔」
「そうね。大人になるって残酷なものね。でも、私はまだ子供だと思っているわ。比べていると、自分はまだまだ未熟なんだって、そう思ってしまうもの」
その言葉を聞きながら、うさぎたちに餌を与える。うさぎは待ってたとばかりに、餌に食いつく。僕はうさぎを撫でながら、
「でも、大人は身勝手だ。子供のことは何も考えない。見ようともしない。エゴだけで生きているんだ」
思い返すは過去。それに怒りを覚え、手に力が入る。
「それは中身が伴っていないのよ。私の周りは違ってよ。怒りや哀しみを感じても他人には見せない。あの人達は感情で動かないのよ。人間にある理性で、自分を律して最適を選んでいるんだわ」
うさぎから体を離し雅美の目を真っ直ぐに見て、僕は言う。
「ならロボットにでもなってしまえばいい。自分の感情を殺し、家族を省みない大人は必要ない! ただ、悲しみを生むだけだ!!」
「だから貴方がいるのね」
「ああ、そうさ」
うさぎが感情を感じたのか、餌から離れ僕に擦り寄ってくる。
「別に、怒っちゃいないよ。それより、君はどうして?」
「……貴方がいるから」
「だからどうしたんだよ?」
雅美はため息を一つ漏らし、
「……男の人って」
「なんだって?」
「なんでもないわ。それより、帰りましょうよ」
「そうだね。やることも終わったし」
うさぎを檻に戻し、僕たちは学校を出た。
木が一定の間隔で植えられている道路。街の景観を良くするためと植えているそうだ。学校とマンションを往復していると目に入る。慣れてもおかしくないのに、僕にはそれが浮いて見える。
「悩みは解決したの?」
雅美の言葉が意外だった。隼人がしゃべったのだろうかと考えもしたが、奴の口はそこまで軽くないことを僕は知っていた。
「いつから聞いてたんだ?」
「最初からよ」
「良家のお嬢様でも盗み聞きはするんだな」
「聞き耳を立てなくたって聞こえていたわ。私の友人も聞いていたもの。それに、隠し事をしなければならない仲だったかしら?」
「ごめん。君にも相談すべきだった」
「素直な人は好きよ。それで」
「視線は感じるよ。学校にいる時も、うさぎと戯れていた時もだ。気にしないようにしていたから、頭の片隅に追いやっていたけど、さすがにここまでくると気になる」
「それはいつからなの?」
「昨日の朝からさ。ったく、どういうつもりなんだ」
「……」
雅美は言葉を返さず、顔を下に向けている。
「どうしたんだ?」
表情から読み取ろうとしても、髪がそれを許さなかった。
「なあ」
「なんでもないわ。それじゃ」
そう言って、藤原雅美は走っていった。
「そっか。もう着いたのか」
横を見ると、マンションがあった。彼女もそれに気がついて走っていったんだろう。マンションに敷地内に入る。視線は尚も、僕を捉え逃しはしない。隼人は自意識過剰と言った。雅美は答えてくれなかった。僕が納得する答えはなかった。雅美の言う大人なら、ここで怒りを沈め何も言わずに、マンションの中に入ってしまうだろう。
「だがな、だがな。僕は我慢ならん。何ともわからんものを素直に受け入れるほど、僕は大人じゃない」
そして叫ぶ。視線に対する怒りを。
「出てこーーい! ずっと僕を見ているんだろう。僕はここにいるぞ。正々堂々姿を表したらどうだ!!」
帰ってくる声はない。動く音もない。だが、視線の主がどこにいるのかわかった。そいつは僕の後ろにいる。僕は振り向き、そいつの顔を見る。
「女だと!?」
視線の主は裸の女だった。肩まである金色の髪、顔は白く、目の端は釣り上がり、顎は細く狐を思わせるような顔。程よく肉のついた体は、男を魅了するには十分すぎるものだ。
「なぜだ?」
なぜ今の今まで気が付かなかった。そしてなぜ今になって現れたのか。その二つの疑問が、女の裸に動揺しない原因であった。
「…………」
女は答えない。僕の顔を見て、最初は嬉しそうな顔をした。その後直ぐに、哀を帯びる顔になった。そして、女は無言のまま、ゆっくりと僕に近づいてくる。
実力行使か? いいだろう。女だから先に殴らせてやる。僕は引かないぜ。僕は男だ。男なら、真正面から立ち向かってやる。
殺気を込め、相手を睨みつける。だが、女は歩みを止めない。こちらの目をじっと見ている。こちらも負けじと目を見る。そして手を伸ばせば相手に触れる距離となった時、女は歩みを止めた。
さあ、どこからでもかかってこい。武器を持たない女にやられるものか。
右手の拳を軽く握り、臨戦態勢を整えた。女は身構えることもせず、ただ立っている。どうしたんだ? その疑問が集中を途切れさせた。女の動きに反応できなかったのだ。
女は両手を左右に広げ、こちらに飛んでくる。両手を下げていたため、防御は間に合わない。うかつだった。そう心で吐き捨てた。
しかし、女は暴力を振るわなかった。両手を僕の背中に回し、全体重を僕に預ける。後ろに仰け反るも倒れはしなかった。
「なっ!」
動揺の声を上げる。そして、
「うわああぁぁぁ。ユウキ! ユウキイィィィ!!」
僕の名前を呼び、泣いた。あまりにも、自分の覚悟と女の行動の差がありすぎた。だから、何もできなかった。僕は彼女が泣き止むまで、呆然と立っていた。
彼女が落ち着きを取り戻すと、僕の服を着せ、部屋に連れてきた。茶や菓子は出さない。客ではないからだ。床に座らせ、僕は椅子に座って対話をする。
「どうして?」
意味がわからない、と首をかしげた。
「どうして、僕を見ていた」
「ユウキ……?」
服が大きく、余った袖で前に突き出し僕に近づいてくる。イラッと来た。質問に答えようとしない彼女に。
「お前は誰なんだ!」
手を振り払い、そう叫んだ。
「うぅ……」
どうして? なんで? そう目が訴えかける。そして叩かれた手を見て何かに気づいたような顔をした。そして僕の顔を見て、
「ユウキは、覚えていないのですか?」
「なんのことだ?」
「赤色、黄色、橙色。色とりどりの葉っぱ。土には小さい虫が。木のてっぺんには景色がありました」
「君だったのか!?」
信じられなかった。会いに行こうと思っていた人が、目の前にいるんだ。それに、
「どうして君が」
「最後に会った時、ユウキは抱きしめてくれました。私は貴方の温もりを覚えていた。だからユウキに出会うことができたのです」
「質問に答えてくれ。どうして君は僕を見ていたんだ。それも姿を見せずに」
「私は人じゃありません。人と会う時だけこの姿なのです」
「何を言っているんだ……?」
「見て下さい」
そう言い、タマは人ではなくなった。
体が輝き、頭が僕の股間部分の位置まで下がり、胴はうつ伏せの形を取り、首より低い位置で宙に浮いている。手足は四足歩行をするように床に向いた。変化はそれだけではない。頭から飛び出すように三つのものが形を作り、頭、胴、手足は太さを増し、僕の体よりうんと大きくなった。金色の毛、顔だけが白、そして特徴的な九本の尻尾。
「どうなってるんだ」
自分がどこか遠くの世界にいる気分だった。これは夢で目が覚めたら、日常があると思いたかった。でも、僕の理性がそれを許しはしなかった。
「ユウキ?」
九尾の姿になったタマが僕を気遣う。だが、僕にその気持ちは届かなかった。
「話しかけないでくれ。今は……整理をしたい」
「わかりました」
タマは九尾の姿のまま、部屋の隅で犬がする伏せの格好で動きを止めた。僕は熱暴走しそうな頭を冷やすために、また写真を見る。
小さい時から、自然に触れてきたからだろう。自然の景色を見ると落ち着く。頭の熱が頭の天辺から抜けていくのを感じる。思い出す。彼女と見た世界を。
村の案内をしようと言うと、彼女は知っていると言った。僕は母と前もって村を回ったのだろうと思い、僕は早速、自分の世界を彼女に紹介した。色とりどりの落ち葉、野に咲く花の匂い、砂糖に群がる蟻の大群。僕の小さい世界を余さずに見せた。初めてあった時は、うまくできなかった会話もお互いのことがそれとなくわかり、友人として話が出来る関係になった。
「どうだい? 僕の世界は」
「自然が好きなのですね。暖かい」
タマの笑顔は眩しかった。僕は視線をそらし、なにか話の種になりそうなものを探す。
「お」
草の上でカマキリが日向ぼっこをしているのを見つけた。そうだ。僕がいつもやっていることを彼女にも見せてやろう。
「あら、カマキリが?」
「僕の最高の遊び相手は虫なんだ」
そう言って、細い木の棒を拾いカマキリを突く。カマキリは驚きくも、僕を敵とみなしてひ弱な鎌を構えた。僕は対抗してくるカマキリを更に苛めたくなった。だから木の棒で死なない程度に何度も突いた。カマキリが徐々に弱り動きが鈍くなった。
よし、もうひと押しだ。
そう思った時、僕の手はタマに掴まれ、
「何をするんだ!」
僕は“遊び”を邪魔され怒鳴った。その瞬間タマのビンタが僕の頬を打った。
「え」
唐突に起きたことを理解できなくて、僕は何をされたのか理解できなかった。そして、
「貴方には心というものがないのですか! 人間には心というものがあるはずです。だから人権というものができたんじゃないんですか。命は貴方程度の生き物に左右されるものではありません!!」
タマという女に殴られた現実を理解し、僕は言った。
「殴る必要はないだろう! 別に殺したわけじゃない」
パンとまた頬を叩かれる。
「わかりませんか。……これが、痛みです」
「謝れというのか!」
「いいえ。謝る必要はありません。そんなことをしても伝わりません。貴方が、遊びと思っていたことも、たぶん感じるであろう罪悪感も。だだ、命なのです。それは、尊いもの。それを穢すことは許されないことなのです」
それに言い返すことができなかった僕は、すねてタマと口を利かなかった。それでも、タマは僕を見放すことなく、僕の後ろをずっとついて回った。僕もその間、なぜ彼女にブタれたのかその理由を、整理することができた。後ろにいる彼女に振り向き、
「悪かった」
「そうですね。私、ずっと無視されてましたから。それとも、伝わらない相手にですか?」
「言葉は君だ」
「真っ直ぐな人ですね。歩き疲れてしまいました。手を取ってもらえますか?」
そう言って、僕に手を差し出す。その手はしなやかで、絹で出来ているみたいに綺麗だった。
「……」
断ることもできず、黙って彼女の手を取った。その時、僕の体は夏の太陽みたいだった。
そうだ。獣だろうと僕は彼女を知っている。それは過去が保証してくれている。
「僕は成長してないんだね」
「ユウキが叫ぶまで、自信がありませんでした」
「だから姿を?」
「確信が持てなかったのです。いくら温もりを覚えていたとしても」
「そうか。だったら、後悔はしないよ。随分時間を取らせたね」
「いいえ。こうなることはわかっていました。聞きますか?」
「聞こう」
僕の言葉を聞き、タマは語った。僕の知らないタマの時間を。
「ユウキがあの村を去って、一年後私と母のもとに二人の研究者が訪れました。一人は男、格好は白のカッターシャツに蒼のネクタイその上に白衣を纏っていました。顔には多くの皺があり、髪も手入れがされていないようでした。もう一人は女、男より、堂々とした振る舞いで格好はネクタイの色以外は一緒でした。髪は短髪に切り揃えられ、化粧のされていない顔でした。男は女に付いて来たという感じで、主に女が私達と話をしました」
タマは会話の内容を思い出すように、宙を見上げこう言った。
「私達は脳の研究をしているものです。人と意思疎通ができる狐がいると聞いて、やってきました。どうでしょう、研究に協力していただけませんか? そう女は言ってきました。私達はどこでその情報が漏れたのか気になりました。母はまず、私を疑いましたが、私はそれを否定し女に問いました。女は研究所の組織が調べてここまで辿り着いたと言いましたが、真実はわかりません。そしてもう一度、女は私達に研究の協力を要請してきました。母は、断る。我々はモルモットに成り下がる気はない、と言いました。研究者たちはそれ聞き、一度は帰ったのですが再度来ました。そして母はまた断り、また来ました。来るたび、断るたび、女はヒステリックになっていきました。どうしてわかってくれないのですか! 人類の進化のために、あなた達獣の協力が必要なのです。同じ言語を共有し合うものであるならば、その重要性はわかるはずです!! とね」
「そいつは……たいそうな研究者だな。僕も一人だけ知っているよ」
「最終的に、彼らは暴力での交渉を望みました。武装した十五人の集団が私達を襲いました。母は懸命に戦いました。私は何もできず、母の後ろに隠れことの成り行きを待っていました。集団は半月の形で母を囲み、一斉に銃で母を穿ちました。母も抵抗はしました。我々九尾の力を使って。ですが、力は及びませんでした。私が原因だったのでしょう。恐怖し、動けなかった私を庇いながら、母は戦っていたのですから」
「君の母さんは?」
「たぶん、事切れているでしょう。私は傷ついた母に泣き縋っていました。そして、どこかの研究所に連れて行かれました。そこは」
知っているかもしれない。だからタマの言葉を遮るように、
「第五脳力研究所だろ」
「秘匿のはずですよ?」
タマは訝しげに僕に問いた。
「僕の知っている人間の誰かが、そこにいるとしたら?」
「誰なのです?」
タマは冷静さを欠いた声で言った。知りたいのだろう。知ったらどうするのだろう。殺すのかな。その時、僕はどうするのだろう。
「その前に、確かめさせてくれ」
「それは……」
なぜだ。そう顔に書かれている。
「言っただろう。僕の知っている人間だって。僕はロボットじゃないんだ」
「心を鬼にする事も考えなければならないのですね」
殺意と怒りと、ちょびっとの哀しみを帯びた言葉がタマの口から出た。
「業というのもは、命さえも奪ってしまう。知的生命体とは、程遠いなあ」
「母を殺され、誇りを穢された者が、怒りを覚えないとでも思っているのですか!!」
体を起こし、怒りを露わにした。九本の尻尾は宙に浮き、扇子のように大きく広がっている。恐怖。そう感じた。僕は恐れているのだ。でも、それを表に出すことは、僕が許さなかった。顔を上げ、胸を張りこう言った。
「我々人間もその程度だって事だよ。自己嫌悪と思ってくれ。じゃあ、僕は行く。君は?」
「ここにいるしかないでしょう」
「ごめん」
そう言い、僕は第五脳力研究所に向かった。
※
小林悠希を見送った後、タマは人間の姿に戻った。未だに怒りは収まらない。そしてその怒りは苦痛に満ちた六年間を蘇らせる。
十五人の集団に襲われた後、私は第五脳力研究所に連れて行かれた。首に何かの装置を付けられ、全面鏡張りの部屋に閉じ込められた。母を失ったショックで抵抗もできず、私はずっと泣いていた。食事は日に2回朝八時と夜七時に出される食事に手を付けずに。だが、それは長く持たなかった。三日目になると空腹は苦痛になった。毒が入っているかもしれないという恐怖を、食欲が消し私を掻き立てた。乞食のように、汚らしく手で食べ物を放り込んだ。久しぶりの満腹感と泣き疲れで私は眠った。
目が覚めた時、体に自由はなかった。体を縛られ、様々な機械を通し、私は体を調べられた。一番屈辱だったのは、生殖器官を調べられた時だった。私達は性別という概念はなく、精子と卵子は体内で作られている。そして、男性器はなく子供を生むために女性器だけ体に備えられている。人間の姿で股を開かされ、数人の人間に内部を観察された。
検査は一週間かかり、私は屈辱で腹が煮えくり返っていた。そして、すべての検査が終わった次の日、あの女が数人のガードを引き連れ私の前に現れた。
「貴様!!!!」
九尾の姿になり、飛びかかろうとした時体に電流が流れた。私はその場に倒れた。そんな私を見下ろしながら、
「あら、その首輪が何のためについているのか、理解できなかったの? それとも、ママの仇を見て興奮しちゃった?」
「私のママはどうした」
覇気のない声で女に問う。女は昨日食べたご飯を思い出すように、こう言った。
「ああ、あれね。死んだわ」
「貴様は人間なのか……?」
「電流で頭がイカれたらしいわね。私は、に・ん・げ・ん・よ?」
「まるで狸ね」
「面白いこと言うわね。化けるのは、あなた達でしょう? 貴方と貴方のお母さんのお陰で、色々とわかったことがあるわ。あなた達、化物は異常に脳が発達している。同じ狐とは違う進化をしてね。何か知らない?」
「貴様に与える情報はない」
「そう。愚問だったわ」
そう言い、女は懐から大量の資料を挟んだファイルを取り出した。
「どうして、脳が発達していることがわかったと思う?」
「まさか……!」
「貴方はまだよ。生きた資料は貴重なのだから」
「貴様に未来があると思うな!」
「貴方もね。化物さん」
そう言うと、女はガードとともに部屋を出た。
「あの女!! よくも! よくも!」
母を殺された怒りを自分の顔を地面に叩きつけることで、発散しようとした。何度も、何度も怒りの言葉を言った。何度も、何度も顔を地面に叩きつけた。その度に、どこからともなく女の笑い声が聞こえてきた。
二日後から鏡張りの部屋で、身体への実験が始まった。人間の姿で仰向けにさせられ、手足と首を台に拘束された。実験の内容は痛みへの反応、薬への反応と生き物にとって耐え難いものだった。絶え間なく続く痛みに何度も気を失い、薬で壊れかかった自我を何度も押し止めた。生まれて初めて、生きるのが辛かった。それでも死にたいとは思わなかった。彼に会いたかったから、母の仇を取りたかったから。
ある時、実験で死なない程度に、鉛筆くらいの太さの針を体に刺されていた。
「ううううぅぅぅ……ぅぅぅぅううううう」
歯を食いしばり、痛みに耐えていた。体を固定され逃げることも、もがくこともできなかった。針を刺していた男が手を止め、
「どうして能力を使わない?」
あの女の糞のようについて回っていた男が私に問う。
「……女はどうした。お前はあの女の手足なのだろ」
「鏡の向こうで見ているよ。それより」
男が質問するより早く私は言葉を発す。
「お前は男だろ。どうして」
「惚れているからだよ。獣の君にはわからないさ」
「利用さてれいることに気づいていないんだな」
「違うよ」
ぼそっと男が呟くと素早く針を取り、私の手に刺した。
「ああああああああ!!」
「彼女への批判は目を瞑らないぞ。それに言っただろ。獣にはわからないと。再度質問する。能力をどうして使わない」
「……」
自分の口では言いたくなかった。自分が未熟であることを恥、このことを知ったこいつらがどういう反応をするのか、容易に推測できた。だが、それが顔に出ていたらしい。男は妙に納得した顔で、
「使えないのか。君は出来損ないなのか?」
「……」
何も言わなかった。無言は肯定を意味するが、男の質問以上の情報を出したくなかったからだ。
「それで、よく母親から愛されたものだ」
「安い挑発だ」
「だが、効果的なのだよ。まあいい、続けよう」
それから、男は一言も言葉を発さず、私の体に針を刺していった。実験が終わった時、私の声はガラガラだった。
またある時、注射器で謎の液体を入れられた。二十分後、体から汗が吹き出し、幻覚、幻聴、動悸が起きた。
「あああ」
体の異変に驚きの声を上げた。うまく呼吸ができず、まるで水中にいる魚のように口をパクパクした。体から汗が出て、冷え、寒く、小刻みに体が震えた。私は女を睨み、言った。
「き、貴様…………何を、打った?」
「気分はどう?」
「ふ……ざげ……るな!」
「まだ余裕があるわね。もう一本打ちましょう」
女は小瓶に入った液体を注射器に入れると、私の腕を押さえ慣れた手つきで注入した。
「ぁぁぁぁああああああああ!!!」
体が拒絶しているのが本能的にわかった。なんとか液体を体から出そうと血が、内臓がもがく。それが、私に最悪の気分を与えた。体が四散しそうな感覚、体中の穴から体内のモツが悲鳴を上げながら、ぬちゃぬちゃと塩をかけられたナメクジのように、今にも出てきそうだった。それに耐えることなどできず、体は弓のように反り、特撮に出てくる巨大生物を思わせる叫びを上げた。
そんな私に女は耳元でこう言った。
「苦しいでしょう。さあ、抵抗しなさい。抗いなさい。あなたの母親のように」
抵抗する余裕も、言い返す余裕も私には無かった。ただ薬の効果が切れるまで、耐えるだけだった。
こういう実験は六年続いた。彼と別れた時からずっと。だが、転機を掴んだ。長く続いた極限状態、生まれて百年ちょっとという時間が生んだもの。九尾の狐の力。それは本能的にわかった。だから行使した。
食事の時間。研究者の女と男は顔を出さない。彼らが現れるのは実験のときだけだ。だから、この第五脳力研究所の警備をしている奴が持ってくる。夜の食事時間に私は脱出を図り、行った。
食事が終わったのを確認した警備員は私に近づいてきた。その時、私は力を使った。相手の脳に念力を送った。
『体の拘束と首輪を外せ』
警備員は抵抗もできず、私の命令に従った。ポケットから装置を取り出し、ボタンを押すと首輪が外れた。両手両足の拘束は、ボルト部分を拳銃で数発撃ち壊した。
数年ぶりの自由だった。解放感が心を満たした。だが、それを塗りつぶすように憎悪が来た。
『用は済んだ。死ね』
警備員は銃で己の脳を穿った。そして、銃声を聞いた警備員がぞろぞろとやってきた。
『殺し合え』
特定の生き物に念力を送るのではなく、範囲で送った。結果、駆けつけた警備員は互いを撃ち絶命した。血の臭いが部屋を満たす。恐ろしいとは思わなかった。ここの関係者が死ぬごとに、私の心は清々しい気分だった。
狐の姿になり、部屋を出る。真っ白の廊下を蛍光灯が照らす。まだ部屋に入ってなかった警備員がいたのだろう。体に数発撃ち込まれ、死んだ警備員が何人もいた。精密機械がある部屋、人間の体臭が強烈に残っているロッカールーム、ダンボールを積み木のように積んでいる部屋、雄と雌の臭いのする寝室、目的の人間はどこにもいなかった。しかし、情報は手に入った。この研究所の名前。秘匿の研究所。私と私の母に屈辱を与えた人物。私の頭は復讐心で真っ黒に染まっていた。殺してやる、殺してやる。それが頭の中で反響している。
「どこだああああああ!」
姿を隠すことなく、私は女と男を捜した。何日も何日も捜した。だが、見つからなかった。人の多い社会で、臭いを探るのも困難だった。途中、お腹が減った。山は無く、どこも人の生活圏だった。だから食べ物はそこから確保しなければならない。どうすればよいかと思考している時、自分の格好に気づいた。九尾の狐の姿でこの人間社会を縦横無尽に走っていたのだ。幸い、大事にはなっていなかった。警備員を殺したときの要領で念力を使った。すると、人ゴミの中を通っても私を見るものはいなくなった。だが、ぶつかると感覚はあるので気をつけねばならなかった。程なくして、大きな商店街があった。人はあまりおらず、いたとしても年寄りばかりだった。その商店街の横には巨大な建物があった。様々な看板が客の目を惹こうと自己主張していた。その建物の周りには鬱陶しいほど人がいた。人がいない商店街を探索し、肉を見つけた。客引きは芳しくないようで、肉は大量に残っていた。店主であろう人間は巨大な建物を恨めしい目つきで睨みながら、残った肉を冷凍保存しようとしていた。
しめたと思った私は同時に二つのことをした。一つは今までやっていたこと、もう一つは主人の意識から肉を消すこと。そしてそれは成功した。主人は肉のことなど忘れたかのように、そそくさと店の奥に行ってしまった。その隙に大量に余っている肉を半分ほど平らげた。それからまた、捜索を始めた。
あいつどこいる! どこに隠れた!!
見つからず、時間だけが過ぎていった。その現状に、苛立ちを覚えられずにはいられなかった。そんな時だ。小林悠希を見つけたのは。話しかけようと思ったが、私の記憶と今の彼の姿は違っていた。
もし、違っていたら……。
その思考が、彼に話しかけることを阻止した。気づいてほしい。そう思いながらも、姿を隠し私はずっとユウキの近くにいた。再会をした時、うれしさで我を忘れてしまった。たくさん話したいことがあった。だが、それを果たすことはできないのかもしれない。彼は言った。業は命さえも奪うと……。私の業で彼は死んでしまうのだろうか。殺したくは無い。でも、母を殺した人間を許すことは、感情を持つ生き物としてできないことだ。もし彼が私の前に立ったら、きっと涙を流しながら殺すだろう。
※
マンションを出て、藤原雅美の家に向かった。今の時代に珍しい日本独特の家。人を通さんとする長屋門、それより少し低い塀が家とその土地を囲っている。呼び鈴を鳴らすと、地味な着物を着た女が出てきた。
「雅美に用がある」
「ご案内いたします」
「ありがとう」
門をくぐると、千利休の時代に来てしまったのかと思わせる景色があった。歪ながらも美を感じさせる木々、辺り一面緑の芝、子供用プール程の池が二つ。何度もここに来ているため、驚きはしないが毎回目を奪われる。玄関から入り、長い廊下を歩いてやっと雅美が待つ部屋に着いた。
「いらっしゃい」
赤の着物が美しい黒の髪を一層輝かせていた。小さなテーブルには二つの茶碗が置かれ、湯気が立ち上っている。畳の部屋。掛け軸と生け花以外置物はない簡素な部屋。
「どうぞ」
促され、雅美の向かいに座る。お互い一度お茶を口につけ、
「第五脳力研究所を知っているだろう」
「ええ」
「ここ藤原家が金を出しているのは知っている。そこの責任者も藤原家なのか?」
「話が見えないのですが?」
「僕の知り合い人が、そこの人間に用があるらしいんだ。僕はその仲介だ」
「前島さん以外にもお友達がいらっしゃたのですか?」
「知り合いだ」
「私の知っている方ですか?」
「ここに引っ越す前に知り合った人間なんだ」
「女性の方ですか?」
「そうだが、聞きすぎやしないか?」
「悠希さんだけに教える情報ではないのでしょう? ならば、提供者として知るべきです。それで、その方とはどういった関係なのですか?」
雅美の言うことはもっともだった。だが、彼女からは違和感を感じた。少しだが、言葉に棘がある。それに体を前のめりにして、僕から相手の情報を取り出そうとしている。おかしいと思った。
「機嫌が悪そうだが?」
こちらが言い終わった直後に雅美は口を開いた。
「先に答えてください」
何が何でも聞き出す。そう顔に書いていた。何を言っても答えてはくれない。そう思った僕は素直に雅美の質問に答えた。
「まあ、小さいころに少し遊んだよ。家柄とかはよく知らん。そんな事を気にする年でもなかったからな」
「つまり?」
「単なる知り合いだよ。もういいだろ。色々聞かれたって答えられないよ」
「単なる知り合いのために、わざわざここに?」
「どうしてもって言われたんだよ。雅美、おかしいぞ? 君はそんなに面倒な性格だったか? それに怖い」
僕の言葉で雅美は驚いた顔に変わった。次の瞬間には赤面になり、それを見られまいと袖で顔を覆った。数回深呼吸をして落ち着きを取り戻した雅美は、
「悠希さんのお父様とお母様です」
僕の予想は現実だった。タマになんと説明すればいいのか、それが一番に頭をよぎった。でも、どこかで信じない自分がいた。
「そこは?」
「閉鎖中と聞いています。実験中に毒ガスが漏れたとかで……。警備員も数十名亡くなられております」
「警備員は前島家の?」
「ええ。信用はこの国一でしょう」
「研究内容を少しでも知っている人間は生きているか?」
「前島さんに聞くことでしょう。藤原家はあくまで資金提供者です」
「邪魔した」
そう言い、席を立った。一刻でも早く事実を知りたかった。僕には知る義務がある。彼女に対して責任がある。
「送らせましょう」
「ありがとう」
藤原家の家から車で三十分ほどの距離にある。大都市の巨大ビルのような家には、前島家の人間と数名の警備員が住んでいる。オフィスも備わっており、上役の人間はここで仕事をしている。呼び鈴を押すと、数名の警備員が来た。服の上からでもわかるプロレスラーを思わせる。
「隼人に話がある」
「こちらへ」
両開きの自動ドアから中に入り、金属探知機で体を検査され、エレベーターで最上階に行った。そこでも、金属探知機で検査をされやっと隼人と話すことができた。十二畳ほどの部屋で、右の壁にはコップや酒を置いている棚。左には書物と冷蔵庫がある。部屋の置くには季節にちなんだ花と、今では珍しいレコード再生機が小さな台に置かれている。中央にはテーブルとソファーが数人分置かれている。
「珍しいな」
隼人はガラスのコップに、ジュースを注ぎながら言った。部屋に入ったばかりの僕は、ソファーに腰を下ろし、
「ここに来るまでが、面倒なんだよ」
「悪くいわんでくれ。警備会社の性さ。色々とモテルもんでね」
「僕もアプローチをしに来たよ」
その言葉で隼人の顔は、友人の顔から前島家の人間の顔へと変わった。コップをこちらに渡し、隼人は背筋の伸ばし言った。
「誰かに狙われているのか?」
「第五脳力研究所の事だ。生き残りに会いたい」
「会えはしないよ」
「なぜ」
「君だって知っているはずだろ。秘匿情報なんだ」
「詳しくは知らない」
「親御さんから何も聞いてないのか?」
「聞けやしないよ。僕は一人であそこに住んでいるんだからね。たまに帰ってくる親の鞄を漁って、調べるくらいさ」
「そうか……。それ以外の情報なら出せる。例えば、君の御両親の居場所とかね」
「ここか」
「会うかい?」
「ここに呼んでくれ。話をしたい」
数分後、隼人は退室し両親が入ってきた。母さん、小林江真はシミだらけの顔にぼさぼさの髪で体から汚らしさを溢れ出している。父さん、小林直人は白髪と黒髪が入り混じり、中年太りした体からは加齢臭が臭う。
「元気にしていて?」
席に着き、母さんは僕の体を気遣った。父さんは気だるそうな顔をし、僕のほうを見ようとしない。
「この通り。それよりも、第五脳力研究所について教えてほしいんだ」
「どこで知ったの?」
「二三度、あのマンションに帰ってきただろ。その時に資料を見たよ」
「そんな事を教えた覚えは無いぞ」
黙っていた父さんが口を開いた。その言葉に僕はムッと来た。だからあえて棘のある言葉を、
「そんな事も教えてくれないからだろ!」
「悠希、子供のような事を言っては駄目よ。あなたは十七歳よ」
「まだ子供だよ。それよりも、あそこで何をしてたんだよ」
母さんの目を見て言った。母さんは数秒固まった後、
「ただの研究よ」
「死人が出るほどの?」
「どこで」
「藤原家と前島家の人間だよ!」
その言葉で言い訳ができないと悟ったらしい。母さんは渋々説明を始めた。どこで知ったのか、何をしたのかを。
「あの時、僕に監視をつけていたんだね」
「心配だったからよ。だから前島家にお願いして」
「だったら、少しでも家にいてくれたらいいだろう」
「我儘を言わないでちょうだい。私たちにだって仕事があるのよ」
「大人の都合を子供が理解できるものかよ!!」
感情が爆発し、テーブルを叩いた。両親は驚き何も言わなかった。僕を知らない両親は、感情をむき出しにした僕に、何も言えなかった。
「聞きたいことは聞けたよ。僕は帰る」
「なぜ知りたがる?」
部屋から出ようとする僕に、父さんが問う。
「子供が親の仕事を知っちゃ駄目かよ」
「子供というには、頭が回るな。狐はどこにいる」
「自分で探せよ」
そう言い、僕は部屋から出た。
家に帰り着き、急いで自室に入った。タマは狐の姿で部屋の隅にいる。僕はたまに向かって、
「逃げるぞ!」
「何があったのですか?」
僕の緊張感を察したタマが身を起こす。
「僕の母さんと父さんが刺客を送ってくる」
「負けはしません」
「君は研究されているんだろ」
「見縊らないでください。私は九尾なのですよ」
その時、玄関の開く音が聞こえた。タマは動こうとしない。ならば、
「何をするつもりですか」
椅子を構え、僕は言う。
「戦うに決まってるだろ」
ドアが勢いよく開かれ、武装した集団が部屋に入ってきた。中に五人、ドア付近に四人、リビングに六人いる。武装集団は室内用の拳銃と頭にヘルメットを装着している。そのヘルメットは頭の天辺から鼻まで覆っている。目の部分は緑色に輝き、鈍い機械音が聞こえる。格好は黒一色で、動きやすいように、防護用の装備は頭以外着けていない。
「他人の家に土足で上がりこむんじゃないよ!!」
集団の一人に椅子を投げつける。そいつは手で椅子を弾き、一瞬で僕との距離を詰める。
「大人に椅子を投げつけるんじゃねえ!」
そう怒鳴り、左手で殴りかかってくる。格闘経験の無い僕は、防ぐことも避ける事もできず、顔面を殴られた。耐える事もできず、そのまま後ろに飛ばされ、床で背中を強く打った。
※
「ユウキ!!!」
殴られ気を失ってしまった。殴った奴はリーダーらしき奴に何か言われている。殴った奴は不満そうに部屋から出て行った。
「どういうつもりだ」
リーダーらしき奴に問うと、
「抵抗せずに、同行してもらうことは可能かな?」
「笑わせるな!」
そう言うと、奴は気絶したユウキの首を持ち、銃を突き付けた。
「大切な人なんだろ?」
「下衆が!」
「手段は選ばんさ。目的を達成できなければ意味は無い」
「小林江真と小林直樹の差し金だな。だったら人質の意味はなさないはずだ」
「目的を読み間違えてるんだよ!」
「私か!!」
「そうだ」
男は勝ち誇った顔で私を見る。あいつらの手先であれば、私の能力を知っているはずだ。なのに、どうして余裕の表情をしている……? だったら試してやる。
『死ね!!』
リーダーらしき奴だけでなく、ユウキ以外の全員に念力を送った。だが、何も起きない。あの時のように、死んだものは一人もいなかった。なぜだ?! 自分の力を疑った。そしてそれを表情で読み取った奴は、
「無駄だよ。対策をしてこない奴なんていないんだよ。さあ、どうする」
「好きにしろ」
「いい響きだ」
私は人の姿になり、奴が指示する通りに大人しく連行された。
※
「うっ!」
目を覚ますと頭に痛みを感じた。どうして? と思ったが、殴られたことを即座に思い出した。
「頭にまだ痛みがあるようね」
声のする方を向けば、母さんが氷水につけたタオルを絞っていた。僕が反射的に押さえた箇所に絞り終えたタオルを当ててくれた。ひんやりとした感触が心地よかった。周りを見渡すと、簡素な部屋だった。シングルのベッドが部屋の置くに一つ、テーブルに僕が横になっているソファー、小さな冷蔵庫のみ。
「……ありがとう。ここは?」
「第四脳力研究所よ。あなたは気にしなくていいわ。ゆっくり休みなさい」
「なんだって?! タマはどこに?」
「タマ……?」
「母さんたちが捕まえた九尾の狐だよ。今どこに」
「ああ、危険だから拘束しているわ」
母さんは罪悪感の欠片もない言葉を言った。それが頭にきた。同じ人間と思えなかった。
「研究者は皆そうなのかい? 他の生物を犠牲にしてまで、そんなに研究したいのかい?」
「それよりも、雅美さんと隼人さんがお見舞いに来ているわ。会いに行ったら」
「そんなことはどうでもいいよ。タマに会わせてくれ!」
「いったいどうしたの? あなたには立派な二人の友達がいるはずでしょう」
「タマもだ!」
「まあ!」
頭のおかしい人間を見るような目で、母さんは僕を見る。ああ、あの時カマキリを苛めた時、タマはこういう気持ちだったんだな。今になってわかったよ。僕たち人間がどれほど愚かで、惨めで、残虐で、生物の中で一番ちっぽけだという事を……。タマ……僕は決めたよ。
「母さんの言い分はわかったよ。最後で良い。彼女に会わせてくれ」
「ええ」
部屋を出て、黒い廊下を真っ直ぐ行って、二つ目の道を右、そのまま真っ直ぐ行って除菌を済ませ、タマが囚われている部屋に着いた。全面鏡張りの部屋で壁に貼り付けられるようにして、拘束されている。頭には武装集団と同じヘルメットを着けている。
「どうしてヘルメットを?」
「あれは脳が人間より発達しているの。イルカのように電波みたいな……私たちでは解読できなかったのだけれど、そう、例えるなら念力を相手の脳に送って操るのよ。あれの研究を進めれば、人間は更なる進化を手にすることができるわ」
子供が新しいおもちゃを手に入れたみたいに、母さんは語る。生き物であるはずのタマを玩具と同等に見ているんだろう。これが人間の姿だとよくわかる。
「母さん、人間より優れているというならば、あの拘束具も仕掛けがあるんだろう」
「ええ、経験を生かしたわ。私達小林家の遺伝子、まあ髪の毛とかをリモコンの挿入口に入れないと、操作できないようにしたわ」
「つまり、僕のことを信頼してくれているんだね」
「息子を信頼しない親なんていないわ」
勝手だな。この人は……。
「そのリモコンは?」
「ここよ」
白衣の右ポケットからボールペンとよく似た形の物を取り出した。太い部分には小さな穴があり、そこに髪の毛を入れるのだろう。細い部分には二つのボタンがある。一つにはアルファベットのOと小さく書かれたボタン。もうひとつはCと書かれたボタンだ。
「ヘルメットは簡単に外させるの?」
「心配性ね。あれ、遠くからでは見えないけれど、拘束具の首輪とヘルメットを繋いでいるから、外れはしないわ。欠点はヘルメットが頭の天辺を押すから、頭蓋が変形する可能性があるわ」
「母さん」
リモコンを貸してもらえないかい。そう言いかけた時、後ろから伸びた手が僕の肩に触れた。見ると前島隼人がいた。
「こんなところにいたのか」
隼人はいつものように、僕に話しかけた。
もう少しでタマを助けられていたものを……! もしかして、君も母さんの味方なのかい。警備を全て前島家に任せていたということは、隼人、君も一つ噛んでいるんじゃないのか。あの武装集団もだ。政府高官をも担当するのだ。武器の一つや二つ持っていておかしくない。だったら……雅美は? 彼女もなのか……?
「雅美が待ってる。君が怪我をしていると聞いて、飛んで来てくれているんだ。会ってやったらどうだ」
「ああ、そうだな」
「何だその気の抜けた返事は。考え事でもしているのか?」
見抜いた。前島の目がそう言うように、僕を見る。僕は動揺を見せないように努めた。
「いや、頭を打ったせいだよ。心配をかけるな」
「構うな」
「せっかく隼人さんと雅美さんが来てくれたのだから」
「わかってる。行こう」
母さんを残し、雅美の待つ部屋に向かった。雅美の待つ部屋は、僕が横になっていた部屋の二つとなりだった。
「なんで声をかけなかったんだ」
「木造建築じゃないんだぞ」
「少しくらい聞こえるだろ」
「この国の建築技術を馬鹿にしてるのかよ」
部屋に入ると、雅美は優雅に紅茶を飲んでいた。西洋風の椅子とテーブルに座っている和服美人は不協和音を生むことなく、一つの画として成り立っている。
「やあ」
「御体のほうは?」
「心配されるほどじゃないよ。わざわざ有難う」
「どうぞ」
雅美が椅子に座るように促す。僕はそれに従ったが、隼人は座ることなく部屋から出ようとしていた。
「一緒に飲まないのか?」
「一時的だが、ここの警備責任者が僕になってしまってね。お茶を楽しむ暇がないんだ」
「そうか。苦労をかけるな」
「お互い立場がありますわね」
雅美の言葉に隼人が答える。
「だから責任もある。子供を許してはくれないものだ」
「同感ですわ」
「じゃあ、行ってくる。用があれば、警備員に言ってくれ。部屋の外に待機させる」
隼人が部屋を出ると、雅美は棚にあるカップを新たに取り出し、紅茶を注ぐ。差し出された紅茶は品のいい香りがした。それを一口含む。
「うん。……おいしい。ダージリンだね」
「ええ。マスカテルフレーバーを用意しました。今までどこに?」
「部屋にいたよ。君が来ていると教えてくれたんだ」
「どうして、あの女性の方に執着しているのですか? 聞けば、異能を使う化物とか」
「偏見だよ。魔女狩りの時代は終わった」
「資料には目を通しています」
雅美は逃げ道を塞いだ。母さんとパイプがあるのは知っていたが、研究資料を見せてもらえる中とは知らなかった。裏があるのかもしれない。自分からは情報を出さないように、彼女に答える。
「前にも言ったが、知り合いなんだ」
「あれが?」
「君の答えは、僕の持っている真実じゃない」
紅茶を一口飲み、雅美の顔から表情が消えた。そして僕の予想しない話を持ち出された。
「相惚れであるが故の行動だったのでしょう」
「どこまで知っているんだ!」
「小林江真、藤原家、前島家。この一人と二家は繋がっているのですよ」
「資金提供だけと言ったのは嘘なのか」
「提供しているからこその情報共有です。どうしてあの方を?」
「それは……」
言いよどんだのが、答えになってしまった。
「惚れておいでなのでしょう。だから前島家が有する武装集団に挑んだ」
「君に関係ないことだ」
「あるのですよ」
タマに対する僕の話を切ろうとしたが、雅美は僕たちの関係に食い込んできた。
「どこに」
「将来、藤原雅美と小林悠希は両家の関係を深めるため結婚します。これは小林江真主導で行われています。藤原家も今後の研究結果次第では、了承するとのことです」
「なんだってそんな話が! 僕は聞いてないぞ」
「悠希さんのお母様は秘匿主義なのでしょう。研究者が故の性です」
「そんな理由で僕の人生が左右されちゃ堪らないよ! それに、君だって嫌だろう」
「どこまで私の心を踏み躙れば気が済むのですか!!」
怒声をあげ、紅茶をテーブルに叩き付けた。そのせいで紅茶は零れ、高級そうな和服に数滴の染みを作った。雅美は目を見開き、興奮のせいもあって顔を赤くしている。
「いつから」
気づけなかった。僕は今まで彼女を傷つけていたことに。ここに引っ越してきてから兄弟のように、僕たち三人は時間を共有してきた。だから恋愛感情というものを抱かずにいた。
「知りません。いつの間にか落ちていたのです」
「そうか……。隼人は?」
「気づいているでしょう。彼は私たちよりも大人ですから。……今まで私を女として意識しなかったのですか?」
自信なさげにこちらを見てくる。そんな彼女に僕は答える。
「最初はあったさ。今見ても君は魅力的だ。それは性格もだ。でも、どうしても忘れられなかった。僕はタマに恋をしていたんだ。そして……今もだ」
「どうして?!」
「タマが、彼女が僕の孤独を癒してくれたからだ。研究者の親は、いつも実験室に引きこもってた。その間僕はずっと一人で時間を過ごしていた。……両親が親をしてくれなかったせいでね」
「私では貴方を癒すことができないのですか!」
「……僕は、タマを愛している」
もう話すことはないと思った僕は、部屋を出ようと席を立った。眼を濡らす彼女に、
「僕は男の務めを果たしに行くよ。……幸せに」
「無責任よ!!」
雅美の嘆きに僕は答えない。涙を流す女を部屋に残し、僕は部屋を後にした。
※
空気を読んで、部屋を出てから三十分。もうそろそろいいだろうと、部屋に戻ると藤原雅美の顔を濡れていた。それも一人で。
「悠希はどこに?」
雅美は泣き崩れ、俺の問いに答えられない。なぜ彼女が泣いているのか。それは聞くまでも無かった。抑え様のない怒りが、体中から止め処なく溢れ出る。悠希のいる場所へ、俺は全力で走った。
化物を拘束している部屋の前で彼は立っていた。
「悠希!!」
怒声をあげ悠希に近づく。彼は俺の顔を見て、察したのだろう。動くことなく目を瞑った。
「良い根性じゃないか!!」
そう言い、左頬に渾身のパンチをぶちかました。悠希は倒れることなく、俺を見据える。
「警備はどうしたんだ?」
「雅美を泣かしたな!!!」
「聞いていたのか?」
「聞くまでも無い。そこまであの化物が愛しいか!」
「だからここにいる」
「もう一発くれてやるよ!」
次は無かった。悠希は腰を落とすと俺のパンチをかわし、拳を放った。無防備にそれをくらいバランスを崩し、体を地面にぶつけた。痛くはなかった。だが届いた。そして言葉として悠希は発した。
「化物も人間もあるかよ。お前たち人間のように、僕にも色眼鏡があると思うなよ! 僕はタマを愛しているんだ」
本気だ。この男は両親の期待を裏切り、藤原家と前島家を敵に回してまで、あの化物を救おうとしている。何を言ってもダメだろう。もう、俺たちは平行線なんだ。人間か……。俺はいつから神様になってたんだろうな。
「拘束を外すまではお前が何とかしろ。協力は脱出までだ。それからは、止めることも助けることもしない。前島家の長男としての責務を果たす」
「大人だな」
「いつまでも子供をやってられないんだよ。それを許してくれる環境でもない。それは雅美も同じだ。……お前はどうしてそこまで?」
「君たちの両親は親をしているんだろ。察してくれよ。愛されなかった子供が親の期待に、どういった答えを出すのか」
「お前は、子供だよ」
「大人になれる器用さを備えなかったんだ。君は器用だよ」
「処世術さ」
体を起こし、俺は友人の為に行動する。良い友人だったよ、小林悠希。
※
直樹とこれまでの研究結果とこれからの研究の話を終え、二人で一休みのコーヒーを飲むことになった。
「有難う」
コーヒーメーカーで作ったものは香りがいい。香りをたんまりと楽しんだ後、一口。
「うん。美味しいわ」
「よかった」
直樹は私の感想に満足し、自分もコーヒーを口にする。飲んだ時、顔が歪んだがそれを私から見えないように隠す。
「やっぱり、コーヒーはブラックだよね」
「貴方、私の真似ばかりするのね」
「そ、そんなこと……」
バツが悪そうに視線を下に向ける。本当に子供ね。私が金目当てで貴方に近づいた事も、私の研究を受け継がせるために貴方とセックスした事も、貴方は気づかなかった。貴方は幻想の中で生きている。それでいい。私の研究の邪魔さえしなければ。
「そう言えば、悠希に話したそうだね」
「ええ。あの子は私達の研究を受け継ぐのですから」
「必要はなかった」
「どうして?」
「九尾の狐に悠希は惚れている。だからあのような馬鹿な行動もした。悠希が拘束具のし掛けを知っているということは、逃すことも有り得るということだ」
「惚れているですって? 冗談でしょ。人間が他の動物、それも今まで未確認だった生物に恋焦がれるなど。あり得ないわ」
「人間の姿になることも可能だ」
「でも、九尾の狐よ? 人外であるがゆえの、本能的な嫌悪は誰にでもある。よく言うでしょう。人を馬鹿にするときに犬と」
それでも、直樹は納得の表情を私に見せなかった。逆に、もしもの事が起きた時の対策を練るような顔になっている。だが、それを遮るようにノック音が鳴った。直樹は我に返り、ドアを開けると、
「前島隼人です。小林直樹様に警備についての御相談があります」
「うん。……行ってくるよ。あんまり信用しすぎるなよ」
直樹は前島隼人と共に姿を消した。信用しすぎるな。直樹の言葉が息子に対する絶対的な信頼に少しだけヒビをいれた。
「大丈夫よ。私の子供よ」
これ以上広がらないように自分に言い聞かせ、冷えたコーヒーを一気に飲み、頭をリセットする。一つ息を吐き、完全にリセットさせ作業に戻ろうとした時、またノック音がなった。
「忘れ物?」
直樹だと思い開けたが、息子この、小林悠希だった。
「あら。どうしたの?」
「タマの話の続きだよ」
「それね」
悠希を部屋の中に入れ、適当な椅子に座らせる。
「コーヒーは?」
「長話をするわけじゃないよ」
「そう」
自分の分だけコーヒーを入れ、悠希と対面するように椅子に座る。
「何を聞きたいの?」
「操作をしたい。言葉だけの説明より、実際に動かした方が理解できる」
「動かせば、あれが自由を得るわ」
「僕が近くにいるよ。そうすれば、乱暴はできない。僕はタマに信頼されているからね」
「そうね……」
即答できない提案だった。一度消したはずの考えがウジのように湧いてくる。信用が疑いに変わっていく。信じたいが、信じられない。もどかしい気持ちに駆られる。自分はどんな顔をしているのだろう。息子を信用する母親の顔になっているのだろうか。コーヒーに映る自分の顔を見たが、よくわからなかった。思い返せば、鏡を見る暇もない人生だった。
「信用してないんだね」
答えを出さない私に息子は問う。この提案に乗らなければ、直樹を信用したことになる。それは一人の子を持つ母としてできないことだった。だから、
「無茶はしないで。何かあれば直ぐに逃げなさい」
「そうだね。……直ぐに、逃げるよ」
リモコンを受け取った息子は、一度も私の目を見ることなくこの部屋から出て行った。私は後ろ髪を引かれながらも、自分の仕事を優先した。
※
隼人さんがこの部屋を出てからも私の涙は止まらなかった。あの化物に愛しい人を寝取られた気持ちが誰にわかろう。想いを伝えて尚、受け取ってもらえないこの気持は、どこにやればいい。叫びたかった。誰かに八つ当たりをし、この行き場のない気持ちを少しでも消化したかった。それでも、私には許される行動ではない。藤原家を背負うものとして、子供のように感情だけで動いてはならない。そう教えられてきた。そう強制されてきた。そして私は自分にも強制してきた。だが、悠希さんの事になると、自分に強制することはできなかった。彼を愛しいと思う気持ち、彼に近づく女に抱く嫉妬。その感情が私から理性を剥ぎ取る。
「うっ…………ううう、ぅぅぅ」
泣き声だけが響き渡る部屋に、ノック音が鳴った。だが、答える気はなかった。彼は戻ってこない。その確信はあった。隼人さんだろうと思っていた。隼人さんには泣く姿既に見られている。今更……。
ドアが開き、現れる姿は悠希さんのお母様だった。私は慌てて、顔を隠し涙を拭く。
「その、改めるわ」
気を利かせ退出しようとするお母様に、
「大丈夫です。少し、目にゴミが入っただけです。どうぞお席に」
その気遣いを受け取るわけにはいかなかった。藤原家の者としてのプライドがそれを許さない。お母様はそれ以上何を言わず、私の促しに答えた。私も長い髪で顔を隠し、席につく。
「私に何かお話でも?」
「婚姻の話は覚えているでしょう。私は前向きよ。だから、将来の妻として息子の悠希に何かあった時、雅美さんに支えて欲しいの。これは悠希の母としてのお願いです」
「嬉しいお言葉です。ですが、私には藤原家としての立場もあります。私は身勝手な行動をできないのです。ですから」
「ええ。わかっています。話は通しておきました。藤原家の人々も第五能力研究所での研究データを見て、結論を決めている様子です。後は二人の問題ですから」
「それはいつ?」
「先ほどですよ。藤原家から電話がありました。では、よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」
これで、悠希さんと一緒になれる。大丈夫。彼は目を覚ましてくれるはず。私が目を覚まさせる。決意を固めた時、この研究所でけたたましい音が鳴り響いた。
「緊急事態?!」
悠希さんのお母様が驚きの声を上げる。たぶん彼だ。何かを使ってあの化物を逃したのだろう。解放しなければ。
「私も行きます」
お母様と一緒にタマを拘束していた部屋に行くと誰もいなかった。拘束具は外され、ヘルメットも地面に投げ出されている。
「警備は何をしていた!」
激昂の声を上げ、警備責任者の前島隼人を探す。なかなか見つからず、お母様は声を荒らげる。
「隼人さん! 隼人さん! 私の、私の九尾の狐が」
各所に配置されていた警備員はどこにも居らず、隼人さんの居場所さえわからなかった。この事を不自然に思ったのは、私だけだった。前島家の隼人さんが警備員を配置させないわけがない。わざと逃している。そう確信した。
第四能力研究所の隅々まで探した。研究所ということもあり、資料室、研究員室、会議室、実験室、浴室、キッチンルーム、談話室と研究員が快適に過ごせるように、様々な部屋が用意されている。だから人一人探すのにも時間を有する。
最初に見つけたのは、警備員だった。警報を聞いた数名の方が、何があったのか聞いてきた。お母様は、
「わ、私の狐が! 研究材料が!!」
失ったショックで、説明することもできなかった。警備員は助けを求めるように、私を見てきた。だから、
「隼人さんは?」
「小林直樹様と一緒にいるはずですが?」
警備員の一人が妻である小林江真を見るが、一人でブツブツと何か呟いている。
「私達も探しているのです。貴方は隼人さんを。他の者は他の警備員のいる場所へ案内を」
「失礼」
警備員は迅速な行動をした。動揺しうまく走れないお母様と、和服で走れない私を警備員は担ぎ、他の警備員がいる談話室へと連れた。その四分後、隼人さんと悠希さんのお父様が額に汗を滲ませながら来た。
「どうしたんだ!」
お父様はお母様に問うたが、その答えは隼人さんに対して述べられた。
「隼人さん! 狐がいないんです。悠希と一緒に消えたのです。探して下さい。私の目の前に出して下さい」
泣き叫ぶように、お母様が隼人さんに懇願した。その様子をお父様は哀しそうに見ている。隼人さんはわざとらしく、
「あいつめ!!」
抱くはずもない怒りを露わに、小林夫妻の為に警備員五人を残し、その他二十五名に周辺の捜索を命令した。次にポケットから携帯を取り出し、本社にいる隼人さんの父に連絡。状況報告のため、数名とヘリを寄越すらしい。前島家は総力を上げ、捜索するとの事だ。
「私も行きます」
隼人さんに告げたが、彼は首を縦には振らなかった。
「君は待つべきだ。悠希は戻ってくる」
「待つだけが女の仕事ではありません」
「化物もいるんだぞ」
「化物が何だというのですか!! ジャンヌ・ダルクは戦場に立ちました」
「君には藤原家があるだろ!!」
「悠希さんのお母様に頼まれました」
「だったら俺に託せ!」
「将来の夫の危機に動けない妻など、この世にはいりません! 私は彼のそばにいます」
「そうか、認められたのか。意地になって怪我するなよ」
前島家のヘリに乗り、隼人さんと化物と同じヘルメットをした武装集団十五人と共に、彼を探す。もう離しはしない。私は貴方のお母様に認められた。だから、どんなに手を振りほどかれようが、私は貴方の手を取り続ける。
※
狐の姿になったタマの背に乗り、僕たちは松野村を目指した。家も、頼る所もない。僕たちは過去の居場所に向かうしかなかった。
飛ぶように走るタマは車よりも早く、振り落とされないようにしがみつくので精一杯だった。タマは時折こちらを気遣ってくれた。僕は首の動きだけで答えた。声にするほどの余裕がなかったからだ。体感時間で二時間、僕たちは松野村に着いた。何も変わってなどいなかった。ここだけが時間を無視し、生きているようだった。
「逃げられると思うかい?」
一時の平穏が永遠に続けばと願う。だが、願って叶う現実などなく、
「衛星カメラで見つけられます。戦わなければならないでしょう」
「どうやって」
「壊せばいいのですよ。ここには石がある」
「僕もやるよ」
「ええ。隠れましょう。正面からあたっても勝ち目はありませんからね」
僕たちが選んだ場所は、タマの母が殺された場所だ。細い道が一本しかなく、後は茂みばかりだ。道を挟んで左右の茂みに僕とタマは隠れ、待つ。
蚊に五ヶ所ほど刺された頃、向かいにいるタマがこちらに手を降ってきた。石を投げやすいように人間の姿になっている。左手は森の出入り口側を指し、右手は鉄砲の形をとっている。敵が来たのだ。
武装集団十五人の内十人が周辺警戒をしながら前進している。その後ろには隼人と雅美が五人に守られている。タマを見ると指でタイミングをカウントしている。残り五秒。二人が来るとは思っていなかった。だから来た時の打ち合わせなどしていない。当たってくれるなよ。そう願いながら、すべての指が閉じられた瞬間、僕たちは石を投げた。
「なんだ!?」
突然の事に武装集団は驚きの声を上げた。石は前の集団五人に当たり、どれもヘルメットが破損している。タマはそれを見逃さなかった。一瞬にして自由を奪い、残りの五人を撃ち殺した。バン、バンと鼓膜を切り裂くような轟音がこの場に響き分かった。撃たれた者は、膝から崩れ落ちピクピクと小刻みに揺れている。
「タマ!!」
この酷たらしいものを見たくなかった。思わず体を茂みから出しタマを制止する。
「もう殺すな!」
銃声は止んだ。だが、僕の姿を見られてしまった。隼人と雅美を守っていた五人が、こちらに銃を向け、
「出てこい! お前の友人がここにいるんだぞ」
隊長格が二人に指示を出し、隼人と雅美に銃を突きつける。雅美は非難する目で睨むが、隼人がそれを止める。
「さあ出てこい! それとも友人を見殺しにして女を手に入れるか?」
「いいだろ」
目でタマに待機を命じ、僕は彼らの前に出た。
「あれはどうした?」
「……」
「しゃべる気がないんだったら、起こさせてやろうか!」
隼人と雅美のこめかみに突きつけた銃を見せつける。二人に怯えはなく、隼人は哀れみの目を、雅美は想い人を見る目でこちらを見る。
「悠希さん、戻ってきて下さい」
「守りたい人がいるんだ」
「あれは人間ではないのですよ」
「人間じゃなければいけないのか? いつだってそうだ。人間はエゴの塊だから簡単に命を断つことができる」
「それと貴方があれと一緒にいることは違うでしょう」
「君はわかってくれないね」
「私の事を貴方はわかって?」
「気持ちは理解している。それでも、僕はタマを選ぶよ」
「交渉だ」
隼人が僕たちの会話に入ってきた。雅美との会話が不毛だと悟ったからだろう。彼は前島家長男として動いている。もう、隼人とは友人ではなくなってしまった。それでも、銃を突き付けられた彼を見て、見捨てることができなかったのは僕がまだ子供だからなのかもしれない。
「何を?」
「狐を渡せ。研究所内では自由に会わせてやる」
「頷くわけないだろ。そんな人生、誰が望む」
「あれに人権はないんだよ。法律も通用しない。何をしたって問題ではない。逆に野放しにすることが問題になる。異能を使う化物を野放しにしたってな。さらに君の母親の言葉を借りるなら、人類の進化のためにあれが必要なんだよ」
「あの人はそんなことを考えられるような人じゃない。研究者なんだよ、僕の両親は。だから親を放棄したんだ。そんな僕にタマは手を差し伸ばしてくれた。僕にとって彼女は必要なんだ」
「お前の理由など知ったことではない。渡せ」
隼人は懐から拳銃を出し、こちらに向ける。
「それは隼人、君の答えか?」
「お前の答えは?」
「言ったろ」
「ああ、そうかよ!!」
激昂の声を隼人は発し、トリガーの指をかける。撃とうとする隼人を雅美が、
「やめて下さい! 悠希さんにもしものことがあれば、私は! 私は!!」
「やめろ! もう話し合いは終わった」
「私の男なのですよ!」
「女の勝手な想いで事態が動くと思うな!」
二人の悶着にみんな視線を向けた。隙ができたのだ。タマはすかさず五人を操り、隼人と雅美に銃を突きつける二人ともう二人を撃った。しかし、こちらに損害が出た。操っていた五人全てを撃たれてしまったのだ。隊長格がそれを一人でやった。そして、
「もう手はないな。おい化物!! この男を殺されたくなければ出てこい」
「出てくるな! 君は逃げろ!!」
「十数える。出てこい」
逃げてくれ……!
だが、その願いは叶えられず、タマは茂みから出てきた。
「ほう、人間の真似か。こいつが人間だから人間の格好をして、誘惑でもしているのか? だが、臭いな。獣の臭がする」
「我が種族の誇りを忘れたことはない!!」
「人間に想いを寄せて何を言う」
「玉藻前を知らずに語られたくはないぞ!」
「化物風情が。さあ、チェックメイトだ。こちらに来い」
隊長格の言葉を受けて、タマがこちらを見る。僕もタマを見る。行くな、僕が守る。それだけを思った。タマは頷き、顔を隊長格に向ける。
「行くものですか」
「だったら、その意志を奪い取ってやる!」
銃をタマから僕に向け、テレビゲームのゾンビを撃つような顔で撃ってきた。バン、バン、バン、バン。轟音が鳴り響いた。僕はタマに当たらないように、彼女の盾になった。でも、痛みはなかった。タマを見てもどこからも血が出ていなかった。
「やめて下さい! 悠希さんを撃つことは私が許しません」
見ると、撃つ直前に雅美が銃を押さえつけたようだ。両手で銃を抱いている。隊長格はウザったいと顔に出し、雅美を離しにかかる。
「貴様は!!!」
完全に頭に血が登ったらしい。銃を話さない雅美を隊長格は拳で殴った。
「ああ!」
雅美は声を上げ、地面に倒れる。
「雅美」
隼人は雅美を抱え怪我をしていないか確認する。見たところ、気絶をしているだけらしい。
「すみませんね。仕事の邪魔なんですよ」
「わかっている。続けてくれ」
隼人はこちらに興味をなくしたかのように、膝枕を作って雅美を横にする。そして殴られたであろう部分を優しく撫でる。
「お前のせいで女が傷ついたな」
「殴っておいて何を言う!」
「子供なんだよ。お前の独りよがりの行動で、何人の人間が死んだと思っている」
「正しいことをしない大人がいけないんだ」
「化物を守ることが正しいことだってか? テレビの見過ぎなんだよ。この世界は人間社会である以上、人間以上の生き物がいては後の害になる。大人ってのは広い目でこの世界を見ている」
「そうやって、命を奪うんだな。社会のためだと言って犬猫を殺すように、人間のエゴでタマも実験材料としていいように使われる。それを正しいと言う大人は、間違っているんだよ」
「世間知らずは、自分の正義を振りかざして世を乱す。だから大人が教育しなければならん。そういった点でお前の親は親として失格だ。お前に世間というものを覚えさせなかったために、こういったことになる」
「例え教えられたとしても、僕はこうしていたよ。それは命が平等だってことを知ったからだ。……母さん!!」
隊長格の後ろから母さんと父さんが走ってくる。隊長格も後ろを見て、それを確認する。邪魔者が来た。そう顔に書いている。
「おい、お前の親が来たぞ。いい子でいなくていいのか?」
「僕に親はいない」
「捨てられたか?」
「見限ったんだ」
「お待ちください。息子を撃たないで下さい」
走ってくる母さんが必死に叫ぶ。今更母親面をしても僕には何も届きはしない。ここにいた時、あの人は一度も僕を見てくれなかった。
「どうしますか?」
隊長格は隼人に聞く。隼人は、
「小林御夫妻いての実験だ。もし反感を買えば、出資している藤原家に合わせる顔がない」
「わかりました」
隊長格は銃を下げ、事の成り行きを見守る。
「何しに来た?」
「貴方を助けに来たのよ。狐に化かされているのでしょう。可哀想に……」
そう言いながら、母さんは僕に近づいてくる。
「それは違うよ。僕は僕の意志でここにいるんだ」
「それは化物なのよ」
「皆、そんな考えだから他の生き物の痛みがわからないんだよ。平気で実験材料にできるんだよ」
「どうしてしまったの。貴方はそんなことをいう子ではないはずでしょう? さあ、こっちに来なさい。あなたには雅美さんもいるのよ」
「僕の何を知っているってんだよ。あんたたちが外で仕事をしている間、僕がどんな気持ちだったかわからないだろ! 想像したことないだろ!!」
「あんまり母さんを困らせるんじゃない」
「子供は困らせていいってんのか?」
「私達は親だぞ」
その言葉にタマが反応した。
「それは傲慢ですよ。子供にも子供なりの都合があるのです。親はそれに答える義務があるはずです。それをできなかったからユウキはあなた達に反感を抱いているのでしょう」
「化物が人間に説教などと……。身の程を知れ!」
タマの言葉を聞こうとしない父さんに、
「僕はお前たちのおもちゃじゃない! それがわからないから、親をしなかったんだろ」
「そんなことはないわ。貴方のことはずっと思っていてよ。だからこうして説得しているのよ」
母さんは必死に僕の説得しているが、僕にはわかる。この人はタマにしか興味が無いんだ。僕を説得して難なくタマを手に入れようとしているに、決まっている。
「ダマされるものかよ。大人は平気で嘘をつく。子供が騙されやすいなんて思うなよ」
「どうしてわかってくれないの! 藤原家、前島家と交流を持ってのも全て貴方のためなのよ。いきなり引っ越したせいで、友達ができなかったらどうしようかと。だから……」
「信じられるかよ!」
「はあ……」
父さんが深い溜息を吐いた。それは、どうでもいい劇を見せられた客を思わせる顔だった。どうでもいい。そう物語っている。
「悠希、お前がいるから事態がややこしくなる。お前がいるからここに来る羽目になった。全てお前が悪いんだよ」
「貴方……何を言っているの?」
母さんの疑問に父さんは反応を示さない。僕を見据え、
「邪魔なんだ」
そう言って、懐から拳銃を取り出した。トリガーには指がかかっていてなんの反応もできなかった。それはタマも同じだった。
「やめて!!」
母さんの叫び、そして銃声が雄叫びを上げた。閉じた目を開くと、僕の側で母さんが倒れていた。見ると、腹部から血を流している。父さんの撃った弾が当たった。
「江真!!」
それに気づいた父さんは、母さんに駆け寄る。僕は声をかけることもなく、母さんから距離をとった。頭が混乱していた。どうして僕を庇ったのか理解できなかった。親を放棄したこの人が何を思って僕を庇ったのかが。
父さんに抱えられた母さんは、
「……悠希は?」
一瞬、悔しそうな顔をした父さんは、一度僕を見て母さんに、
「無事だよ」
「そう、よかった。……悠希、悠希、どこにいるの? 目が見えないの。もう一度触らせて、私の可愛い悠希」
僕は動けなかった。頭がものすごく痛い。なんでなんでと疑問だけが増えていく。
「ああ、しっかりしてくれよ。研究はまだ続くんだろ。僕達の夫婦生活も続くんだ」
父さんが呼びかけるも、母さんはそれに答えない。僕の名前をずっと呼んでいる。
「悠希、そうね。寂しかったのね。ごめんなさい。母さん、馬鹿ね。自分の子供の気持ちに気が付かないなんてね。許して頂戴。母さんは貴方を愛していたわ」
「おい! 諦めるんじゃない。僕はどうなるんだ。君がいて僕の人生は輝くんだぞ。君が死んだら、寂しくなるじゃないか」
父さんが必死に呼びかけるも、僕に対する言葉を最後に母さんは動かなくなった。頬に涙を流しながら、僕がいた方に手を伸ばしていた。
誰も声を出せなかった。予期せぬ死だった。隼人は母さんの死を見ると、隊長格を下がらせた。終わったのだ。前島家が動く理由がなくなった。タマを求める理由が母さんの死でなくなったんだ。
父さんは立ち上がり、僕の方を見る。そして、
「江真はお前のことを考えていたよ。ずっとな。夫の僕のことなんか見向きもしなかった。嫉妬したよ。お前が生まれるまで、江真の心は僕のものだった。それをお前が奪った。そして、江真の命まで……。もう生きていてもしかたない。お前を産んだことが僕たち夫婦の最悪だよ」
父さんは拳銃を自分の眉間に突き付け、
「江真……私達はずっと一緒だ」
その言葉を最後に自分の命を断った。
「なんなんだよ。なんでこうも勝手なんだよ。今更さ、母親面してもさ受け入れられるわけ無いだろ! こんな父親にいらないと言われた子供が、親を受け入れられるわけがないだろ!! ……遅すぎるんだよ!!!」
哀しくもないのに、涙が止まらない。どんよりと重たいものが心臓にへばり付いて気持ち悪い。
「うわああああああああああああ」
それを消したくて、叫び声をあげる。どうして……死ぬ直前にこんなことを言うんだよ。最後まで、親をしなかった親でいてほしかった。そしたら、こんなにも心が乱れなかったよ。
「悠希、これで自由だ。よかったな。これで化物と仲良く出来る。……さようなら」
泣く僕にそう吐き捨て、隼人は雅美を抱え隊長格と共に姿を消した。
「タマ、僕はこれでいいんだよな? 君を本気で愛している。君を守りたかった。両親が死に、友人を失ってもだ。……いいんだよな?」
認めて欲しかった。僕が招いたこの悲劇を認めて欲しかった。
「有難う。嬉しいわ。私は幸せですよ」
「ああ、この村に住もう。二人で家を立てて、お米と野菜を育てて二人で生きよう」
「ええ、これからも幸せになりましょう」
こうして僕たちの戦いは終わった。皆とは最後まで分かり合うことはできなかった。人間でないから、殺していいとその傲慢が僕たちの理解を妨げていた。タマは言った。「命は尊いもの」だと。それを人類が自覚できる日は来るのだろうか。