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子猫と先輩3

 能天気な顔を見て、ふと思い出したのは――あの日、ガレアルを取り巻くものが一変したとき、最後に自分を呼び止めた、氷の双眸だった。

『あなたと、縁があれば……会うべくして、会うでしょうね』

 交わした言葉の意味は、まだ掴みかねている。



 ありがとうございました、と言われた。

 第一声が、感謝。そんなことをされる覚えは全くない。とくに、優秀と名高い副宰相から。しかも、笑っているのに殺気のように突き刺す雰囲気がある。

 これがあの有名な無言の威圧というやつか、と首をかしげた。エルデュアの常套手段かつ最終奥義。理の効かぬただの我が儘者に、二時間でも三時間でも同じ顔のまま迫るという恐怖の手段。

 そんな目に遭わされる覚えも、ない。

 とはいえ、それほど恐ろしくはないから、さすがに違うのではないか、とも思う。

 それでも敏く鋭いとは言い難いガレアルであっても、ほぼ初対面のエルデュアが怒っているのでは、と察するほど、彼の笑顔は怖かった。

 分からないことは、素直に聞いた方が良い。

「はあ……あの、なにがです? 部隊長を引き受けたことですか」

「それは全く関係ありません。もとより、拒否は許されなかったでしょう」

「そりゃまあ……そうでしょうね」

 すっぱりと断言されて、ガレアルはたじろいだ。確かに、建前の形がなんであろうと、あれは国王の命令だった。

「不祥事起こした手前、下手に騒げなかったとは思いますが……よくまあ、貴族どもが許しましたね」

 政の面での王神派が、現国王と対立していたように、軍閥貴族と呼ばれる一派もまた、あまり今の国王と反りが合うとは言い難い。保守派と言えば聞こえはいいが、最近は地位と権力を欲しい侭にする動きが強く、先王の負の遺産とまで一部では囁かれていた。

 その筆頭は当然、前将軍の一族だが……王に介入されて、ただ静観に徹するような大人しさなど、かけらも持ち合わせていない。

 話半分に聞いていられた気楽な身分を脱してしまった今、面倒だと思いつつ尋ねてしまう。別に変ったことを言ったつもりはなかったが、副宰相はなぜか上から下まで、ガレアルをとっくりと観察し始めた。

「あの、なにか?」

「いえ……軍閥貴族の話など、まったく興味がない人物かと思っていたのですが。意外によく知っていたので」

「そりゃまあ、エルデュア様と比べちゃ、貧相なおつむですがね。耳と頭に入る分だけでもちゃんと仕入れておくと、自分が楽だったんですよ」

「なるほど。存外、最適だったかもしれません」

 自分が決めた人事じゃねえのかよ、と突っ込みつつ、最適の一言に、やはりガレアルは首をかしげた。

「それなんですがね。いまだに信じられないのですが……どうして俺に回ってきたんでしょう?」

 先ほどと全く同じ質問だが……エルデュアはなぜかすぐには答えなかった。さりげなく周囲を探り、すでにほとんどの関係者が退席し、人が少ないことを確認する。聞こえるか、ギリギリの声量で、違う返答をしてきた。

「あなたの言うように、あなたの上にも、『出来た』人間は何人もいました。ですが……傑物は、いません」

「そりゃ……滅多にいないから、そう呼ばれるんでしょう」

 確かに、戦争ない時代に英雄は存在しない。穏やかな時代だからこそ、天才よりも秀才の方が重宝される。そして今の軍部に、そこまで名のある一角の人物は……現将軍くらいだった。

「ですから、あなたにしました」

「は?」

「さまざまな人間を、どこに配置するか、それこそ百以上の可能性を考えました。決まっていたのは将軍ぐらいです。その中でも特に、栄えある第一部隊をまとめる人物は、ことに難航した。誰もかれもが、決め手に欠けていましたから」

 ずけずけと、容赦も遠慮もなく、エルデュアは切って捨てた。ガレアルが呆然と瞬きしかできないほど。

「あなたの名を教えられ、調べた時も同じです。ええ。どんぐりの背比べです。ですが……あなたの地位は低かった」

「……」

「同じように見える木の実でも、遠い場所から拾ってきて埋めると、全く違う植物が生えることがあるそうです。今回の人事は……それと同じです」

「……すんませんが、分かりやすくお願い出来ませんかね」

 図りかねて、困惑気味に申し出る。ふう、とあからさまにため息をつかれた。止めて欲しい。地味に手痛い。

「あなたというどんぐりは、遠いところから拾ってきたという価値がある。そして、今までとは違う樹に育つ、可能性があると申し上げています」

 褒められている気はしない。むしろ貶されているだろう。けれど、同時に……ずいぶんと、過分な期待を背負わされた気も、する。ここで、そんな人間じゃないと……そう告げることは、エルデュアのまっすぐな視線が、許さなかった。

 海千山千、古だぬきの多い政治の指揮を取る人間なんて、根性も性格もひねくれてややこしいんじゃないかと、勝手に思っていた。けれど。

 目の前のエルデュアは、驚くほど真っ直ぐだった。

 だからこそ、見る者を引き付けるほど、美しいのかもしれない。

 年甲斐もなく、意味なく叫びたくなった。が、それを堪えるために、全く違う話題をガレアルは探した。

「あ、あー。そうですか。じゃああの、さっきのお礼は、一体何なんです?」

 途端に、エルデュアの眉根が寄った。え、なんで? と怪訝に思う。さっきまで、機嫌の悪さなんてどこも現れてない。なかなか口を開かないエルデュアを待つ傍らで、記憶を探ってみる。

 あ、と思い当たったのは。

「もしかして、さっきの子猫ですか?」

「子猫……」

「ええあの、中庭にいた、中途半端に白くて黒い奴。あれ、エルデュア様の……?」

 飼い猫だったのだろうか。若き副宰相はさらに苦い顔つきになってしまって、ガレアルの言葉が尻すぼみになった。

「ええ。そうですよ」

 なぜかふっと無表情になって、視線をそらし気味にエルデュアが答える。へえ、とガレアルは意外な気持ちでいっぱいになった。冷たい印象をもたらす外見とは裏腹に、動物好きだったのか、と。

 見た目と中身の違いでは、散々悩まされてきた。ちょっとした仲間を見つけた気分だった。畏れ多い相手でもあるが。

「可愛い子猫でしたね。飼ってらっしゃるんですか? それとも餌を与えているんですか?」

「飼って……いるわけでは。ええまあ。食べ物は、そう、分けています」

 おお。と本日二度目の感動だ。こんなところに、猫好きが。

「ご自宅では、飼われないんですか? うちは残念ながら、女房に反対されまして。猫より、てめえの相手が先なんだそうですよ。それはそれ、猫は猫って何度言っても聞いちゃくれませんが」

 つい、ほおを緩めながら気も緩んで、遠慮なくしゃぺっていた。エルデュアの細面に、微妙な引きつりがあったことは気付けないままに。はあ、と細く長い溜息の後。

 にっこりと、エルデュアが微笑んだ。

「ええそうですね。本当に、可愛くて仕方ないのです……最近ようやくすり寄ってきてもらえるようになりまして」

「おお。両想いですか。羨ましいですな」

「……まあ。で、慣れてきて、こちらとして一秒だって長く一緒にいたいでしょう? 連れて帰ったはよいのですが、中々居ついてもらえなくて、困りました」

「ああ……わかります。環境の変化にかなり敏感ですから。俺も何度か野良を家に入れましたが、まあ、皆逃げましたよ。その割に、餌だけはもらいに来るんですがね」

「それはそれは。まったく同じです」

 いい笑顔が、二つ並んだ。にかっと笑うのはガレアル。残念ながら――幸いと言うべきか――全然目の笑ってないエルデュアの為政者特有の、あいまいな笑みには全く気付いていなかった。

「でも、ようやく自分の家だと認めてもらえました。私としてはもう、絶対に外へなんて行って欲しくありません。ええ。いっそ鍵をかけて閉じ込めてしまいたいんです。でも……でも、なんです。そんなことをするのは、あまりに可哀そうです。好きなように生きてこその、幸せなんですから」

「それは……その、とおりです」

「ええ。ですから、私のすることは、ちゃんと帰るように伝えることと、あとは……まあ、邪魔者を、家に入れないことです。ええ。それはもう、絶対に、誰にも来てほしくありませんね」

 美しい獣の笑みが、どこか物騒な色合いを帯びた。調子を合わせながら笑っているが、あれ、とガレアルの中で、なにかが引っかかった。

「ただでさえ忙しいのに、最近は本当に邪魔ばかりされて……うっとうしいこと、この上ないのです。今度私とあの子の間に入ろうとする者は……誰であろうと、死ぬほど後悔させて差し上げたいと思っていますよ」

「……はは」

 なんだか、似たような話を、誰かとしたような。家に行くとか、行かないとか。

 …………。

 いやいや。まさか。

 そんなまさか。

 子猫の話だったはずだ。今、あのちょっと変わった部下は、全然関係ないはずだ。大体、いくらリィだからって、自分の国の副宰相の家に転がり込んで、あまつさえ大家呼ばわりなんて。

 しない、はずだ。

 断言が、決してできないせいで、ガレアルの背中につう、と嫌な汗が伝う。いい話を聞いたはずなのに、いきなり変な疑惑が持ち上がって、胃のあたりの収まりが悪い。

 顔色の変わったガレアルには特に何もコメントせず、それではと、かの有能な副宰相が身をひるがえした。

 その背中を見て、またしても聞きたいことがあるのに気付いた。こんな機会は、二度とないかもしれない。臆さず、もう一度声をかける。

「あの。ちなみに、俺を教えたって人は誰です?」

 カツ、と副宰相の足が止まる。だが振り返りはしなかった。

 なぜか会議の時と同じ、感情のない硬い声が返ってきた。

「あなたの知らない者です。あなたのことは、良く知っていましたが」

「え、と」

 そんなことはあり得るのだろうか。余計に、分からなくなった。

 ふう、と嘆息の後は、ひどく意味深長な視線が、じっと肩ごしに注がれた。

「私は是非とも、あなたに英傑となっていただきたいのです。その道を歩めば……そして、あなたと、縁があれば、会うべくして、会うでしょうね」

「……」

「ガレアル・ハン。あなたの名を、私に教えた者に」

 静かだった。誰もいなくなった会議場の高い天井に、言葉だけがいつまでも反響し、残っている気がするほどに。



 まあ、別に。

 リィ・ウォンがエルデュアとつながっていようと、いまいと構わない。

 難しいことを、簡単な作りの頭で考え続けるのは、無理があるのだ。

 とりあえず、今言えるのは。

「お前、叙任式、フけただろ」

 あらゆる意味で目立つリィを、下っ端の遠い位置とはいえ見つけられないとは思えなかった。特に、ガレアルは三年間かけてリィを発見する技術を磨いてきたのだ。変な自信と断定を持って、ガレアルは後輩を叱った。

 が。

「出ましたよ、ちゃんと」

 珍しく反論された。いつも通り、どこかぽやっとした口調で。

 ガレアルがだらしなく座って寄りかかっていた壁に、リィも同じような姿勢で寄りかかった。

 はあ、と心の中でため息を吐く。

「じゃあどこにいた」

「どこって言われても……」

「なら、なにが見えたんだよ」

「そりゃ、先輩です」

「あのなあっ。だったら、なにしてるところを見た?」

「えーっと。会場に入ってきた」

「ほかは?」

「……」

「始まった途端に逃げやがったなお前」

 ふいっと逸らされた顔が、まあそうですね、と返事を寄越す。見つかるわけがない。まったく、最後の最後まで、リィはリィのままだった。

 気ままで、自由で。そのくせちゃっかり評価だけは高い。浮きもしないが、沈んでもいない、そんな立ち位置を貫いて。

 まったく、羨ましい。

 会えば、会ったなりに何か惜別の情がわいて、別れの言葉などをと一人考えていたのが、馬鹿らしくなる。この様子では、明日にもひょっこり執務室に顔を出しかねない。そんなことが許されるかどうかは別として。

「お前、本当に分かってんのか? 俺もだが、お前だってこれから一人でやってかなきゃならんのだぞ。昼寝してても起こしに行ける奴はいないし、飯抜いたって助けてやれないぞ」

 大丈夫かよ、の問いかけを含んでたしなめると、そうですねえ、という間抜けな声がする。

「先輩、昇進しましたからね。職場全然違いますね」

「今更か。ま、なんつーか、昇進ってレベルじゃないな。出世? 世に出たっていうか、外国行った気分だよ」

「ずいぶん大袈裟ですねえ……」

「ま、な。半分は冗談だ」

「じゃ、半分は本気ですか」

 意外と鋭く突っ込まれて、う、とガレアルが詰まる。こうやって、時々敏いことを言うので、油断が出来ない部下なのだ。

「大丈夫ですよ」

 苦労知らずそうな能天気さで、リィが保証する。

「上司にも部下にも上手に気を使って、問題があればその度に対応して、始末書書いて片付けまでしてたんですから、大丈夫です。やること全然変わんないです」

「……本気で言ってんのか?」

「え。あとは書類仕事の割合が上がったぐらいじゃないですか」

 そんな馬鹿な、とか、なにを知っているってんだよ、と思わないでもない。が、指摘されればそうかもと心当たりがある。そもそも、この人事でガレアルが抜擢されたのは、実力主義を掲げた手前のパフォーマンスに近い部分がある。昇進だと簡単に喜べないのも、精鋭のトップだと天狗になれないのも、それが分かるからだ。だったらガレアルが自分のやり方を通したところで……問題はないのかもしれなかった。

 リィはもっと単純に考えたのかもしれないが……笑わせて、くれる。殺し切れずに口角が上がった。

 この性格になりたいとは思わない。だが、こいつがいて助かったとは思う。

 いっそ付いて来い、と言おうかと……迷った。

 黒なんだか白なんだかはっきりしない髪に、手を伸ばしかけて。止めた。

 リィが、不意に立ち上がったからだ。手の届かなくなった髪が、陽の光を受けていつもとは違った色合いに輝いた。隣に並んでいた時にはあり得ない、見下ろす側と見下ろされる側の逆転。

 覗き込むようにリィの顔が傾いて……言葉と迷いは、あっさりと消えた。

 自由で、いてほしい。

 リィ・ウォンには、どこまでも自由に。

 そう願うから。だから、束縛の多い場所には連れて行けない。連れて、行かない。

 金に近い瞳の色が、横から差す光によって変わる。

 ふっと、息を漏らした、その表情。

 まるで別人だった。鋭く、微笑みながらも、牙を向けられたよう。

 黄金よりも眩い双眸から、目が離せなくなった。

「ま、縁があれば、また」

 不意にまみえた獣は……瞬きをする間もなく、幻のようにリィへと「戻った」――

 背を向けて、歩き出したリィ・ウォン。右へ左へと、頼りなくふらつく背中を、見送りながら思い出す。

『あなたと、縁があれば』

 呼び止められて、交わした言葉が。

『会うべくして、会うでしょうね』

 一体「誰」を指していたのか、を。



 猫は、己の上にたった一人、最上の主を戴くと聞く。

 彼女がもし、その主を定めたのなら。

 あの者はもう、独りではない――

 それもまた、ガレアルの背中を強く押した。

 立ち上がる。

 英傑になれ、と彼の者は言った。

 遥かにある高みが、どこにあるか、どこまであるかは知らない。

 ただ。

 ガレアルは、一歩を踏み出した。




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