第三話
その日の二十二時。
本当に優輝から電話がかかってきた。
しかも登録名が『金髪イケメン』とか訳わからないし! 勝手に人の携帯にこんな名前で。
コール音が続く。
出ようか出まいか悩んだけど、あとでいちゃもんつけられてもいやだ。借りたジャージも返さないといけない。
「――もしもし」
『てめ、遅ぇよ。二十二時って言ったろが?』
優輝の苛立った口調にドキッとなって、背筋が小さく伸びる。
怒らせるつもりなんかなかったのに、ためらってないで早く出ればよかった。
小さな声で「ごめんなさい」と謝ると、向こうからごにょごにょとあいまいな声が聞こえてきた。
『部屋の電気消して』
「え?」
『いいから消せっての』
上から物を言う態度に押され、電気を消してベッドへ横になった。
『豆電、ついてんだろ?』
ぐっ、バレてる。
小さい頃から真っ暗な部屋が苦手なわたしは、高校生になった今でも小さな電球をつけて寝ている。
『ま、いいけど。夕食何食った?』
急に話を変えられた。夕食、なんだったっけ?
「あ、コロッケ」
『おお、いいじゃん。杳子ん家のおばさんのコロッケうまいよなー全部食ったのか?』
そういえば昔はうちによく来てコロッケをオヤツに食べてた。
うちの母は専業主婦だけど優輝のお母さんは働いてるから鍵っ子でほぼ毎日ここに来てたっけ。
『どうなんだよ?』
携帯越しに脅すように聞かれ、ハッと我に返る。
今日はひと口も食べていない。
「残した」
『なぬっ? もったいねえなーじゃあ俺に食わせろよーああ、拓哉が食ったか。あいつ元気かよ?』
拓哉というのはわたしの一個年下の弟。
昔は優輝ともよく遊んでいたし、中学時代までよく懐いていたはず。
「うん、受験生だから少しピリピリしてる……」
『あーまあそうだろうな。あんまり気負わず無理すんなって伝えてくれや。俺みたいなバカに言われる筋合いねえだろうけど。あいつもおまえに似て出来いいしな。おまえと同じ高校受験するんだろ? 末は医者か弁護士か?』
ガハハと豪快な笑い声がする。
わたしが通ってる高校はそんなにランク高くないよ……そう言いそうになってやめた。
医者か弁護士になりたいならもっと程度の高い学校に行くだろう。
『おまえ、学校でなんて呼ばれてるの? 友達いるのかよ?』
また話題を変えられる。
何が聞きたいのかさっぱりだけど、聞かれるまま答えるとまた大笑いされた。
窓の外から雨の音が聞こえる。しとしとと静かな雨だった。
まるでBGMのようのその音を聴きながら、優輝の話に耳を傾けていた。
そうしていろんな質問をされているうちに、瞼が重くなっていつの間にかわたしはそのまま眠ってしまっていた。
**
起きたら朝になってた。
目許がぼんやりして、何となくだけど腫れぼったく感じた。だけど、頭はスッキリしてる。
枕元に置かれた携帯を見ると通話は切られていた。充電が切れたのかと思って画面を見たらまだ残っている。わたしの反応がなくなったから、優輝が通話を切ったのだろう。
洗顔を済ませて部屋に戻ると、メールが来ていた。
見ると『金髪イケメン』からだった。
『今日も二十二時、待機しとけ』
なにこれ? 意味不明。
優輝が何をしたいのか、何を聞きたがってるのかさっぱりだった。
ただフラれたわたしをバカにしたくて電話してきたって感じでもなさそうだし。
学校に行くと、下駄箱で順平の姿を見つけた。その隣には綾菜の姿。
茶色のサラサラロングヘアにバッチリ施されたメイク。前は茶髪も化粧も好きじゃないって言ってたはずなのに。
自分の肩を覆う長さの黒髪を見る。あの子より綺麗なストレートだと思う。
これだけは唯一自慢できることだったのに。それも否定されちゃうのかな。
目が合って、すぐ逸らされる。
なんかいやだ。わたし転校したいな。
まだ入ったばかりなのに編入とかできるのかな? そういう制度ってネットで調べればいいのかな。
**
『バカじゃね? なんでおまえが逃げる必要がある? 堂々としてりゃいいんだよ』
大声で笑う優輝になんだかわからない憤りを感じた。
クラスメイトにはわたしと順平がつき合っていたことは知られていないようだ。校内ではあまり親しくしていなかったからだろう。
今考えたらこんな不幸中の幸いなことはないだろう。
一緒に帰ったりはしていたけど、手を繋いだりいちゃついたりはしていなかった。そもそも順平がサッカー部に入ったから一緒に帰ることも少なかったし。
『……まだ泣いてんのか?』
わたしの反応がないからつまらなそうに、そして怒ったような口調。
違う、と言うけど信じてもらえなかったようで大きな鼻息が聞こえてきた。
『今日俺んとこテストだったんだけどさ、最悪。名前だけ書いて爆睡しちまった! ハハハ!』
「えっ?」
信じられない! 何やってるのって言いそうになって、ふと思った。
そして気づいた時には、優輝に聞いていた。
「昨日……夜更かししたから?」
優輝が試験中に寝ちゃったのはわたしのせい?
そう思ったら申し訳なくてどうしたらいいかわからなくなった。
『ばか、ちげえし』
「だっ……だって! わたし先に寝ちゃって……あの……」
『速攻寝てたしな。おまえとの電話切ったあと、別のやつとも話してた』
「でも……」
『んだよ。てめえ、案外自意識過剰なのな』
呆れたって感じの優輝の声を聞いて、これ以上掘り下げるのをやめた。
自意識過剰なんかじゃない。申し訳ないと思ったから謝りたかったのに、違うというならそうなんだろう。
『まあ、放課後再試受けさせてもらって一発合格よ。俺、あのガッコじゃ成績いいほうだし。そんでさ、俺よりバカなダチがいるんだ。そいつがさ――』
優輝の話はコロコロ変わる。
学校の友達が女好きだけどクラスに男子しかいないからBLに目覚めそうだとか、学食がマズイとか。
わたしには何の関係もないんだけど、優輝が面白おかしく話すからつい笑ってしまう。
そして、気がつくと眠りにおちているのだった。
学校で順平と目が合うことは変わらない。
だけどすぐ向こうから逸らすからわたしも自然とそうなっていった。
その週の日曜、美容院へ行って髪を切ってもらった。
順平が好きだといったロングヘア。もう伸ばす必要もない。
ショートにしようと思ったけど、勇気がなくてボブで留めておく。
雨が一日中降り続く日だったけど、少しだけ気持ちがスッキリした。
『今日なにしてた? 雨だったし引きこもりか?』
日曜でも優輝の夜二十二時の電話は通常営業だった。
毎日きっかりかかってくる。もはや日常の一部、その日の締め括りのようになっていた。
いつも朝には切れている通話。そして朝七時半のメール。
『今日も二十二時』そのひと言メールも欠かすことはない。
優輝がどうして毎日電話をくれるのか? その理由はいまだ不明である。
「髪切ってきた」
『え? マジ? どんくらい?』
そこ食いつくところ? 急に大きくなった優輝の声に、手から携帯が滑り落ちそうになる。
枕に携帯を置き、スピーカーにする。そうすればハンズフリーで話せるから楽だ。
「ボブカット」
『ボブ? どんくらいだよそれ。わかんねーし』
少し苛立ったような口調の声が耳に響く。知らなくても別に何の支障もないのに。
「肩にかからないくらい」
『オッ! もしかしてマイナくらい? いいんじゃね? 今度見せろよ』
マイナというのは確か今人気のアイドルグループの子だ。
確かに髪型は似ているのかもしれないけど、顔かたちは全く違う。マイナのほうが背も高いしほっそりしてるしタレ目の子犬顔。
守ってあげたいタイプっていうのかな? 逆にわたしは猫系の顔で可愛げがないと思う。
優輝は何を期待してるのか? さっぱりわからなくて笑ってしまった。
「借りたジャージ、明日ゆうく……香坂くんの家に持っていくよ。扉にかけておけばいい?」
――しばしの沈黙。
あれ? やばい。怒らせた? 借りたくせに扉とか常識ないって言われる?
『髪見せろよ。明日学校帰り、S駅で待ち合わせ』
「――は?」
『それとその香坂くんってのやめねえ? なんかくすぐってえ』
ハハハッと優輝が笑った。
S駅はわたしと優輝の学校がある最寄り駅。そこで待ち合わせということは、必然的に家まで一緒になるってこと。約三十分、駅五つ分の道のり。わたしと一緒でいいわけ?
それに、姓で呼ぶなってことは――
『俺も杳子って呼んでっし』
昔から優輝はわたしをそう呼んでいた。その原理でいくと。
「え? 優くん?」
『だあっ! それは恥じいからやめろ』
急にトーンのあがった優輝の声に耳がキーンとした。
……じゃあ。
ためらいつつ恐る恐るその名をつぶやく。
「――優輝」
そして、少しの間。
『ん。いいんじゃね? ただ、他のやつの前では呼ぶなよ』
呼び捨てでいいんだ。 なんだか少しだけ胸の辺りがくすぐったい感じがするのはなぜだろう。
金髪にドクロのピアス姿の優輝を思い浮かべ、余計に恥ずかしくなった。
そしてその日もやっぱりわたしが先に眠りにおちた。
翌朝のメールは『学校終わったら連絡しろ』だった。
携帯の待ち受けだった順平の笑顔の画像は、フラれた後すぐに替えた。
今は雑誌の写真を撮った猫の画像。
だけど消去できないまま画像フォルダに残された順平の写真。それをフォルダから出してみる。
フラれた直後より、胸痛くない。涙も出ない。
優輝の言うとおり、時間が解決するの? 本当なのかな?
それを教えてくれた優輝に、少しだけ感謝の気持ちが芽生えた。