第5話 リアムとミナの日常
村の中心にある広場は、いつ見ても賑やかだ。
井戸を囲んで女たちが桶を並べ、子どもたちが走り回り、荷馬車が行き交う。その一角に、小ぢんまりとした木造の店がある。
看板には、手書きで『ユウト雑貨店』。
この世界での、俺の職場だ。
「ふぅ……」
朝一番の荷解きを終えて、ひと息つく。麻袋から小麦粉を出し、瓶に入った香草を棚に並べ、釘や縄やランタンの芯を、使い慣れた手つきで仕分ける。
――『使い慣れた』のは、アバターの記憶のおかげだ。
頭のどこかに、「この縄はここ」「この釘はあの鍛冶屋がよく買う」といった情報が、うっすら染み込んでいる。初めてのはずなのに、身体が勝手に動く。
その違和感に、まだ慣れない。
「ユウト兄ちゃん、卵まだある?」
入口からひょいと顔を出したのは、小さな少年だった。さっき門のところで手を振ってきたロロだ。
「ああ、さっき農家のオバさんが持ってきてくれたよ。何個いる?」
「お母さんが六つ、って」
「はいはい、六つね」
籠から卵を丁寧に取り出し、藁を敷いた小さな箱に並べる。ロロがじっと見つめている視線が、妙にくすぐったい。
「ユウト兄ちゃん、都会から来たんでしょ? この村、退屈じゃない?」
「都会ってほど都会でもないよ。ただの、ちょっとだけ人が多い場所」
口から出た言葉は、雑貨屋ユウトのものと、監査法人勤務だった俺のものが半分ずつ混ざっている気がした。
「退屈かどうかは……そうだな。今のところ、悪くないよ」
「ふーん」
ロロはよく分かっていない顔をしながらも、箱を抱えて走り去っていった。
その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐く。
――悪くない、どころか。
ここまでのログ通りなら、今は『村の日常』フェーズまっただ中だ。読者好感度を上げるための、ささやかで穏やかな日常。
そして、その好感度を一気に裏切る地点として、『村焼き』と『幼馴染死亡』が用意されている。
俺は、店の奥に視線をやる。
そこには、小さな机と、簡易な帳簿が置かれていた。誰もいない隙に、そっとタブレットを取り出す。アバターの腰ポーチに紛れているそれは、外から見るとただの黒い板切れだが、俺にだけはUIが見える。
『第2781勇者物語ライン
現在位置:イベント001・村の日常』
文字が、静かに光っている。
続きに並ぶログの文字列を、一度脳内でなぞってから、そっと画面を閉じた。
まだだ。
今はまだ、『日常を見ておく』フェーズだ。
◇ ◇ ◇
昼前になると、金属を打つ甲高い音が、店の外まで聞こえてきた。
広場の端にある鍛冶屋――リアムの家だ。
様子を見に行くついでに、釘と鉄材の追加注文でも取りに行こう。そう思って外に出ると、風向きのせいか、鉄と炭と汗の匂いがこちらまで流れてきた。
鍛冶場の前では、金髪の少年が上半身を少しだけ汗で光らせながら、巨大なハンマーを振るっていた。
「……リアム・グランツ」
名前を口の中で転がしてみる。
タブレットのプロフィールにあった通り、年齢は十五。村仲間の中では、少し背が高く、筋肉の付き方が良い。真面目そうな灰色の瞳をしている。
ログ上の肩書きは『勇者候補』。
世界のシステムから見れば、『苦難を経て成長する主人公』枠だ。
「おーい、リアム」
声をかけると、彼はハンマーを止めて顔を上げた。額に張り付いた髪を乱暴に払う。
「あ、ユウトさん。おはようございます」
「もう昼前だけどね。注文してた釘、できてる?」
「はい、昨日のうちに」
鍛冶場の奥から、小さな木箱を持ってきてくれる。中には、綺麗に揃った鉄の釘がきちんと並んでいる。
「助かる。こっちも、今度の収穫祭用にランタンの芯とか多めに仕入れておいたから、火を使うときは気をつけてね」
「いつもありがとうございます」
リアムは、まっすぐな礼をする。
ログで見た『闇堕ち一歩手前』の姿とは程遠い、素朴で真面目な少年だ。
「今日は、ミナは?」
「ミナですか? さっきまでこっちにいたんですけど……」
リアムが周囲を見回すのとほぼ同時に、後ろの方から元気な声が飛んできた。
「リアムー! さっき頼まれてた薬草、これで全部で合ってる?」
振り向くと、茶色の三つ編みを揺らした少女が、大きな籠を抱えて駆けてくるところだった。
「ミナ・ホルン」
タブレットに書かれていた名を、頭の中でなぞる。
彼女はリアムと同い年。隣家の娘で、回復魔法の素質がある。ログ上では、『第一章クライマックスで死亡』と明記されていた存在だ。
「おはよう、ミナ」
「ユウトさんも来てたんですか。おはようございます」
ミナは籠を地面に置き、ぺこりと頭を下げた。快活そうな目元に、ほんの少しだけそばかすがある。
「またリアムに無茶させてません? この前みたいに、夜中までハンマー振らせてたら、回復魔法だって追いつかないですよ」
「無茶させてるのは親方の方だからね。俺はただの客」
苦笑しながらそう返すと、ミナは「それもそうか」と笑った。
籠の中には、よく乾いた薬草が整然と詰められている。回復薬の材料だろう。ミナが森から採ってきたのだ。
「今日の分、これだけあれば足りる?」
「うん。ありがとう、ミナ」
リアムが籠を持ち上げる。その動きは、鍛冶仕事で鍛えられた腕のおかげか、軽々としている。
「でも、本当はリアムが自分で採りに行けばいいのよ。森の奥の方、魔物も出るんだから」
「鍛冶場ほったらかして森行ったら、親方にどやされるだろ。ミナだって、回復魔法の練習になるから良いって言ってたじゃないか」
「それはそれ、これはこれです」
そう言って腰に手を当てるミナの様子に、リアムが苦笑する。
――こういうやり取りを、ログは『好感度上昇』とラベリングするのだろう。
見ているだけで微笑ましい。読者としてなら、素直に『この二人、いいな』と思える。
監査官としては、胃が痛くなる。
これから、この片方を『死なせる予定』のラインになっているからだ。
◇ ◇ ◇
「そういえば、今日は午後から川の方に行くんですよね?」
店への帰り道、ミナが俺の隣を歩きながら話しかけてきた。リアムは鍛冶場に戻っていったところだ。
「川?」
「はい。最近、村のみんなが飲み水にしてるあたりで、ちょっと魔物が出るかもしれないって。村長さんから、『ミナ、何かあったら治せるように来ておいてくれ』って頼まれてて」
「治せるように、って。そんなに気軽に言われる仕事なの?」
「まあ、慣れました。『治せる人がいる』って分かってると、村の人も安心するみたいで」
ミナは、少しだけ照れくさそうに笑った。
「ユウトさんも、暇なら来ませんか? 最近、荷物運びとかで体力ついてきてるんじゃないですか」
「雑貨屋のどこを見てそう思ったのか詳しく聞きたいところだけど……」
苦笑しつつも、頭の中では別の窓を開いている。
タブレットのログを、意識の中で呼び出す。
『イベント001:村の日常』に紐づくサブイベント一覧。
『サブイベントA:川辺での小さなトラブル
――村人が足を滑らせて怪我/ミナの回復魔法初披露』
今のミナの話と、だいたい一致する。
つまりこれは、『回復魔法の有用性を読者に印象付ける』ためのイベントだ。ここで村人を一人軽く怪我させて、その傷をミナが治すことで、彼女への信頼感や『失いたくない存在』感を積み上げる。
そして、その積み上げた好感度を、村焼きで一気に裏切る。
――よくできてる、と思う。
だからこそ、腹の底からムカつく。
「行けるなら行こうかな。何かあったとき、荷物運びくらいなら手伝えるし」
「本当ですか? よかった。ユウトさんいると、何だか心強いです」
ミナがぱっと笑う。その無邪気な笑顔に、心が少しだけ軋んだ。
モブ監査官として、どこまで踏み込むべきか。
川辺の小さなトラブルに手を出したところで、ログ上の『村焼き』や『幼馴染死亡』が消えるわけではない。だが、ミナの生死ラインは、『行方不明』や『重傷』に変えられる可能性がある。
そのためには、彼女の能力と、村の構造と、リアムとの関係性を、できるだけ細かく見ておきたい。
監査とフィールドワークの基本だ。
◇ ◇ ◇
その日の午後、村外れの川辺には、何人かの村人が集まっていた。
子どもたちが水遊びをし、男たちが魚を捕り、女たちが洗濯をしている。いわゆる『のどかな風景』だ。ログ的には、『平和な日常の象徴カット』。
「ミナ、こっちだ」
リアムが手を振る。鍛冶場の仕事を少しだけ抜けてきたらしい。ミナがその隣に並ぶ。
「ユウトさんも、ありがとうございます。重いものがあったら運んでもらえると助かります」
「任せて。転んだ人を抱えて運ぶくらいなら」
「縁起でもないこと言わないでください」
ミナが頬を膨らませる。俺は肩をすくめた。
――そうこうするうちに、ログは静かに進行していく。
タブレットを見なくても分かる。目の前の光景が、『サブイベントA』の流れに沿って動き始めている。
「おーい、慎重にいけよー。そこ、苔で滑るからなー」
年配の男が声をかける。しかし、若い男のひとりが調子に乗って、滑りやすい岩場まで進んでいく。
嫌な予感がした。
数秒後、その男の足が、ぬるりと滑った。
「うわっ!」
派手な水しぶき。男の身体が横倒しになり、川岸の岩に脇腹をぶつける。
「あー……やったな」
年配の男が頭を抱える。周りの人々がざわつく。
「ミナ!」
リアムが呼ぶより早く、ミナはすでに手を伸ばしていた。
「大丈夫ですか? ちょっと見せてください」
男のシャツをめくると、脇腹に大きな青あざができている。骨まではいっていないが、相当痛そうだ。
「いててて……」
「軽い打撲ですね。でも、放っておくと動くのがつらくなります。少しだけ、我慢してください」
ミナは深呼吸を一つすると、両手を男の傷の上にかざした。
淡い光が、ミナの掌からにじみ出る。緑と白が混ざったような、やわらかな光だ。
川のせせらぎの音が、一瞬だけ遠のいたように感じられる。
「……『治癒』」
小さく呟いたミナの声に応じるように、光が傷口に吸い込まれていく。
数秒後、あざの色が目に見えて薄くなっていた。
「お、おお……?」
男が驚いたように身を起こす。痛みがかなり引いたらしい。
「さすがミナだ」「本当に助かるなぁ」「うちの家族も今度診てもらおうかしら」……周囲から感嘆の声が上がる。
ログ上で、『ミナへの信頼度+』とでも書かれていそうな瞬間だ。
「どうです? まだ痛みます?」
「いや、さっきより全然マシだ。ありがとうよ、ミナちゃん」
「いえいえ、これくらいならお安い御用です」
ミナは笑顔を浮かべながらも、少しだけ息が荒い。回復魔法には、それなりに精神力を使うのだろう。
リアムが心配そうに彼女の肩に手を置く。
「大丈夫か?」
「平気。これくらいなら余裕よ。……リアムこそ、鍛冶場抜けてきて怒られない?」
「それはあとで考える」
「考えてるうちに怒られてきてください」
いつもの掛け合いをしながらも、二人の表情はどこか誇らしげだ。
自分たちの力が、誰かの役に立っている。
その実感は、きっと何よりも強い『生きている手応え』だろう。
それを見ていると、胸が少しだけ締め付けられた。
――この子を、本当に『死なせる』のか。
村焼きのログが頭の中で点滅する。
火の海。崩れる家々。泣き叫ぶ声。その中で、ミナがリアムをかばって落命するシミュレーションログ。
読者は、きっと泣くだろう。
リアムは、きっと立ち上がるだろう。
RSIは、きっと跳ね上がるだろう。
その『きっと』の裏に、『確実に』死ぬ誰かがいる。
◇ ◇ ◇
その夜。
雑貨店の奥の机で、一人、タブレットを開いた。
昼間見た光景が、ログとして記録されている。『サブイベントA』は完了。ミナの回復魔法披露により、村人の信頼度が上がった。
『補足:本イベントは、後続の『村焼き』および『幼馴染死亡』時の感情起伏に寄与します』
淡々とした一文が、画面に表示されていた。
「……知ってたよ」
思わず、そう返してしまう。
知っていた。こういう日常の積み重ねこそが、悲劇を『おいしく』するための下ごしらえだということくらい。
だからこそ、監査官という役目が必要なのだとも、頭では理解している。
だが。
「やっぱり、ムカつくなぁ……」
タブレットの端を、少しだけ強く握る。
画面の別タブを開く。『イベント003:村焼き』『イベント004:幼馴染死亡』。
詳細欄には、具体的なシミュレーションが記されている。
『魔物大群襲撃。村の被害:家屋焼失率80%/人的被害・死亡者:5名(うち主要人物:ミナ・ホルン)』
『死亡状況:リアムを庇い、頭部・胸部に致命傷。即死。
※読者に強い喪失感と怒りを喚起』
『当該死亡イベントは、勇者リアムの「復讐心」「決意」の引き金として機能します』
それは、よくできた『仕様書』だった。
物語の起伏を設計するための、合理的な犠牲。
読者の感情を最大化するための、『ちょうどいい』悲劇。
「……これ、本当に『ちょうどよく』なんてないだろ」
笑えてきた。
決算書の裏で、工場の閉鎖を『合理的な判断』と呼ぶ経営陣の顔が、ふと頭に浮かぶ。
数字の上では、合理的。株主の期待に応え、会社の将来を守るために、必要な措置。
でも、その『必要な措置』の下で、仕事を失う人間がいる。
家族を養えなくなる人間がいる。
そのことを、『仕様』と割り切っていいのか。
ここも、同じだ。
「やっぱり、ミナの死亡イベントは――強度調整、対象にする」
決意を言葉にしてみると、少しだけ頭がクリアになった。
完全に消せないかもしれない。
補正悲劇が別の形で現れるかもしれない。
それでも、『ここは軽くするべきだ』とサインすることならできる。
監査官として、赤ペンを入れる。
タブレットの操作画面を呼び出す。
『イベント004:幼馴染ヒロイン・ミナ死亡
悲劇度:8/10(現設定)
→調整案入力』
カーソルが点滅している。
指先が、ほんの一瞬だけ躊躇した。
「……死亡を、『行方不明』に」
俺は、ゆっくりと入力した。
『死亡→行方不明(生死不明)
※落下/流され等により、遺体未確認。
悲劇度:6/10(案)』
さらに、その下に小さく補足を書く。
『読者に喪失感を与えつつ、完全な救いの否定は避ける。
後続イベントにて、再登場の余地を残す』
監査報告書の草案のつもりで、言葉を選ぶ。
画面の端で、『要上長決裁』の赤い文字が点滅した。
「……ですよね」
ぼそりとつぶやいて、送信ボタンに指を伸ばす。
クリックした瞬間、タブレットが小さく震えた。
『改変申請を受理しました。
上席監査官および物語システムによる審査待ち』
あとは、雨宮と、システムと、上の連中がどう判断するか次第だ。
それでも――一度、『NO』と言ったことには意味がある。
誰かを『仕様』として死なせる前に、それが本当に必要かどうか、疑問を投げかけた。
それだけは、きっと、この先のどこかで俺自身を支える『足場』になるはずだ。
タブレットを閉じる。
外から、かすかに夜風が吹き込んできた。
明日も、きっと良い天気だろう。
村焼きの日が来るまでは。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
ナラティブ庁パートの導入と、アルシオ村の日常(=フラグ量産期)までを書き切ったところで、いったん小さな区切りです。
この作品は「テンプレを茶化すメタ作品」というより、テンプレの『気持ちよさ』と『後味の悪さ』を、内側からいじる話にしていくつもりです。
面白そう/続き読みたいと思っていただけたら
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