第7話 フラグ管理と中間監査
リアムとミナと井戸端で話した夜、いつもより少し遅くまで起きていたせいか、翌朝は体の奥に妙な疲れが残っていた。
雑貨屋の床板を裸足で踏むと、ひんやりとした木の感触が伝わる。
「……今日も、いい天気だな」
ぼそっとつぶやいて、店先の戸を開ける。
空は青い。子どもたちの笑い声。井戸の水音。パンを焼く匂い。『村の日常』は、相変わらずログ通りに進行している。
視界の端に、半透明の表示がふっと浮かんだ。
『フラグステータス:
・村への不穏な噂:発生数 3/5
・森の魔物出現ログ:2件記録済
・村人の不安度:上昇中(中)』
――死亡フラグの残量表示、みたいなもんだな。
自分でツッコミながら、さすがに苦笑いする。
物語システムは、こうして少しずつ『村焼き』へ向けて世界を傾けている。村人の会話や、旅の商人の噂話。それら全部が、フラグカウンターとして可視化されている。
そして、その向こうには、『幼馴染死亡→行方不明』に変更されたイベント004が、じっと待ち構えている。
ミナの死亡フラグは、たしかに弱まった。
その代わり――村全体に、『誰かが死ぬ』という抽象的なフラグがばらまかれた。
◇ ◇ ◇
午前中、いつものようにロロが卵を買いに来た後、少しだけ店が途切れたタイミングで、タブレットが小さく震えた。
『【庁内システムより】
現場アバターの一時回収を推奨:
理由:改変イベント004に関する中間監査』
「……はいはい」
誰にともなく返事をして、店の奥に引っ込む。
アバターの身体は村に残したまま、意識だけナラティブ庁に戻すことはできる。短時間の現場離脱なら、雑貨屋の兄ちゃんが少しぼんやりしてたくらいにしか見えないらしい。
簡易ベッドに腰を下ろし、目を閉じる。
視界が白く跳ねた。
◇ ◇ ◇
次に目を開けると、そこはナラティブ庁の監査課フロアだった。
高い天井、光の束、ホログラムのフローチャート。
「おかえり、モブ」
背後から声がして振り向くと、雨宮がマグカップ片手に立っていた。
「どう、村暮らしは。きみの世界よりは健康的でしょ?」
「少なくとも、深夜残業はないですね」
「その代わり、村単位で火事だけどね」
「笑えないですよ、それ」
思わず真顔で返すと、雨宮は肩をすくめて、モニター前の席に座った。
「まあ座りなよ。第2781ラインの中間監査、やっちゃおうか」
彼女の前のホログラムには、例のフローチャートが表示されている。村の日常フェーズ、川辺での小さなトラブル、昨日の井戸端会話。イベントログが、綺麗に並んでいる。
「まずはこれ」
雨宮が指で弾くと、別ウィンドウが開いた。
『物語倫理監査報告書(第27号様式)/第2781勇者物語ライン・初期悲劇パート(中間)
担当監査官補:神崎悠斗』
「君が昨夜書きかけてたやつ、システム側で自動補完がかかってる。いい感じに『監査報告書』っぽくなってるよ」
「勝手に補完されるんですか」
「フォーマット整えるくらいはね。中身はちゃんと君の文のまま」
ざっと目を通すと、たしかに俺の文章が、適当にお役所っぽい言い回しに整えられていた。
『当該ラインにおける初期悲劇イベント004「幼馴染死亡」について、以下の懸念を認める。
1)当該登場人物ミナ・ホルンは、初期イベント群において村人の信頼・好感度を積み上げている存在であり、その死は「物語的には効果的」である一方、「登場人物の権利保護」の観点から過度な犠牲と評価される。
2)村焼きイベント003との複合により、当該ラインの初期悲劇濃度は同ジャンル平均を上回っており、読者満足度(RSI)を維持しつつ悲劇度を調整する余地が存在する。』
「……だいぶそれっぽくなってますね」
「でしょ? 役所文書は見た目大事だから」
雨宮は冗談めかしながらも、次の部分を指さした。
『4)代替案および強度調整案
案1:ミナ・ホルン死亡→行方不明(生死不明)
・読者に一定の喪失感を与えつつ、完全な救済否定は避ける。
・後続イベントにて再登場の余地を残すことで、悲劇を「取り返しのつかなさ」から「未解決の痛み」へと再定義。
案2:死亡位置のシフト(村焼き時→後続戦闘時)
・初期悲劇の濃度を抑えつつ、「勇者の選択」の結果としての死に置き換える。』
「案2も出てるんですね」
「あそこ、君が『せめて本人の選択が絡む死ならまだ納得できる』って書いてたでしょ? それを別案として抽出した感じ」
たしかに、そんなことを書いた。
村焼きで唐突に死ぬのではなく、後の戦いの中で、リアムやミナ自身の選択の結果として……という、苦し紛れの案だ。
「で、システム側のコメントがこれ」
雨宮がウィンドウを切り替える。
『物語システム人格・ナラティヴァコメント:
案1:興味深い。悲劇を「解消済みの痛み」から「持ち越された痛み」へ変換する試み。ただし読者の一部には「生存の可能性によるカタルシスの希薄化」が発生する懸念。
案2:既存ラインに類似例あり。当該ラインにおいては差別化要素になりにくい。初期インパクトと比較したRSI低下リスクを認める。』
「……ナラティヴァさん、だいぶ冷静ですね」
「読者満足度のことしか考えてないAIだからね、あれは」
雨宮は肩をすくめた。
「で、総合的に、案1をベースにシステム側が『実験ライン』として認めた。さっき送ったとおり、『死亡人数トータル同等』『喪失感維持』の条件付きで」
「はい。読ませてもらいました」
改めて言葉にされると、胃がきゅっとする。
「……率直に言っていいですか」
「どうぞ」
「この条件、かなり性格悪いですよね」
「うん。性格悪い」
雨宮はまったく迷いなく頷いた。
「ただ、これはシステム側だけの問題じゃない。『テンプレから外れた物語』に対して、読者がどう反応してきたかの蓄積でもある」
彼女は別のグラフを表示する。
「たとえば、こういうパターン」
そこには、過去に走った別の勇者物語ラインのRSI推移が並んでいた。
一つは、典型的な村焼き+幼馴染死亡ルート。序盤でRSIがぐんと跳ね上がり、その後も高水準をキープしている。
もう一つは、幼馴染が行方不明のまましばらく引っ張られるライン。序盤のRSIがやや控えめで、中盤からじわじわ盛り上がっていく。
「行方不明パターンでも、それなりにウケてるじゃないですか」
「そうだね。でも、コメント欄を見ると、『どうせどこかで再登場するんでしょ』って冷めてる読者も一定数いる」
雨宮はグラフの下の小さなログを拡大した。
『※読者フィードバック抜粋:
「どうせ生きてるくせに悲劇面するな」
「ちゃんと殺す勇気がないなら最初からやらないでほしい」
「生死不明とか一番モヤモヤする」』
「……辛辣ですね」
「物語に『完了済みの痛み』を求める読者は、それなりに多いってこと。逆に、『行方不明のまま』の方が刺さる読者もいる」
雨宮は画面を切り替える。
『※別ライン読者フィードバック:
「行方不明の幼馴染を探し続ける勇者、たまらん」
「再会するかどうか最後まで分からないのが良かった」』
「つまり、どっちに転んでも、一部からは支持されて、一部からは叩かれるってことですよね」
「そういうこと。だからこそ、監査官が『どの不満の形を、どの程度引き受けるか』を決める必要がある」
彼女は俺のほうを見た。
「君は、ミナの死を『完了済みの痛み』にするのか、『未解決の痛み』にするのかを選んだ。その代わりに、『どこかの誰か』が完了してしまう」
「……分かってます」
分かっている、つもりだ。
それでも、リアムが昨日言った言葉が、頭から離れない。
『誰かの死まで『利用した』みたいで』『『読んでる人が盛り上がるため』だけに死ぬのは、なんか違う気がして』
少なくとも、ミナの死を『盛り上がるためだけ』のものにはしたくない。
「だから、行方不明案で行きます。代わりに誰かが死ぬ可能性が上がるのは……」
一度言葉を切って、息を整える。
「現場で、ギリギリまで粘って、被害を最小限に抑えます。それでも零れ落ちる犠牲が出たら、その責任は、監査報告書に全部書きます」
「いいね」
雨宮は、どこか満足そうにうなずいた。
「『誰かが死ぬこと』そのものを、君が一人で背負い込む必要はない。ただ、『どういう死に方を選ばせてしまったのか』については、ちゃんと記録しておくこと」
彼女はマグカップを軽く振る。
「それが、物語監査官の仕事だよ。死なせないことだけが正義じゃない。死なせ方を選ぶことにも、責任がある」
「……重いですね、その言い方」
「現場で一度でも『あのとき別の選択肢もあったのに』って思ったら、軽くなんて言えないでしょ?」
その通りだ。
俺は、机の上のタブレットに視線を落とす。
フローチャート上で、イベント003と004が赤く縁取られている。その横に、小さな補足表示が出ていた。
『※イベント004・改変済み:「行方不明」分岐
補正悲劇候補:
・村人A(農夫)
・村人B(子ども)
・旅の商人 ほか』
名前はまだ、アルファベットでしか表示されていない。誰がどのタイミングで犠牲になるかは、これからの流れと介入次第だ。
「……せめて」
思わず、言葉が漏れる。
「せめて、子どもだけは避けたいですね」
「そう思うなら、現場で頑張りなよ」
雨宮は、いつもの調子に戻って笑った。
「死亡フラグは、立てば折れるわけじゃない。折ろうとした結果、別のところに立つこともある。それを見て、また折りに行く。その繰り返し」
「仕事が減る気がしないですね」
「監査の仕事が減ったら、うちの庁は縮小だよ」
彼女は席を立ち、降下ブースのほうを顎でしゃくった。
「戻る? 村焼きまで、あんまり時間ないよ」
「……イベントカレンダー、出してもらえますか」
「はいよ」
ホログラムに、簡易スケジュールが表示される。
『イベントカレンダー(第2781ライン・初期)
D+0〜D+2:村の日常(好感度上昇フェーズ)
D+3〜D+4:不穏な兆候の増加/森の異変ログ
D+5:村焼きイベント発火ウィンドウ開始(±1日)』
「今がD+2。つまり、あと一〜二日で、何かしら大きな動きが始まる」
雨宮が説明する。
「村人の避難を促すのも一案だけど、早すぎると『何ビビってんだ』で終わるし、遅すぎると間に合わない」
「避難させて村が無人になっても、『村焼き』は起きますか」
「起きる。『村焼き』はあくまで象徴イベントだから。誰もいない村が燃えても、それはそれで『むなしさ』という感情値を稼げるしね」
うわ、と小さく声が出た。
「だから重要なのは、『誰がどこにいる状態で燃えるか』。それを調整するのが、君の仕事」
フローチャートの一部が拡大される。
村の見取り図。広場、鍛冶屋、雑貨屋、ミナの家、森へ続く道。各地点に小さな丸が配置され、『通常パターン』で誰がどこにいるかが示されている。
「ここから先は、君の介入次第で位置が動く。リアムたちをどこに立たせるか、誰にどんな用事を頼むか、全部がその瞬間の生死に関わる」
自分がやろうとしていることの具体的な重さが、ようやく実感として押し寄せてきた。
「……了解しました」
深く息を吸って、吐く。
「戻ります。村焼きまでの数日でできることを洗い出して、フラグの配置を可能な限りマシな形に調整します」
「おっけー」
雨宮は軽く手を振った。
「何かあったら、また一時回収申請出しな。現場でパニックになったら、ろくな判断できないから」
「そのときは、上席の悪趣味なアドバイスを期待してます」
「光栄だね」
そんな軽口を交わしながらも、彼女の目だけは真剣だった。
「――行ってらっしゃい、モブ監査官。死亡フラグの本数、ちゃんと数えとくんだよ」
カプセルに横たわり、目を閉じる。
再び、視界が白く染まった。
◇ ◇ ◇
戻ってきた村は、何も知らない顔をしていた。
広場では、相変わらずロロたちが走り回り、ミナの家の煙突からは夕飯の煙が上がっている。鍛冶場からは、ハンマーの音。
――あと数日で、ここが燃える。
そう知っているのは、村の誰でもない。
ログとフローチャートを握りしめた、モブ監査官だけだ。
俺は店先の戸に『本日営業時間:日没まで』と雑に書かれた札をぶら下げながら、心の中で、一つ一つの場所に目印をつけていった。
鍛冶場。ミナの家。井戸。森への道。子どもたちがよく遊ぶ林。
死亡フラグの本数を数えるように。
そして――どこで、どのフラグを折るかを、考え始めた。




