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猫と子猫の過ぐる日々4

総合評価が初めて4ケタになりました。ありがとうございました

 あの時伸ばされた手を、すぐに取ったわけではない。面倒事に関わるのは御免だと、早々に逃げを打った。だが……闇と王との両方を知ったリィに、選択肢は残されていなかった。あの会話が終わった時点で、外堀は埋められおり、誘いは強制と同意義だった。

 それでも、後悔をはしていない。闇の王はリィに時間を与えたし、現状の説明もした。受け入れたのはリィだ。結果的に、遠ざかるはずだったウォン家には逆に近づくことになり、追い出された身としては厄介ごとを抱え込む羽目になったが、日々の暮らしは安定し、悪事に身を染めることもなくまっとうに生きられているのだから。

 ただ一つ驚いたのは、闇の王という「男」が、レアン国の宰相だったことだ。しかも、言動も性格も別人だ。溢れるばかりの魔力は、欠片も見当たらなかった。仕事を受ける時にはいつも見下ろす執務室で、毎日政務をしている人物は、顔と体が似ている違う人間だと最初は思い込もうとしたが……一度、目の前で「代わった」ことがあり、それ以来認識を変えていた。事情に通じているであろう鵲は、ただ、「ああいう生まれなのです」と告げただけ。

 そういうものだと、のみ込めと命令されたに近い。

 だが不満はない。その能力の差はあれど、リィとて己の過ぎる力がなぜ自分の内側にあるのか、知らないから。

 植え込みから降り、木の葉を払う闇の王は、相変わらずだった。子供のようで、見た目と言動が合っていない。辺りをめずらしそうに見まわし、城じゃねえじゃん、ここ、などと呟いている。

 だが、そろそろラムゼタをはじめとする使用人が駆けつけてくるだろう。なにをしているのかと思っていた。

 この闇は……その力故に、めったに表に出てこない。命じられた仕事――あるいは役目――に明確な殺害が含まれるときのみ、浮かび上がるように出現した。意味なく表れた今は、はっきり言って異常だ。

「そう警戒しなさんなって」

 眉間のしわを指差しながら、くしゃりと相好を崩す。

「ふざけるな。いつから『いた』?」

「そりゃ、お前がこいつをぶん投げた瞬間からだな。混乱しながら、意識飛ばしてたし」

「目的と用件はなんだ」

「あいっかわらずせっかちだな。別にイイだろ、最近噂の虎を見に出てきたって」

「でたらめ抜かすな」

「でたらめじゃないさ。あとは、挨拶だ」

「はあ?」

 そんなふざけた理由は、それこそあり得ない。思考はそのまま顔に出た。闇の王が露骨に顔をしかめた。

「虎は俺のことなんだと思ってんだ? 俺だって「じゃあな」くらいは言えるんだ」

「意味が分からん」

「だーかーら。俺はいなくなんの。そろそろ。そういう頃合いなの。わかんなくてもいいよ。納得しろ」

 さすがに混乱する。手の甲を額に当てて、どうにか整理しようと試みた。

「つまり……宰相様の、死期が近いと?」

 結論を得て、疑問に思いながら口に出す。具合が悪そうには全く見えなかった。しかし、いやいやと王は手を振った。

「違う違う。あいつは全然関係ない。消えんのは、俺だけ」

「なに?」

「『闇の王』はしばらくいなくなんだよ。意志とか力とか、魔力とか。そういう曖昧なものの塊なの、俺は。だから、現れんのも急だけど、消えんのも急なわけ。まあ、今回は二十年くらい『いた』から、長い方だよ。先代は十年くらいだったらしいし。後継は……まあ、またそのうち現れんだろ」

 ひどくあっさりとした口ぶりだった。そして見えないはずの未来なのに、確信が込められていた。

「死ぬのか?」

「ちょっと違うかな。たぶん、消えるが一番正しい。だから、挨拶だよ。じゃあなって言いに出てきた」

「……」

「お前こっちに引っ張ったの、俺だし。色々、上手いことやれてるみたいでよかったな。鵲がしばらくしおれっかもしれないから、ちょっと気にかけてくれ」

「……人選を間違っているぞ。鵲殿が虎に隙を見せるものか」

「心配すんな。梟にも声かけてある。狼のやつがしつこくまとわりついていたら、はがしてやってくれ」

「後半の点だけは引き受けた」

 目が合った。暗い色をしていると思っていた双眸は、明るい陽の光の下ではごく薄い茶色に見えた。

 子供のようなのに、鵲を案じるこのときは、年相応の……リィよりも年上の男だった。

 あまりにもあいまいな、不安定な存在。闇とは、だが、そういうものだった。

 声に出さないまま、もう一度闇の王が、じゃあな、と呟いた。

 その体が、ゆっくりと後ろに倒れる。手は出さなかった。ただ、魔力を使って衝撃のないよう、背中が地に付くまで少しだけ補佐をした。

 目は、いつの間にか閉じられていた。

 闇の王が本当に消えてしまったのか、確かめる術はない。もしかしたら、また別の闇の前に顔を出すかもしれない。だが……次のこの両目が開いた時、そこにいるのは間違いなくハルエス・リンだ。

 リィ・ウォンは少しだけ力を入れて……己の部屋へと戻っていった。

 


 えらい目にあったハルエスが、メス家の使用人たちに介抱され、人心地ついたのは、朝の来訪からずいぶんと時間が立って、昼に近くなった頃合い。訪問予定だった辺境の領主たちにはすでに優秀な補佐官から急病の知らせを送ってあった。再度予定を組み直さなければならないが、原因を作ったのは他ならぬエルデュアだ。さほど文句も言われず、どうやらこれまでのあれこれで相殺、そして水に流す方向のようだ。助かった、と内心で安堵する。

 その後は城へ向かった。ここ最近は仕事が立て込んでいたが、ようやく落ち着きを取り戻しつつある。それでも、すべて元に戻ったわけでもなく、通常業務や年間行事がなくなったわけでもない。あとあとで押されぬよう、最後まできっちり気を引き締めておく必要があった。

 用意していた公爵家の馬車で、エルデュアとともに登城した。

 もちろん、道々であの少女の事情をきっちり聞くためだ。立場と年齢と身分を思いっきりかさに着てやったら、渋々ながら当たり障りない程度の情報を寄越してきた。まったく、慎重な男である。

「リィ・ウォン? ウォン家の養い子か」

 話したくない、と全力で拒否していたエルデュアだが、ハルエスの反応に顔を上げた。

「知っているのですか?」

「直接は知らんが、話だけはな。前当主のテレミス・ウォンが街で拾った子供を手塩にかけて育てたってのは、そこそこ有名だ。後はまあ……現当主に会った時も、聞いたことがある」

 ハルエスが口ごもったのを、エルデュアは見逃さなかった。

「なにか、問題が」

「問題というほどじゃないさ。ただ、なあ。たまたま、報告に来た時に書類上の手続きから奴にその名前を出したんだが……」

 ハルエスの眉根が寄って、苦い顔つきになった。

「ありゃ、相当根深い嫉妬だったな」

「嫉妬?」

「あー。お前は知らんか。ウォン家は代々魔術師や軍事の家系だろ? ところが今の代では目立った才能のある奴らはいないんだ。そりゃもう、先代のテレミスとは天地の差があるほどな」

 エルデュアの担当は主に文官政務に偏っている。あまり軍部関係者に詳しくなかった。なるほど、と納得する。

「それで、血のつながりもない、名を与えただけのリィが、第一部隊に所属するのが、許せないと?」

 バカバカしい、とでも言い放ちそうなエルデュアを、どうどうとハルエスがなだめる。リィの方へ天秤が派手に傾いているエルデュアと違い、ハルエスには国を代表する貴族であると自負する一族の、複雑な心も容易に察せられた。

「まあ、そういってやるな。悪い奴じゃないし、ウォン家は今のレアン国の体制にも協力的だ」

「少女一人を、目の敵にするような一家が、ですか?」

「いや、その……現当主――アスアムは、いい官僚だ。だがまあ、器量の大きい、出来た人物かと言われると……断言はできんだけだな」

 はあ、とエルデュアはため息を吐いた。どうりで、リィの口からウォン家のことが一言も出ないはずだった。里帰りや家族に会いに行く様子もなかったから、おかしいとは薄々勘付いていたが。

 一人納得していると、前の座席から空咳が聞こえた。ハルエスが、なにやら言い難そうに眼を泳がせていた。

「あー。そのなんだ……エルは、あの子と、リィ・ウォンと結婚するのか?」

「その予定ですが、何か問題が?」

「いや。そういうことじゃないんだが」

「遊びなわけがないでしょう。あなたと違って、私は中途半端は嫌いですので」

「おまっ……いや、否定できないんだが」

 身を固めたとはいえ、過去を持ち出すのは反則だとぶつぶつハルエスは文句を言う。相手にもならないと、エルデュアは聞こえないふりをした。

 降ってわいたエルデュアのめでたい話に、ハルエスはやや心境が複雑だった。およそ、共通点なんてまるでなさそうな二人なのだ。いい大人であり優秀な部下に対して失礼だとは思うが、本当に大丈夫かと聞きたくて仕方がなかった。

 が、今日のあれこれから、迂闊に口に出すと後が恐ろしいのは目に見えている。いろいろ考えていたが、息を一つついて終わらせた。

「ま、お前が身を固める気になったのは良かったよ。ルルも一安心だ」

「ありがとうございます。ですが、まだ何も決まっていないので、勝手に話を広めないでくださいよ」

 エルデュアが釘をさすと、そう言えば、とハルエスは今更気づいたことに首をかしげた。

「て、そんなに付き合って間がないのか? てか、なんでいきなり同居してんだよ」

「諸事情ありまして。出会ってから時間はそこそこ立っているんですが、最近事件が立て込んだでしょう。お互いに忙しかったんです」

「ああ、まあな……」

 確かに、一言では済ませられないほどこの半年は充実していた。ハルエスも家に帰れない日々が続いていたのだから。もうすでに三年か四年分働いた気分だった。

「あとは、軍部人事をどう上手く転がすか、だな」

「第一部隊の長が難点でしたね。平和なのはいいのですが、優秀な軍人がいないというのも、困ったものです」

「あからさまに悪い奴ってのも、いないけどな」

 即座に公務へと切り替わった二人の間で、ポンポンと名前や経歴などのやり取りが繰り返される。だがこれと言って収穫は上がらなかった。

 個人情報が尽きて、二人は厳しい顔つきで黙り込んだ。とにかく、どの人物も決定打に欠ける。

「困りましたね」

「全くだな。新将軍のイリアス・カイが上げた候補は、大体使ったからな。かといって、全部を奴の言いなりってのも面白くない」

「軍部権力の縮小は以前からの課題でしたからね。イリアスが何かしでかすとは考えられませんが、彼の後任まで公明正大とは限りませんし」

「いろいろ貸しが出来てる今が、丁度いいんだよな。だからといって適任がいないままじゃあなあ……」

 結局結論は出ないまま、馬車は城門をくぐっていた。止まるために速度を落としつつある馬車の外を見ながら、ハルエスは小さくため息を吐いた。

 いつもの場所で、止まった。御者や侍従が、降車の準備をしている。扉に手がかかって、一歩を踏み出す、その前で。

 ハルエスは、エルデュアを振り返った。

「……今日は…悪かったな」

 落ち着いた声音に、心の底からの謝罪が込められていた。

「お気になさらないで下さい。こちらも、大変失礼いたしました」

 優雅に、エルデュアがほほ笑んだ。

「許してもらえるか?」

 気のいいハルエスの言葉に、ええ、もちろんですとエルデュアは頷く。


「本日分の決裁書類、追加二十枚で許して差し上げます」

「……」


 まだ怒ってんじゃないか、と顔をしかめたハルエスが、言ったとか言わなかったとか。

 とにかく、その日の宰相は、残念ながら帰途につけなかった。









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