表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
やりすぎテンプレ、監査入ります。  作者: @zeppelin006
第三章 学院防衛戦監査編 ― 第2781勇者物語ライン
41/45

第40話 教官レオナ・ハーゼル

 鐘が鳴った瞬間、学院は訓練の静けさを捨てた。

 結界が軋み、石が震え、悲鳴と怒号が同じ高さで走る。人の流れが生き物みたいに廊下をうねり、足音が床を叩くたび、恐怖が増幅していく。


 レオナは、最初の衝撃で理解した。これは『小事件』ではない。

 理解に理屈は要らない。前線の匂いが戻る。喉の奥が乾き、視界の端が鋭くなる。身体が勝手に、戦場の順番で動き出す。


「下級生は内側へ!上級生は門の内側に二列!迷子を出すな!」

 声が出る。出た声が人を動かす。慰める声ではなく、動かす声。動かすための声は、いつだって冷たい。


 中庭の角でリアムが剣を構えた。鍛冶屋の子の手つきだ、とレオナは思う。力任せじゃない。握り方が道具のそれだ。クレアはすでに結界の補助に入り、テオは影みたいに走って連絡役を拾い、ノーラは救護班へ駆けて布を裂いた。震えているのに、手だけは止まらない。


 第一波がぶつかった。

 爪が結界を叩き、門が震え、誰かが転ぶ。転んだ誰かを引き上げる腕が伸びる。レオナは隊列を崩さない。崩せば後ろが死ぬ。


「押し返すな、押し止めろ!ここは壁だ、壁になれ!」

 命令が筋肉に変わり、筋肉が時間を稼ぐ。時間が命を稼ぐ。


◇ ◇ ◇


 戦線は、少しずつ腐る。

 それは誰かの失策ではなく、『普通の最善』の積み重ねで起きる。


「別門が破られた!」

「地下の連絡通路、敵影!」

「増援がまだ来ない、遅れてる!」

 伝令が錯綜し、命令が二重になる。前線から人を割いて穴へ回し、穴へ回した分だけ退避線が薄くなる。薄くなった場所に人が溜まり、押し合いが始まる。将棋倒し寸前の匂いが、息の詰まりとして廊下から押し返してきた。


 レオナは見た。見てしまった。

 このまま行けば、死ぬのは前線の戦える学生ではない。後ろの、走るしかない学生だ。名も残らない。数だけが増える。数が増えるほど、誰かが『仕方ない』と言い始める。仕方ない、の下で雑に死ぬのが戦場だ。学院でそれをやるな、と心の中で叫ぶ。


 その時、補助講師の男が走り込んできた。汗と煤で顔が黒いのに、目だけが妙に冷静だった。冷静というより、冷たい。恐怖を感じていないのではない。恐怖の扱い方が違う。恐怖を、配置に変換している目だ。


 男は冷静に言葉を伝える。


「通路を二本に絞る。広げるな。分岐を増やすと詰まる」

「南回廊の迂回は閉鎖。危険判定。封鎖札を吊れ。ロープ、持って来い」


 近くの誘導係が従う。補助講師という肩書きの権威を、最大限に使っている。導線が固定され、混乱が減る。将棋倒しの可能性が下がる。――代わりに、圧が一点に寄るのが分かる。寄った圧は、必ず『穴』へ返ってくる。


 男は伝令役として、レオナのもとへ最短情報だけを持ってきた。希望の混じらない言い方で。


「別門が破られました。地下の補給口です。抜けられると避難路が背後から落ちます」


 レオナの視線が鋭くなる。


「増援は」

「遅れてます」


 余計な可能性を言わない。余計な可能性を言わないから、判断は一方向へ寄る。寄ってしまう。


 レオナは一瞬、男を見た。

 この男は努めて冷たい自分を演出しているようだった。『助けたい』と叫びたいくせに、『どこを壊すか』を選ぶ顔をしている。選ぶ顔は、戦場の指揮官にもいる。だが学院にいるのが、ひどく異物だった。


「退避線は維持。穴へ回せるのは、最小限だ」


 そういった自分の声もひどく冷たく感じた。

◇ ◇ ◇


 リアムが穴へ行こうとした。前に出る顔だ。守るために突っ込む顔だ。突っ込めば派手に戦える。派手に戦えば、英雄になれる。英雄になれば、死ぬ。死ねば、後ろが助かるかもしれない。そう考えているのだろう。


 補助講師の男が、リアムの前に半歩立った。止める声が、やけに落ち着いていた。


「君は動くな」


「でも、あっちが抜けたら――」


「抜けたら終わる。だからこそ君はここにいる。君が動くと避難路が落ちる。君が守れる人数が減る」


 理屈は正しい。正しい理屈ほど、人を縛る。縛られたリアムの肩が僅かに落ちた。


 男は続けて、クレアとテオにも短く割り振った。


「クレア、線を引け。結界は薄くていい。崩れないことが最優先だ」

「テオ、連絡線を維持。穴の情報は一つの経路だけに通せ。二重になると死ぬ」


 言い切りは、移動の自由を奪う。自由を奪って、線を固める。線が固まれば、後方は助かる。英雄が後方の死体で立つ形が潰れる。――代わりに、穴を塞ぐ人間が必要になる。


 レオナは、その瞬間に理解してしまった。

 今、盤面が『整った』。


 避難線は、もう動かせない。リアムたちも、もう動かせない。穴だけが残る。穴を埋める選択肢が、自然に自分へ落ちてくる。落ちてくるのが一番、自然だ。


 レオナは剣を握った。剣の重さが、妙に軽くなる。決めた瞬間、人は軽くなる。軽くなると死にやすい。だが軽くならないと、決められない。


 レオナは息を吸い、教官の声に戻した。


「私が穴を塞ぐ。君たちは退避線を守れ」


 リアムが一歩出る。

「俺も――」

「駄目だ。教官命令だ」

「一人で行くんですか!」

「一人が一番早い。二人なら、どちらも遅れる」

「でも――」

「でもじゃない。ここで線が落ちたら、守るべき人数が増える」


 背中に刺さる視線を振り払うように、レオナは走り出す。

 破られた別門の前は、風が違った。血の匂いが混ざった冷たい風だ。そこを抜けられたら、避難線の背中に刃が入る。


 レオナは『穴』に飛び込んだ。


◇ ◇ ◇


 レオナ・ハーゼルは、穴の向こうに踏み込んだ瞬間、懐かしい匂いを嗅いだ。


 血と鉄と、焦げた何かの混ざった匂い。

 前線の匂いだ。

 何年も前に置いてきたはずの、最前線の空気。


 地下通路は狭い。狭いからこそ、敵は一度に押し込めない。一度に押し込めないなら、順番に削れる。削れるうちは、止められる。


 レオナは剣を抜き、構えた。

 構えた瞬間、背後で門が閉まる音がした。


 閉めたのは誰だ。

 閉めさせたのは、自分だ。


 「一人が一番早い」と言ったのは本当だ。

 ただ、本当だからといって、嘘がないわけではない。


 一人なら、誰も巻き込まない。

 一人なら、誰も見ていない。

 一人なら、帰れなくても文句を言われない。


 それが一番『早い』理由だ。


 レオナは笑った。笑い声は喉の奥で消えた。

 消えた笑いの代わりに、剣尖が前を指す。


◇ ◇ ◇


 最初の一体は、影のような形をしていた。


 魔物の分類名など、レオナには興味がない。斬れるか、斬れないかだけが問題だ。

 斬れる。

 剣が振り下ろされ、影の頭部が裂けた。裂けた影は地面に落ちて、ゆっくりと溶ける。


 溶けきる前に、次が来た。

 次は二体。形は少し違う。片方は四足、もう片方は背が高い。


 レオナは低く踏み込んだ。踏み込みながら、四足の喉を薙ぐ。薙いだ剣を返して、背の高い方の膝を潰す。膝が折れた相手の頭に、蹴りを叩き込む。


 蹴りが効いた音。

 倒れる重さ。

 倒れた影が溶ける。


 三体目が来る前に、レオナは息を整えた。

 整えた息が、すぐに荒れる。


 年齢には勝てない。

 前線を退いたのは、これが理由だった。


 もう、十体を相手にはできない。

 五体が限界だ。

 五体目で動きが鈍る。鈍った瞬間、終わる。


 だから、五体目が来る前に終わらせる。

 終わらせられなかったら、そこまでだ。


 ◇ ◇ ◇


 四体目は、飛んできた。


 壁を蹴って、天井を這うように跳ぶ。速い。

 レオナは剣を構え直す時間がなかった。構えずに、鞘を盾にする。


 爪が鞘に食い込む音。

 鞘が軋む。軋んだ鞘が、爪を一瞬だけ受け止める。


 一瞬で十分だ。

 レオナは鞘ごと相手を押し返し、剣を引き抜いて、横薙ぎに斬った。


 斬撃は浅い。致命ではない。

 けれど、致命である必要はない。止まればいい。止まった相手に、次の一撃を叩き込む。


 剣尖が影の胸を貫いた。

 貫いた感触は、肉ではなく煙に近い。煙のような何かが、剣を伝って腕に這い上がろうとする。


 レオナは即座に剣を引き抜き、腕を振って何かを払った。

 払った何かは床に落ちて、音を立てずに消える。


 息が上がる。

 腕が痺れる。痺れを無視して、次を待つ。


 五体目は、来なかった。


 来ないのではない。

 『まだ』来ない。


 穴の向こうで、何かが蠢いている。

 蠢きは、数だ。数が、順番を待っている。


 レオナは剣を下段に落とし、呼吸を整えた。

 整わない。整わないまま、時間が来る。


 五体目が、来た。


 ◇ ◇ ◇


 五体目は、これまでで一番大きかった。


 通路の幅いっぱいに膨れた影。四本腕で、腕の先に刃がある。刃は骨か、金属か、それとも魔力の凝固か。

 分からない。分からないが、当たれば致命だと分かる。


 レオナは呼吸を一つ飲み込んで、前に出た。

 前に出て、剣を振り上げる。


 振り上げた剣を、四本腕の一本が弾く。

 弾かれた剣が上がり、体勢が崩れる。


 崩れた体勢のまま、レオナは横に転がった。

 転がった床を、四本腕の二本目が削る。削られた石畳が砕け、破片が頬を掠める。


 掠めた痛みを無視して、レオナは起き上がりながら剣を突き出した。

 突きは、四本腕の三本目に弾かれる。


 弾かれた剣が手元に戻る前に、四本目が来る。


 レオナは剣を捨てた。

 捨てた剣が床に落ちる音と、四本目の刃が空を切る音が重なる。


 レオナは素手で四本目の腕を掴んだ。

 掴んだ腕は冷たく、硬く、しかし掴める。掴めるなら、引ける。


 引いた。

 全体重を乗せて、四本腕の巨体を引き倒す。


 倒れる影。

 倒れた影の上に、レオナは膝を落とした。


 膝が、影の中心に沈む。

 沈んだ膝に、全体重を乗せる。


 影が蠢く。

 蠢く影の中心から、何かが溢れ出す。溢れた何かは、煙か、液体か、それとも悲鳴の形か。


 レオナは落とした剣を拾い、沈んだ中心に剣を突き立てた。


 一度。

 二度。

 三度。


 三度目で、影が動かなくなった。


 動かなくなった影の上で、レオナは膝をついたまま息を吐いた。

 吐いた息が、震えている。


 腕が上がらない。

 剣が重い。

 視界の端が、少しずつ暗くなる。


 暗くなる視界の中で、穴の向こうがまた蠢いた。


 六体目が、来る。


 ◇ ◇ ◇


 六体目は、五体目より小さかった。


 小さいが、速い。

 速い相手は、当てられない。当てられないなら、止められない。


 レオナは立ち上がろうとした。

 立ち上がれなかった。膝が言うことを聞かない。


 膝をついたまま、剣を構える。

 構えた剣が、震える。


 六体目が跳んだ。


 跳んだ影を、レオナは横薙ぎに斬った。

 斬撃は当たらない。影は跳躍の軌道を変え、レオナの背後に回り込む。


 背後。

 最悪だ。


 レオナは剣を背中に回す。

 回した剣が、何かに当たる感触。浅い。致命ではない。


 致命ではないが、六体目は怯んだ。

 怯んだ隙に、レオナは振り向いて剣を突き出す。


 突きは、外れた。

 外れた剣の隙に、六体目の爪が腹を裂いた。


 裂かれた痛み。

 熱い。熱いのに、冷たい。


 レオナは歯を食いしばって、剣を振り下ろした。

 振り下ろした剣が、六体目の頭を割る。


 割れた頭。

 溶ける影。


 溶けた影の向こうで、七体目が待っている。


 レオナは膝をついた。

 ついた膝が、床を赤く濡らす。


 腹を押さえる。

 押さえた手が、赤く染まる。


 これ以上は無理だ。

 無理だと分かる。


 でも、止まれない。

 止まれば、穴が開く。穴が開けば、背後の門が破られる。門が破られれば、避難路が落ちる。


 落ちた避難路の先で、誰が死ぬ。

 顔を覚えた、誰かが死ぬ。


 ――顔を覚えた子から、先に減っていった。


 前線で、そうだった。

 名前を呼んだ子から、いなくなった。

 だから、ここでは覚えた顔を減らしたくなかった。


 レオナは立ち上がった。

 立ち上がった膝が、また震える。


 七体目が、ゆっくりと近づいてくる。


 レオナは剣を構えた。

 構えた剣が、床に先端を擦る。


 もう、上がらない。


 ◇ ◇ ◇


 七体目は、飛びかからなかった。


 飛びかからずに、ゆっくりと間合いを詰める。

 詰められる間合いを、レオナは下がれない。


 下がれば、背後だ。

 背後には、門がある。門の向こうには、誰かがいる。


 レオナは構えを保ったまま、七体目を睨んだ。

 睨んだ視界が、滲む。


 滲む視界の中で、七体目が跳んだ。


 レオナは剣を振り上げた。

 振り上げた剣が、七体目の腕を斬る。


 斬った。

 でも、止まらない。


 七体目の残りの腕が、レオナの肩を裂く。

 裂かれた肩。

 剣が手から落ちる。


 落ちた剣を、拾えない。


 七体目が、次の一撃を振りかぶる。


 レオナは素手で、七体目の腕を掴んだ。

 掴んだ腕を、引く。引きながら、頭突きを叩き込む。


 頭突きが、七体目の頭部に入る。

 入った衝撃で、七体目が怯む。


 怯んだ隙に、レオナは床に落ちた剣を足で蹴り上げた。

 蹴り上げた剣が、空中で回転する。


 回転する剣を、レオナは片手で掴んだ。

 掴んだ剣を、七体目の胸に突き立てる。


 突き立てた剣が、貫通する。


 七体目が溶ける。

 溶けた影が、床に広がる。


 レオナは、剣を支えに膝をついた。


 膝をついた床が、赤く染まっている。

 自分の血だ。


 もう、立てない。


 立てないが、穴の向こうで八体目が待っている。


 待っている。

 でも、来ない。


 来ないのは、こちらが倒れるのを待っているからだ。


 レオナは笑った。

 笑った口から、血が零れる。


 ◇ ◇ ◇


 レオナは、剣を杖に立ち上がろうとした。


 立ち上がれなかった。


 立ち上がれないなら、座ったままでいい。

 座ったまま、剣を構える。


 構えた剣が、床を擦る音。


 音が、妙に遠い。


 遠い音の向こうで、リアムの顔が浮かんだ。


 あの子は、真面目だ。

 真面目すぎて、全部を抱え込もうとする。


 抱え込んで、潰れる。

 潰れないように、教えたかった。


 でも、教えきれなかった。


『守る側は、置いていく選択が来る』


 そう言ったのに、自分が一番置いていく側に回ってしまった。


 ――ごめんな、リアム。


 謝る声は、出なかった。

 出ない声の代わりに、剣が震える。


 八体目が、ゆっくりと近づいてくる。


 近づく影を、レオナは睨んだ。


 睨んだ視界が、暗くなる。

 暗くなる視界の中で、レオナは最後の言葉を探した。


 言葉は、見つからない。

 見つからない言葉の代わりに、剣を握る手に力を込める。


 力を込めた手が、震える。


 八体目が、目の前まで来た。


 レオナは剣を振り上げた。


 振り上げた剣が、途中で止まる。


 止まった剣を、八体目の爪が弾く。


 弾かれた剣が、床に落ちる。


 落ちた剣の音が、遠い。


 遠い音の向こうで、八体目の影がレオナの胸を貫いた。


 貫かれた胸。


 痛みは、もうない。


 ないのに、冷たい。


 冷たいのに、少しだけ温かい。


 温かいのは、多分、


 ――あの子たちが、向こうで生きているからだ。


 レオナの視界が、完全に暗くなった。


 暗くなった視界の中で、最後に見えたのは、


 リアムの背中だった。


 小さな背中。

 でも、少しずつ大きくなる背中。


 その背中を、レオナは最後まで見ていた。


 見ていた視界が、消えた。


 ◇ ◇ ◇


 穴の向こうで、何かが倒れる音がした。門の前に立っていた上級生が、その音を聞いた。


 聞いた音に、誰も言葉を返さなかった。


 返せなかった。


 返せない沈黙の中で、門はまだ閉じられたままだった。閉じられた門の向こうで、レオナ・ハーゼル教官は、最後まで穴を塞いでいた。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

もし「続きも追う価値がある」と思えたら、ブックマークだけ置いていってください。更新の目安にします。

また、可能なら評価★と、ひと言でも良いので「刺さった点/気になった点」をコメントでいただけると助かります。次の調整材料にします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ