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やりすぎテンプレ、監査入ります。  作者: @zeppelin006
第三章 学院防衛戦監査編 ― 第2781勇者物語ライン
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第37話 防衛戦前夜、選ぶ側と選ばれる側

 予感というものは、いつも中途半端だ。


 確証がないから笑ってやり過ごせる。けれど、笑ってやり過ごせる程度のまま、気づいたら足元に穴が開いている。そんな種類の不安が、学院の夜には薄く溶けていた。


 鐘は鳴らない。警報も鳴らない。だからこそ、静けさが不気味に感じられる。


 ――静けさは、事件が起きない証拠じゃない。起きる前の間にも、同じ静けさは存在する。


 それを知っているのは、ここでは一人だけだった。


◇ ◇ ◇


 訓練場の夜は、昼間より広く見えた。


 照明が落とされ、地面の白線がぼんやり浮かぶ。剣を振る音も息を吐く音も、壁に当たって柔らかく返ってくる。夜は音を吸う。吸って、残るものだけを目立たせる。


 リアムは一人で、武器を振っていた。


 派手な技じゃない。鍛冶屋の見習いだった頃と同じ、身体に馴染ませるための素振り。刃の角度と、足の運びと、呼吸のタイミング。『勝つため』というより、『崩れないため』の反復だ。


 背中に気配が落ちた。


「夜更かしは、伸び悩むぞ」


 声は低く、乾いている。怒鳴らない。命令しない。その代わり、言葉の重さだけで立たせる声だ。


 振り向くと、レオナ教官がいた。黒に近い訓練服で腕を組んでいる。昼間は学生にからかわれて笑っていた顔が、今は笑っていない。笑わないほうが似合うのが、なんとなく腹立たしい。


「教官も、見回りですか」


「見回りというより、癖」


 レオナは肩をすくめた。


「前線にいた人間は、夜が静かだと落ち着かない。静かすぎると、逆に嫌なことを思い出す」


 リアムは反射で謝りそうになって、やめた。謝る場じゃない。


 代わりに、手元の鉄を見た。自分の手の中にある、冷たい鉄。熱と叩きの記憶が残っているはずの鉄が、今は冷えたままだ。


「……最近、外が物騒だって噂です」


「噂は噂だ」


 レオナは言い切らない。教官らしい曖昧さだ。曖昧さで守れるものがあると知っている人間の言い方でもある。


「でも、備えるのは噂のうちだ」


 リアムは短く頷いた。


「来たら、守るだけです」


 レオナの口角が、わずかに上がった。笑いではない。痛みを知っている人間が、若い決意を見たときに浮かべる表情だ。


「守る側に立つなら、覚えておけ」


 レオナは、少しだけ距離を詰めた。声が訓練場の空気を切る。


「君は、置いていく選択をする」


 リアムの呼吸が一拍遅れる。言葉の意味が、まだ掴めない。掴めないまま身体が拒否する。


「置いていく、って……」


「誰かを助けるために、誰かを助けない選択だ」


 レオナは淡々と言った。淡々と言えるようになるまでに、何回その選択をしたんだろう、とリアムは思ってしまった。


「そんなの、したくないです」


「したくなくても来る」


 レオナは視線を外し、夜の白線を見た。そこに誰かの血が落ちたことがあるみたいな目で。


「だからもう一つ覚えておけ。守るべき『誰か一人』の中に、自分を入れろ」


 リアムは眉を寄せる。


「……俺、ですか」


「君が生き残ることが、いつか別の誰かを生かす時もある」


 レオナはそこで一度止まった。言い過ぎた、というより、言っても今は届かないところまで来たと判断したようだった。


「逆もある。君が生き残るために、誰かが置いていかれることもある」


 リアムの脳裏に、崖の縁がよぎる。ミナの手。掴めなかった指。落ちていった影。墓標。エリナの名前。自分の中に刺さったままの『置いていった』という感覚。


 それを思い出して、リアムは無意識に拳を握っていた。


「……俺は、」


 言いかけて、言葉が詰まる。『置いていかない』と言いたい。でも、言ったところで現実は変わらない。


 レオナは、それを待たなかった。


「分からなくていい。今夜のうちに、ただ覚えておけ」


 そして、少しだけ柔らかい声で続ける。


「君は守る側に立つ。それだけはもう確定だ。なら、守る側が持つべき『嫌な知恵』を、先に渡しておく」


 リアムは真剣に頷いた。理解できないのに頷く。危うい頷きだ。でも、ここで頷けるのは強さでもある、とレオナは思ったのかもしれない。


 レオナは出口へ向かいながら、最後に振り返った。


「眠れ。眠れないなら、目を閉じろ。何かが起きたとき、目を開けて立っているために」


 リアムは答えられなかった。答える言葉が、今は全部軽い気がした。


◇ ◇ ◇


 寮の部屋は、四人でいると狭かった。


 狭いからこそ、気配が逃げない。誰かの不安が、すぐ隣の人の皮膚に触れる。


 ノーラはベッドの端に座り、手を組んでいた。組んだ指が白い。何度も力を入れて、何度も抜いているのが分かる。眠れない人間の指だ。


「……ねえ」


 ノーラの声が小さくて、部屋の空気に負けそうになる。


「私、怖い」


 テオが即座に顔を上げた。怒りが先に出るタイプの反応だ。


「そりゃ怖いだろ。怖くないやつがいたら頭がおかしい」


「怖いっていうか……」


 ノーラは言葉を探す。見つからないから息を吐く。


「外が物騒だって言うじゃない? 学院って、守られてる場所だと思ってたのに……最近、そうじゃない気がして。何かが起きる前って、こういう感じなのかなって」


 クレアが、短く言った。


「噂は増幅する。夜は特に」


 冷たい言い方だ。冷たいのに、どこか震えている。クレアは理屈で自分を支える。理屈が崩れたときにどうなるかを、誰より自分が分かっている。


 テオが舌打ちした。


「そもそもおかしいんだよ。王都だぞ? 王国軍が守れよ。なんで学院が最前線みたいな空気になってんだ」


「空気だけなら、まだいい」


 クレアが返す。


「空気は現実の前触れになる。だから備える」


 リアムは、ふと口を開いた。


「備えるなら、守るために備える」


 自分でも驚くほど強い声だった。ノーラが顔を上げる。


「俺たちは……守る側だ」


 その言葉を言った瞬間、訓練場のレオナの声が重なる。『置いていく選択をする』。胸の内側が、ひゅっと冷える。


 リアムは言葉を続ける。続けないと、あの言葉に飲まれそうだった。


「村でもそうだった。来たから守った。……全部は守れなかったけど、守れる分だけ守った。守れなかった分は、重いままだ」


 ノーラが、かすれた声で言った。


「全部は無理でも……?」


 リアムは頷いた。何度も自分に言い聞かせてきた言葉を、ここで誰かに渡す。


「前よりマシにはできる」


 ノーラが、ようやく小さく息を吐いた。


「前よりマシ……。うん。全部じゃなくても」


 その言葉が部屋の空気を少しだけ軽くした。軽くなった分だけ、何かが起きたときの落差が増える。リアムは、その落差を想像してしまい、歯を食いしばった。


 四人はそれぞれの仕方で、目を閉じる準備をした。


 誰も知らない。自分が選ぶ側になるのか、選ばれる側になるのか。それとも、選ぶ側にされるのか。


◇ ◇ ◇


 神崎は学院の廊下を歩いていた。


 正確には、補助講師アバターとしての神崎だ。教職員用の簡素な制服。手にはタブレット。ここでは『現場の一員』として動ける立場にいる。動けるからこそ、動けない。


 廊下の向こうから、さっきの部屋の笑い声が漏れてくる。若い笑い声。守られるべき音。


 神崎は、その音の前で足を止めた。


 言いたくなる。


 噂じゃない。


 予感でもない。


 具体的な『発火』のタイミングが、タブレットの中にある。


 神崎が見ているのは、学院の掲示板ではなく、第29号様式に落とし込んだ監査方針と、第35号様式の予報だ。そこには、曖昧さがない。曖昧さを許さないシステムが、秒刻みで未来を整形している。


 ノックして、何かが起きるかもしれない、とだけ言う?


 それなら規程には触れない。触れないはずだ。


 でも、分かっている。


 『かもしれない』の言い方は、現場を動かすには弱い。弱いから、結局は何も変わらない。変わらないなら、言った意味はない。


 逆に、いつを匂わせた瞬間に、根幹破壊級の介入になる。彼らの行動が変わる。行動が変われば、システムは帳尻を合わせに来る。別の入口が開く。別の場所で死ぬ。死ぬ数が増える。死ぬ人が変わる。『補正』はそういう形で、いつも丁寧に残酷だ。


 村で見た。ミナを救った代わりに、エリナが死んだ。


 あのときの教訓は、胸の奥に棘のように刺さったままだ。


 タブレットが震えた。通知。嫌なタイミングで来る。いつもそうだ。


 神崎は目を逸らさずに画面を開いた。


『監査官規程:通知』

『根幹破壊級介入は禁止』

『権限外介入(E-ACD-07以外)検知時、補正イベント発火率上昇』


 その下に、短い追記。


『備考:監査官補・神崎悠斗 再介入権限=E-ACD-07のみ』


 まるで、首輪だ。


 神崎は喉の奥が熱くなるのを感じた。怒りか、恐怖か、分からない。どちらも同じ味がする。


 規程の文字を見ながら、神崎は思う。


 自分は選ぶ側だ。机の上で、誰を飲むかを決めた側だ。案Bに寄せると決めた。公的には『RSIが割れないため』に、喪失を焦点化し、回収線を引くと決裁した。


 でも現場に立つと、選ぶ側でいられない。選ぶ側でいられないから、選んだことが余計に残酷になる。選ばれる側の呼吸が聞こえる。選ばれる側の笑い声が届く。


 神崎は、扉の前で手を伸ばしかけて、止めた。


 ノックして、曖昧な注意を促しても、意味が薄い。意味が薄い言葉で安心させるくらいなら、言わないほうがマシだ。


 ノックして、具体を匂わせたら、補正が来る。補正が来れば、ここで救った『かもしれない』何人かの代わりに、別の誰かが死ぬ。


 その別の誰かは、名前も付かないまま『学生層』として処理されるかもしれない。村娘Cみたいに。


 神崎は、その想像に唇を噛んだ。


 廊下の灯りが、少しだけ揺れた。風か、結界の軋みか、ただの気のせいか。


 タブレットの隅で、赤い小さなアイコンが点滅する。


『E-ACD-07 発火予測:高』


 神崎は、胸の内側だけで言った。


 止めたい。


 でも止められない。


 止めてはいけない。


 その三つの区別が、ぐちゃぐちゃに混ざって重い塊になり、腹の底に沈んだ。


 神崎は手を下ろし、廊下を歩き出した。扉の向こうの笑い声を、背中に置いていく。


 選ぶ側と、選ばれる側。


 その非対称が、今夜はやけに鮮明だった。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

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また、可能なら評価★と、ひと言でも良いので「刺さった点/気になった点」をコメントでいただけると助かります。次の調整材料にします。

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