第8話 避難フラグと村長説得
翌朝、まだ空気に夜の冷たさが残っているうちに、俺は店の戸を開けた。
広場は、いつも通りだ。
井戸の周りで女たちが桶を運び、子どもたちが追いかけっこをしている。鍛冶場からはかすかに金属音が聞こえる。パン屋の前には焼きたての匂い。
――この景色に、『あと二〜三日』って賞味期限がついてるの、本当に性格悪いよな。
視界の端で、UIがふわりと開く。
『第2781勇者物語ライン
日付:D+3
主要フラグ状況:
・村への不穏な噂:発生数 4/5
・森の魔物出現ログ:3件記録済
・村人の不安度:中→やや高』
村焼きウィンドウ開始まで、あと二日。
やれることは、今のうちにやっておかないといけない。
◇ ◇ ◇
最初のターゲットは、村長だ。
何かあったとき、村をどう動かすかを決めるのは、形式的にはこの人になる。
もっとも、テンプレ村長の役割は『判断が遅い象徴』になりがちなのだが。
「ユウト殿が、わしに話とは珍しい」
村の一番奥まった大きな家。広めの座敷の上で、白髭の老人が茶をすすっていた。壁には、この村には不釣り合いなほど立派な槍が立てかけてある。昔は戦士だったらしい。
「最近、街道の治安が悪いって話、増えてるじゃないですか」
俺は、できるだけ雑貨屋の兄ちゃんらしい口調で切り出す。
「鉄の値段も上がってますし、行商人も『この先に行くのは怖い』って」
「うむ。わしのところにも話は入っておる。森の魔物も、以前より増えておるようじゃ」
村長はうなずいた。
ちゃんと状況を把握はしているらしい。
「それでですね。もしもの話なんですけど」
胸の奥に渦巻く『ログ』を意識の外に追いやりながら、言葉を選ぶ。
「この村にも、大きめの魔物の群れが来る可能性って、どのくらいあると思います?」
「さあな。わしは占い師ではないでな」
村長は苦笑した。
「ただ、森の奥で何かが蠢いておる気配はある。わしのような年寄りでも、それくらいは分かる」
――それ、多分ガチの魔王軍フラグなんですよ。
喉元まで出かかった言葉を、なんとか飲み込む。
「だったら、その……避難の準備とか、決めておいたほうがいいんじゃないか、って」
「避難?」
「はい。『もし魔物が来たら、女や子どもはどの方向に逃げる』とか、『集まる場所はどこにする』とか。何も決めてないと、いざというときに混乱するじゃないですか」
村長は、ふむ、と顎髭を撫でた。
「……たしかにな。だが、あまり大げさに騒ぎ立てると、今度は村人の不安が高まりすぎてしまう。心配しすぎても、暮らしは立ち行かん」
「分かります。だから、『今度の収穫祭の話し合い』とかに紛れ込ませておくとか」
俺は畳に座り直す。
「『収穫祭の前に、一度みんなで避難経路の確認をしておこう』とか言えば、そこまで怖がられないと思うんです」
ナラティブ庁のフローチャートだと、こういうのは『ソフト避難フラグ』と呼ばれるやつだ。あからさまに「災害訓練です」と言うと物語が明るさを失うので、別のイベントに紛れ込ませる。
「ふむ……」
村長はしばし目を閉じていたが、やがてゆっくりと頷いた。
「ユウト殿の言うことにも一理ある。わしも、ただ『何もないとよいのう』と祈っておるだけでは、村長の名折れじゃな」
そこで一拍置き、少しだけ苦笑する。
「もっとも、『避難訓練』などと言い出したら、若い連中に笑われそうじゃが」
「そこは、『昔戦った経験のある村長の知恵』ってことにしましょう」
「はは、うまいのう」
村長が肩を揺らして笑う。
「よかろう。今度の集会のときに、『万一のときの集まり場所』くらいは決めておくとするか」
「ありがとうございます」
とりあえず、ひとつ。
『全員がバラバラに逃げる』という最悪パターンは、少しだけ避けられるかもしれない。
もっとも、それで『全員同じ場所にいてまとめて襲われる』リスクも増えるわけだが……それはそのときの位置取り次第だ。
◇ ◇ ◇
村長の家を出ると、ちょうど鍛冶場のほうからリアムが走ってくるのが見えた。
「ユウトさん! こんなところで何やってるんですか」
「村長に、ちょっと帳簿の話をね」
半分は嘘ではない。村長の家計簿も、ついでにさらっと見てきた。立場上、村の金の出入りは押さえておきたかったので。
「リアムこそ、鍛冶場サボって大丈夫?」
「ちょっと炭を多めに買ってきてこいって。最近、親方、炎の勢いを前より強くしたがるんですよ」
「魔物が増えてるから、武具の注文が増えてるんだろうね」
「この村で戦う人、そんなにいないですけどね……」
リアムは苦笑しながら、肩の荷を持ち直す。
「あ、そうだ。ミナが探してましたよ。『今日、森の神殿に一緒にお参り行きませんか』って」
「森の神殿?」
「村の子どもが遠出するときに、だいたい寄ってお祈りするところです。最近、あんまり行く人いないですけど」
タブレットのログが頭の中で開く。
『サブイベントB:森の小神殿への参拝
――ミナがユウトとリアムを誘い、小さな祠にお参りに行く。
読者への「森の地理情報」の提供、「神への祈り」モチーフの導入。』
そして、その先に別の注釈。
『※本イベントは、村焼き時の避難ルート認知にも寄与』
――なるほど。
森の神殿イベントは、単なる雰囲気作りではなく、『逃げ道の下見』も兼ねているわけだ。
「森に行くのは、今は危ないんじゃ?」
思わず口をついて出る。
リアムが、少しだけ表情を曇らせた。
「まあ……村長も、『あまり奥には行きすぎるな』って言ってました。神殿は、村からそう遠くないんで、大丈夫だとは思うんですけど」
森の中の簡易マップを頭の中で描く。
村→浅い森→小さな開けた場所→神殿。
魔物が多く出没するのは、そこからさらに奥の、深い森方面だ。
ログによれば、このサブイベント自体に直接的な戦闘はない。森の静けさ、不穏さを印象付けるだけの描写だ。
――とはいえ、フラグが積み上がっている状況で森に入るの、正直ちょっと怖いな。
「ミナの祈りくらい、神様に聞かせてあげたいじゃないですか」
リアムが、冗談めかして笑う。
「ユウトさんも、都会から来たなら一度くらい見といたほうがいいですよ。あそこの神殿」
「都会から来た人間が、田舎の神社に連れて行かれるやつだね。それ」
苦笑しながらも、心の中では別の計算をしている。
森の地形を把握しておきたいのは、こちらも同じだ。
村が焼かれたとき、この森が『逃げ道』にも『袋小路』にもなりうる。
「……じゃあ、午後から行こうか。炭の買い出しが終わったら」
「はい!」
リアムが嬉しそうに頷いた。
◇ ◇ ◇
午後。
森に向かう道の入口で、ミナが待っていた。
「遅いですよ、二人とも。私、待ちくたびれて木の数を数え始めるところでした」
「森の木の数を数えようとするなよ……」
リアムが呆れ顔をする。
ミナは、旅支度というほどではないが、少し丈夫そうな服装をしていた。腰には小さなポーチがぶら下がっている。回復薬や簡単な道具が入っているらしい。
「ユウトさんも来てくれてありがとうございます。都会の人、森嫌いだって聞いてたんですけど」
「偏見がひどいな」
笑いながらも、周囲をぐるりと見回す。
森の手前には、古びた柵と、簡単な注意書きが立てられている。
『森に入る者は自己責任で。奥に行きすぎるな。』
テンプレ感あふれる警告だ。
UIが、森のマップを半透明で重ねてくる。
『森エリア・リスク評価:
・入口〜神殿周辺:低〜中
・神殿以奥:高(魔物出現頻度↑)』
今は、魔物の密度もギリギリ『散発的』レベル。村焼きの直前になると、ここが一気に真っ赤になる。
「よし、じゃあ行きましょうか」
ミナが一歩踏み出す。
落ち葉を踏む音が、さくさくと心地いい。
森の中は、村の喧騒と違って静かだ。鳥のさえずりと、枝を渡る風の音だけが耳に届く。
その静けさの中に、かすかな違和感が混じっているのを、俺の『監査官補』の感覚が拾う。
――魔物の気配、ってこういう感じなんだな。
タブレットが、ポケットの中でかすかに震えた。
『フィールドログ:
・小型魔物(スライム系)×1:接近中(回避可能)』
「……左前方」
思わず口に出していた。
「え?」
「いや、なんでも」
ミナとリアムの前に、さりげなく一歩出る。
数秒後、草むらの陰から、ぶよぶよした青い塊が、ぬるりと這い出てきた。
「スライム?」
リアムが目を見開く。
「こんなところまで出てきてたんだ……」
「大丈夫、大丈夫。小さいやつだし」
ミナは落ち着いた様子で手をかざした。
「『浄化』」
淡い光がスライムに降り注ぐ。じゅっと音を立てて、塊が溶けるように消えた。
「やるじゃないか」
「これくらいなら、なんとか」
ミナは少し息を整えながら、笑う。
「最近、森の奥のほうにスライムの巣ができたって話もありますしね。たぶん、その辺から流れてきたんでしょう」
スライム程度なら、村にとっては『ちょっとした厄介ごと』レベルだろう。
ただし――その裏で、ログが静かに書き換えられていく。
『森の魔物出現ログ:4件目記録
読者への「不穏さ」印象度:+』
村焼きへのカウンターが、またひとつ進んだ。
◇ ◇ ◇
森の奥が少し開けた場所に、小さな石造りの祠があった。
苔むした階段。割れた石の鳥居。祠の中には、顔のよく分からない石像が置かれている。古くからある、小さな神さまの祠だ。
「ここが森の神殿。って言っても、誰が祀られてるのか、詳しいことはあんまり聞いてないんですけど」
ミナが階段を上りながら言う。
「昔は、村の祭りのたびにお参りしてたらしいんですけどね。今は、子どもが遠出するときに、たまにこうして寄るくらいで」
リアムも続く。俺も後を追う。
祠の前に立ち、二人が手を合わせる。
「森の魔物が、あんまり村に来ませんように」
「みんなが無事でいられますように」
ミナとリアムの祈りを、俺は横で聞いていた。
石像は、黙ったままこちらを見ているように見えた。
タブレットが、また小さく振動する。
『ローカル守護存在:検知
応答度:低〜中
※当該祠の神格は、村焼きイベントに部分的影響を及ぼす可能性あり』
――え。
思わず、祠を二度見する。
この世界の『神』は、ナラティブ庁の上のレイヤーにいる存在だ。世界ごとのローカル神格は、物語システムと契約したり喧嘩したりしながら、各世界を管理している。
この小さな祠も、ただの飾りではないらしい。
(……もしかして、ここ、避難ポイントに使える?)
そんな考えが頭をよぎる。
村焼きが始まったとき、森の神殿に逃げ込めば、ローカル神格が多少はバリアを張ってくれるかもしれない。
もちろん、期待しすぎるのは危険だが、『丸腰で燃える村』よりはマシだ。
「ユウトさんは、何かお願いしないんですか?」
ミナが首をかしげる。
「都会の人は、こういうの信じないタイプ?」
「いや、信じないわけじゃないけど……」
俺は祠の前に立ち、両手を合わせた。
「――この村の人たちが、できるだけ少ない傷で済みますように」
ローカル神格がどれだけ本気を出せるかは分からない。ナラティブ庁のシステムと力関係もある。
それでも、祈るくらいはタダだ。
『監査官』であると同時に、一人の『異世界モブ』として。
祈らずにはいられなかった。
◇ ◇ ◇
森からの帰り道。
夕暮れが、村の屋根をオレンジ色に染めている。
子どもたちの声。犬の鳴き声。煙突から上る煙。
――村焼きの前の、『最後の夕方』かもしれない。
そんなことを思ってしまって、慌てて頭を振る。
「ユウトさん?」
「いや、なんでもない」
ミナが不思議そうにこちらを見る。
リアムは、森で拾った枝をいじりながら歩いていた。
「さっき、森の中でスライム倒したじゃないですか」
「うん」
「ああいうのがもっと増えてきたら、どうするんですかね、この村」
「……さっき村長に、ちょっとその話をしたよ」
俺は、できるだけ軽い口調を装う。
「収穫祭の前に、みんなで一回集まって、『何かあったときの集まり場所』決めようって」
「避難場所ですか?」
「そう。たとえば、広場じゃなくて、さっきの森の神殿の近くとか」
「森の中に逃げるんですか?」
ミナが目を丸くする。
「火事のときは、開けた場所に逃げろって、昔聞いたことありますけど」
「火事だけならね。でも、魔物相手なら、ローカルの神さまがいる場所のほうが多少はマシかもしれない」
リアムが腕を組む。
「たしかに、森の神殿、何となく落ち着きますよね。あそこに集まるの、ありかもしれません」
「ただ、全員で押し寄せると逆に危ない可能性もあるから、そのへんはちゃんと考えないとね」
口ではそう言いながら、頭の中ではフローチャートを組んでいた。
――神殿ルートは、『子どもと非戦闘員』限定にする。
リアムや戦える大人は、別ルートから村外へ誘導する。
そんな分岐を、脳内で仮組みする。
タブレットが、また一度震えた。
『フラグ更新:
・避難場所候補として「森の神殿」が登場
→村焼き時の生存ルートが複数化』
ほんの少しだけ、胸の圧迫感が和らぐ。
まだ、何も救えてはいない。
それでも、『村が燃える=全員死亡』ではなく、『燃えるけど、逃げ道はある』状態には近づいている。
監査官としてやれることは、小さな分岐の積み重ねだ。
◇ ◇ ◇
その夜。
雑貨店の奥でタブレットを開くと、画面の端で赤い点がちろりと光った。
『新規システム通知:
「村焼きイベント003」発火ウィンドウ前倒し検討中』
「……は?」
思わず声が漏れる。
『理由:
・森の魔物出現頻度の増加
・登場人物の不安度上昇
・避難フラグの早期発生による「緊張感」高まり』
システムは、冷静にこう言っている。
『読者にとって最もおいしいタイミングに悲劇を配置するべく、イベント発火日をD+5→D+4に前倒しする案を検討中』
――こっちがフラグいじれば、向こうもフラグいじってくるのかよ。
天井を見上げる。
ナラティヴァの顔は、相変わらず見えない。
「本当に性格悪いな、お前ら」
苦笑とも、ため息ともつかない声が、狭い部屋に落ちた。
村焼きまでの猶予が、一日減る。
その代わり、避難の必要性はより村人に伝わりやすくなる。緊張感が高まり、『逃げる』という選択を取りやすくなる。
――メリットとデメリットが、きっちりセットで出てくるあたり、さすが物語システムと言うべきか。
「上等だよ」
タブレットを閉じて、ベッドに仰向けになる。
「フラグを前倒ししてくるなら、その分、こっちも全力で折りに行くだけだ」
目を閉じる。
まぶたの裏に、夕暮れの村と、森の神殿と、井戸端で笑っていた二人の姿が浮かぶ。
そのどれもが、『仕様書』の一行で焼き払われる未来を、俺は知っている。
だからこそ――その仕様書に、できる限り多くの赤ペンを入れてやりたかった。




