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子猫と先輩

 猫が好きだ、と言うと、大抵の人間はのけ反って、ガレアル・ハンの顔をまじまじと見上げる。そのあとは似合わんと笑われるか、大げさに驚かれるか、どちらかだ。ちなみに妻には盛大に笑われた。新居で飼いたいと申し出た時だった。いい思い出になりつつあるが、若干傷ついた。

 大方の人間を見下ろせる巨躯、浅黒い肌、加えて職業が軍人とだけあって、ガレアルはとにかくゴツイし厳つい。子供はビビッて逃げるし、大人だってそっと目をそらして避けていくときだってある。とはいえ、気の悪い性格ではないし、仲間内ではかなり信頼される男として認識されている。気心知れていれば、女性に優しい、とまで言われるのだ。

 そんな同じ隊の連中には、ガレアルが子供・動物・小さいモノ全般が好きだと知れ渡っているため、逃げたり泣かれたりするのを見られるたびに、ニヤニヤされる。時々憐れになるのか、同情される。

 が、そーゆー奴に限って大して好きでもないのに懐かれたりするのだから、ガレアルとしては面白くない。特に、振られた猫に言い寄られすり寄られたのを目の前で見た時などは。

 とはいえ、そんなささやかな趣味嗜好などは、仕事の中ではあまり関係がない。いや、関係などそもそもあるはずがないのだが。

 毎度毎度、当然のように世話を焼いて面倒を見ることになっているとある部下を今日も今日とて探しながら、ガレアルはなんとも言えない気持ちを持て余しつつも、足を止めずに広い敷地を歩き回った。

 ようやく見つけたのは、数ある心当たりが、そろそろ尽きてきた頃だった。

「リィ・ウォン」

「……先輩」

 だらしなく寝そべったまま、リィがガレアルを見下ろしてきた。首だけをうまく動かして視線を合わせる。昼休みの練習場は、閑散としていた。その端も端、さらに木の上という妙な場所に、探していた部下は、器用に寝転んでいた。こんなところに隠れるようにして昼寝するリィを、見事に探し当ててさらにわざわざ木に上ってくるのは、ガレアルくらいだ。

「先輩、暇なんですか?」

「バカ言え。俺ほど多忙な奴は下士官の中にゃいないぞ」

「ですよね。もーすぐ栄転って噂もあるし……なんでここにいるんです?」

「いいから、一回降りるぞ」

 促すと、リィは眠たげな目を一度瞬いてから従った。緩慢な動きで上半身を起こし、そのまま飛び降りる。普通なら足の一本や二本は折りそうなものだが……見事に着地した。後からガレアルが慎重に幹を伝ってくるのを待つ――あいだに、根元に腰を下ろして太い幹にもたれ掛った。ガレアルが物言いたげに見下ろし……ややあって、同じように隣に座った。

 時間があるのをいいことに、そのまま風に吹かれていると、ほどなくリィは横になって丸まり、そのまま寝入るように瞼を閉じた。まだ冬は遠くても、夏でもないから風邪をひきそうだが、丁度良く日差しの当たる木の下は、まさしく格好の昼寝場所だった。

 どうしてこう、とガレアルは妙な心持になる。

 どうしてこう、やること成すこと、いちいちが猫のようなのだ、と。

 そっと白とも黒ともつかない髪の毛先に触れると、ちらり、と目を開けてこちらを見た。が、許してやろう、と言わんばかりに、またゆっくりと瞼を下ろす。一言も声を出していないのに、「寛大な処置に感謝せよ」と心の声さえ聞こえてきそうだ。

「リィ・ウォン」

「なんです?」

 寝ているようで、決してリィは眠っていない。意識は常に、ギリギリの薄膜のように張られていて、知らない声や足音、果ては気配にまで敏感に反応する。ガレアル相手だからこそ、寝転んだ体勢で、かつ目は閉じたままなのだ。

「お前、官舎を出たそうだな?」

「はあ」

「どこ住んでんだよ?」

「そりゃ、街の方ですが」

「……わざわざ借家に? 結婚したんでも出戻ったわけでもなく?」

「実家には戻れませんよ」

「だったらどういう了見よ」

「了見って……別に悪いことをした覚えはありませんが」

「悪かねえが、意味が分からねえ」

「……」

 沈黙する。リィの反応は、とても素直だ。

「言いたかねえ、ってか」

「別に、そんなことはありませんよ」

 と言いつつ、それ以上続ける気があるのかないのか、リィは寝返りを打った。今度は背中に日差しが当たる。ふわふわのくせっ毛が、ガレアルの手の甲をくすぐった。

 ……撫でまわしたい。とても。

 中途半端な毛並みをぐしゃぐしゃにして、最後にきちんと整えてやりたい。生憎、櫛の持ち合わせがないので武骨な手櫛になってしまうだろうが。

 しかしそんなことをすれば、見た目よりもはるかに高い矜持を持つこの子猫は、あっという間に逃げて行ってしまう。それを知っているからこそ、ガレアルは必至で動こうとする右手を意志の力で抑え込む。

 本当なら、その続きこそが大事なのだが……時間があるのをいいことに、ついついこの一風変わった部下との出会いを、ガレアルは思い出していた。



 リィを「発見した」のは、偶然というよりは好きな人間特有の目敏さ、だろう。いわば、アンテナに引っかかったのだ。

 その時はまだリィは新人で、その手の集団は振るい落としを兼ねた過酷な訓練と、研修の最中だった。

 初めてガレアルがその「猫」に気付いたのは、食堂だった。昼時の、一番混雑して人でごった返す、そんな時間。トレイや食器の音がやかましく、さらに絶えず人の話し声がそここでざわざわと喧騒を加えている。いつも通りの、食堂だった。

 そこに。

 ぽっかりと穴が開いていた。少なくとも、ガレアルにはそう見えた。

 一見は何のことのない、新人たちの集団で、五、六人ほどが揃ってしゃべりつつも急ぎ足で昼食を終えようとしていた。一つのテーブルを囲んでいる……その、端。

 寝そべるようにして飛び交う声を聴いているのかいないのか、半端な体勢の隊員の前に置いてあったのは……カップが、一つ。

 湯気の立つそれには、見下ろす形のガレアルが一瞬首をひねりたくなるものが入っていた。

 白い、ミルクだ。

 それをちびりちびりと、時々顔をしかめながらその隊員は飲んでいたが、ちっとも減らない。どうやら熱くて飲めないらしい、と察するのに時間はいらなかった。

 ――猫舌。

 とっさに単語が浮かんだ。いや、そもそも昼時の軍人が、飲むものですらない。訓練は厳しい。がっつり腹に入れておかねば、途中で倒れることになる。

 だがそんな隊員を、周囲が気にした様子はない。だからといって特に浮いているわけでもなく……いわば、許されてしまっている。

 それが、目に焼き付いた。

 もちろん、顔もしっかり覚えた。女の軍人は珍しいうえに、どうやらリィはある程度の魔法が使える面で、新人研修をする仲間や、さらに上の上司たちにも名前を知られていた。

 配属されたのが、ガレアルと同じ隊だった時には、心の中では快哉を叫んだ。

 けれど。

 好奇心でうずいていたが、動物をよく知るガレアルは、いきなり「猫」に突撃をかましたりしなかった。まずは相手を十分に観察し、なおかつ観察され、その上で距離を推し量る必要があった。そのためには……ある程度の物理的、心理的な距離が、必要不可欠だ。

 さして自己評価の高くない頭を使いつつ、言い訳できる程度の観察をしていると、当然向こうも視線に気づいてガレアルを見る。もともと気のいい方であるから、目が合えば食事や訓練に誘い、乗ってくるようになって分かったことは。

 子猫は、グルメだった。

 それはもう、激しくえり好みする。

 最初に食堂で見かけたときに、食事を注文していなかった事情が、その段になって明らかになった。

 まず、基本的な食事量が少ない。男の、それも軍人向けに大皿で大量に盛られた料理では、食欲が失せるらしい。だがどんなに少なかろうと、リィが倒れたところをガレアルは見たことがない。

 そして、一度に大量に作られる食堂の料理は、大味でお気に召さないと言う。確かに、鳥でも魚でも臭みが抜けきらない品物なのはガレアルでも知っている。食べられないということもないし、そこらの男どもは全く気にしない。が、リィは手が付けられないのだとか。

 よって、大抵は薄味の野菜スープを少々、パンが柔らかければそれを一つ、という程度の食べ具合。メニューによってはミルクだけ。ミルクさえなければ、昼食時に誘われても、本当に行くだけで食事はしないという有り様。

 このあたりで……さすがにガレアルの方が(人間的な意味合いで)心配になり、目が離せなくなっていた。

 リィの肥えた舌に見合うような新鮮な野菜や果物などは入手が困難なので、時折上質なベーコンをなどを土産に官舎に押し掛けたり、手持ちの荷物の中には日持ちの良い菓子などを常備したり。

 ふらっと消えてしまいそうになった気がすれば、しっかりと襟首を押さえておいたり。

 結局逃げられて姿をくらまされては、いちいち敷地中を探したり。

 ここまでくれば、誰が何と言わずとも、少々困った若手軍人の守り役を、指示されるよりも早くに引き受けたも同然だった。

 そうして、早三年の月日がたっていた。



 ころりともう一度寝返りを打った後に、大家さんが見つかったんです、とリィが言う。

「大家? 家を借りてんのか、そいつに?」

「はい。いい人です」

 嫌な予感がして、あー、とガレアルが言葉を探す。

「そいつは……男か?」

「そうですが」

 躊躇なく肯定されて、ガレアルの方ががしがしと頭を掻く。苦い。口の中が、思いっきり苦い。

「あー、あー。えーっと……それって、大丈夫なのか?」

「なにがですか」

「いや、だからその……て、」

「て?」

「て、てい…て……てめーの、からだ、とか」

「?」

 疑問符を浮かべて無言で聞き返される。訊けるかっ、とガレアルは心の中でリィを詰った。むしろ気づけ。なんで気づかない。

「私は別段、健康体ですが」

「そりゃ何よりだよ」

 そんな都合のいいことあるかよ、と疑いは晴れないが……一応、リィも大人の年齢だ。あまり深く詮索するのもはばかられる。いっそ女同士ならまた違ったのだろうが、生憎とガレアルは――特にリィの前では――下世話な話をするのは苦手だった。

 まあ、そうそうこのリィに無理を通せる人間がいるとも思えないが。

 それでも、リィは女だ。ガレアルにはどうにも子猫にしか見えないが。それでも、念のため。

「じゃあ、その……一回、見せろよその部屋。その大家はいてもいなくてもいいからよ」

「また来るんですか? 構いませんが……念のため、都合は尋ねておきます」

 おう、と気軽な返事をした後、午後の訓練のために寝転がったままのリィの襟首をひっ捕まえてから立ち上がった。







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