愛しい1人
僕にとって彼女は掛け替えのない人だ。
恥ずかしいけれど、愛していると言ってもいい。
これは僕の一方的な気持ちではない。彼女もまた、僕のことを愛しているであろう。
「先生・・・」
僕は目立たない廊下の隅で彼女に話しかけた。
「なあに、聡。別に先生なんてかしこまらなくてもいいわよ。誰も見ても聞いてもいないでしょう。今は」
「でも、学校では先生って呼ぶよ」
僕は頬を紅くしてしまったに違いない。頬の体温が上がるのがわかったからだ。
彼女は僕の高校の英語教師だ。
年は30だが20代に見えるほど若々しい。憧れる生徒も多かった。
「そうよね。いくらなんでも恥ずかしいわよね。それで何なのかな? 三井 聡くん?」
彼女が悪戯っぽく言った。
「あの、英語でわからないところあるから放課後、空いてたら教えてくれない?」
「放課後はダメなの。職員会議があって」
「そっか・・・」
「職員会議が終わったら、すぐに家に行って教えてあげるわ」
「だっ、だめだよ! 家はっ! 今日は・・・」
「何よ、今日もダメなの? 昨日もダメって言ってたけど、そんなにゴタゴタしてるの?」
彼女は少し眉を吊り上げて言った。
「うん・・・」
「もぅ、じゃあゴタゴタを処理してからってことね」
「ごめん」
「いいわよ」
彼女は職員室の方に向きながら言った。
「じゃあ、仕事に戻るから、あ---」
彼女はそう言って止まった。こちらを振り返った。
「今日の夕飯何がいい?」
「なんでも」
僕がそういうと彼女は再び職員室へ歩きだした。
なんでもが一番困る、と愚痴をもらしていた。
突然肩を叩かれた。振り返ると、同じクラスの伊藤がいた。
「よぅ! マザコン!」
「うざいなあ。マザコンじゃないよ」
「でもさぁ、お前の母さん、美人だよなあ」
「そうかな・・・」
彼女は僕の母親で、女手ひとつで僕を育ててくれた。
恥ずかしいけど僕は唯一の家族を愛している。