その1
十年前、社交界で最も麗しき花と呼ばれた令嬢、バルベナ・サンフォール侯爵令嬢。
当時、婚約者のいない若い令息は皆彼女を花嫁に望んでいたと言うほどの人気。求婚者は後を絶たず、釣書に添えられた絵姿のために別館が建てられた。
バルベナは、誰も選べなかった。生まれ持った美貌を、教養とマナーで完璧に仕上げた至高の芸術品として父親が手放そうとしなかったからだ。
そして……
『バルベナ・サンフォール侯爵令嬢、ご入場~』
かつて麗しき花と呼ばれたバルベナは二十八歳になり、安らぎのポプリと呼ばれている。
ポプリと言うのは中に乾燥させた花を用いる。花は枯れていると言う意味だ。そして、安らぎと言うのは、大勢の行き遅れと言われる女性達の心を慰める……つまり、夜会でバルベナを見ると彼女達が気持ちよく眠れると言う悪意のある名なのだ。
何故こうなってしまったのか、過去の話をしよう。
跡取りとなる筈だった彼女の姉であるエキドナは、父親の強引な縁組で辺境伯と結婚して滅多に王都に戻って来ない。嫡子を独断で変更したのだから当然だ。
この頃からサンフォール侯爵家の評判は悪くなった。正当な後継者を嫁がせて下の妹を嫡子とした意味が分からないからだ。王宮はこの結婚を渋ったが、辺境伯が乗り気になってしまったため承認した経緯もあった。エキドナは領地経営のセンスがずば抜けており、辺境伯領の発展によって優秀さが大勢に広められることとなった。
結果、バルベナに言い寄る男は既に真っ当な者ではなくなっていた。嫡男は皆諦めたからだ。そしてバルベナには悪い噂が立てられ始めた。人気を集めた分、その凋落は楽しい。そんな雰囲気が社交界全体を支配していた。
エキドナは先妻の子で、バルベナは後妻の子だったこともあり、まるで三文小説のような憶測が噂として流れ、真実味を帯びていく。二人は別に仲が悪かった訳ではない。エキドナが父親に領地経営を任されていたので忙しく、交流できなかったのだ。
この事実を父親がエキドナが嫁ぐまで隠していたからバルベナは窮地に立たされることになった。
バルベナはエキドナが継ぐと信じていた家を突然継ぐことになって、勉強に追われることになった。
勉強して暫くすると、エキドナが領地経営をほぼ担っていたことが分かった。しかも父の元に権限が戻って崩壊し始めていたのだ。慌てて元に戻すべく、父親の権限を減らしてエキドナが携わっていた頃と遜色のない活気を取り戻した頃には二十八歳になっていた。結婚を考える余裕などなかったのだ。
バルベナの母親は離縁状を突きつけて実家に戻っていた。夫に愛想が尽きてしまったのだ。先妻の子に養われていたと言うのに、知らず追い出してしまったと言う事実も受け入れがたかった。
バルベナの母親は元々ピアニストとして異国にも演奏会に行っていため、社交は得意だったが領地経営は全く分かっていなかった。何せ後妻になるときも、ピアノを好きなだけ演奏できると言う条件だけで結婚した程なのだ。そんな彼女は自分の手腕で自活していただけあって、衝撃が大きかったのだ。
気まずいからか実家に戻った後、ピアニストとして国外へ演奏旅行に出た後拠点を外国に移し、帰って来なくなった。バルベナも母と一緒に行きたかったが、侯爵家の子供はバルベナだけだからと留め置かれてしまった。
「お姉様に謝罪して、子の一人を養子にもらって下さい!」
「エキドナに何度手紙を書いても返事が来ないのだ」
「嫡女を勝手に変えるからです!」
「可愛いバルベナにあげたかっただけだよ」
誰も望んでいないことをする男。それが彼女の父親だ。
エキドナの母もバルベナの母も、彼女の祖父が探し出して父と結婚させた経緯がある。
祖父は辣腕家として有名だった。何故息子はああなのか。祖母もごく普通の人だった。先祖の何処かにそういう人がいたと思うしかない。
祖父はそんな子世代を支えていたようだが、祖母を亡くしてぽっきりと心が折れ、後を追うように亡くなってしまった。それがバルベナが十二歳の頃だ。ちなみにエキドナの母親は元気に生きている。離婚理由は夫の夜遊びが原因だ。
バルベナは勉強と領地経営に明け暮れる、サンフォール侯爵家と言う地獄に取り残されてしまった。家族が最大の敵だなんて……思わなかったのだ。
元は、おっとりのほほんとしており、母のように好きなことだけして、いつか素敵な殿方と真実の愛で結ばれちゃうかも!なんて……乙女な夢を膨らませていたし、父も『世界で一番の夫を探してやろう』なんて言っていたのだ。
信じたのが馬鹿だったと思ったところで時間は戻らない。
頭が悪くて誰かに任せられたら良かったのに、勉強したら出来てしまったのも災いしている。領地経営は持ち直した。バルベナが安定させてしまったのだ。
嫡子を譲り渡そうと話を切り出しても、皆断って来る。エキドナとバルベナの姉妹が作り上げたものの評判を落とせないと言うプレッシャーがある為、誰も請け負ってくれないのだ。
姉のエキドナに全てを赤裸々に書きなぐった挙句、『三人目のご出産おめでとうございます』と書いて赤ちゃん用の銀の食器セットを送り付けたら、初めて返事が来た。
『逃げてしまってごめんなさい。関わりたくなかったの。あのゴミを捨てて下さい。今のあなたなら出来ます』
そして姉の手紙に背中を押され、バルベナは父親から爵位を継承したい。つまり父親を引退させたいと言う相談をすることにした。貴族の相続に詳しい弁護士にも、古参の執事を交えて話をしたら賛成された。
結果、今までの経緯を書き記した書類を王族への直訴状として提出したのだ。貴族の継承問題を扱う部署は複数に渡る。侯爵と言う高い身分もあり、どの部署も手に余り困る可能性があったからだ。
そして……相談の席に現れたのは、王弟であるロウラン・ド・ナイアンだった。ロウランは現王の三番目の弟で、婚約していた令嬢が病死してから婚約をしていない。年はバルベナの七歳上の三十五歳だ。
いきなりの王弟出現に、バルベナは慌てて立ち上がって臣下の礼を取る。
「楽にして欲しい。まずは座ってくれ」
言葉に従うと、侍女が紅茶を淹れて去って行った。
「単刀直入に言おう。あなたを一年後には侯爵にしようと思う。ただ独身のままだ」
「継嗣は不要と言うことでしょうか?」
「いや、私を婿に迎えて欲しいのだ」
バルベナは黙ってロウランを見た。
「実は、隣国のスパイがかなりの数、この城に紛れている」
「それは……困りましたわね」
「ああ。それを排除する役目を仰せつかっていて、排除した後の始末を終わらせるまでは婚約も結婚もする訳にはいかないのだ。あなたが危なくなるからね」
敵国に狙われると言うことなのだろう。バルベナは顔を青ざめさせて聞く。
「何故三年なのですか?」
「皇太子任命式が予定されているのだ」
王城ではそのように予定を組んでいると初めて知った。第一王子は現在十二歳だ。王妃の溺愛する第二王子は十歳。どちらがなるにせよ指名時期は伏せられて然るべきだが……丁度十五歳になる第一王子に決定しているのだろう。
実の子なのに自分に似ていない長男を可愛がらなかった王妃。そんな彼女と隣国の野心ある兄王の利害が一致してしまったらしい。大人しい第二王子を王にして隣国は属国化を狙っていると言う噂があるが……本当だったらしい。
「王妃様の出身国絡みなのですね」
「そうだ。とにかくスパイ対策をしないと戦争になるかも知れない。だから三年は婚約すらない状態……匂わせることも禁止だ」
バルベナは黙って頷いた。
「兄上は息子達を大事に思っている。とにかく邪魔なのは王妃なのだ。スパイと一緒に退場してもらうことになるだろう」
とんでもない大事だ。時間がかかるのは当然だとも言える。
「君には無事に全てが終わった後のご褒美になって欲しい。それを了承してくれるなら、君の父親はどうとでもしてやろう」
「ご褒美ではなく……保険ですわよね」
「私にとっては最高のご褒美だよ」
……初々しい令嬢時代ならときめいた言葉にも、バルベナの心は動かなかった。
バルベナは思う。父が権限を持って動き回る都度、よく分からない損害や不幸が起こる。もうとっくに行き遅れた身だ。ここまで王家が関わっているなら後継の心配は不要な筈だ。
どうせ三年だろうが十年だろうが婚約者が出来るアテもない。国の役に立つならそれでいいじゃないかと。
「分かりました。その条件お受けします」
用意されていた書類を読めば、さっきの情報と変わらないことが書かれている。
侯爵を継承しても、三年間は婿は取らないこと。ロウランとは無関係に過ごすこと。それでも近況報告などの情報共有は、手紙のやり取りで必ず行うこと。
「手紙のやり取りは、どうすればいいでしょうか?」
「城で第一王子に講義をして欲しい」
「王子殿下に講義とは……どのようなことを話せばいいのでしょうか?」
「王子殿下には逆境に負けない強さを身に付けさせたいと言う陛下の願いがある。あなたには、いきなり嫡女になってからどの様に経営をこなしたのか、それを殿下に語って欲しいのだ。そのとき、王子の侍従に手紙を渡して欲しい」
気は進まないが、断れる雰囲気ではない。
「分かりました」
ロウランはほっとした様子で言った。
「あなたの祖父である元サンフォール侯爵は、私や兄の政治学の家庭教師であった方だ。王族とはこうあれと教えてくれた立派な方だった。……兄も私も、あなたの父君があのようになった原因は、元侯爵が三人生まれた王子の教育にかかりきりだったからだと考えている」
教育がある程度落ち着くころに次の王子の教育が待っている。それが三人分続いたのだから、父と祖父が何かをする時間はなかったかも知れない。だとしても……。
「お気になさらないで下さい。多分父個人の問題です」
エキドナもバルベナも、父に何かしてもらっていない。何かさせられてはいるが。それでも何とかなっている。だとすれば、父は何かすべきだったのだと思ったのだ。
そこで初めてロウランは表情を崩した。柔らかい笑みを浮かべたのだ。
「言い方が先生にそっくりだ」
「そうでございますか」
十年の激務で感情が削ぎ落されてしまったバルベナは、ロウランの笑みに気付かず、ただサラサラと書類にサインをしたのだった。
その後、バルベナは十八歳で突然嫡女となり、全く知らない領地経営に飛び込まねばならなかった話を第一王子に聞かせた。王子はその話に夢中になり、話が全て終わってからもバルベナを度々城に招待するようになった。
第一王子は母親に愛されていない子供だった。そんな王子を気にしてバルベナも城に通う。それは当たり前となり、その裏でロウランと手紙のやりとりをしている事は、気づかれないままになったのだった。




