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虎と鼠

「とーらー」

 闇の中からかかったやや情けない声に、呼ばれた方はやや逡巡したのちに……振り返った。

「お前今、さっさと行こうか悩んだだろ? ひでえよ昨日から、ちょーひでー」

 ほんの寸の間の動きからでさえ、的確に当ててみせる。ややげんなりしながら暗がりから現れた男を見た。

「鼠……昨日から、そればかりだなお前は」

「だってそーだろ。あの後どんだけエライ目にあったか……」

「身から出た錆だ。お前の口は、迂闊すぎる」

「だからって人身御供に差し出さなくったっていいじゃんかよぉ」

「知るか。鼠の名を晒さなかっただけありがたく思え」

「ええー。理不尽ー。俺がお前にかなう訳ないのにー」

「語尾を伸ばすな。うっとうしい」

 心底嫌そうに顔をしかめると、空気の読める男――鼠はいったん黙った。こうやって如才ない部分があると同時に、救いようのないよく滑る口も持ち合わせているのが、虎には不思議でならなかった。

 エルデュアの前で、「鼠」と呼んだ男は――動き回る侵入者であると同時に――「闇の鼠」でもあった。

 諜報活動――特に、二重三重の間諜となって立ち回り、時には対立する双方を共倒れの総崩れに持ち込むことさえある。情報をあらゆる場所に送り込むことを得意とし、さながら見えぬ穴から穴へ抜け、縦横無尽に駆け抜け、動向を掴ませぬ、小さな鼠だった。

 屋敷に現れた時から、護符がなくても本気でこの鼠を殺すことはなかった……おそらくは。

 今回は国王より闇として指令を受けてハルエスのもとに赴き、さらにエルデュアのところへ命令によって護衛を行っていたようだ、と見当がつく。

「で、あちこちにもぐりこんだ成果はあったのか?」

 やや皮肉を込めて尋ねると、いや別に、とまたしても軽い答えが返ってきた。

「今回はかんっぺきにお守りだから。派手に人が入れ替わって、国王はウハウハだったけど、あの二人は敵が増えただけじゃん? ま、事後処理兼ねた保険って感じ……睨むなよ。ほんとだって。嘘吐かないって」

 胡散臭そうに虎が目を細めると、勘弁してよ、と鼠はがくりと肩を落とす。

「闇相手にまで出まかせいいたかねーよ。敵にはならないんだし」

「この期に及んで妄言を抜かすなら、切って捨ててやる」

「ヤダよもー!」

 びょん、と飛んで逃げる気配がした。かなり遠くまで距離を取られる。さして問題にもならないが、あえて追うことはしなかった。切り上げ時か、と思ったのだが。

「珍しくそっちから声をかけてきたかと思えば……用件はそれだけか」

「そーだけど。だってつまんねー誤解されると超怖いし。狼も狐も梟もこえーけど、なに考えてんのかわっかんない虎が一番おっかない」

「どういう意味だ。大体、こっちを怖いなどといいながら龍たちとつるんでいるくせに」

「あいつらはいいんだよ! ある意味振り切ってて、恐怖を感じなくなっているから。てか、天龍も地龍も、俺のことなんて眼中にないし。あいつら二人の世界で、俺にはテキトーに話し合わせてるだけなの見え見えじゃん。でもお前らはいじめてくんだもん」

 どこのクソガキだ、という口調。ため息をついた。怒りや殺気を通り越して呆れる。だがまあ、己はともかく、ほかの連中については、覚えがなくもない。特に狐。時々梟も。

「……別にお前をどうこうする気はない」

「あったりまえだろ。やられてたまるかよ。お前らなんて、キューソが噛んでも歯が立たない相手なんだぞ」

「それは、急所を狙えないそっちの問題だ」

「なわけあるかよ。てか、とっとと野良犬退治するかと思えば、鼠発言して暴露してくるし。一瞬マジでバラされるかと思ったんだぜ」

「そんな無駄なこと、誰がするか」

 吐き捨てるように言うと、ため息が聞こえた。遠くても、感度のいい耳ははっきりと拾う。

「そりゃね。命令された最低限しかやらない虎のことだから、休日出勤て訳じゃなさそうだったけどさ」

「当たり前だ。仕事であんなやつれて死にかけた野良犬の相手などしてられん。お前だって後れを取るような相手じゃなかったはずだ」

「そうだけど……じゃなくてさあ」

「まだなにかあるのか」

「いやだって……猫だったなあ、と」

「……はあ?」

「もう、もろに子猫だったなあって。超可愛かったし」

「……踏みつぶされたいか」

「いやいやいや。そーじゃなくて」

 いきなり殺気立った虎に、慌てて鼠が制止に掛かる。

「そーじゃなくてさ。それでいいのかって話。あの副宰相、お前の正体知ってんだろ? 色変わっても、全然動揺してなかったし」

「……」

「なんか流れで、みたいな話は聞いてたけど。俺らはちょおっと特殊じゃん? いいのかって聞いてみたかったわけよ。溺愛っぷりも眺めさせてもらったし」

「そこは記憶から抹消しろ」

「あーうん。聞いてから、抹消するから……で?」

 促されて、虎は先ほどとは全く違うため息を吐いた。こんな話をする機会は、おそらく二度とない。やや迷ってから……口を、開いた。

「いいか悪いか……悩む段階は、すっ飛ばした」

「……」

「ゆえに、元には戻らない……戻すつもりはないし、戻る気もない」

「……」

 ふい、と間の抜けた呼気が闇の向こうで聞こえた。がしがしと髪をかきむしる音も。

「……あっそ。まあ、それならいいわ」

「そもそも、お前は関係ない。余計な気を回すな」

「はいはいご挨拶。じゃ、俺は次の仕事あるし、行くわ。結果論だけど、手伝ってくれてどーもね」

 実はそれを言いに来たのか、と心の中でつぶやく。遠回りしすぎて、なんだか感謝の気持ちが見えにくい。要領がいいはずなのに、鼠はどこか不器用だ。

 ふっと、去りかけた身体が、振り返った。思い出した、とでも言わんばかりに。

「トラはさー。あのままずっと子猫でいればいいと思うよ。んで、俺のことは視界に入れないで、あの副宰相様だけ見てればいいと思う」

 はあ、と虎はすべての息を吐き切った。

「やっぱり一度、殺しておくか?」

 二回も殺せません、と鼠が言ったかどうか――それは誰も知らない。




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