第6話 死亡フラグと強度調整案
翌朝、まだ日が高くなる前。
雑貨店の奥、簡易ベッドの上で目を覚ました俺は、いつものように天井を見上げる前に、意識の中でタブレットのUIを呼び出した。
半透明のウィンドウが、視界の端に浮かぶ。
『第2781勇者物語ライン
現在位置:イベント001・村の日常
重大イベント:003「村焼き」、004「幼馴染死亡」』
その下に、小さな通知マークが点滅している。
『イベント004「幼馴染死亡」
→改変申請:死亡→行方不明(悲劇度8→6)
ステータス:上席審査中』
「……まだ『審査中』か」
呟いて、上体を起こす。
まあ、そう簡単に『幼馴染の死』は動かせないのだろう。テンプレとしてはあまりにもおいしい部分だし、システム側の抵抗も強いに決まっている。
それでも、申請を出した事実は消えない。
誰かが『これはやりすぎじゃないか』と記録に書き込んだ痕跡は、確かにここに残っている。
あとは――どこまで通るか、だ。
◇ ◇ ◇
朝の広場は、相変わらず平和だ。
井戸の周りで女たちが笑い、子どもたちが走り回る。俺は店先に木箱を並べながら、何度目か分からない『日常カット』を眺めていた。
ログ上では、このあたりはほぼループだ。村の好感度をじりじり上げるための、日々の描写。読者が「この村、好きだな」「この人たち、いいな」と思う時間。
そんな折、広場の向こうから、いつもの金属音が聞こえてきた。
鍛冶屋だ。
今日もリアムはハンマーを振るい、ミナは薬草を束ねているはずだ。
「……よし」
店の中に「ちょっと留守にします」の札を立てかけて、鍛冶場に向かう。
村人たちの間に混じって歩いていると、誰かがひそひそと話している声が耳に入った。
「なあ、最近、森の方、物騒になってきてねえか」「そうだな。魔物が出たって話、前より多い気がする」「旅の行商人も、街道を通るの嫌がってるらしいぞ」
――村焼きイベントへの前兆ログだ。
システムはさりげなく『不穏さ』を差し込んでくる。直接的な脅威はまだない。その代わり、読者だけが「この平和が長く続くわけがない」と知っているような、薄い影を落としていく。
その設計自体は、よくできている。だからこそ、胃が痛い。
「おーい、ユウトさん」
鍛冶場の前に着くと、リアムがこちらに気づいて手を振った。
ミナも奥から顔を出す。
「おはようございます。今日も仕入れですか?」
「おはよう。今日は、釘じゃなくて、リアムの方の用事」
「え、俺ですか?」
リアムが目を瞬かせる。
「ちょっと帳簿の話をね。最近、鉄の仕入れ値が上がってるだろ?」
「ああ……それ、気になってたんです。やっぱり、森の魔物のせいですか?」
「街道の安全度が下がると、輸送費が上がって、その分が値段に乗るからね」
アバターに埋め込まれた記憶と、監査法人時代の知識が、自然と口をつく。
「だから、そのままの値段で鍛冶仕事を受けてると、リアムの家の取り分が減る。ちょっと計算し直そうか」
「計算、苦手なんですよね……」
リアムが頭をかく。
「ミナ、今日は鍛冶場を少し借りてもいい?」
「私は午後からお使いがあるので、午前中なら大丈夫ですよ。リアム、変な契約結ばされないように気をつけなさいね」
「ユウトさんを何だと思ってるんだ」
そんなやり取りをしながら、俺たちは鍛冶場の奥のほう、煤けた机の上に帳簿を広げた。
◇ ◇ ◇
鍛冶屋の帳簿は、思ったよりきちんとしていた。
親方が几帳面なのだろう。日付ごとに、仕入れと売り上げが一応きれいに並んでいる。ただし、ここ数ヶ月分は、仕入れ価格の上昇分を販売価格に反映しきれていない。
「……このままだと、働いてるのに手元に残る金が減っていくパターンだね」
さらさらと数字を書き足しながら言うと、リアムは申し訳なさそうに眉をひそめた。
「やっぱり、そうなんですか。親方、最近なんか機嫌悪いなーと思ってたんですよね」
「機嫌悪くなるよ、これ」
冗談めかしながらも、内心では冷や汗をかいている。
この村は、ただ『焼かれる』ためだけに存在しているわけじゃない。
人が仕事をして、食べて、悩んでいる。その上に、『村焼きイベント』が乗っかっている。
ログが示す未来では、この世界の経済的な事情は全部『背景』として焼き払われる。
「仕入れ値がこれだけ上がってるなら、できれば販売価格も少しずつ上げたいところだけど……」
「村の人たち、払えますかね」
「そこなんだよね」
村人の収入は限られている。鍛冶屋だけが値上げすれば、「リアムのところは高い」と敬遠されるリスクがある。
俺は、ペンを握る手を止めた。
ログを呼び出す。
『イベント003:村焼き
――魔物大群襲撃。村、壊滅的被害。
※経済状況は、当該イベントにおける「失うものの重さ」に反映されます』
「……うわ」
思わず素の声が出た。
システムはちゃんと見ている。鍛冶屋がどれだけ頑張っていたか、村人がどれだけ貧しい中でやりくりしていたか、それを全部『失うものの重み』として計算に入れている。
だからこそ、この村焼きは『効く』。
RSIを跳ね上げる、『重たい悲劇』になる。
「ユウトさん?」
「ああ、ごめん。ちょっと考え事してた」
慌ててログを閉じる。
「とりあえず、今すぐ大きく値上げするのはやめておこう。代わりに、鉄材の無駄を減らす工夫をしてみるとか、仕事の受け方を見直す方向で」
「できるんですか、そんなこと」
「たぶんね。鍛冶場の作業をちょっと見せてもらっていい?」
「もちろん」
リアムが嬉しそうに頷く。
その目の輝きを見ていると、『こいつはこういう性格だから、幼馴染の死を燃料にしても立ち上がる』と、どこかの誰かが決めたことが、妙に腹立たしく思えた。
◇ ◇ ◇
昼過ぎ、店に戻って一段落したところで、タブレットが小さく震えた。
『上席監査官からのメッセージがあります』
雨宮だろう。
急いで通知を開く。
『From:雨宮
件名:幼馴染死亡イベントの件』
本文は簡潔だった。
『改変申請、見た。
死亡→行方不明、悲劇度8→6の案について、システム側の一次評価は「条件付きで許容可能」。
ただし、以下の補正条件が自動付与される想定。
・死亡人数トータルは同等
・「読者の喪失感」は維持
→つまり、「誰か」が代わりに死ぬ確率が高い。
それでもやる?』
最後に、短い一文が続いていた。
『※返信不要。判断は現場で』
「……うわぁ……」
声にならない声が漏れる。
予想していた『補正悲劇』の話が、想像以上にストレートに突きつけられた。
ミナの死亡を『行方不明』にするなら、誰か別の人間が死ぬ。
死亡人数トータルは変わらない。
読者の喪失感も、ちゃんと維持する。
――システムは、そう言っている。
「選べ、ってことかよ……」
タブレットを机に置いて、額を押さえる。
誰が死ぬのかは、まだ特定されていない。
村人なのか、通りすがりの旅人なのか、リアムの親方なのか、あの子どもたちなのか。
システムは、まだサイコロを振っていない。
そのサイコロを振る前に、監査官としてできることは何か。
『全員を救う』という選択肢は、このラインでは現実的ではない。そんな改変はNITをぶち抜いて、物語そのものを壊す。
だからと言って、『仕方ない』の一言で飲み込めるほど、俺は器用じゃない。
「……ミナを、確実に死なせるよりは」
ぽつりと呟く。
「誰が死ぬか分からない状況でも、少なくとも『この子だけは殺さない』って決める方が、まだマシだ」
自己満足だと言われれば、その通りだ。
誰かを優先的に救うということは、優先されなかった誰かを切り捨てることでもある。
監査官という役目は、そういう『不公平』にサインをする仕事だ。
それでも――。
「目の前で笑ってる人間が、『仕様』の一言で消されるの、見過ごせないんだよな」
広場から、子どもたちの笑い声が聞こえる。
鍛冶場からは、今日も金属音が鳴っている。
その風景のどこかに、『代わりに死ぬ誰か』が紛れ込んでいるのだろう。
俺は、タブレットを再び開いた。
『イベント004「幼馴染死亡」改変案
→条件付きで承認』
さきほどの雨宮の文面に、自動生成の追記が加わっている。
『物語システム人格・ナラティヴァより補足:
「興味深い逸脱傾向。悲劇度の局所調整が、快楽曲線にどのような影響を与えるか観測したい」』
「……観測したい、ねぇ」
人の命を、実験材料みたいに。
そう言っているように聞こえた。
◇ ◇ ◇
夕方。
店じまいをしながら、リアムとミナの姿を探す。
広場の端、井戸のそばで、二人が並んで座っていた。何かを話している。ミナが笑って、リアムが照れくさそうに視線をそらす。
――この二人の関係性は、この先もっと濃くなる。
ログにはそう書いてあった。
焼け跡での絶望や、旅立ち前夜の約束や、そういう『おいしい場面』の断片が、すでにシミュレーションとして存在している。
その通りに進めば、RSIは高い。
その通りに進めば、ミナは死ぬ。
俺は、自分のアバターとしての足で、二人のほうに向かった。
「おーい、まだ井戸の縁を独占してると、村長に怒られるよ」
「あ、ユウトさん」
ミナが手を振る。
「ちょうど今、リアムが格好つけたこと言おうとしてたところなんですよ」
「言おうとしてない!」
リアムが顔を赤くする。
「ちょっと真面目な話をしてただけだって」
「真面目な話?」
俺は、井戸の縁に腰を下ろした。
「聞いてもいい?」
「大した話じゃないですよ」
リアムはしばらく黙っていたが、やがてぽつりと言った。
「最近、町のほうで魔物が出たって話、増えてるじゃないですか。さっき、旅の商人も言ってましたけど」
「聞いたね」
「もしこの村にも、そういうのが来たら、どうするんだろうって。鍛冶屋として、何ができるのかなって」
それは――後に実際に起きる『村焼き』の、素朴な予感だった。
「逃げるのか、戦うのか。誰かを守れるのか。それとも、誰かのせいにして逃げるのか」
リアムは拳を握る。
「俺、誰かを犠牲にして強くなるの、あんまり好きじゃないんですよ」
その一言に、心臓が跳ねた。
ログには、『リアムは苦難を糧に成長する勇者枠』と書かれている。
その『苦難』は、誰かの死で燃料を補給されることが多い。
「物語とかでよくあるじゃないですか。大事な人が死んで、その復讐心で強くなるみたいなやつ」
リアムは、少しだけ視線を落とした。
「読んでるときは、たしかに胸が熱くなったりもするんですけど。実際、自分がその立場になったら、嫌だなって」
「どう嫌なんだ?」
「なんか、その人の死まで『利用した』みたいで」
言葉を探しながら、彼は続ける。
「死んだ人が、それで報われるのかどうか、よく分からなくて。本人は何も選べないのに、勝手に『お前の死は俺の原点だ』って決められるの、変だなって」
――登場人物のくせに、物語構造に疑問を持ってる。
思わず、そんなメタな感想が頭をよぎる。
「だからって、誰も死なないようにするのは難しいのも分かってるんですけどね。鍛冶場でもそうですけど、何かを作るときって、何かを燃やしたり、壊したりするから」
「それでも、できれば、誰かの死を『物語のため』だけにはしたくない、って?」
「……はい」
リアムはうなずいた。
「誰かが死んで、それで結果的に誰かが救われるなら、まだ分かるんです。でも、『読んでる人が盛り上がるため』だけに死ぬのは、なんか違う気がして」
その言葉は、ほとんど神崎悠斗(本体)の言葉だった。
俺はしばらく、何も言えなかった。
物語システムが組んだ筋書きと、リアムの価値観が、すでに正面からぶつかり合っている。
この少年は、仕様のまま進んでも、どこかで必ずこの違和感に突き当たるだろう。
なら――監査官として、やることはひとつだ。
「リアム」
「はい?」
「もし、本当にこの村に大きな何かが起きたとき」
言葉を選びながら、ゆっくりと続ける。
「『誰かの死を物語の燃料にしない』って決めたなら、そのときにその言葉を思い出しなよ。今ここで言ったこと、忘れないように」
リアムは、少し驚いた顔をしたあと、真剣な表情でうなずいた。
「……はい。忘れません」
ミナが、そんな会話を横で聞きながら、少しだけ目を丸くしていた。
「なにそれ、二人して難しい話して。私はただ、誰も死なないで済めば一番いいのにな、って思ってるだけですけど」
「一番難しい願いだよ、それ」
苦笑しながら言うと、ミナは「ですよね」と肩をすくめた。
「でも、難しいからって、最初から諦めたくないじゃないですか」
その言葉に、どこかでタブレットのログがカチリと音を立てた気がした。
『登場人物の価値観』が、物語ラインに刻まれていく。
この先、村が焼かれるとしても。
誰かが死ぬとしても。
少なくとも、この勇者は『誰かの死を燃料にしたくない』と言った。
その一点だけでも、このラインは、他の量産勇者物語とは違う。
そう信じたかった。
監査官としてではなく、一人の物語好きとして。




