猫と子猫の会食
「手作り、だったんですか?」
ぽかん、とやや間抜けな顔で、リィは手元の肉巻を見た。エルデュアの昼食は、今日も見事に美しいし、美味しい。そして体にいい、らしい。
「大したことではありません。これは趣味で、仕事ではないので」
「……そう、なんですか?」
料理のりの字も知らないリィには、なにがどう「大したこと」なのかよくわからなかった。普通は専属の料理人がいる、ということさえ、食事そのものに興味のないリィは知らない。エルデュアの振る舞いが、貴族らしからぬことであることも、知らない。とにかく今日もおいしい。役得だった。
肉巻をほおばった後に、きょろきょろと次のおかずを慎重に選ぶリィに、エルデュアはなんでこうなった、と何度目になるかわからない自問を投げかける。そして、いつも自答する。わからん、と。
変な毛色の子猫と出会って、別れればそれまでだと思っていた。ところが、次の日もハルエスと衝突し、同じように中庭に向かい、さらに木の上に寝ていたリィを発見した。
その日は前日よりもまともに制服を着ていて、徽章からは第一部隊の一兵で、さらに首のリボンから女だと分かった。レアン国の軍服は、平時であれば紺のジャケット、黒いタイで統一される。女性であれば、タイはリボンに変わった。そしてさらに腰につける組紐で、階級と軍功が示される。リィは新人なのか、どんな手柄もなく、階級も下から二番目と低かった。
リィは、エルデュアを見てほんの少し嬉しそうだった。すぐに寄ってきて、挨拶してきた。そして流れるように、昼食を分け合った。
なにしろ、昼はどうした、と訊いたエルデュアに、リィは軍から支給される携帯食料を差し出したのだ。これをかじった、といった。どういう食生活だ、と問い詰めれば、ショクセイカツってなんですか、と聞き返される。あきれ返ってそれ以上説明する気にもならなかった。
寄ってこられると無下にできない。嬉しそうにされればつい構ってしまう。およそ他人に敬遠されたことはあっても、懐かれたことはない。初めてのことに、戸惑いながらも中庭へ足が向くのを止められなかった。エルデュア様、と呼ばれれば、悪い気はしなかった。
そうやって、ほぼ毎日顔を会せるようになって、ほぼひと月。大抵、リィは先に中庭にいて、寝転んでいたり木の上でうたた寝をしている。軍人らしいところなど、見たことがなかった。猫らしく、あまり表情は表に出ない。ちょっとしたしぐさの方が、よほど雄弁だった。だから、エルデュアと顔を合わせていると、二人して無表情に淡々と食事が進んでいるように見える。
小食なのか、あれこれと用意していってもせいぜいパンと一つとおかずを二つ程度つまむだけ。時々気まぐれを起こすのか、倍ほど食べる時もあるが、めったにない。それが分かってからも品数を多めに作っていくのは――
「……」
目を眇めて、リィは広げられた弁当をじっと見降ろしている。先ほど肉巻を一つ食べたため、おそらく次で最後になる。真剣におかずを選ぶその姿。なんど見ていても、飽きない。
むう、と口を尖らせたり、片目だけが細くなったり。手が動いた、と思ったら引っ込んだり。短い昼休みの時間ぎりぎりまで、リィは悩む。わずかとはいえ、その動きを観察するのは面白い。
その間にエルデュアも食事を済ませるが、彼の方は別の容器を持参している。これもまた、毎回リィが受け取った容器と、エルデュアの方の弁当とを見比べるのが面白いからだった。
結局、リィは卵を混ぜて固めたデザートのような一品を選んだ。むぐむぐと咀嚼し、飲み込んで。リィは予想通り、容器にふたをした。残りがどうなるのか、エルデュアは知らない。容器だけが、明日の昼になれば戻ってくる。
そのまま、なんとなしに座って昼休みが終わるまで過ごす。
それだけの日々だった。
その日は、とにかく目前に迫ったある仕事に、忙殺される日々が終わった時だった。なんとか昼前までに区切りをつけ、すでに日課になった弁当を持って立ち上がった。昼時になると出ていくエルデュアに、ハルエスは何か言いたげに口を開いて……今日も結局、なにも言わずに閉じた。
機嫌よく食事するエルデュアは、珍しかった。いつもは気になる案件や切羽詰まった仕事を一つ二つ常に抱えている。それがない今、いつになく気楽で、気分もいい。はた目にはほとんど大差ないが。
その差のない差を読み取れるリィは、ちょっと首をかしげて何事かと聞く。
「丁度、うまく仕事に区切りがついたので」
「しごと?」
「明後日に、隣国タユワナからの使者が来国するでしょう? ガザンの港の手配やなにやら、ずいぶんと忙しかったんですよ」
「入港はガザンからなんですか?」
「そうですが」
「へえ……ブラフじゃなかったんだ」
「ぶら……?」
耳慣れない言葉に、エルデュアが怪訝な顔になる。
「てっきり、その話はパチもんかと」
「ぱ?」
「すいません。ガセってことです」
「がせ?」
ちっとも通じない。リィが困ったな、と目を泳がせた。
「……。ええっと。つまり、その事前情報は、ウソかと」
これで困惑したのは、エルデュアの方だった。
「なぜです? 規模も充分、首都からの距離も程よい好立地の港ですよ」
「それはそうですが。問題なのは港じゃなくて、最近近くに出来たらしい闇街の方です」
はっとエルデュアが息をのんだ。すぐさま、己を切り替える。リィの方も、普段よりやや金目に輝きがあった。
「州候がその話をしないはずがないし、てっきり敵を欺くには味方から、をやってるのかと。私は今回、その件に関わっていないので、話が回ってこないのだと思ってたんですが」
「なるほど」
呟いた声は、驚くほど低い。土壇場になるまで気付きもしなかった己が許せなかったし、なによりその事実が示す、黒幕の描く求める結果に吐き気がした。
隣国の使者を、レアンの領地で害せば、どうなるか。火を見るより明らかだ。
戦争に、なる。
すぐさま立ち上がったエルデュアを、リィは止めたりしなかった。