表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
やりすぎテンプレ、監査入ります。  作者: @zeppelin006
第三章 学院防衛戦監査編 ― 第2781勇者物語ライン
40/45

第39話 穴を塞ぐ者

 鐘は鳴り続けていた。

 鳴らしているのが金属なのか、結界の軋みなのか、もう判別がつかない。音の洪水の中で、人は声を拾い損ね、拾い損ねた声が別の混乱を生む。


「こっちだ!南回廊は塞がってる!」

「いや、さっき開いたって言ってた!」

「誰が言った!」

「伝令が!」


 神崎は、血と煤の匂いの中で一歩遅れて走る群れを見ていた。補助講師の腕章は、いまや免罪符ではなく、権限の代用品だった。現場が求めているのは美しい理屈ではなく、短い命令と、責任の置き場所だ。


 第35号様式速報が脳裏で点滅する。実際にはタブレットを見る暇などないのに、監査官として叩き込んだ予測が勝手に画面を作る。


 このままなら、落ちる。

 落ち方は決まっている。『勇者ラインらしい』落ち方だ。


 ◇ ◇ ◇


 穴は、前線ではなく背中に空いた。


 別門――地下通路に近い補給口が破られた、という伝令が飛び込んできた瞬間、現場は『普通の最善』を積み上げ始めた。最善はいつだって善意でできている。善意は、状況が悪いほど速度を上げる。


「穴へ回せ!前衛を半分!」

「避難誘導が薄くなる!」

「いいから穴を塞がないと終わる!」


 前線から人が割かれる。

 避難路の要員が薄くなる。

 薄くなった場所に群衆が滞留する。滞留は押し合いに変わり、押し合いは将棋倒しの直前まで行く。そこで誰かが叫ぶ。叫びは恐慌を増やし、恐慌は走り出す足を増やす。


 雑に死ぬ。

 前線で英雄が輝くために、後方で名もない学生が潰れていく。誰が悪いわけでもないのに、結果だけが『テンプレの正解』へ向かって整っていく。


 神崎には、それが見えてしまった。


 自分が見ているのは未来ではない。連鎖だ。現場で何百回も繰り返され、ログで何千回も再生された、『落下の形』だ。落下の形を知っている人間は、落ちる前に掴む手すりも同時に知ってしまう。


 掴めば、誰かを押し出すことになる。

 掴まなければ、群衆がまとめて落ちる。


 胸の奥に嫌な熱が溜まる。『助けたい』ではない。もっと冷たい。もっと嫌な動機だ。


 このままだと、雑に死ぬ。

 それが嫌だ。

 雑さを潰すなら、喪失を一点に寄せるしかない。


 ――案B化。

 頭が勝手に、庁内の言語に逃げる。『回収線』『炎上分散』『割れ回避』。どれも建前だ。建前で自分の吐き気を薄めないと、足が止まる。


 足を止めれば、案Aへ逆流する。

 その逆流の怖さだけが、神崎を走らせた。


◇ ◇ ◇


「君たち、集合。今すぐ」


 神崎は避難誘導に当たっていた学生と職員を、廊下の交差点に集めた。怒鳴らない。怒鳴ると空気が荒れ、荒れた空気は恐慌に寄る。声は低く、短く。


「通路を二本に絞る。広げるな。分岐を増やすと詰まる」

「でも、あっちも使えます!」

「使えるかどうかじゃない。詰まらないかどうかだ。詰まったら人が潰れる」


 潰れる、という単語を出した瞬間、何人かの顔色が変わった。神崎はそこに優しさを足さなかった。足している暇がない。足した優しさが、判断を遅らせる。


「南回廊の迂回は閉鎖。危険判定。封鎖札を吊れ。ロープ、持って来い」

「危険って……まだ敵は!」

「敵がいなくても危険だ。人が死ぬ」


 口から出た言葉は冷たすぎて、自分でも自分が嫌になった。だが、冷たい言葉は動く。現場は動く。動けば、連鎖が一つ断ち切れる。


 ロープが張られ、封鎖札が揺れた。迂回路は『危険』として閉じられた。

 その代わり、圧は一点に寄る。避難の流れは二本に固定され、前線の押し返しは一本の線に集まる。


 ――雑に死ぬ可能性は下がった。

 その分、誰かが死地を引き受ける必要が増えた。


 神崎は次の手を打つ。息を吐く暇はない。


「伝令!穴の情報、誰が持ってる」

「……門番が」

「連れて来い。今すぐ」


 門番の口から出る情報は断片的だった。『破られた』『影が見えた』『数が多い』。断片は混乱を増やす。混乱は指揮命令を二重化する。二重化は穴を広げる。


 神崎は、断片を切り捨て、必要な一本に絞る。


「教官に伝える。穴の向こうに抜けられたら避難路が落ちる。増援は遅れてる。それだけだ」

「他にも……上級生が向かってるって!」

「後でいい。今言うと、現場が『間に合う』方向に傾いて、無茶をする。無茶が重なると崩れる」


 自分の言葉が、誰かの希望を切り捨てているのが分かる。希望を切り捨てて、判断を一つに寄せている。寄せている先に、誰かの背中が必要になる。


 神崎は伝令として走った。走りながら、吐き気が喉元に触れる。触れるだけで落ちない。落ちないように、次の指示を考える。


 穴に、誰を送るか。

 いや、送らない。送られる盤面を作る。


 レオナ教官を見つけたのは、退避線の端だった。彼女は剣を振るっていない。振るわないからこそ恐ろしい。全体を見て、全体を切り分ける目をしている。


 神崎は息を整えずに言う。


「別門が破られました。地下の補給口です。抜けられると避難路が背後から落ちます」

 レオナの視線が鋭くなる。

「増援は」

「遅れてます」


 希望が持てる情報は、言わなかった。混乱回避の名目で、後回しにした。

 レオナの判断材料は、自然に削られる。削られた判断材料は、自然に結論を一つに寄せる。


 レオナは短く頷き、次の命令を飛ばす。


「退避線は維持。穴へ回せるのは、最小限だ」

 最小限。

 その単語が、神崎の胸を刺した。最小限の犠牲。最小限の喪失。最小限の地獄。

 最小限、という言葉は、何かを正当化する時にだけ滑らかになる。


 神崎はさらに盤面を固めた。

 固める相手は、穴へ行って『派手に英雄化』してしまいかねない存在――リアムたちだ。


 リアムはすでに、穴の方向を見ていた。目が『行く』と言っている。

 行けば、典型が始まる。勇者候補が穴で大立ち回りし、後方が薄くなり、名もない学生が雑に死ぬ。派手な戦闘の影で、潰れる。


 神崎はリアムの前に立った。補助講師の腕章を、意識的に見せる。


「君は動くな」

「でも、あっちが抜けたら――」

「抜けたら終わる。だからこそ君はここにいる。君が動くと避難路が落ちる。君が守れる人数が減る」


 リアムの歯が噛み締められる音が聞こえた。

 納得ではない。拘束だ。拘束を理屈で包んだだけだ。神崎はそれを自覚して、さらに冷たく続けた。


「クレア、線を引け。結界は薄くていい。崩れないことが最優先だ」

「了解」

「テオ、連絡線を維持。穴の情報は一つの経路だけに通せ。二重になると死ぬ」

「……分かったよ、先生」


 テオの皮肉は薄かった。現場は、皮肉を許す余裕を消していく。


 最後のひと押しは、配置だった。

 神崎は避難線の要員を先に固めた。『ここを抜かれたら全てが崩れる』場所に人を置き、離れられなくする。離れられなければ、穴へ行ける人間は減る。減った穴の対応は、誰か一人の肩に寄る。


 寄せる。焦点化する。回収線を引く。

 頭の中で建前が唱えられる。唱えているのは祈りではない。麻酔だ。


 神崎の指示は淡々としていた。優しさがない。

 その淡々さが、現場の空気の中で異物として浮く。神崎自身が、その異物感を一番よく感じていた。


 ――これが、上位からの修正に見えるんだろうな。

 現場ではただのモブの行動なのに。

 モブの行動だけで、物語の落ち方が変わる。


 変えた。変えてしまった。

 その実感が、吐き気に変わる寸前で、次の瞬間が来た。


◇ ◇ ◇


 穴の方向で、結界が鳴った。音が『割れる』に近い。


 レオナは状況を一瞥し、迷いなく言った。


「私が穴を塞ぐ。君たちは退避線を守れ」

 リアムが一歩出る。

「俺も――」

「駄目だ。教官命令だ」


 命令は短く、硬い。

 その硬さの中に、柔らかいものが混じっているのが分かった。覚悟だ。諦めだ。あるいは、慣れだ。


 リアムが食い下がる。声が割れる。


「一人で行くんですか!」

「一人が一番早い。二人なら、どちらも遅れる」

「でも――」

「でもじゃない。ここで線が落ちたら、守るべき人数が増える」


 その言葉は、さっき神崎がリアムに投げた理屈と同じ形をしていた。

 神崎は自分の胃がひっくり返るのを感じた。


 盤面は完成している。

 レオナの言葉は自発に聞こえる。けれど、選択肢は削れている。削ったのは誰だ。神崎だ。神崎の足と口と紙だ。


 レオナが走り出す。

 背中が遠ざかる。距離は、走れば届く距離だった。


 神崎の脚が一瞬だけ前に出る。

 助ける、という衝動ではない。衝動に似た拒絶だ。自分の作った盤面を壊したい。壊せば楽になる。壊せば手が温かくなる気がした。


 だが、壊した瞬間に何が起きるかも分かっている。


 神崎がレオナの背に追いつけば、誰かがそれに続く。リアムが続く。クレアが線を離れる。テオが連絡線を切る。避難線が薄くなる。薄くなった線は崩れる。崩れた線の先で、群衆が潰れる。雑に死ぬ。


 つまり、『助ける』は『別の場所で雑に死なせる』に直結している。


 神崎の足は、床に縫い付けられたように止まった。

 臆病ではない。自分の作った構造に、自分が縛られている。


「先生!」

 誰かが叫ぶ。上級生か、職員か、分からない。

 神崎は振り向かずに答えた。


「線を維持しろ!通路は二本、絶対に崩すな!」

 声は平坦だった。平坦すぎた。

 平坦な声が、現場を動かす。動かすたびに、レオナの背中が『合理』になっていく。


 レオナの姿が、見えなくなる。

 彼女が何と戦っているのか、形は見えない。見えないのに、重さだけが分かる。あれは一人で持つ重さではない。


「退避、進め!」

 誰かの怒号。

 泣き声。足音。擦れる布。

 避難が流れ、流れが整い、整った流れが最後の一人を押し出す。


 そして、音が一つ減った。

 鐘ではない。結界の軋みでもない。

 人が『いなくなった』音だ。


 レオナ教官の名前を呼ぶ声が、途中で途切れる。

 途切れた声が、誰かの口の中で飲み込まれる。


 神崎は、その瞬間に自分の手を見た。

 血と煤に汚れているはずの手が、妙に冷たかった。


 冷たい手で、冷たい盤面を作った。

 その盤面の上で、一つの背中が消えた。


 退避線の奥から、最後の学生が転げるように出てくる。

「閉じろ!」

 門が閉じられ、ロープが引かれ、結界が薄く重なる。


 多くが生き残った。

 その事実が、神崎の胸を少しも温めない。


 吐き気が遅れてやってくる。

『助けられなかった』吐き気ではない。

『助かった人数の計算のために、レオナを単独行に追い込んだ』吐き気だ。


 勝った。

 勝ったはずだ。

 けれど、手が冷たい。


 神崎は目を閉じた。閉じても、背中は消えない。

 消えない背中の輪郭だけが、次の回収を待っているように見えた。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

もし「続きも追う価値がある」と思えたら、ブックマークだけ置いていってください。更新の目安にします。

また、可能なら評価★と、ひと言でも良いので「刺さった点/気になった点」をコメントでいただけると助かります。次の調整材料にします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ