その3
サンフォール侯爵は爵位をバルベナに継承した後、貴族牢からそのままベスティア大聖堂へと移された。途中、何度も逃げ出そうとしたが失敗し、大聖堂に到着してしまった。
彼の魂に刻まれた名前は町田進と言う。
日本人からの転生者で、虚言癖の持ち主だった。皆、進の話術に魅了されるのだが、時間経過と共に友人達は距離を置くようになっていく。それが進の学生時代に繰り返された。
真っ当に働くには信用が必要だ。しかし進にはそれがない。就職した後も転職を繰り返し、会社を辞めることが続いた。クビにされると次がないので自分から辞めていたが、実質クビ同然だった。
営業成績を偽る、人の業績を自分のことのように話す、自分を上げる為に嘘の学歴を話す。
同じ業界ではブラックリストに載せられているので、業種を変えなくてはならなかった。その都度、新しいことで分からないのに、さも分かっているような態度を取るから、更に転職が続くことになった。そして、フリーターになった。
その後、年収を偽ってマッチングアプリに登録し女性を騙して金を巻き上げたりしている内に、逮捕状が出てしまった。そして山奥に逃げた末に、崖から滑落することになった。
転生時に彼は何者かに問われた。
『あなたは何を望みますか?』
「やりがいのある社会貢献をしたいです。大勢が幸せになり、世界から戦争が無くなる様な社会の仕組みを広めたいです」
進は相手を気分よくさせる言葉を選ぶ癖がついている。本心と乖離していても構わないのだ。
何者かは、再度聞いた。
『本当にそれでいいのですか?』
進は答えを変えなかった。
転生先はサンフォール侯爵家。代々王家に政治学を教えている、著名な政治学者を生み出している名門貴族だった。進はその事実に絶句した。てっきり王子に生まれ変わり、適当に現代の福利厚生の一部でも思いついたように指示しておけば、上手くいくと思っていたからだ。
政治形態が全く違う。国ごとに習慣が違い過ぎる上に言語も複雑。更に戦争であっさりと地図が書き換わり、新しい国がすぐに生まれては滅びていく。
そんな世界で、誰もが尊敬するサンフォール侯爵の跡継ぎとして、将来は父親の跡を継ぐことが望まれていた。王家への教育係としての重責が、世襲制で受け継がれるのだ。
そんな馬鹿なことがあってたまるものかと、進は思った。記憶にある民主主義、テクノロジーの発達した社会を思い出すと、全てが非効率で非合理的にしか見えなかった。
しかも、何をするにも失敗したら書き直しの手書き書類、いちいち人が整理しないといけない膨大な紙の資料。写真がないから人の特徴や人相書きが必要なのだ。
それを見る度、現代社会に戻りたいと思わずにはいられなかった。しかし、逃げ出す場所も無かったのだ。貴族階級の暮らしですら、日本の一般庶民よりも不便。そして平民の暮らしは、死がいつも側にある。良くなることはなく、悪くなることしか待っていない。
絶望の末に進は気づいた。自分が逃げ出せないのだから、他者も同じなのだと言うことに。
父親が死ねば、次は自分がサンフォール家の権限を持つことになる。その権限の内側に入った者は、自分の思い通りに出来る上に、逃げられないのだ。
王家の政治学の指南役は父の弟子に引き継がれ、内心安堵していたが領地経営からは逃れられない。
だから、進は妻が離婚したがる様に仕向けた上で娘に仕事を仕込んでやらせることにしたのだ。爵位を持つ者が庇護者となると宣言すれば、離婚した配偶者は親権を持てない。それがこの国の法律。それを逆手に取ったのだ。
釣書を王妃に売ったのは悪手だった。……しかし、王弟からの婚姻の申し込みは断れない。そうなればサンフォール家にロウランが婿入りする。仕事をしないで娘達に押し付けていたことは、間違いなくバレる。どちらにしても詰んでいたのだと気付いたのは、だいぶ後のことだった。
大聖堂での仕事でも手を抜こうとした進は、懲罰房に入れられることになった。個室で寝ていられるなら悪くない。進はそう思っていた。
「!?」
目の前には、立つスペースしかないシャワーブースの様な部屋があった。
「一日、ここで過ごしなさい」
「立ったままですか?」
しゃがみ込むと、丁度尻の部分に刺さる様な鉄の突起物が床に並んでいる。
「神は慈悲深い。壁にもたれて取る休息はお赦しになっている。己の罪と向き合いなさい。明日の同じ時間に、また会いましょう」
監督官である修道士はそう言って去っていった。
誰がこんなものを考えたのか。進は心の中で怒りを散らしながら数時間は耐えたが、だんだん足が重くなり、立っているのが辛くなってきた。それでも、しゃがむことはできない。食事も与えられなかった。
気付けば、進は転生した時と同じような場所に居た。
『望みを叶えたのに、何故あなたは何もしなかったのですか?』
進は答えられなかった。やりがいのある社会貢献、世界から戦争が無くなる様な社会システムの流布。それをするなら、次代の王となる王族の家庭教師という立場は、うってつけだったからだ。
いつもの如く、口からでまかせを吐く。
「……もう少し時間をもらえれば、できたと思います」
声の主が圧倒的な力を持つ以上、何としてでも切り抜けねばならない。進はそう思って続ける。
「娘に教えるつもりだったのです。私の功績にせず、愛する娘に全てを譲ろうと思っていたのです」
『やはり、どうしようもないですね』
透明だが、ぼんやりと見える手が唐突に現れ、ずるりと胸に入っていく。
「ひぃぃ!」
『何度繰り返しても己の魂を傷つけ、周囲を不幸にする業は燃やしましょう』
「あ……」
瞬間、進は全てを思い出していた。
平安時代に貴族の牛車から姫をかどわかしたこと、戦国時代に合戦場で死体を漁って金品を集めている仲間からそれらを奪ったこと、明治時代の初期に金に困って自分の娘と息子を奉公先に売り飛ばし、その金を持って逃げ、妻と年老いた両親を捨てたこと。そして令和の世で女性達を騙して金を奪った挙句、警察に追われて滑落死して、ここに至ったこと。
何度繰り返しても犯罪まがいのことを続けたため、魂がだんだんと黒くなり……この世界に落ちてきてしまったのだ。
あちらの世界では、輪廻の際に過去の記憶を失っていても特性を引き継ぐ『徳と業』と呼ばれるものがある。徳は白く、業は黒い。黒くなるとこの世界に落ちるのだ。
「!……!!」
もう話すことはできなくなっていた。魂から引き剥がされた進の記憶と人格は、黒い靄となって下へ下へと落ちていく。底は灼熱の業火。
燃え始めると姿が炎によって炙り出される。サンフォール侯爵の姿が現れたが、それはすぐに燃え尽き、中から三十代のジャージ姿の男が現れた。その姿も苦しみ、もがきながら燃えて消えていく。更に下からは擦り切れた和装の男が現れた。それも叫びながら燃えていく。更に中から痩せこけた、ぼろぼろの和服の子供が現れて、すぐに燃え尽きる。そして……一人の若い平安武士の姿が現れた。
(私はあの方を愛していたのに)
牛車に乗っていた姫は、男の護衛対象だった。決して叶わぬ身分違いの恋に耐えきれず、入内することが決まった時に連れ去ってしまった。姫は人里離れた庵の暮らしに慣れず、病にかかってしまった。
『私も、あなたのことを好いています。ここでずっとあなたと……』
そう言い残して姫は死んでしまった。
籠の小鳥は籠でしか生きられない。それなのに身勝手な欲望で連れ出して殺してしまった。その苦悩を抱えた男の心は、何度生まれ変わっても徳より業を積むようになってしまった。
『待っていたわ』
若武者は目を見開く。声の方には、愛した姫が両手を広げて立っていたからだ。
若侍は姫の腰に抱き縋る。
『あなたを守る筈だったのに、私は……私は!』
『あの日、連れ出してくれて、とても嬉しかったの。……例え罪だとしても、とても、とても』
姫は若侍の頭を抱きしめたまま、上を見上げる。
『あなたと一緒なら、どこでも良かったの。あなたじゃないなら、どうでも良かったの』
若武者は顔を上げ、涙を流しながら言う。
『もう、置いて行かないで下さい』
『勿論よ。私以外を愛すなんて許せなくて、誰も愛せないようにしたのだから』
姫が優しく答え、次の瞬間二人を大きな炎が飲み込んだ。
翌日、シン・サンフォールは清々しい気持ちで目を覚ました。
独房の鉄格子にはつる草が絡んで彼をしっかりと支え、蔓の各所に花が咲いていた。
監督官はその様子を見て、満足そうに言った。
「神が全てをお赦しになられた。ようこそ、我らの兄弟、シン修道士よ」
シンは己の行いを覚えている。大勢を己の為に使ったその所業は、正に悪魔のようだった。神は、その行いを実行した恐ろしい己の一部を消してくれたのだ。
シンはそのことに感謝し、娘達や妻達、そして両親への贖罪の思いを胸に、今日も修道士として真面目に勤めを果たす。そして……自分と同じように懲罰房に入れられる者が数年に一度やってくることを知った。そして、懲罰房で人が変わったようになって仲間になるのだ。彼らはとても善良で、懲罰房に入る前とは別人だ。でも、それはとてもいいことなのだと修道士達は思っていた。
国にいた頃を知る者達が見れば、気味が悪い程の変容なのだが、もう会うことはないから指摘する者もいない。
シンもいいことだと思っている。あれ程好きだった酒も女も、今では全く心惹かれない。何故そんなことのために娘達をこき使ったのか、分からない程だ。酒の飲み過ぎで体調が悪い日が多かった。それも節制したことで、体が軽くなった。
ただ、女遊びで自分を大きく見せる為に吐いた嘘を思い出すと、恥ずかしくて仕方ないし、娘達にさせていたことを思うと心が痛んだ。
そんな風に思えることこそが神に許された証なのだと、監督官は笑顔で言った。
「私もかつて、実の娘を地下室に閉じ込めていました。愛人の子が可愛くて、政略で結婚させられて生まれた妻の娘が可愛く見えなかったのです」
「そ、そうですか」
シンは、上手く笑えた自信が無い。監督官は苦い笑みを浮かべる。
「自分でも引きます。何故そんなことをしたのか分からないのです。あの時に戻れるなら、と思います」
「私もです」
分岐点は何度もあったのに、何故何もしなかったのか。それは、シンのように懲罰房で生まれ変わった修道士に共通する思いだ。修道士は、心乱れると写本をする。ベスティア教の聖書を無心で写している時間は、心を落ち着かせてくれるのだ。
監督官は言う。
「今から、写本に行きませんか?」
「喜んで」
ベスティア教は、この世界最大の宗教として、今日も信仰を集めている。
傷ついた別世界の魂は、ベスティア大聖堂に集まって来る。彼らはこの世界では異邦人。やがて傷を癒して、元の世界に戻っていくのだ。




