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子猫のお買い物

たくさんの評価やお気に入り登録ありがとうございました。今日、はじめて100件を超えて、とてもうれしいテンションで一話書いたので、アップします。

 ぱきり、と小さな音がした。足元で、特に踵の下で、なにかが割れる音が。

 そうっと持ち上げてから……顔を上げた時に。 

 薄氷の双眸と目が合った。


   *****


 屋敷のすべてを取り仕切る、執事のラムゼタにも、休日はもちろんある。来客や差し迫った事態がない日を予想し、ほかの使用人たちとの予定をすり合わせて休みとする。もちろん、突発的な何かが起これば、当然返上となることが多い。が、主は予定をきっちりと詰め、その通りにこなすタイプであるから、あまりスケジュールが乱れたことはなかった。

 しかし。

 ふう、とラムゼタは息を吐く。ここ最近は、どうも依然と同じようにはいかなくなっていた。もちろん、原因は分かっている。

 リィ・ウォン――主、エルデュアの……おそらくは伴侶となるお方。とはいえ、結婚の気配はまるでない。寝室も別であるし、奥様と呼ばれるのも嫌がっていた。

 それでも、エルデュアが気に入っているのは、一目瞭然。食事は必ず一緒に摂りたがり、さらに服や花や、そのほかあらゆるものを与えたがっているし、実際に贈ったこともある。

 だが、ラムゼタとしては……初対面にいきなり、それも夜中に押し掛けられたこともあって……さほど好意的にはなれない。仕事上、そんなことはおくびにも出していないが。

 かといって、特に手がかかるわけではない。どこかぼんやりとしていて、大人しそうな見た目通りに、着替えや入浴は一人、起床時間はほぼ使用人と同じで、食事の時に給仕が付くくらい。

 ただし、軍人という職業のせいか、気配や足音が希薄で、時々メイドや下働きたちを驚かせる。後はなぜか、ふだんは使わない部屋で寝ていたり、置物の花瓶をふとした拍子に壊したりする。

 手は掛からないのだが……澱が積もるように、徐々に違和感とストレスがたまる。

 ふう、とらしくもないため息が漏れる、と。

「ため息とは珍しいな、ラムゼタ」

 横から、店の主人であるカガイが苦笑した。

「いや。すまない」

「別に。珍しいってだけだ。仕事が大変なのか?」

「そういう訳でもないんだが……」

「ま、なんにせよ気晴らしに来たんだろう? 存分に休んでってくれよ、執事殿」

 茶化したカガイが食後の果物を置いてから背を向ける。いつもより、昼時なのに客はまばらだった。そんな時もあるものか、と首をひねりつつ、フォークで出された果物をつついた。

 四十を過ぎたラムゼタは、今でこそ副宰相であるメス家の執事だが子供のころはこの食堂があるような、市場の真ん中に住んでいた。ここの主人とも幼馴染。母親は仕立て職人だった。貴族の屋敷に出入りしていたのは彼女で、父を早くに亡くし、女手一つでラムゼタを育てながら、仕事をしていた。

 そこで義理の父親となる、当時のメス家筆頭執事に見初められた。

 早熟だったラムゼタは、特に母親の再婚に反対もせず、激変した環境にも順応し、今では父親の跡を継いでいる。残念ながら、母親のような仕立ての才能は全くなかった。

 仕事には誇りがある。メス家は決して裕福でも大貴族でもなかったが、エルデュアは見事、その才でレアン国の重役におさまっている。鼻の高くなるような、立派な主人だ。

 ただ……先祖代々仕えてきたという、父のような確固たるつながりは、己の中にはない。それでも分をわきまえ、徹底してメス家に、エルデュアに尽くしてきた。

 それでも、時折の休みには子供のころの懐かさに惹かれて、街に出る。ともに道を転げまわったかつての仲間は、それぞれ店や商売を任され、職人や商人として生きている。

 その一人が、この食堂を切り盛りする、料理人のカガイだ。彼の作る料理は旨い。とにかくうまい。ラムゼタには説明が出来ないのだが、自分にはこの料理が一番だと思っているから、休日には大抵、足を運んでいた。その昼食の最後になる、果物。この後にはカガイのいれた、香草茶が出される。

 だが、目の前を通った人影に釘付けになったせいで、行儀悪くもフォークから果物が落ちてしまった。まずいと思うよりも、目を疑いたくなった気持ちの方が大きい。

 ふらっと現れたのは、リィだ。ガラスの張られた入り口の窓の向こう。そこは大通りで、今は市場が立っている。人の影に見え隠れしながら……ふらふらと歩いていく。

 からだは、勝手に立ち上がっていた。

 荷物もお茶も、そのままにして。



 リィ・ウォンが歩く。時折店の前で立ち止まる。多くは食べ物で……果物や野菜を売っている露店だ。または甘味処。装いは膝下丈のズボンに、薄い赤の上着。貴族の子女というより、街の娘のようだ。エルデュアが贈った物ではないから、手持ちの服なのだろう。

 軍服を脱いだリィは、どうやっても軍人には見えない。ただの華奢な……少女のようだった。

 ラムゼタと同じく、リィもまた公休日だったと、街を歩きながら思い出す。

 人ごみというほどではないが、さほど広くない石畳の道には、買い物客がひっきりなしに通る。

 そんな最中を、どこかふらつく足取りで進むリィ。

 大きな荷物を抱えている者、余所見をする者、いきなり立ち止まる者。リィの近くにそんな人物がいるたびに、ラムゼタはいちいち動揺してしまう。いつか転ぶ、いつかぶつかる、とハラハラする。

 今度はリィが立ち止った。少し古ぼけた道具屋で、骨董のような品物を並べていた。じっと見つめるが、店の年寄りは胡散臭そうにリィを睨んだだけ。客とはみなさなかったようだ。リィが伸ばした手を、叩きさえした。びっくりしたように、リィが手を引っ込める。

 ラムゼタも、びっくりしていた。危うく飛び出すところだったのだ。

「……」

 なにをやっているんだと、そこで正気に返った。

 今日は休日だ。仕事を離れ、ゆっくりと過ごすべき日だ。それでも、主人の婚約者――と言っていいのかどうか――に会ったなら、正面からしっかりとあいさつをすべきだ。こそこそと付け回すなど……それこそ、執事のすべきことではない。

 誰も見ていないが、ラムゼタは咳払いをした。

 目的があるのかないのか、リィは結局ぐるっと市場を回って戻りつつあった。さてどうするか、と悩んだとき、ふっとカガイの食堂にすべて置いてきてしまったことを思い出した。当然、支払いも済ませていない。犯したことのない失態に頭痛がしそうになったが……まずはそちらを優先しよう、と横道にそれた。

 大通りとは違い、入り組んだ細い道は、うらぶれた雰囲気の漂う、暗い場所だ。それでも慣れたもので、ラムゼタは迷いなくもう一度食堂の前に戻った。押し開きのドアを開け、一歩踏み出したところで――突然、背中を猛烈に引っ張られた。体勢が崩れ、石畳に足を取られて転ぶ。だが、それよりも、頭をかすめて振り下ろされた何かが、バキっと鈍い音を立てたことの方が驚きだった。

 慌てて顔を上げる。振り下ろされたものは頑丈な槌のようなもので……振り下ろしたのは、見たこともない、荒んだ様子の、まだ若い男だった。

 そして振り返れば……そこには先ほど、背を向けて遠ざかったはずのリィがいた。立ち位置から、背中を引っ張ったのが彼女であることは想像がつく。いまだ状況が飲み込めないラムゼタと違い、リィはいつになく無表情で、ぶれない視線で男を見上げていた。

 男は、無言のうちにリィの片腕を取って、店内に引き入れた。とっさに、ラムゼタはリィを追いかけ、男から引き離すように、彼女の腕を取っていた。特に興味もないのか、すぐに解放される。

 店を離れたわずかな間に、室内は一変していた。椅子やテーブルが倒され、皿などの破片が床に散乱している。カウンターの前には……顔を赤くはらしたカガイが、違う男に胸倉を掴まれていた。

 四人。顔があるはずなのに、同じように荒みきった表情のせいで、ラムゼタには全員が同じ顔に見えた。暴力を振るわれるかもしれないことよりも、ラムゼタにはその事の方が恐ろしかった。

 無造作に、男はカガイをラムゼタたちの方へ投げた。慌てて倒れ込んできたカガイをラムゼタは支える。事情を訊くよりも早く、カガイが済まん、と謝ってきた。

「地上げ屋だよ。このあたり一帯を、どっかの商人が欲しがってんだと。はした金と脅しで、俺の店も売れと迫ってきやがったんだ」

「脅しとはまさか」

「ああ。営業妨害だ。稼ぎ時に来ちゃ、派手に騒いでくれたんだよ」

 それで妙に客が少なかったのか、と納得する。

 男たちは、勝ち誇った笑みを浮かべていた。おそらくラムゼタたちは格好の脅しの材料なのだ。だから、無言で引き入れた。どんなに周囲を見回しても、ラムゼタには突破口になりそうなものは何もなかった。逃げることすら、出来ない。

 傷だらけの手が、まずはラムゼタの肩に伸ばされた。

 しかし。

 横から、華奢な手が出てきて、男の手首をつかんだ。一歩踏み出し、小柄な背中がラムゼタたちの前に立つ。大して力を入れているようには見えなかったのに、軽く振った腕に合わせて……男が床に転がされた。

「なっ」

「てめえ!」

 いきり立った敵は……すぐに顔色を変えた。ラムゼタには、ただ、リィが顔を軽く上げただけにしか見えないのに。

 だが。 

「ふざけた真似をするな」

 声だけは、別だった。

「身の程を知れ」

 刺され、肉が、心が抉られる、声音。殺気をまとった言葉は……常人には見えない魔力が、有無を言わさぬ迫力となって膨れ上がった。すぐ後ろのラムゼタも、小さなリィを見下ろしながら、絶句する。

 がくっと無頼漢たちの膝が崩れた。腰が抜け、ただ震え上がったまま動けない。

 膠着したその場を破ったのは、からんからん、というベルの音。そして、軍服を着て入ってきた一人の男だった。エルデュアがいれば、その服が第四部隊の物だと分かっただろう。

 唐突に、にやっと口角をあげた。

「あーあ。やらかしたな、お前」

「うるさい」

「一般人相手に、睨みなんて効かすんじゃねえよ、まったく。どんだけこの後面倒だと思ってんの?」

 ざっと辺りを見回し、男は縄を取り出してならず者どものを縛り上げながら、リィへ文句を言った。カガイに状況を確認し、いったん外に出て応援を呼ぶ。すぐに捕えられたものと、そしてカガイが店の外へと出て行った。

 ちら、と男の目がラムゼタへ向く。が、すぐに興味なさそうに外された。同じように、外へ出ていく。

 リィが、気まずそうな顔で振り向いた。

「あの、ラムゼタさん」

「はい」

「申し訳ないんですが、今のことは、全部なかったことになります」

「は?」

 理解しがたいことを、すでに決定した事項として報告され、さすがのラムゼタも面食らった。ええと、とリィは言葉を探す。

「今日、ラムゼタさんはこのお店に来なかったし、地上げ屋が来て、この店が荒らされることもなかった。お客さんが少ないのはたまたまで……明日からも、普通にこのお店は開店するんです」

 それは……と、その先が続かない。けれど、少し考えてから、真剣な顔のリィをじっと見つめた。嘘やでたらめではないのだ。リィは、真面目にそう告げている。

 そんな不思議なことが、起きる、起こせる……そして、起こさなければならない。そんな事態になったのは……と、そこまで思考して。

 軍人だと、聞いていた。けれど。

「一つだけお伺いいたします」

「はい」

「エルデュア様は、あなたのすべてをご存知でしょうか」

 丸い金の両目は、揺らがなかった。ゆっくりと、首肯される。ならば、ラムゼタの答えも一つだった。

「ありがとうございます。すべて承知いたしました」

 いつものように、胸に手を当てて一礼する。リィは何度か瞬きをしてから……同じように、ゆっくりと頭を下げた。



 帰りは、当然同じ方向へ向かう。歩みは自然と、ラムゼタがリィに合わせていた。

 そういえば、と思い当たる。結局、リィはなぜ市場にいたのだろうか。

「リィ様、今日のご用向きは、お済になりましたか?」

 だがその質問に、リィは項垂れた。

「あの……いいえ」

「よろしいのですか?」

「……」

 全くよくない、という顔でリィが沈黙する。リィ様、と問いかけると、迷いに迷ってから、リィはポケットから取り出した物をラムゼタに見せた。

 青い、柔らかな光を反射しながら手の中で転がった、それは。

「これは……」

 ラムゼタが手に取ったのは、飾りボタンだ。ただし、本来それは昨日の夜、割れて壊れてしまったものだ。なぜそれが、元の形のままここにあるのか。

 直しました、とあっさりとリィが告げる。

 昨晩、これはエルデュアが着替えの際に取り外し、手を滑らせて床に転がってしまった。そこに折悪しく、リィが部屋に入り……見事、二つに割ってしまったのだ。

 割れてしまったボタンに、エルデュアはただ苦笑を返した。

 物は、壊れるものだ、と。仕方ないと、諦めた。

 けれど。

「ラムゼタさんは、それじゃ嫌でしょう?」

 覗き込まれて、ラムゼタは絶句した。まさか見抜かれているとは、全く思っていなかった。

 そのボタンは、ラムゼタが養父から受け継いだものだ。だが幼いころのエルデュアにねだられて、彼に譲った。いわばそれは、証だった。

 忠誠と、誓約。

 エルデュアが成長し、彼の袖にこのボタンが飾られるたびに、どれほど嬉しく、誇らしかったか。

 けれど。

 なにも知らぬ、唐突に表れた少女に、ボタンは割られてしまった。

 ラムゼタのため息は……おそらく、すべてそこからきていた。

 ごめんなさい、とリィが縮こまる。

「修復魔法も使ったけど……あの、駄目ですよね? 代わりなんて、やっぱりないですし」

 ああ、だから、と。

 だから、彼女は市場に来たのか、と。

 壊してしまったから。違う物を求めて。あるはずがないのに、それでも希望は捨てられなくて。

 とぼとぼと、リィは歩く。さっきより、ずっと遅くなっていることに、気づきもせずに。

 細くて華奢な肩が、俯いた分だけ前に丸まる。

 こんな姿に。

 こんな姿に、させたいわけではなかった。取り返しのつかないことをしたと、責め立てるつもりはなかった。けれど、リィという少女は、思っていた以上に……敏感で、繊細だった。

 受け取った、青いボタン。それが、ふっと軽くなった気がした。

「リィ様。お気になさらないでください」

「でも……大切だったんでしょう?」

「ええ。ですが……もう、さほど必要なわけではないのです」

 わからない、というようにリィが首をかしげた。当然だ。こればかりは、分かってもらっては困る。

 証は、もう必要ない。形は……もうとっくに要らなかった。

 気付けなかったのは、ラムゼタの落ち度。

 積み重ねた時とともに……ラムゼタは、心身共に、エルデュア・メスに仕える筆頭執事。誇りを持って、そして自信を持って、そう断言できた。

 この先もエルデュアと……そして、このリィという少女に、仕えていく。

 立ち止まったのは、どちらだったか。

 まだ怪訝そうに見上げるリィと、正面から向き合う。

「リィ・ウォン様」

「……はい」

「末永くお仕えいたします。よろしければそちらのボタンは、どうぞリィ様のお手元に、留め置きください」

 伝わったことを、疑う必要はなかった。金の双眸は、まっすぐに、ラムゼタを見ていたから。

「わかりました」

「ありがとうございます」

 膝をつく。かつて、エルデュアが当主となった時と同じように。 

 メス家の筆頭執事が、二人の主人に翻弄されるのは、もう少し先の話。


 



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