表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/24

猫と子猫の過ぐる日々3

「どっひゃあ」が、初めて出会った時の第一声。

 男が、月を背にしてそう、ずいぶんと大げさに驚いてみせた。

 興味などまるでなかったが、新たに加わった敵かと、リィは振り返ったのだ。

 逆光の中で、窓枠に手をかけたシルエットは男。まるで、そこが入口のようにごく普通に現れ、きょろきょろと落ち着きなく見回す一人と、そのすぐ隣にはすでに部屋の中で立っていたのが一人。

 全く気付けなかったことに、静かに警戒心のレベルを上げて、じっとリィは動きをうかがっていた。

 顔は暗い影が落ちていたが、リィの方を向いて歯を出して笑ったのが分かった。

「すげえな、おい。これ、お前がやったの?」

 まるで可愛いいたずらを仕出かした時のように、首をかしげて男が問う。だがリィのやったことは……足元に転がる、大勢の人間が証明していた。

 黙ったまま、リィは答えない。だが、男は周囲を見回してから、無言を肯定と受け取ったようだ。

 リィにとって、首都の下町や貧民街をうろつくことなど、なにも問題がなかった。たいていは目を付けられることのないよう、気配を殺していればよかった。食べ物も衣服も、元より頓着がない。自分の魔力を持て余して、膝を抱え続けて抑えつけなければならなかった幼い頃とは違う。生き方は――金の稼ぎ方は、そのうち覚えるだろうと踏んでいた。それが、どんな方法であれ。

 リィは時間を数えない。日にちを覚えることもない。だから、どれほどの時を、そうやって過ごしたのか、よく覚えていなかった。

 ただ予定外だったのは、とある闇夜の日に、たまたま一晩の寝場所と定めた場所が、どうやら首都の裏町を取り仕切る組織の、溜まり場だったことだ。誰もいないところにもぐりこんだはずが、夜も更けてから続々と人が――それも人相の良くない輩ばかり――集まりだし、やがて酒と喧騒が飛び交った。眠ることなど皆目できず、仕方なしに屋根裏に上がって成り行きを見ていた。

 やがて、その場に見合わぬ、細い女と子供が引き出された。どうやら親子らしく、身を寄せ合って震えている。車座のようになった周囲の男の一人が、剣を手にして立ち上がった。

 余興だ、と誰かが叫んだ。何をするつもりなのかも、想像がついた。

 リィは、ただ見ていた。少しずつ男が近づくのも、なぶるように剣を見せつけ、けたけたと笑うのも。

 振り上げられた刃物が、確実に親子を傷つける距離になっても。

 やめてっ、と母親が叫んだ、その時まで。

 高い声だった。恐怖と懇願が入り混じって、細く、甲高く響いた――その、音の余韻が消えるよりも早く。

 振り上げられていた剣は、根元から折れて地に落ちた。

 がいん、と鈍い音を立ててただのゴミとなった得物を、その場にいた全員が、怪訝そうに注視した。

 その理由を周囲が悟るよりも、リィが動く方が速かった。

 出入り口は、すでに確認してあった。それらすべてに、固定の魔法をかけて、袋の鼠にした。灯りは、次の瞬間にはすべてが消えていた。

 闇に、落ちる。

 だがリィの目は、変わらぬまま視界を明瞭に保っていた。

 異常に即座に反応した、その人間をまずは仕留める。殺戮は時間と気力、体力が必要だ。ゆえに殺さずに行動を不能にした。

 戸惑う者は、酒の酔いかと思われるほどの方法で昏倒させる。

 場数を踏んだならず者どもも、酒の酔いと気の緩みきった宴会の最中に襲撃され、ひとたまりもなかった。ほとんどの者が、身動きもとれぬまま、闇の中に意識を鎮めた。そうして最後に、怯えて縮こまったまま、体を固くしていた親子を、魔術で眠らせた。

 すべてが終わって、立ち尽くすリィの目の前に、その二人組は現れた。

 闇の中で同じように自由に動き回れる人間を初めて見た。なにをするでなく、歩き回っているだけかとリィは注意深く観察しながら考えたが、それは的が外れた。彼らは……確認していたのだ。

「全員、いますね」

「へえ。そりゃあ……大収穫だな。すげえ」

「どうします?」

「どうって……いいじゃん別に。楽できてラッキーぐらいに思っとけば。応援呼べよ。根こそぎ連れてけ」

 横柄な口調に、相手はやや苦笑したが、結局何も言わずに従ったようだった。

「強い奴、寄越せっていえよ鵲。死人じゃないからな」

「わかっていますよ、闇の王」

 言葉と同時に、鵲の気配が消える。残されたのは、王とリィの二人。なにがおかしいのか、ニヤニヤと笑っている。

「いったい何がどうなっているか……知りたい?」

「全然」

 間髪入れずにリィは断言する。ちょっと目を丸くしたが、またしても口角を笑みの形にしながら、あっそう、と王は言った。

「じゃ、俺は勝手にしゃべるから。こいつらはねー。首都に巣食った闇の街の幹部どもだ。残虐無比、前々から住民や貴族たちを悩ませてた。徒党を組んだ賢い悪党だから、ちょっとやそっとの対策じゃあ、まるで歯が立たないし改善しない。そこで、いい加減しびれを切らした王様が……」

 嬉しそうに話し出した男。中途半端なところで切り、それでと促されるのを待っている。リィは無視して立ち去りたかった。だがそれが、許されない。へらへらとした顔、力の抜けた身体なのに、奥底にあるリィの本能が訴える。こいつは危険だ、と。

「『いっそ全員消えちまえ!』と叫んだんだな」

 ふうん、と何の関心もない声が、嫌々相槌をうった。諦めたリィは、その場に胡坐をかいて逃げるのをやめたのだ。ようやく聞き手となったリィに、王が心底誇らしげに胸を張った。

「そこで、俺の登場だ」

 子供のように、えっへん、と威張る。どう見ても、いい大人なのに、だ。二十代後半、または三十代前半。こんな変な人間を、リィは今まで見たことがなかった。

「俺には力がある。国王の悩みは、複雑だが、俺にしてみれば単純になる。消せっていうなら、消してやろうってことだ。どんな武器も、魔術も、俺の力は防げないから、大抵のことは簡単に済む」

 挑発のような口調だった。背後から差していた月の光が、やけに鋭くその両眼だけを輝かせた。

 睨み合う。

「……」

 身構えたリィから、目は逸らされなかった。ただ王がにかっと笑い崩れ、「まあ今回は出番ないけど」と嬉しそうに言っただけ。首をかしげながら、また表情を変えた。

「お前は俺を恐れないね」

 どこか、不思議そうに問いかけられる。

「怖くはない」

「そう? 俺がどんな力持っていても?」

「……」

 丸い目が、始めてまともに王に向かった。興味と好奇心がわずかにうずいたのだ。敏く察して、王は先を続けようとした。

 しかし。

 二人の間に、影が割り込んだ。帰還した、鵲だ。唐突に現れた姿に対して驚く様子もなく、王は片手をあげてみせた。対する鵲は、やや難しい顔をしていた。

「王よ、軽々しい振る舞いはお控えください」

 諌め、たしなめる口調だった。が、諫言された方は、軽く肩をすくめただけだ。

「固いことを言うな」

「なりません。素性も知らぬ力ある者に、迂闊な行動は……」

「別にイイだろ。お互い様だし、俺たちほど怪しい奴もいないさ」

 呆れたため息が鵲の口から洩れたが、それ以上言いつのることはしなかった。身を引いて、王の側に控えた。

 リィの金目と、光にさらされてなお、底の見えない暗い色をした双眸がぶつかった。たっぷりと間を置いてから、王が堂々と告げた。 

「俺の力は――人を、一瞬で、死なせる力だ。痛みも苦痛もなく、眠るように、殺せる」

「……」

 なんだ、とリィは拍子抜けした。心底、つまらない。期待した反応と違うのか、あれっと相手は首をかしげた。

「感想とか、ナシ?」

「役に立たん力だな」

 バッサリと切り捨てると、ずいぶんと大げさに驚かれた。

「役に立たない?」

「そうだ。どうせいつかは誰もが死ぬ。わざわざ力を使うまでもないことだ」

「そりゃまた……むちゃくちゃだ。俺は今すぐ、アンタを殺せるけど?」

「理由なく、私を殺すのか?」

「死んで欲しければね。誰だってそうだろ? 都合のいい時に、都合のいい奴に死んでもらいたいって思ってんだろ」

「手をかけずとも、時をかければ自然の摂理で消えるだろう」

「だーかーら、それじゃいい時を選べないだろ?」

「だったら、死んで欲しい奴に対して、いたら困る相手を生き返らせるぐらいのことをしてみせろ。それなら驚いてやれる」

「……」

 完全な上から目線。

 黙り込んだ王の体が、かすかに震えだした。怒っているのでは、ない……笑っていた。鵲もまた、思わぬ言葉に困惑を隠せない。

 あはははは、と声を上げて笑った。

「いいな、お前。初めて言われたよ。役に立たないって、役に立たない……」

 なにがおかしかったか、闇の王が繰り返す。合間に、ありえねーと笑いながら言った。

 妙な奴だと思った。笑いこける王も、どうやら同じことを考えているらしい。リィを、変な奴だと指差したから。

「気に入った」

 ひとしきり独り言と爆笑をしてから、王はようやくまともにしゃべった。

「気に入ったよ、お前。闇になれ。迎えてやる」

「王っ」

「いいじゃないか鵲。もう一人ぐらい、狼みたいな捕縛要員がいてもいいはずだろ」

「ですが。メンバーを増やすときは慎重にと先代からあれほど」

「言われた言われた。大丈夫だって。こいつなら」

 向いているよ。という断言は、有無を言わさぬ力があった。やや苦い表情で、鵲は反論しようとするが、結局なにもせずに口を閉じた。どうやら、この王に対して、鵲は「弱い」らしい、とリィは推察した。甘い、とも取れる。

 手招かれる。

「そうだなあ。さしずめ、やり方からするに、虎かな」

 先ほどとは違い、さらに深く見抜くように、じろじろと無遠慮な視線が投げられた。

「雌伏を経て、一気呵成にケリをつける。気配を殺して悟らせない。獰猛な牙を隠し持った――闇の虎だ」

 大きく広げた掌を、ぐい、と闇の王は伸ばした。

 月光にさらされた、白銀をまとう白虎に向かって。


 リィは、無言のままに立ち上がった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ