借金取立人と会社
ウイーンと小さく音を立てて両開きの自動ドアが開いた。
グランデとバッソが建物の中にはいると、正面にあるカウンターでどこか機械的な笑みを張り付けた受付嬢が、どこか機械的にきっちりお辞儀をした。
背の高いバッソは少し腰を折って、受付嬢の一人に話しかける。
「中央銀行の者です。ウィギー社長をお願いできますか?」
「かしこまりました。少々お待ちください」
受付嬢が内線電話を取った。
その間グランデとバッソは、天井は吹き抜け、壁はガラス張りの玄関ホールをぐるっと見渡した。
「ああ、忙しい忙しい」
「忙しい。ああ忙しい」
今日も、社員たちは忙しそうだった。
「はい、かしこまりました」
ガチャンと受付嬢が受話器を置いて、グランデを見る(バッソはカウンターよりずっと背が低い)。
「最上階社長室です。東、右奥のエレベーターでどうぞ」
どこか機械的に、受付嬢はホールの右を示す。
「ありがとうございます」
軽く会釈をして、二人は歩き出した。
エレベーターは、最上階にたどり着く前に一度止まった。
「ああ、忙しい忙しい!」
真っ青なネクタイを締めて、首から社員証を掛けた男が乗り込んでくる。
男はグランデとバッソを見て、ぱっと笑った。
「忙しい忙しい。ああ、中央銀行の方ですよね。こんにちは」
「こんにちは。以前はお世話になりました」
「いえいえ。ややこしいですよね、ここのエレベーター。ああ忙しい」
自分もよく間違えます。と男は笑った。
地上30階建てのこの建物には、西エレベーターと東エレベーターがそれぞれ4機の、全8機ある。
そのうち東西に、最上階までが1つずつ、25階までが1つずつ、20階までが1つずつ、15階までが1つずつ。
どれもこれも、ドアのデザインは全く同じ。
初めてでは、誰もが迷う。
「急いでる時なんて、大変ですよ。ああ忙しい。1、2階なら階段で行った方が早いこともあるんです」
「良い運動になりますね」
「本当ですよ。忙しいったらありゃしない」
ポーンと音がして、エレベーターが止まった。
「ああ、自分ここなんで、失礼します。忙しいなあもう」
「お疲れさまです」
「そちらも」
人好きのする笑顔を残して、男はエレベーターを降りた。
「……忙しい」
「何だか大変そうだね」
グランデが言うと、バッソは少し首を傾げた。
しかし、グランデが頷くと、バッソも頷いた。
「では、融資金の増額と言うことでよろしいですね?」
「…………………………ああ」
「でしたら、こちらの書類にサインをお願いします」
「…………………………ああ」
うつろで濁った目をした社長がゆっくりゆっくりペンを取って、ゆっくりゆっくりサインを書いた。
麻薬中毒者のような、ガタガタフニャフニャした字だった。
「……」
「はい、確かに」
受け取った書類を見て、二人は頷いた。
高そうな革張りのソファから立ち上がる。
「では、失礼します」
軽く会釈をした二人は、分厚くて重たいガラスのドアをくぐって社長室を後にした。
「……お終い」
「会社はね」
エレベーターに乗り込んだ二人は、うん、と頷いた。
もう、無理だね。
下りは一度も止まらなかった。
ただ、二人がエレベーターホールから玄関ホールに足を踏み入れた時、傍らの扉がガチャリと開いた。
「あ! 良かった間に合った! 忙しい忙しい!」
「どうも」
扉の向こうは階段のようだった。
はあはあと肩で息をしながら、青いネクタイの男はにっこりと笑った。
「忙しい忙しい。もう帰ってしまったんじゃないかと思ってました。良かった良かった」
「どうかなされたのですか?」
グランデが聞くと、男は銀のアタッシュケースを二人に突き出した。
「どうぞ。ほんの端金で申し訳ないんですが。ああ忙しい」
男はゆっくり息を吐きながら苦笑した。
「拝見しても?」
「どうぞどうぞ」
三人は近くにあった待合い用スペースに向かった。
ガラス面のローテーブルにアタッシュケースを置く。
グランデが開けると、中には札束がびっしり詰まっていた。
「うわーお」
「……」
さして驚いた様子もなく、二人は札束を一つ一つ手に取って、数を数える。
「さすが、慣れた手つきですねえ」
「仕事ですから」
「……」
数分して、札束が元通りにアタッシュケースに戻された。
グランデとバッソは顔を見合わせて頷くと、にこにこ笑う男の方を見る。
「ちょうど1億テートですね」
「そうですそうです」
男は笑って頷いた。
「今日は、何だか会社がざわざわしてましたね」
「ええ」
男は笑って頷いた。
「これからみんなでバカンスなんです。いやー、恥ずかしながら、南の島なんて、自分、初めてで」
「そうなんですか」
「ええ、ええ」
男は笑って頷いた。
「有り余ってる会社のためには回さない死ぬほど使えない奴のプライベートな金で遊ぶのなんて、初めてです!」
楽しみだなあ! と男は笑った。
「……」
「そうですか」
グランデとバッソは、揃って頷いた。
誰かが、男を呼ぶ。
そちらに顔を向けると、会社の社員たちがこちらに向かって手を振っている。
「おっと、みんな待ってるから自分はもう行きます。それじゃ!」
ああ、忙しい、忙しいなあ。
男が社員証とネクタイを外して、宙に放り投げた。
みんながみんな、嬉しそうに笑って、何処かに駆けていく。
それは、どこか南の海の波のようだった。
その波はあっという間に遠く引いていってしまって、グランデとバッソは、何だか誰も居ない干潟に立っているような気分になった。
「……バカンス」
「僕らも欲しいね。貰おうか」
「……」
うん、とバッソが頷く。
「やっぱり海が良いなあ」
「……海」
干潟を歩きながら、二人はもうバカンスに思いを馳せる。
「……海の、絵」
「見たいな。バッソの海の絵」
受付嬢のいないカウンターは、突き出た岩のようだった。
「……グランデ、海の話」
「うーん。そうだね。書こうかな」
むっと暑い夏の空気が二人を包んだ。
でも、そんなことは気にならない。
「楽しみだね。バカンス」
「……」
バッソが頷いた。
澄んだ海は、まだ見えない。