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月下の虎狼

 重要なことは、開口一番に言うに限る。

 その信条にのっとり、エルデュアは「闇」たちの始動を、上司に要請した。予想通り、何事かとハルエスの顔色が変わる。頭の中で描いてきた理論と推測を、丁寧に披露した。

 「闇」とは。

 王家に使える魔術師や軍人の中でも、特に秀でた人材をかき集めて作った特殊部隊のことだ。その顔を全員把握しているのは、闇と呼ばれる人々だけ。リーダーもグループもない。その特性を現すかのような生き物の名を冠されるだけの、存在。例えば、狐。かの闇は謀略、智略に富んだ謀をめぐらせ、有事においては重用される。また、歴代の中でも今回の龍は、もっとも攻撃魔法に優れるといわれる。他にも、情報操作に長ける梟や、生け捕りを目的とした捕縛作戦を得手とする虎や狼などもいる。

 共通するのは、エルデュアでさえ名と功績は知っていても、行動を起こした「人間」を見たことも会ったこともない、ということだ。だれがどうやっているのか、いつ間にか減り、いつの間にか増え、いつの間にか人員が交代する。さらに名を引き継ぐため、鵲などは百年前からその存在が途切れたことはない。

 ハルエスは事態を重く見たようだ。すぐに手配すると頷く。無論、闇だけでなく子飼いの配下を動かして、誰がどう関わっていたのかを水面下で探るだろう。だがまずは実働部隊を押さえなければならない。タユワナ国との国交に、ヒビを入れるわけにはいかない。

 エルデュア自身も、唐突にやることが増えた。日常の業務を怠らず、かつ動き出したハルエスの補佐も行う。午後の時間はあっという間に過ぎ、夜が更けた。いつの間にか灯りがともされ、空いた窓からは月光が降りてきた。

 ほんの少しだけ手を止める。昼前のような、安堵感はない。だが緊張感も長続きしない。効率を上げるために、エルデュアは一度席を立った。ハルエスは不在で、室内も廊下もがらんとして静かだった。

 そうやって一歩出たところで、少し遠くに見知った人影があった。驚きと戸惑いを隠せなかった。こんな場所、こんな時間にいるはずのない人間だ。

「リィ」

 声をかけると、振り向いた。はっとして、エルデュアが息をのむ。

 月の光の中に佇むリィ。それは昼の日差しの中で会った人間とは、全くの別人だった。

 光の加減か。はたまた、目の錯覚か。

 くすんだ灰色に見えた髪は、月光を受けて白金に近い。丸い瞳は、いつもよりも輝きを増し、宝石のような黄金色になっていた。

「エルデュア様」

「……」

「申し訳ありません。けれど、どうしてもお知らせしたくて」

「……なんです?」

 どうにか声を絞り出す。固くなる必要など、どこにもないのに。

「しばらくは、お伺いできません。外出する仕事を承りましたから」

 それが昼の不在を告げるものだと理解するのに、しばらくかかった。そして、こんな時にもかかわらず、エルデュアは己の中で落胆する気持ちがあることに気付いた。だが、そんなことを口に出すわけにはいかない。そうですか、と努めて淡々とした声音を作る。

「よく励むことです。重要な任務なら、なおさら……武運を祈りましょう」

 武官であることを考慮して、そう告げた。なにがおかしかったのか、ふっとリィがめったになく笑う気配がした。光の作る影で、あまりよく見えないのが、ひどく残念だった。

「御意に……肝に銘じます」

「お行きなさい」

「はい」

 返答が耳に届くか届かないか。

 すでにリィの姿は、廊下のどこにもなかった。



 別れて、ひと月。

 エルデュアは、いまだリィに会えずにいる。

 タユワナ国の使節団は、その後恙なく王に謁見し、帰国した。

 使者の謀殺を目論んだ一派は、王神派とよばれる派閥で、国王を深く信奉し、かつその権力を他国にしらしめたい、と画策する大貴族が主だった構成員だ。それだけに、今までうかつに手を出せずにいたのだが、これを機に一斉に粛清された。彼らの中にも穏健派と過激派がいるわけで、関わった貴族は派閥の半数ほど。禍根を残すのでは、との意見もあったが、今回は疑わしきは罰せずの理が通った。ガザンを抱える州候も、闇街の報告は上役に握りつぶされたとして御咎めなしとなった。

 エルデュアとて、別れて十日は忙殺され、執務室から出られない、帰れない日々だった。それほど、政治的に大きな均衡を崩す出来事になったのだ。十年近く城に仕えてきて、初めての政変だった。比較的穏やかな治世の続くレアン国は、政治的にもある意味安定していた。それが崩れ、ありとあらゆる場所と人間が動く。それをどうにか暴走させず、また新しい形を作るのが、頂点に立つ者の務めだ。ハルエス・リンは抜かりなくその役目を果たしたし、エルデュア自身も同じだった。

 そうしてふっと息を吐き、周囲を見渡し、振り返るようになって、最初に感じたのは――寂しさ、だ。

 最初は、もやもやとした晴れぬ雲のようなものだった。ペンを止めた時、書類が途切れた時、飲み物を口に含む時。ふと過ぎる感情に、我がことながら首をかしげていた。

 それが形になったのは、ようやくゆっくりと食事がとれるようになった時。久しぶりに、あの中庭へと足を向けた時だった。

 吹く風も、見える空も変わらない。ただ、かつてそこに当たり前のようにいた人間がいないだけで。

 その場所は、あの居心地の良さを失っていた。

 戻ってきたという報告はなかった。必ずそこにいるという確証があったわけではない。それでも。

 寝転ぶ姿が見られると、どこかで期待していた――

 それからは、二、三日に一度の周期で、足を運んだ。帰ったという挨拶は、相変わらずない。追い立てられるような感情が募る一方で、仕事の方は混乱を抜け、日常の業務に戻りつつあった。

「なあ、エル」

「なんですか?」

「お前、懸想している女でもいるのか?」

 古めかしい言い方をしたハルエスに、苦い思いをしながら睨みつける。

「なんです、それは」

「いや……時々同じ場所に昼時になると行ってるし、見合いの話二度と持ってくるなって実家に宣言したんだろ? ルルは心配していたぞ。独身を心に決めたんじゃないかって」

 世話になった乳母の名前を出されて、エルデュアの態度がやや軟化した。ふう、とため息を吐く。

「見合い話はいい加減うっとうしかったからです。あなたが便乗して、どんな事態になるのか読めないのは嫌だったので」

「いやあの。悪乗りしたのは済まなかったと思っている。だけど、中庭に行ってるのは……」

「逢引じゃありませんよ。そんな醜聞は、それこそ恥さらしでしょう」

「いや、相手によっちゃ別に問題は――分かった、悪かったよ」

「あなたと一緒にしないでください」

 直ったはずなのに、余計なひと言でハルエスはさらにエルデュアの機嫌を傾けた。しかし、それでも今回は手を引かなかった。だったらなんだ、と無言で問いかける。逆らえない相手に粘られて、エルデュアは仕方なく口を開いた。

「猫ですよ」

「ねこぉ?」

「ええ。黒と白の毛が混ざった、変な毛色をした子猫です。食べ物を分けてやっていたんですが、ここ最近姿を見せないので」

「猫は気紛れだからなあ。うちの可愛いミイリーだって」

「あなたの自慢話は結構です」

 ぶった切られて、しおしおとハルエスは引き下がった。エルデュアはペンを握りしめる。そう、相手は気紛れな、妙な色をした子猫だったはずだ。

 脳裏に過ぎるのは、最後に見た、月夜に佇む美しい姿だとしても。



 その晩は、レアン国の一年の中で、もっとも月が美しい日とされていた。

 エルデュアは自宅で就寝の支度の最中だった。行事やら事件やらが立て続いたせいで、伸ばしていた休暇を申請し、明日以降は数日まとまって休みを取った。どこに行くつもりもないが、リィ・ウォンについて調べてみることにしていた。どこに行ったのか、どんな仕事をしているのか。公私混同は絶対に避けたかったから、副宰相の仕事をしているときは絶対にしなかった。今回は、私費を投じて専門の業者を雇うつもりだった。

 あれこれと評判のいい店を頭に浮かべているとき、不意に部屋をノックされた。使用人はすでに下がらせたはずだが、と思いながら、「入りなさい」と声をかける。

 扉を開けたのは、執事のラムゼタだった。あまりないことだが、彼は困惑しているようだった。怪訝に思いながら用件を尋ねるよりも早く、信じられない人物が執事を押しのけた。

「エルデュア様」

「……リィ?」

 相変わらずの軍服姿だった。やや乱れているところも変わらない。灰色の髪も、どこなとくのんびりした動きも。それでもたたた、と近づいてきた。依然と、全く変わらずに。

 二月。会っていた時間よりも、会わなかった時間の方が長くなっていた。

 まともに思考したのは、そこまでだった。

 気が付くと、腕を伸ばしていた。躊躇いなく寄ってきた子猫(リィ)を、己の中に閉じ込めていた。強く抱きしめると、ん、と身じろいだ。痛かったのかもしれない。だが離せそうもなかった。

「エル、デュア……さま?」

 途切れ途切れに名を呼ばれる。一層きつくなった腕の力に、リィが無理矢理に息をのんだ。けほ、とむせた。頼りない、今にも消えてしまいそうな気がして、瞳を覗き込んだ。薄い金。戸惑いを浮かべて、エルデュアの薄氷の双眸を見つめ返してきた。

「リィ……」

 やっと口に乗せた名前を、エルデュアは囁いた。再会してから、頭と心を占めて、捕えている名前。今にも溢れそうだったのに、のどは震えるばかりで機能しなかった。

「ぃ、リィ……リィ」

 額を付ける。猫のように。好きなものに、甘えるように。鼻の先同士が触れた。目を閉じて、その変わった毛色に口づけた。音は、しない。

「リィ……」

「あ、あの。エルデュア様。お話があるのですが」

「話? どんな話ですか」

「ええと。その……失敗した、話、ですかね」

「失敗……?」

 少しだけ気が済んで、エルデュアはようやくリィから顔を離す。抱いたままだが、リィは何かに気を取られている。

「失敗と言いますか、失策と言いますか……しくったっていうか」

「はあ……?」

 唐突にまた耳慣れない単語が出てきた。とにかく、リィの方はらしからぬため息を吐いた。

「申し訳ありませんエルデュア様。少々、後手に回りました」

「後手に?」

「はい、ですから」

 ずっと見ていたはずなのに、エルデュアの目にはリィがリィでなくなる瞬間が映らなかった。とん、と肩に軽い衝撃が来た時には、エルデュアはベッドの上に腰かけていた。

 ガイン、と鈍い金属音の後に、ふっと部屋中、いや、屋敷中の明かりが消えたようだった。

「すみませんが、しばらくそこで大人しくしていて下さい」

 美しく輝く月光の中に、白金の髪をなびかせる白虎が、いた。



 戦いは一方的だった。

 まるで相手にならない。剣や斧などの武器が、窓からの明かりに反射して見えた。それを恐れる理由が、エルデュアにはなかった。斬りかかる前に吹き飛ばされ、一撃のもとに気絶させられ、五人はまとめて捌かれる。これこそが「闇」の実力なのだと、見せつけるような戦いだった。

 どれほどの時間がたったのか。動ける者は、闇の虎と、エルデュアだけになっていた。

 そして、その時を待っていたかのように、さらに光の間を縫うように動き出した「闇」。彼らは死屍累々と転がる襲撃者たちを黙々と回収し――去っていった。

 息も乱さぬ白虎が、ゆっくりとエルデュアの方へ振り返った。月光に照らされた瞳は、黄金よりもなお美しい金。射抜かれたように、エルデュアは呆然としていた。

「エルデュア様」

 ぎし、とベッドがきしむ。手をついて見上げてくる虎をエルデュアはただただ見返した。

「申し訳ありません。王神派の動きに、後れを取りました」

 一言で、ひらめくものがあった。

「使者の謀殺計画そのものが、囮でしたか」

「はい。粛清の対象となった貴族も、名はあれど力のない者たちばかりが身代わりとして立てられていたようです」

「本命は、敵対視されなくなったあとに、現中枢勢力たちを、一掃すること」

「その後は自らが政治の中心に返り咲くことかと」

 まったくやってくれる。心の中で吐き捨てた。当り散らすようなので、リィの前では口に出さなかった。

 髪を一房すくう。光を跳ね返し、闇に輝く色。

「魔力による、色素変換ですか」

「……はい」

「では、態度や動きが変わるのも?」

「ある意味、魔力切れを起こしているともいえます」

 純粋な身体能力だけでなく、闇の虎として動くときは、魔力を使い、魔法を発動させながら戦っている。その反動ともいえるが、魔力の供給を切ると、体力が切れて、眠くなってしまうことがある。この反動をなくすためのさじ加減を、リィはまだうまくコントロールできない時があった。

「ある意味? では違う場合もあると?」

「半分は地です」

 気を張っていなければ眠いし、眠ければ他への注意が散漫になる。時折夢うつつにやらかすようなので、誰もいない場所で休んでいたのだが……思いがけない訪問者が出来てしまった。

 そしてさらに予想外なことに、相手に気に入られて、リィ自身も懐に入れてしまった。

 副宰相だと知ったのは、二日連続で出て行ったエルデュアを、過分に心配したハルエスにこっそり護衛してくれ、と頼まれた後だ。城の中で護衛もなにもあるか、と思ったが――結果的に、エルデュアの動きを見張る妙な連中から、今夜の敵の思惑が読めたのは、幸いだったといえる。

 神妙な表情で黙ったリィを、エルデュアは再度抱き寄せた。驚いたリィに、嬉しそうに微笑んだ。

「あの……エルデュア様?」

 あり得ないことを見た気がして、リィは瞬いた。先ほどは全く気付く余裕がなかったが……いつもと明らかに、エルデュアが違う。

「なんですか」

「……近く、ありませんか?」

「そうですか。いつもこんなものでしょう」

 そうだっただろうか。エルデュアの瞳に、まるで水鏡のように映る自分を見ることができるのが、普通だった……。そんな気もするし、もう少し距離があったような。ぎゅうぎゅうと体温が伝わるほど抱きしめられるのは、今日が初めてな気がする。

 リィの混乱をよそに、エルデュアの腕はさらに彼女を引き寄せて、完全に膝の上に乗せてしまった。

「リィ。これからの、予定は?」

 低く囁く声が、リィにとっては何やらむず痒い。ええと、とさっきの混乱から、何とか質問の方へと頭を切り替える。

「今夜ですか? ええと。指示した貴族たちの捕縛は狼や天龍が終えているでしょうし、ほかの屋敷を襲撃した連中はとっくに城の方へ送致されましたから……あとはその実行犯どもを脅して透かして宥めて貴族達のゆすりの材料にして……あと、ここの犯人は捕まえたの私一人なので、その報告書を書かないと」

 物騒な単語の並んだ答えに、臆することなくエルデュアはくすりと笑みをこぼした。

「それはそれは……とても、忙しいですね」

「そう、ですね。なので、申し訳ありませんがそろそろ放していただけますか?」

 あまり遅れると、鵲あたりに嫌味を言われてしまう。

「嫌ですね」

「あの、でもですね。今日中にやらないと、次の日支障が出るのですが」

「どうせ提出先はハルエスでしょう。問題ありません」

 どうせ私が処理しますから、とすげなく拒否された。この一件のせいで、どうせ休みは返上でかり出される。えと、とリィは回らない頭で考える。

「なら、実力行使しますが」

「……どうぞ、やってみるといいですよ」

 脅しのつもりが、あっさり流された。だからと言ってエルデュアをぶん殴るわけにもいかないが。困って肩を押したり、腕をひねったりして逃げようとするリィを、エルデュアはあっさりと抱えなおす。はあ、と諦めたような溜息が聞こえた。

「エルデュア様は、怖くないんですか?」

「怖い? なにがです」

「私ですよ。闇の虎が、です。うっかり怪我させられそうだとか、傷が付けられそうだとか、思わないんですか?」

 それは虎ではなく、リィ・ウォンに向けられた棘と毒なのだろう。変わらぬ平坦な声のようでいて、少しだけ暗い。

「あなたも虎も、別に怖いことはありません」

「なぜですか?」

「それは、私も男ですから」

「?」

「……知らないんですか? それとも、ここまで言っても分からないんですか?」

「はあ。あの……すみません」

 なぜだか悪い気がして、リィはつい謝った。それが良くなかったのだと知るのはもう少し先で。

 ぐい、と強く引き寄せられた。会話をしていた時にあった距離が、一気にゼロに近くなる。少しかがみ、リィの耳元でエルデュアは、とある事実を告げた。

「狼に、なれるんですよ」

 えっと小さく驚きの声を上げた唇に、エルデュアはがっぷりと喰らいついた。



 

 

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