子猫と先輩2
そんな会話をしてしばらく。
リィの行動が、ガラッと変わった気がした。
以前から、時折部隊の命令により頻繁に外の任務を請け負うことが多かった。つい最近もひと月ほど、城を離れて湾岸部であるガザンに出向いていた。
が、ここ最近は以前と違って行動の予測が出来ない。
まず、昼時になるといなくなる。どこを探してもいない代わりに、必ず午後には顔出す。
そして、定時になるときっかり上がる。時刻を確かめるなんてことをしているのを、ガレアルは初めて見た。時計と規則では、リィ・ウォンを縛れないとばかり思っていたのに。
それがあの「大家」のせいかどうか、気になるところなのだが。
ガレアルが多忙になってしまい、どうもゆっくりと話をする機会がなかった。今日も訓練ではなく、下士官の一人でありながら、幹部の会議の方に呼ばれ、練兵場を離れて城内にいた。ただ、異分子であるガレアルは、文官たちの行きかう城で、いまいち居場所がない。昼時も広い城内の食堂が分からず、かといって遠い軍部庁舎に戻るわけにもいかず、一人で時間と暇を持て余していた。
救いだったのは、たまたま草木がしつらえられた、中庭を発見したことだ。ぼーっと時間を潰すのにはちょうど良かった。鳥の声さえ聞こえて、動物好きのガレアルとしては、とても和む。
空を見上げつつ、疎外感を癒しながらのんびりしていると……
みゃあ、と可愛らしい声が、例のアンテナに引っかかった。
ん、と周囲を見回す。すぐに、白とも黒ともつかない、妙な毛色をした子猫をみつけた。中途半端な毛色に親近感を覚えて、ゴツイ手を伸ばした。
意外にも……ふんふんと匂いを嗅いだ後、子猫はガレアルの手のひらに寄ってきた。大きく平べったい手の上に、子猫はころりと横になった。
おおおお、と心の中で感動する。こんなに懐かれたのは初めてだった。
ひとしきりじゃれついた後は、そのままくったりと動かなくなり……そのまま寝てしまったらしい。
そっと腕を曲げ、手持ちの布を掛けてやる。ふわふわの毛と、ぬくぬくした生き物の温かさが心地よい。人懐こいのは、人に飼われているんだろうと予測がつく。迷子か、それとも住み着いた野良猫に餌をやる人間がいるのか。前者なら、飼い主を探してやりたかった。
が、そろそろ会議場に向かわなければならない。仕事が今更に恨めしくなるが、そっと布にくるんで一段高い石段の上に子猫を乗せる。すぐにパッと目を覚まして、金色の目を向けてきた。
行きたくない。
すごく仕事に行きたくない。
いっそ足に根が生えればいいのに。と、馬鹿な事さえ過ぎった。だが……それでも、ガレアルは立ち上がる。名残を惜しみつつ、じゃあなと別れを告げる。言葉が通じたかのように、子猫は追いかけてこなかった。ただ、振り返りながら去るガレアルを、じっと、ずっと見送っていた。
帰りに、もう一回来よう、と決める。
後ろ髪を引かれつつ、入室した会議場は……ビリビリとした緊張感があった。いや、すでに緊張を通り越し、殺気のようになっている。
即刻、回れ右をしたくなった。中庭が恋しい。猫が、癒しが心底恋しかった。
まあ、当然か、と諦観しながら指定の席に着く。
今回、不祥事によって軍部の上層部はかなり入れ替わったと聞く。世襲制のようにある貴族に受け継がれていた将軍職は、次の人事で実力派と名高い第一部隊の筆頭が就くともっぱらの噂だ。そんな最中の重役会議が、にこやかになるはずがない。
嫌な、予感がした。ただの勘というより、今までの流れの中で不意に持ち上がったこの会議が、いわば不気味なほどの目立っているせいだ。
帰りたい。切実に。
その予感は……開始時刻と同時に、宰相とその懐刀――ハルエス・リンとエルデュア・メスが現れた時点で、確信になった。
告げられた議題は――軍部人事の発表。
いや、すでに議題ですらない。決定事項の、通達だ。しかも、政務の頂点から。
これはつまり、国王直々の采配であり、勅命であり――反論は、許されない。
呆然としながら、それでも将軍には予てからの噂通りとなった。その他、副将軍、近衛隊の補佐官などが次々に発表され、その度に名を呼ばれた軍人たちが立ち上がり、型通りの返礼をする。
だが。
「第一部隊長、ガレアル・ハン」
だが。
「……は、……?」
よもやまさか、己が巻き込まれるなど、だれが予想しただろうか。
間の抜けた返礼にもならない声を上げたきり、ガレアルは絶句してしまった。
現在、ガレアルの身分は下士官、百人規模の一団体を指揮する隊長。
それが、千人隊長――文字通り百人隊を百部隊預かる――そして師団長――千人隊長の取りまとめ役――の二段階をすっとばし、いきなり最高戦力と言われる第一部隊の長。
一般庶民の平軍人など、、せいぜい千人隊長あたりになったころに退役の年齢になって辞めていくか、ガレアルの今いる地位で頭打ちだ。
それが、いきなり。部隊長……。
いやいやいや、絶対、聞き間違いだろ。こんなぶっ飛んだ話は、一切聞いていない。
栄転とか昇進の話は、確かにあった。
それでも、いくらなんでも限度があるだろっ!
現実逃避気味に、ガレアルは回らない頭を何とか回転させ、ついでに周囲も見まわした。
しかし。
冗談など、一切含まない殺気に似た厳しい視線が、ガレアルを取り囲んでいた。今更身がすくむ、はずもないが……うそですよね、とも言える雰囲気でもない。
戸惑いが、さすがに伝わったのか、いぶかしむ目線が上座からもむけられる。
「ガレアル・ハン、聞こえたか?」
宰相直々の声掛けに、仕方なく立ち上がる。
「は……あの。なぜ、とお聞きしてもよろしいですかな」
「なに?」
「いやあの。千人隊長も師団長も、立派な奴は結構います。なのに全部すっ飛ばしてなぜ俺…私に第一部隊のお鉢が回ってきたんですかね。重要な部隊でしょうから、人事は慎重に行ったと思うんですが」
「それは……」
宰相がなぜか言いよどむ。切って捨てられなかったのは奇跡だと思った。ただし、立ち上がったのは副宰相の方だった。
有能な副官は、軍部でも有名だ。つい先日の不祥事にも、この副宰相は重要な働きをし、またしても名を揚げた。
「推薦を受けました」
「はあ」
誰から、という当然の疑問がわくが、氷刃の視線が質問を許さなかった。
立ち上がり、書類を手に取る。ただのそれだけの動作が、目を引くほどに優雅だった。銀灰の髪、細められた冷たい色の瞳が、猫のようだった。リィ・ウォンが子猫なら、こちらはどこまでも気高い、美しい獣だ。
「その後の調査によって、実力主義を掲げる新体制にふさわしいと、判断しました」
まるで真っ向から勝負を仕掛けられているかのよう。
気圧されずに立つために、ガレアルは気を入れて背筋を伸ばした。
「ガレアル・ハン、第一部隊、部隊長を命じます」
どうするのだ、という無言の圧力。
ガレアルは、ため息にも似た、大仰な吐息を吐き出した。
「……拝命いたします」
首を、垂れた。
それからは怒涛のような日々だった。
大出世と言えば聞こえはいい。だが腕っぷしひとつでやってきたガレアルは、いきなり降ってわいた細々とした事務作業や、人付き合いや、その他軍を、人を動かしていくために必要なモノ、金、ヒトの流れに、毎日眩暈を起こしそうだった。
引き継ぎの時点で、尊敬する上司だった現将軍について仕事を覚えながら、何度無理だと言いたくなったことか。
だがその度に、あの任命した副宰相の目が浮かぶ。妥協を一切許さないであろう厳しい視線が、己の口から任を受けた言葉を紡いだことを思い出させる。
別に本当に真剣勝負をしたわけでもない。そもそも、勝負もなにも、元より存在しないのだが……ここで弱音を吐いては負けだと、なぜか考えてしまう。
そんな妙な意地のおかげか、貴族どもを受け流すことも、つなぎの文官に泣かれることも、はんこを押すのも、机で書き物するのも、形ばかりの叙任式までにはどうにか慣れた。これで一人前、というか、この先は一通り教わったことをもとに、すべてこなしていかなければならない。
まあ、それでも副官に一人、ガレアルと親交があって、かつ貴族でありながら優秀で遠慮ない言い合いのできる人間が一人いるので、最悪はそこに丸投げしようと目論める逃げ場があった。
堅苦しい場所に、堅苦しい服装で出席しやれやれと襟を緩めた。春の人事を待たずに全部整えただけあって、とにかくすべてが急ごしらえだ。が、発進がどうであろうと、これからガレアルが担っていく重責は変わらない。
仕事がひと段落したのもあって、ガレアルは今、リィを探すうちに見つけた少々人目のない裏庭のような場所にいた。あの子猫はこういう隠れ家を見つけるのが上手かった。
同じ釜の飯を食った仲間とは、ずいぶんと時間も距離も開いたところで働いていたため、最近はまったく姿を見たことがなかった。
寂しいなどという感傷は、まだない。むしろこれから先のことで、一杯一杯だった。
だが時折、無性に時を戻したくなる。
一から全部、やり直してみたくなる。
それでも多分、歩む道は変わらない気もするが。
ふう、と大仰な息を漏らしたところで。
「あ、先輩だ」
ふらり、とあらわれたのは。
「……リィ・ウォン」
「どうも」
ぺこり、とお辞儀をする、まるで変わらぬ仔猫だった。




