お針子リリー
1
リリーは城勤めのお針子である。
十歳のとき城に奉公に上がることになった。
たまたまそのとき、裁縫室のお針子見習いを一人増やそうという話になっていて、リリーが仮配属された。手先が器用で飲み込みもよいということで、そのまま裁縫室が彼女の職場となった。
アクソード王国は大陸中央に位置していて、気候は温暖で国土は広い。北に隣接するガイドル王国やその西側のオブリク王国と時々小競り合いはあるものの、大きな戦争はもう百年以上起きていない。国民の気質も、どこかのんびりしたところがある。
十二歳のとき、リリーは見習いから正式のお針子になった。とはいえ、リリーに対する周りの評価は、さほど高いものとはならなかった。
なぜかというと、彼女の仕事は丁寧だが、手早くはなかったからだ。
裁縫室の仕事では、とにかく素早さが求められることが多い。
常務以外で裁縫室を主に利用するのは、城に勤める大勢の人々のなかで、中層程度の立場の人たちだ。彼らは仕事の途中に、服の補修のために裁縫室を利用する。彼らを待たせる時間は少なければ少ないほどよい。
まれにではあるが、ごく身分の高い人たちが裁縫室を利用することもある。飾り紐やボタンが取れかかったときなどである。こうしたときには、魔法のような速度での仕事が要求される。だがリリーは、必要に応じて早く針を動かすということが得意ではない。慌ててしまうと針運びが乱れるのだ。
といっても、リリーの仕事は遅いわけではない。手際は決して悪くないのだ。手早い仕事は苦手でも、彼女の仕事は丁寧で堅実だ。カーテンやテーブルクロスを延々と補修する単調な仕事も、倦むことなくたんたんとこなす。だから上司は彼女を重宝していて、急がなくてもいい仕事を割り振るようにしていた。
2
第八王女ラクシュマリー姫から呼び出されたのは、リリーが十八歳のときだった。
裁縫室長の女官カリアナに連れられて姫の部屋に入り、おどおどとお辞儀するリリーに姫が掛けた声は、はじけるように明るかった。
「あなたがリリーね。このハンカチは、あなたが縫ってくれたのね」
目の前にハンカチが現れた。
姫の侍女が姫からハンカチを受け取ってリリーの目の前に差し出したのだ。その縫い目には覚えがある。
「は、はい。さようでございます」
「そんなに畏まらないで、顔を上げてくださいな」
リリーがちらりと横を窺うと、裁縫室長がうなずいている。リリーはおずおずと顔を上げた。
目の前にいたのは、可愛らしい人形のようなお姫様だった。
「私はこのハンカチをとても気に入っているの。もう二年ぐらい使っているかしらね。一番よく使うハンカチなのに、少しもほつれがないのが不思議で、その訳を知りたいと思ってカリアナを呼び出したら、この縫い目はリリーというお針子の仕事でございます、ということだったから、あなたに来てもらったの」
「は、はい」
「教えてちょうだいな。どうしてあなたの縫ったハンカチはほつれないの」
「は、はい。それはハンカチの生地がよい生地だったからでございます。お姫様がお使いのハンカチとお聞きして、吟味いたしましたので」
「そうなの。それはうれしいわ。でも、それだけ?」
「もしかしたら、糸を弾いてから使うからかもしれません」
「糸を弾く?」
「は、はい。わたしくめは、縫い物に使う糸は、両手で引っ張ってのばしておいて、右手の小指の爪で、ぴんと弾くのでございます」
「何のためにそんなことをするの?」
「これは糸を強くするまじないなのでございます。そして、弾いたときの感触が悪かった糸は使いません」
「おまじないなの。つまり神様に祈りを込めて縫ってくれているのね。うれしいわ」
これが姫とリリーとの出会いだった。
3
それからというもの、ラクシュマリー姫は名指しでリリーに小物作りや繕い物を頼むようになった。
姫君から直々に依頼を受ける立場となったわけだが、周りがそれをうらやむようなことはなかった。
ラクシュマリー姫は、母親の身分が低く、実家の支援をあまり受けられず、教育も十分とはいえない。
そもそも、姫なのに城の裁縫室で作られたハンカチを使っていたのだから、かなり扱いは悪い。姫たちは、一流の服飾店に注文して服や身の回りの品を整えるものである。ラクシュマリー姫には、そこまでの経済的な余裕がないのだろう。
等閑視された貧乏姫などにひいきにされても、うまみはない。それよりも、侍従たちからひいきにされるほうがよい。うまみのある仕事を回してもらえるからだ。
やがてリリーは、ラクシュマリー姫の普段着なども仕立てるようになっていった。姫はリリーを呼び出して、仕立てる服の打ち合わせをした。そしていろんなことを話した。リリーは、七歳年下のこの姫が幸せになるようにと祈りを込め、針を振るった。
4
ラクシュマリー姫が十四歳のとき、北の大国ガフラード王国の第三王子との縁談が持ち込まれた。
ガフラード王国は、強大な武力を持ち、鉱物資源が豊かだ。周りの国々とは緊張関係にあり、そのため、アクソード王国とよしみを通じることによって、両国の間にあるガイドル王国やその西側のオブリク王国を牽制している。
アクソード王国としても、ガフラード王国と友好関係にあることによって、ガイドル王国やオブリク王国が牽制できる。
長年にわたり、ガフラード王国は武器や金属製品や鉱石を、アクソード王国は農作物や衣類を、互いに輸出してきている。
ガフラード王国との関係を強めたいと、前々からアクソード王国は考えていた。現アクソード王が王太子となったときには、ガフラード王国の姫を妃に迎えたいと申し入れた。当時ガフラード王には六人の娘がいたが、王家の血を引く姫を王の養女にして輿入れさせた。つまりガフラード王にとって、アクソード王国は、実子を輿入れさせるだけの価値はない国だったのだ。
ところが今回は、第三王子の妃をアクソード王国から迎えたいというのだ。第三王子は十九歳であり、王太子である第一王子と同母だ。非常に優れた王子だという噂で、王太子の信頼が厚く、いずれ重要な地位に就くだろうといわれている。
願ってもない話なのだが、これは想定外の縁談だ。年頃の姫たちはすでに結婚しており、そうでない姫には婚約者がいる。婚約者のいない唯一の姫が、ラクシュマリー姫だった。そこでラクシュマリー姫がガフラード王国の第三王子に嫁ぐことになったのだ。
これだけでも、リリーにとっては、この上なくうれしいことなのだが、彼女をさらに喜ばせたことがある。
ガフラード王国の使者は、婚姻の申し出をしたあと、とまどいを見せるアクソード王に、第八王女のラクシュマリー姫は大層美しくお心映えのよい方で、まだご婚約者がないと聞いております、と言ったというのだ。
つまりこれは名指しの求婚なのだ。
考えてみれば、ガフラード王国の使者は毎年来るのだし、事務調整のための係官は何か月も滞在する。あれこれ調べようと思えば調べることができる。
第三王子は、姫のよき噂を聞き、恋心を募らせて父王に婚姻を願ったのではないか。
そんな根拠のない噂話を、リリーは同僚たちと楽しんだ。
5
姫の出発は三か月後ということになった。
当初アクソード側は、一年後に輿入れすることを申し出た。なにしろ王子妃となるような教育はしていない。一年でも足りないが、最低限の押し込みはできるだろう。
ところがガフラード側は、こちらの思惑を見透かしたように、ガフラード王子妃として必要な知識や作法は、ガフラードでお伝えすると言った。また、一切の準備はガフラード側で行うので、身一つでお越しくださればよい、と言った。
その上で、ガフラード王国の使者は、手の内をさらけ出してみせた。
ガイドル王国とオブリク王国が時期を合わせてガフラード王国に侵攻する計画を立てているので、ガフラード王国としては、アクソード王国と婚姻で結ばれることで、その侵攻計画を思いとどまらせたいのだという。今回の侵攻を牽制するためだけなら、軍事同盟を結んだほうが直接的な効果があるが、アクソード王国と、より長くより親密な関係を築きたいという考えから、婚姻の申し出に至ったのだというのだ。
そこまでの事情を説明されては、三か月後の出発という申し出を断るわけにはいかず、慌ただしい準備が始まることになった。
6
輝かしい未来へと旅立つ姫に、リリーは何か贈り物をしたいと思った。
大国への輿入れが決まったラクシュマリー姫のために、王家は、婚礼の衣装や普段のドレスや夜会着などを、大急ぎで仕立てている。名だたる名店に発注してのことであり、今まで安い店でしか服を買えなかった姫が、このような扱いを受けていることは、うれしいことだ。
とはいえ、ここ数年専属服飾師のようにして姫のために腕を振るってきた身として、いささかならず寂しい。
最後のはなむけに何かを作らせてもらいたい、という思いを募らせたリリーは、裁縫室長の女官カリアナに相談した。カリアナは優しい表情で言った。
「裁縫室から姫様に、ストールをお贈りしましょう。あなたが担当なさい」
天にも昇る気持ちというのはこのような気持ちをいうのだろう、とリリーは思った。
しかも、裁縫室にストックされている布や糸を自由に使ってよいというのだ。裁縫室は、緊急時には王族や高位貴族の服飾の補修も行うため、保管庫の奥には非常に上質な素材がストックされている。
悩みに悩んだ末に選んだのは、マイカーシュ羊の毛で織られた布だ。軽く、柔らかく、温かい。しかも薄桃色に染められたその布は、絶妙な色のグラデーションを持っており、日の当たり方によって見せる色合いの変化は、いくら見ても飽きない。
姫にぴったりの大きさは、目を閉じても分かる。だが今姫は十四歳であり、まだこれから成長する。だから、少しだけ大きめのストールにする。そもそもストールというのは、少し大きめぐらいが使い勝手がよい。
作り方は複雑ではない。ただ、布のどの部分を使うかにはかなり悩んだ。元の布の大きさを生かすべく、首に二重に巻ける長さにすることに決めた。
使う部分が決まれば、あとは作業するだけのことだ。
まず、布を、必要な大きさに裁断する。
次に、裁断した布を広げ、フリンジを作る位置に木べらで印を付ける。
次に、目打ちを使って横糸を一本ずつ抜いていく。
次に、横糸を抜いた部分を、小指ほどの太さに分けて、その根元に結び目を作っていく。結び目の形に、リリー独特の工夫がある。
次に、それぞれの房の糸をより合わせ、端に近い部分を玉結びにする。
あとは、布の両端を三つ折りにして縫い付ける。
縫う糸は、淡い桃色の絹糸だ。
どちらかというと、マイカーシュ羊の布の柔らかさには、綿糸のほうが合う。しかしリリーは絹糸を選んだ。今後リリーがこのストールを補修することはない。だから少しでも堅牢な作りにしたかった。
最上の絹糸の中から、特に状態のよいものを選び抜き、神殿の祭壇に供えて祈りを込め、柔らかくより合わせて、丁寧に丁寧に、針を通していった。
その縫い目の美しさに、完成品を検分した裁縫室長は感嘆のため息をついた。裁縫室全体からの贈り物なのだから、先輩や同僚や後輩たちも、そのストールを見た。そして、これならば贈り物としてふさわしい、と皆が納得してくれた。
室長と先輩四人と一緒に、リリーは姫を尋ね、ストールを献じた。姫はうれしさのあまり泣いた。涙声で感謝の言葉を紡ぐ姫の姿を見て、リリーは何もかもが報われたように感じた。
7
姫の見送りは盛大なものであり、王都は喜びに包まれた。
その七日後、随行の騎士団の騎士一人が駆け戻り、驚くべき報せをもたらした。
姫が襲われたというのだ。
山道を進む姫の馬車に、高所から矢の雨が降り注ぎ、慌てた御者が馬の制御を誤って、馬車は崖の下に落ちた。幸い姫は奇跡的に馬車から飛び出すことができ、斜面の木につかまって、難を逃れることができたという。すぐに騎士たちが駆けつけて姫を救出し、姫は無事である。このことを直ちに王宮に報告するため、騎士一人が派遣されたのだ。
思いもよらないこの報せは、王宮を大いに騒がせた。
婚礼の馬車を襲うとは、いったい何ということか。
いったいどこの誰の仕業なのか。
それにしても姫は大丈夫なのか。崖から落ちる馬車から脱出できたというのだから、そこは喜ぶべきなのだが、怪我などはしていないだろうか。怪我をしたとして、その怪我や、このような不祥事が起きたことが、婚礼そのものに影響を与えはしないか。
情報が不足する中、皆は憶測を語り合った。
リリーは、休憩時間と終業後に神殿に詣でて、姫の無事を祈った。
それにしても、あの姫が、崖から落ちる馬車から飛び出すことなどできたのだろうか。斜面に生える木につかまって落下を免れるというようなことが、本当にできたのだろうか。あまりにもそれはリリーの知る姫の姿とかけ離れている。
何が何だかわからなかった。だがいずれにしても、この国から旅立ってしまった姫のために自分ができることは何もない。
リリーはそう思ったが、実はそうではなかった。襲撃に際し、姫の身には奇跡のような出来事が起きていた。そしてその出来事には、リリーが深く関わっていたのである。
8
その後も二度騎士が遣わされ、無事ガフラード王国の王宮に到着したこと、一行は歓迎され、つつがなく婚礼が執り行われたことが報告された。
そしてアクソード王の名代として婚礼に出席したバイル侯爵が復命のため帰還したが、なんとガフラード王国第三王子ジャフクリン・ガフラードが騎士団を率いて同行し、アクソード王に友好の挨拶を行ったのである。
大国ガフラードの王子がわざわざ足を運んでアクソード王に賀辞を献じたのである。驚くべきことであり、喜ぶべきことであり、アクソード王の威光はいやが上にも高まった。
王子を迎える華やかなセレモニーがあり、その後には宴席があった。こういう日には、裁縫室は忙しい。次々に補修の依頼があり、お針子たちは特別手当を楽しみにしつつ、忙しく立ち働いた。
仕事を終えて夕食中のリリーのもとに、裁縫室長がやって来た。その後ろには侍従がいる。
「身だしなみを整えて、一緒に来なさい」
侍従に案内され、裁縫室長とリリーが歩き着いたのは、貴賓を迎える建物だった。
促されるまま、異国の騎士が守る扉の中に入ると、そこには夢に見る異国の王子そのものの姿をした貴人がいた。
「やあ、あなたがリリーか」
どうしていいか分からず、お辞儀したまま答えることもできないでいると、その貴人の横に控える騎士が言った。
「王子は直答をお許しです。どうか普通に話してください」
「は、はい。リリーでございます」
「会えてうれしいよ。私はガフラード王陛下の第三王子ジャフクリン。ラクシュマリー姫の夫となることができた幸せ者だ」
「は、はい」
「姫からは、リリーにくれぐれもよろしく伝えてほしいとのことだ」
「は、はい?」
「君はラクシュマリー姫の命の恩人なのだよ」
「はいい?」
そのあとジャフクリン王子は、ラクシュマリー姫から聞いたあの日の出来事を、リリーに語った。
突然馬車の天井を撃つ、どんどんという恐ろしい音がしたかと思ったら、襲撃だ、という騎士たちの声が聞こえた。馬車は急に激しく走り始め、ぐらりと傾いた。落ちる、と思ったとき、宙に浮いたような感覚があり、体が明るい光に満ちた場所に投げ出され、そのまま意識を失った。
気がつくと姫は斜面に生える木に宙吊りになっていた。
といっても、自分の力でぶら下がっているのではない。膝に置いていたはずのリリーのストールの上端が木に巻き付き、下端がラクシュマリー姫の右手首に巻き付いて、落下を防いでいたのだ。柔らかなストールは、姫の体の重さに引っ張られて長く伸びていたが、不思議なことにちぎれることもなく、姫の体を支えた。右手だけで宙吊りになっているという態勢であるのに、腕や肩には痛みを感じず、それどころか、柔らかな手でふわりとつかまれているような安心感があった。
リリーが私を助けてくれた。
そう姫は思ったという。
そうしているうちに、騎士たちが来て姫を救出してくれた。
9
姫を襲撃した者たちは大半が討ち取られたが、逃げた者もいたらしい。
襲撃者たちの中にガイドル王国の騎士の鎧を着けた者がいたという。襲撃は、アクソードとガフラードの結びつきを壊そうとしたガイドル王国のしわざだというのだ。
その一方で、そう見せかけたオブリク王国の陰謀だという話も聞こえてきた。
そうではなく、娘を第三王子の妃としたいガフラードの貴族が真犯人だという話も聞こえてきた。
こうした噂の中には、真実を言い当てているものもあるかもしれないし、何かの目的があってわざと流布された噂もあるかもしれない。何が真相なのか、リリーは知らない。知る必要もない。
不思議なストールがラクシュマリー姫の命を救い、両国の友好を守ったという話は、アクソード王始めこの国の貴顕の前でも披露されていて、リリーはすっかり有名人になった
人々は、〈姫の愛したお針子〉とリリーを呼んだ。
地位と報奨金が与えられるという話があったが、地位のほうは辞退した。今のままがリリーには一番よかった。報奨金は、喜んで受け取った。そのお金で、両親が火事で失った服飾店を、新たに建てることができた。
王女たちや王宮の貴婦人たちが、こぞってリリーのストールを欲しがった。王宮に顔の効く貴族たちの間で、娘の嫁入りに際して〈幸運のストール〉を持たせることが流行のようになった。貴族たちからの心付けは裁縫室長が管理し、室と室員全体のために使ったが、リリーにはこっそり少し多めに分配した。
のちに王宮を退いたリリーは、少し年下の夫を迎え、両親の服飾店を継いだ。
その店は、王国の隠れた名店として、長く繁盛した。




