表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/24

微睡む虎 護る狼

 闇が揺れたのは、月はとうに沈んだ、真夜中も過ぎたころ。

 わずかに息をのんだ気配がして、すぐに怪訝そうな声をかけられた。

「エルデュア様?」

 扉の開いた音はしなかった。窓がきしむこともない。忽然と姿を現すことに、既に抵抗がなかった。灯りを点さない部屋の中では、エルデュアの視界は黒のままだ。視界はまるで役に立たない。その分、聴覚がかすかな足音を捕えていた。

 腰かけていた寝台に、リィは何のためらいもなく近づいてきた。腕を伸ばせば、そっと手を取られる。何度も繰り返してきたように、軽く引いて、腕の中に閉じ込めた。そのまま、整えられた敷布の上に倒れ込む。抵抗はない。

「エルデュア様、どうしてここに?」

 リィの疑問は当然だった。ここは、リィに与えた私室なのだ。良家の子女が相手なら、非常識な時間に非常識な形で待機していたエルデュアなど、叩き出される。ただし、リィ・ウォンは家柄はともかく、その点に気付く人間ではなかった。

 とはいえ、エルデュアは基本、常識を破るような性格ではない。

 貴族の慣習には疎くても、リィは感情を読み取ることには長けている。

 だから、エルデュアが――憂えているのだと、すぐに悟った。

 どんなに光が乏しくても、リィの目には薄氷の双眸がはっきりと映っていた。昼間にはあれほど鋭く、厳しかった輝きは失せている。

 ゆるく腰を抱いていた腕が、力強くリィを抱き寄せた。額と鼻の先が触れるほどの距離。金の瞳は水面のように己を映す双眸にただ魅入っていたが、氷の瞳は黄金に映された自身を視ることは叶わない。

「エルデュア様?」

「まったく。忌々しいですね」

 今日この時ほど、力があればと願ったことはない。様子の一変したエルデュアを、リィはまだ訝っていた。

「あの……もしや、鵲殿がなにか、」

「いいえ。そういう問題ではありません」

 そう、あの闇が告げた言葉は、ただ自覚を促しただけだ。問題があるのは、彼ではない。

「申し訳ありませんエルデュア様。なにをすればいいですか? なにをしてはいけなかったのです?」  焦ったように、リィの手はエルデュアの背中を掴んだ。

「やはり、あの狐が悪いのですか」

「いいえ」

「ならば、戻りが遅れた為ですか」

「いいえ」

「……なにか、それでは、失敗を?」

「いいえっ」

 否定が重なるたびに、リィが混乱し、困惑しているのが分かる。見えずとも、金の瞳はいつでも雄弁だった。

 けれど、教えることも諭して道を示すこともできない。リィ自身が学ばなければ。

「どうして……怒りでなく、悲しんでいるのですか」

 応えは、絞り出すような、声だった。

「……あなたがなにも知らないから、です」

「知らない?」

 おうむ返しの問いかけに、エルデュアは瞳を閉じた。

 感情を、知っているのに。

 怒りの理由は分かっても、子猫は悲しむ理由がわからない。置いて行ったことを怒られることがあっても、悲しまれたことはない。寂しさや孤独を知っていても、それを悲しむことは知らないのだ。

 だから、リィ・ウォンは怒る。とにかくすべてに対して、怒る。己の知る、ほとんどただ一つと言える、抗議の方法だから。

 結末を知りながら、また無茶を繰り返す。そう、エルデュアには確信できる。

 それが、あまりにも、危うくて。

 ぐい、とさらに抱きしめる力を込める。ふ、とやや苦しげな息が、頬をかすめた。

 けれど。どんなに強く腕にいだこうと……容易く消えてしまうと、エルデュアはすでに知っている。

 無力でなければ、と夢想する。

 倒れることもなく、リィ・ウォンの、または闇の虎の隣に立つほどの力があれば、と。

 だがもしエルデュアが、軍人として武力を生業としていたら。

 この小さな子猫は、決して寄り付こうとはしなかっただろう。

 見せる顔は、虎か……はたまた、エルデュアの知らない、ウォン家としてのリィか。

 距離は、簡単に縮まった。抱きしめることも、口づけることすら、リィはエルデュアに許して、それでも逃げるそぶりはなく。

 だから、忘れそうになる。

 言えないことも、伝えていないことも多いはずだ。おそらくは、お互いに。 

 細く柔らかい髪を、手の指ですく。色は、エルデュアの目には映らない。

「リィ……」

 小さく呼べば、細い腕が背中に回った。小さな掌が、今はただ静かに震える体を包むように広げられている。

 行ってくれるな、と懇願することは、容易いだろう。ここにいろと命じることも、リィは簡単に受け入れる、目に浮かぶほど確実な未来。

 それでは、意味がない。

 ゆえに、今、言えるのは。

「リィ・ウォン。今度から、出かける際はきちんと私に一言断りなさい。無断外泊は……少々心臓に悪いので」

「はい」

 いつも通りの端的な返答の後に、少し、身じろぎをした。

「なにか?」

「あの、それだけですか。もっとその……お怒りだったのでは?」

「そうですね。確かに、その通りですが。先ほど良い返事をもらいましたから、結構です」

「ええと……ですが」

「珍しく歯切れが悪いですね、リィ・ウォン」

「そう、かもしれません。ただ……」

「ただ?」

「軍では、もめ事を起こすと、委細関わらず双方に厳罰が下りますから」

 据わりが悪いんです、と子供のような口調に、エルデュアは久しぶりに笑みを浮かべた。

「なるほど」

「狐の処分は、相応に感じましたから」

「だから、罰が欲しい、と? それではあまり意味がありませんね」

「……」

 むう、とリィが黙り込む。理を認めれば、それ以上はいくら居心地が悪くとも、正しいのはリィではない。そんな考えが伝わったのか、では、とエルデュアがリィを抱えなおした。

「反対の物を与えましょうか?」

「はんたいのもの?」

「ええ。あなたが私にしてほしいことを言いなさい」

「……」

 何かがおかしい、と気付かないリィではない。ただ上手い反論が見つからなかったうえに、目の前にある氷の双眸が、滅多になく面白そうにリィの答えを促していた。

 さりとて、何事につけても不満などあまり感じないリィは、エルデュアの問いに対する答えが思い浮かばない。

「……どうしました?」

 さあ、とさらに催促される。これは確かに「罰」の代わりかも知れない、とリィは一瞬思った。

 なんだろう、と半分回らない思考回路で、自分に問いかける。

 ずっと気を張っていたせいか、そろそろ魔力が切れてかなり強い睡魔がリィのすぐ後ろにいた。

 それをかぶりを振って追い払いながら、考えをめぐらす。

 してほしいこと。希望――エルデュアにしてもらって、嬉しいこと……

「リィ?」

 優しい声が、耳のすぐ近くでした。命じられたはずなのに、なぜかねだられているような声。

 その声に、答えなくてはと思うのだが……眠かった。既に、体の方が限界だったのだから、当然だが。

「じゃあ、あの……」

「はい」

「…まえ、」

「はい?」

 切れ切れに、リィはなんとか言葉を紡ぐ。

「名前、呼んで……くださ……」

「名前?」

「ちゃんと、呼ぶのも……呼ばれる、のも……初めて……だったか、ら」

 それが、出会った時のやり取りを踏まえていると……気付いた時には。

 すう、と息を吸い込んだきり、糸が切れたようにリィの頭が寝台に落ちて……健やかな寝息が聞こえるだけ。

 夜が明けるには、まだ時間あり……視界はまだ、闇のまま。

 それでも、いつになく穏やかにな気持ちで、エルデュアはリィを胸元に抱き込んだ。

 




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ